一日中ゲームをやっていたりして怠惰な私ですが、習慣と言うものは非常に強力で、既に「癖」となっているものはなかなか変えづらいものであります。
この「癖」を直すには相当気をつけて張り紙でも部屋につけて毎日実行して叩き直すことが必要ですが、この「癖」、当然「思考」にも適応されます。
私は思うだけで実行に移せず10年以上も浪費している愚か者ですが、皆さんはいかがでしょうか。
自分のことは自分でよく理解していると思い込んでしまうのが人ですが、「癖」は無意識で行っているため、常に理解の外側にあります。
例えば、色々な知識や教訓は手に入れられ、よく覚えはするが自分の悪い癖だけは度外視して他人にはよく弁が立つという人間がいます。
ちなみに私はもの覚えが悪いくせに、批判癖があり、自分のその癖に落ち込んでいるところです。
発想を変えることは、自分の物事への取り組みを変えるということです。
まず精神のあり方を変える。
食事のあり方を変える。
時間の使い方の中に、今までなかったものを取り入れる。
当たり前を当たり前だと思わずに見てみる。
体を動かすことを取り入れる。
など、順番がありますが、全ての土台になる「精神」部分の叩き直しは、相当時間がかかります。
そして、下準備となる「暗示」的なものも必要になります。
ただし、この「暗示」部分にはどうしても「行動」が必要で、言葉だけで何度も何度も言い聞かせたって精神そのものが受け入れられなければ、浸透してこないという事態になります。
自分のダメな部分、いい部分、ハッキリ分けられるでしょうか。
他人から批判をされたとして、そのまま受け入れたり全てを跳ね付けたりしているようなら、恐らく区別がついていないのだと思います。
つまり自分に必要なもの、必要ではないものを区別するためにも、きちんと自己分析する必要があるのですが、手っ取り早い方法は手描きの日記です。
必ず手描きです。
どうしても電子端末やパソコンだと頭の中にガッと印象付けることは難しいいのですな。
そしてここで大事なのは自分を美化しないことです。
人はどうしても誰も見ていなくとも、自己弁護をしたり格好をつけたりして自分を表現しがちです。
私が接してきた人間の中では、美化せず自分を恐ろしく客観視している人は、あまりいませんでした。
職人であったり、社長さんであったり、店構えていたりと、すべて自己責任で結果を負う人たちの中にはボチボチいました。
これらの人は、性格までいかなくとも色々と自己を含めた分析をしていかないと、改善点を見つけることができず次のステージに行けないからです。
さて、今の状態がどうあれ、過去がどんなものであったにせよ、未来までそうあり続けることはありえないのです。
つまり、5年、10年と、周囲のせいにしていたり、人にケチつけてばかりいたり、自分は不幸だと思っていたり、あるいは環境のせいだと思っていたり、言い換えるならば自分が楽しくないものを抱え続けているということは、巡り巡って自分が新しい場所へ踏み込むリスクや自分への挑戦をしてこなかった「選択の結果」としてあるのですから、ダメなものを、ダメだと思えずにきたということなんですね。
薄々ダメだなと思っていても、そう簡単に変えられるものじゃない。
そのほとんどの人が「頭でっかち」の人です。
自分の習慣に固執し、自己弁護を常に用意している。
どうして頭でっかちがこうなるかというと、知識だけは持っているからです。
そして自分に都合のいい知識を持ってきて、あたかもそれが正しい方法かのように練り直してしまうんですね。
何故このようなことが起こるかと言うと、行動が伴わないから経験が欠落しているし、かつ似たような仲間が沢山できるからに他ならないのです。
だいたい馴れ合いを始めるのですが、だっておかしな話だと思いませんか? 他人の人生なのに君は悪くないみたいに肯定しあうの。わかるわけがないのにわかったふりをするんですよ? これ自分の人生の何の得になるんですか?
