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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

2024

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01/03

Sat

2015

足りないが吸収している

苦しみが足りないと思う。
こんな自分では立ち行かないと思う。
苦労が足りない。努力が足りない。
自分は自分にどこか満足した瞬間を一度でも味わいたい。
才能はあると感じている。だが知識が足りない。教養もない。
学ばなければいけないことや引き出しを増やさなければいけない。
体力も増やさないといけない。
五感を鍛えなければいけない。
いい酒で酔いたい。安い酒じゃ頭が痛くなるぜ。
ガンガンして、ただその場をやり過ごすだけの、酷く体裁を整えただけの、まがい物の泥酔。
それで満足している場合じゃない。
生活よりも、生きていたい。
生きている実感が欲しい。
ただ、それを求めたい。
今の自分を脱却して、早く生まれ変わったような場所へと行きたい。
そのためには、足りない。
苦しみも努力も何もかも。
だから、死にたくなるほどの苦しみが欲しい。
道は確実に見えている。
そして、その準備もほぼ7割ほど整いつつある。
2年でここまできた。
この1年でどれだけ進めるか。
それが勝負だ。

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12/04

Thu

2014

思いは招く 株式会社植松電機 植松努社長のスピーチ



ちょっと考えてしまったのは、大人の「可能性を潰す言葉」というのが、子供に対してどれだけの深い傷を負わせるかということだった。
本当にいい大人が目を潤ませ、唇を震わせ、傷ついたことを素直に公衆の面前で語るというのは、よほどのことだ。
そして植松社長は、汚いこともやってきたのだろう。
酸いも甘いも経験してきた今だからこそ言えるようになったことなのだとわかった。
若いっていうのは、それだけで可能性だ。
他人が成し遂げられない何かを常に持っている。
つまらない大人はつまらない子供に育てようとするし、自分のつまらなさを年下の世代に伝えようとする。というか、日常で語りだす。なんでだろね。
これは例外なくそうだったし、世界観の狭い人間はそれ以上の広い世界を見ようと努力することはなかったし、常に自分の世界の中にこもろうとしていた。
でも、子供はそれがわからない。
大人が言っているんだから確かな事なのだろうと思うし、私も思っていたし、相当傷つけられたし、今じゃ性格がひねくれまくってて、あまりよくない大人になっている。

何かに挑戦し続けることはとても大変な事だし、そして理解も得られない。
他人がいいよいいよと言っていることは、大抵誰かがやっていることだし、そのいいよをやり続ける人しかいなかったら完全に閉鎖的な社会が出来上がるし、進歩はなくなる。
新しいことをやる人は常に好奇心の塊で、新しい発見をできることに喜びを見出している人たちだ。
この手の人たちって目が輝いているし、ワクワクするようなアイディアを沢山持っている。
そして不思議とやったことがない人は、自分ができないフラストレーションかコンプレックスかを絡めて、「それは無理だ」ということや否定的なことを言う。
以前勘違いしていた人がいたけれど、個人の問題と、他人まで巻き込む問題を一緒にし、ここの線引きがハッキリ出来ておらず、個人で夢を追いかけるのならまだしも、他人も巻き込んで、後のことは知らないって人がいたけれど、ようはね、周囲のよくない感情を引き起こしてしまう人はどうしてもどこかでその支払いをしなければならなくなってしまう。
人生のどこかで、ツケのようなものを支払うことになる。

人の希望を応援することは大変な事だ。
何をしてもよいということにはならないし、よく考え、よく実行し、そしてよく反省して、そして考え改良し実行するの繰り返しだ。
社長の言葉の中にもあるけれど、死に至らないセーフティーネットとなるのが学問であったりする。
知識は行為の中にあってこそ磨かれる。
ただの飾りであったり、知っているだけでそれ以上学ぼうとも見ようともしない人間を、学問は裏切っていく。
ただ、学べばいいということでもない。

様々なよくない感情が渦巻く中、成長中と自らを鼓舞できるのは強い人間だとは思うけれど、それでも夢を本気で追うことは、ただ惰性の中にいるよりもずっと楽しいし、誰に批判されても、自分の中で何かを確実に見つけている。
その見つけ出したものが、宝石となる。
よりよい人と繋がるための魅力的な輝きになる。
そして出会うべくして、人と人とは繋がるのだろうと言うことを、多くの経験から学ぶのだろうなと私も思っている。

