あげると言われ、いただいてしまったので、ちょっと感想を書こうと思った。
ちなみに138回直木賞受賞作品。
各選評はこちら。
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/senpyo/senpyo138.htmそもそも芥川賞とか直木賞とか、お前ら作品に与えてるんちゃうんかい、と大阪弁で突っ込みたくなるのだけど、まあ脱線しそうなのでやめるとします。
このお話、時間がどんどんさかのぼっている。
それぞれ章ごとの主人公は変わっていくのだが、とある古典が思い浮かんだ。
げ、げ、げ…喉まで出掛かるが「ネタばれ自重」とか言われたら困るので書かないでおく。
うーん…どう書こうか悩んでいる。
選評には「現実性に欠く」とか書いてあったけど、それは作者の描写力が追いついていないのが一番の原因かと思われます。
特に過去にさかのぼるという構成が逆にこの作品の欠点をあらわにさせたかなというのが素直な感想。
中盤までは「お、おお…」と思ったのに。
あ、スケベなだけか。
真面目なことを書くと全編に渡って「大人の感性で貫かれている」というのが一番の失敗。
なぜならば「過去に戻る」ということは、より「子供の感性」に戻っていかなきゃいけない。
特に最後の章は一番古いのだから、もっとぞっとするような透き通った純粋さが欲しかった。
この点だけは画竜点睛を欠く結果となってものすごく残念。
だから一番最後に近づく文章も「無難にたたんだ」という印象がぬぐえなくなる。
もしその結晶化された両者の衝動が見事に最後に描写されていれば誰もが称える傑作となった可能性もある。
これから始まるすべての「予感」と「直感」なるものがものの見事に凝縮されていたらってことかな。
もうそれがあったらスタンディングオベーション。
さすがのじゅんちゃんも少しは納得したんじゃない?
それともうひとつ気になったのが、すーっと事象が走っている。
つまりわかりやすく言うと、急転直下、V字上昇、が隠れているんだぞという機微がやや足りないような印象があり、読み終わっていつまでもぞっとして忘れられないような怖さがない。
あー、あの二人の犠牲はなんであったのか。
やるならやるなりの「意味」をもっと深く抉りこんで書いて欲しかった。
それはあくまでこの話をドロドロネチネチさせないための作者の腕を見せ付けており見事というほかないと見れば、そうかもしれない。
他の作品と比べるのはダメだとは思うけれど、どうしてもあのドラッグとセックスの青春を描いた芥川賞作品と比べるとどうしても描写の奥行きがないんだよなぁ。
あっちのほうが明らかに文章は下手なのに下手に作ってない分だけ緊迫感がある。
まあ、あれは実体験だったから…ということを考えなくても書きなれているのだからその迫真さ、緊迫感はもっと欲しかった。
色々盛り込んであってひとつの「作品」としてこの小説を捉えたとき、作中に登場する人物たちが主要人物を目の前にした時の一種の「慧眼」「感覚」のようなものが深くは見えなくて、御伽噺なのではないか、という印象を持つのもわかる話だ。
入り込んでいきそうですっと描写が深いところからそれていく。
なんでだろうなあってずっと読みながら思ってた。
どうしても、とある古典の話が…
それが頭の中でだぶって見えてしまって、他の読者のように驚きに満ちたものではなくなってしまったのだけど、何も考えないで読むのがよかったのかなと思った。
むしろそれがあったために「やっぱりね」ってことになってしまった。
ある程度章の題名から話の筋は読み取れるものの、「性」が内包している「死」という「暴力性」に完全には踏み込めずに、その表面を丁寧に映し出すのみになってしまった。
私も作中の人物のように叫びたい。
「おじいちゃーん!あーっ!」
そしてここからは色々思い出したことを書きたい。
「中指と人差し指」
読んだ方はわかるとは思いますが「女の匂い」ね、わかります。
といっても「女」ってよりも「牝」っていうのがいいのかも。
中を探って肉のすべてが反応するようなところを当てていくみたいなものから、だんだんとわかってくると悦を与えられるようになる。
艶が絡み付いた後、乾いてくるとパリパリしてくる。
そのままコンビニで酒を買ってきたことがあるけれど目の前の店員はそんなことわかるわけない。
さらけ出す必要性なんてないけれど、装いながら生きていることを感じた瞬間だった。
秘密をたくさん持つと、しゃべりたいことが逆に少なくなってくる。
ゆきずりの女を抱くのとは違って、もっと濃いものを感じながら抱くときの得体の知れない未来への予感っていうのは普通の感情の波よりも津波に体を押されているようなものなのではないのかなと感じた。
こういうのを読むと無性に異性を無茶苦茶に抱きたくなる。
あ、でも「作品が影響を与えた」のではなくて、これは自分の中の「暴力衝動」を刺激するから。
孤独で、切なくて、どうしようもないやりきれなさと、何もかも壊してやりたい暴力性が渦巻いてくる。
これってさ、作品を読んだから助長されるわけじゃなくて、持っていたものなんだよね。
その持っていたものが刺激される。
なければよいのだけど、もう消えそうにない。
そんな「よくない感情」を抑えるのは人の力だと思っている。
それも、限りなく肌と肌が近い力。
そうじゃないと、ダメだろうね。
抑え込めばかたがつく話でもないんだよ。
こういうのって。
というわけで、今回の読書感想文おしまい。
追記:
結局ね…少しネタばれになるけど「血の濃さ」っていうのは、そんなもんじゃないだろと。
もっと他人が理解できないような巨大な恐ろしさみたいなものがあって、当人同士はその二つの魂が限りなく一つになりかかるような暴力性っていうのをもっと肌身で感じている。
その深い谷底のような得体の知れなさっていうのは「湖の底にゆれる藻」程度の描写じゃとても足りないってこと。
でもさ、直木賞ってエンターテイメントに送る賞でもあるから、これはこれでいいんだよね。
きちんとエンターテイメントしている。
映画視点だし。
普通は「嫌悪感」があるわけでしょ。
それがなぜなくなるのかっていう深い背景は説明しなくても描写の端々から恐ろしいほどに感じさせないといけない。
そのぞっとする、その感覚を得たのだと読者を納得させるところまではこの作品はいってないというのがとても残念なところだったっていうことです。
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