自分に厳しすぎるのも大変生きていくのが辛くなりますが、自分の生活リズムの中に「楽しいと思えて一人で打ち込めるもの」がない人は、そこから探さなければいけませんから大変骨が折れますが、例えば小さな目標を作ってそれをこなすんです。
腕立て月に1000回とか、英単語を一週間に10個覚えるとか、それほど高くない目標をポンと置いて、それを点数制や擬似マネーにして、消費ポイントとしてストックし、そして達成した場合報酬を与えるという方法があります。
この場合、ポイントの有効期限を一年とし、半年かかってようやく達成できるような目標を難易度を変えて用意しておくのがいいです。
激ムズだとポイントが一番高いとかね。
というように、ここで得られるのが「達成感」なんです。
自分がそうなんですが、とにかく自己否定をしている、いいところが見つからない、他人の批判が忘れられず何かの拍子にすぐに思い出す、という方、本当にこの「達成感」を得るのが難しい。
だから「暗示」もほとんど効果を示さない。
この先人生がよくなるとか、お金をどんどん稼げるようになっていっているとか、人に助けられていってそれに純粋に感謝していけるとか、潜在意識に働きかける暗示のすべては、否定された経験や否定的な思い込みによって、ざるの中に水を流すかの状態になります。
まず自分を肯定するためには、現実的な証拠が必要になる。
だからこそこのような手が必要になるわけですが、ようは自分でちょこちょこ成長できているのをきちんと記録して、その前進を認めよ、ということなのです。
もし大を認めて小を認めない人間がいるのだとしたら、そいつは間違いなく自分で努力やリスクを負うことから逃げ続けているにもかかわらず、その手の人間に口を出すクズでしょうから、相手にしないほうがよろしいかと思います。
自分の成長は自分だけがわかる。
他人がわかる時は、その塵が積み重なって山となった時に、ようやく少しってところでしょう。
精神の土台を作るには、まず自己肯定から必要なのですが、間違った自分まで認めてしまうと、人生そのことでずっと責められることになります。当たり前ですが。
そうなると、やはり同じお仲間しかできなくなることになりますし、同じお仲間ができてしまうとなかなか自分を変えることも難しくなります。
そういう意味では、もし自分にダメな部分があるとしたら、自分へのこだわりを捨てて、自分の一部をバッサリと切り落とす強さが求められます。
もし肉体的に辛いことがあったら、精神的に辛いことに挑戦するのがいいですし、その逆もしかりです。
何故これをお勧めするのかと言ったら、自他を観察してきてみて、片方が真実で片方が偽りである場合、色々な形で歪んでいる人が多い。
そしてその歪みが大きければ大きいほど、つまり心身一致がない人ほど、自己認識がとても緩い。どこかに発散できない鬱憤を抱えている。そしてだいたい、バランスを取ろうとして何らかの攻撃的な行為を自他に向けている。これはストレスによる衝動的行為も含めます。
意識的にやっていればまだ気がつけるのですが、無意識でやっていて、気がついた後に意識的に肯定しているから厄介なんです。
だから行為中は無心でやっているという状態に近いので気がつかない。
繰り返すと習慣になり、板についてはがれなくなる。
悪いサイクルの出来上がり。
私なんぞは、これに加え「先延ばしの習慣」があるのですが、明日できるから明日でいいやの「明日」が全然来ないというパターンですね。
そして整理も出来ないので、いっぺんにあれこれ来ると、何も出来なくなるという悪循環。
忙しくてできない、疲れてできない、目標にはまったく届かない、嫌になる、放り出す、自堕落っていうパターンなんですが、それも例えば0.1でもできたらいいじゃないですか。
とにかく悪い週間が体から出て行くまでしがみ付く、達成するってのが大事で、世が認めずともとにかくやり続ける人間って10年とか、そういう単位で見たら凄い力になるんだから。
発想を変える。
これは習慣と思考回路を行為によって叩き直すことでもあります。
さて、私はどこから始めましょうかね。
せっかくなので、一緒に頑張りましょうか。
無意識の行為レベルまで上げられるまで。
そうなったら人生バラ色ですよ。
どんな状態になっても這い上がれるのですから。
より広い世界を見ましょう。
その部屋から出て。
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