私は少なくとも死ぬ間際に自分の人生に公開するのだけは嫌だ。
看護師が看取った人間の中の後悔で一番多いのが「自分の好きな事をもっとしておくべきだった」「自分にもっと正直であるべきだった」という類のものが多いのだそうだ。
それだけ押し殺して、何かの事情を借りながら自分を生かしているのだろう。
私はそれができないから、だからやりたいようにやるつもりだ。
自分のできる範囲を広げながら、なるべく返せるように、生きていくだけだ。

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12/02

Tue

2014

人の性格は変わらないと、優秀な年下が言った。
いつ頃からか、記憶があるうちでも20年ぐらい自分の性格と付き合っているはずだ。
心の弱さとコンプレックスと、そして理由のない不安だ。
だが、昔と違うのは行為における消極性を誘発するものではなくなってきた。
昔と同じなのは、何もかも捨てて独りになりたくなることだろうか。

人はなりたい自分になれると、どこかの本で書いてある。
自分のような人間にはちょっとすんなりはいかない。
そう言うと、言い訳だと言われた。
既に自分を決め付けて、やらない自分への言い訳を用意していると。
できる人から見れば、そうなんだろうな。

20代は何もできなかった。
これは本当に自分でどうしようもない状況に囲まれて、そして対処の方法を知らなかった。
ただ、何か大事が起こった時、そこから先、それを背負って生きていける自信がなかった。
なるべく小さく、波風が立たないように。

30代になってからは障害が取り除かれた。
運よくなのか、うまくまとまった。
だから今起こっていることの全ての結果は自分の責任だ。
やらないことに対しての言葉も言い訳だし、時間を無駄に使っているのも自分の責任だ。
何もかも起こっていることは、自分の選び取ったことだ。

人は意思の生き物だが、それ以上に行為の生き物だ。
それも、最も原始的な欲求を根底にしながら行為していく生き物だ。
だから思考は、ただの己への自己暗示でしかない。
すべての結果は行為の延長線上だ。

自分も勘違いしていたが、思考のみでは人生は何も動かせない。
行為でのみ評価される。
そして、優秀な人間は知識や知恵を、きちんと行為においてきちんと利用しているかの成果を見る。
知識に依存し知恵はなく、結果に言い訳し行為を省みず、やらないための理由を既に用意し壁を突破せぬ輩を彼らは嫌悪する。
能力がないとすぐに決断する。

人は己を常に観測してる。
そのほとんどは意識を観測している。
心というものが自分だと思って行動しているが、他者から見ればそれはただの思い込みでしかない。
行為でのみ、他者は見る。
心だけではどうにもならぬ。
言ってもわからないと見られたのなら、見捨てられて当然なんだ。

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11/07

Fri

2014

「役者ってのは相手を食おうとするから自分の間でやろうとする」と言っていた人がいた。
それをぶった切るのが「編集」なのだそうだ。
例えば小説はスタンドアローンかもしれない。
役者も突き詰めれば、それが個性となって部品として組み込まれる。
部品として組み込まれたとき、原石からカッティングが行われる。
その絶妙なカッティングが行われたものを「宝石」と我々は言っている。
カッティングにはルールがある。
そこで独自性を発揮されても、何故か変になってしまう。
宝石の場合は光の法則にしたがっている。
だからルールがある。

さて、芸術という言葉がある。
よくわからない言葉だが、やはりどの業界にもルールがあって、それを破ろうとする人守ろうとする人が必ずいる。
芸なら自分もやっている自覚があるが、さて、「術」とは何だ。
国語辞書によると「目的を遂げるための手段。方法。てだて」になり、ウィキペディアによると、『会意形声。「行」+音符「朮‎」。「朮」はもちあわを意味する語であり、「ねばる」「へばりつく」の意を有する。ある道(行)にへばりついて取得したわざ』となるらしい。
別にこの2つの単純な意味合いから導き出すわけでもないけれど、確かに粘りついて何かしらの目的を達成した芸は、一つの「術」として形成されるわけだ。
それを先人は一生懸命やってきた。
我々もそうだ。

