自分を見ていると、常に堕落の方向へ向かっている。
名言を読んでいると、他の人も同じ性質があるようだけれど、自分の確認した総数が少ないので、つまり頑張ろうとしている人の中で堕落の方へ向かいがちな人を、それほど間近で確認できたわけではないので、ひとまずは自分は堕落しがちなのだと考えている。
このご時勢、過去の文献を漁れるし一文をピックアップした名言が溢れているから、まるで自分ができるかのように勇気付けられる。
しかし実際、その名言を部屋にでも張って、毎日寝起きに復唱し、そして名言の人物を調べ生き方や言葉に沿って自らの生活を律しようとする人間は少ない。
だからこそ名言はその場しのぎの慰めになっている。
名言というのは「やり遂げた人」が言っているからこそ説得力がある。
自分のように、まず大言を吐いて、自分を追い込んで、やらなきゃならんという性質の言葉とは大きく違う。
そして期限をきちんと守れるよう動ける人も、なかなかいるものではない。
だから社会的に重宝されるというわけだ。
さて、私は基本的にマイペースなタイプだし、周囲を見ても無理強いしてもいい結果が出るわけではなく、適度にプレッシャーをかけつつやっていった方が、精神的な余裕もあって、いい感じにまとまることが多かったのでそうしているのだけれど、それじゃ足りない。
最近グーグルじゃ効率のいい職場は意思疎通、言いたいことをきちんと上下の関係なく言い合えることが最も効率化に繋がっていたという報告をまとめた。
その他の空気は統一的なものはないらしい。その場その場で違うという。
チームプレーは誰かが頑張っているし目的があるから、多少堕落の気持ちがあっても周囲の影響を受けたりする。
だけれど個人となると、そうもいかない。
口で言うほど覚悟が出来てない。
当たり前と言えば当たり前。
何故なら「その現実が実際に起こった時の己の心理的変化」まで予測できないからだ。
どれだけの重圧がかかって、そしてどれだけのことに心や体が耐えられるのか、理解しようもないからだ。
だから、その場になって立場を変える人を沢山見たけど、そのことも今では恨みがましく思うこともなくなった。
私自身が最も出来ていないし、例え出来ていたとしても、人の姿を見ていて、やはり口で言うほど人は強くなれないし、強いものでもないし、自分を捨てられるほど生きることに博打をかけられない。安定安心平穏。
大多数の人が誰かに守られ生活や人生を保障される場所に行くことが人生を不安も持たずに生きていけることだと思っている。
明日の生活を崩すわけにはいかない。
そう考えている。
もちろんそんな考えでは大きな決断はできないし、大きな決断は下調べを入念にし、根回しもした上で、最後に勇気を持つことだけど、腰が重いとなかなか最後の一歩が出せない。
腰の重さっていうのは、あれこれといざって時になって過去のデータや経験を持ち出して将来への不安視を強めたり、手順の多さがあったりすることで増える。
未来の保障なんてどこにもないのに。
そのことを無意識に感じ取っているから「誰かに守ってもらう心理」が絶対に強くなる。
大手の企業に勤めていれば絶対安心なんていうのもそう。
特に「日本での社会的信用」というやつは「会社勤めでの正社員としての連続勤続年数」や「大きなミスがない経歴が綺麗な人生」という、下級武士への忠誠心を見るかのような、ある一種の信仰で成り立っているから、この社会的空気はより決断への空気を重くする。
だから、基本無理なんですよ。
覚悟、なんて。
だいたい上が言ってくる「覚悟」なんて上記の「忠誠心」を問うための言葉であって、その人間の「人生における覚悟」ではない。
誰もあんたのことなんか考えちゃくれない。
だから決断は一人なんだ。
決断する時は誰かと一緒じゃいけない。
何故なら誰かと一緒にしたら、そいつにも責任や自分の覚悟を背負わせだすから。
それは覚悟でもないし決断でもない。
流されただけなんだ。
ほとんどの人間は言うほど覚悟ができない。
だから人を責めないためにも、そういうもんなんだって思っている方が相手を人間らしく見られるし、自分がする場合は、思っている以上に背負わなきゃいけないことを覚えておけばいいと思いますよ。
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