私は最近声優のようなマネをし始め、そしてある程度素人ながら思いっきりがついてくると、相手を飲み込もうとするような、妙な意識が生まれてくることに気がついた。
ナルシシズムの一種なのだろうが、自分を通して相手を見ようとする意識が自分には強い。
これが我が強ければ「お前よりも俺の方が優れているんだぞ」という牽制を常に与えたいという目的が先にたつだろう。
自分は今文章の他に演技というものをかじり始めて、一体人間の本性はどこにあるんだろうと探り出している。

自分がやろうとしている全てのことは何かしらの原石にはなるかもしれないが、だがカッティング作業までできているとは言えない。
自分の技術が高まれば、それがそのまま世に受け入れられるというのは、まずあり得ない。
ようは編集する人がいて、「芸」にこだわり続ける両者の人間がいてこそ出来ることなのだが、世の中に技術が優れていても教えることがド下手な人間がいるように、価値ある原石を生み出せる能力と、その原石をカッティングできる能力は別々であるからこそ、どちらか一方しか持っていない人がいる。
しかし不思議な事に「出来るなら教えられるでしょ」というのが一般的な見方だ。

残念ながらよほどの才能がない限り、やればやるほど「芸」にはルールがあるってことがうっすらわかってくる。
そして、最初から「芸術」にこだわる人間がいるけれど、本当のクリエーターなら、この「芸術」から逃れたいという意識が働く。
ようは「先駆者」にならんとする意気込みや、自らの結果に対する自負のようなものだ。
クリエーターの葛藤は常に矛盾の中にある。世界の一部を切り取らんとする己と、常に広がり続ける世界そのものの二律背反の中でもがき続ける。
逆に言えば、だからこそいい。
そのもがきの中で目的を見出そうとする。
達成すべきものがあるからこそ、そのために「芸」を磨こうとする。
所詮今を生きている我々はそれでいいのだと思う。
逆に言えば目的を持たぬ「芸」ほど、まとまりがなく依存性が高く、依存性が高いからこそ創造性がない。
人付き合いでも依存性が高くなるとダメになるのと同じように、自分の頭で生産性をなくしたらおしまいだ。

さて、私は何を言いたいかっていうと、「術」を考えるなら「芸」を磨かなければいけないということと、「術」というルールがあるのにも関わらず、「芸」の中にもルールがあって、この中に入る人は葛藤し続ける運命を背負うってことだ。さらに広大に広がる「自然」というものへの畏怖が常にあるから二重苦三重苦なのだ。
「芸」を持つからには目的を持たなければいけない。それも、現実的な目的で想像可能な目的だ。それがなければ、よほど「自然」という「ルール」に従っていない限りは滅びる。
面白い世界で、考えれば考えるほど八方塞のようにも感じる。
そう感じるからこそ、針のような穴に、世界の真理のような光明を見出すのも芸に携わる人なのだと思う。

さて、各々方、いかがお考えか。

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10/07

Tue

2014

理想の自分に成る

この言葉を聞くたびに見るたびに、なんだこれって思う。
色々眠れない日々を過ごしていた。
どうしていくべきか、どうするべきか。
他者評価はどうだっていい。
たぶん、自分で思っているよりも自分は醜くて心が弱い。
生きることは生易しいことではない。
特に自分のようなネガティブな精神が染み付いている人間には、なかなかきついものがある。
そんな中で慰めを与えてくれるのは自分よりも心の弱いやつらだった。
馬鹿にしていたが、でもある一件があって、クリエーターとしての己のプライドが問われている。
正直、暇だったからそういうことができたのだと悟った。
そして目上の人たちと付き合うごとに、己の浅さがよくわかってきた。
今はとにかく強引にでも、他者から何を言われようとも、自分の条件を整えるべきだ。
その手段はもはや、違法ではない限り何でもやってやる。

どうしてこういう気持ちにならなかったのか。
まだ面体とかくだらないプライドとかあったんだろうな。
本当に本当につまらないつまらない小さな小さな己による己のためだけの誰にもわからない小さなことにこだわっていた。
こういうことを口走るごとに、誰かさんの顔を思い浮かべるのも嫌だ。

もういい。
もういい。
何もかもがもういい。
だから、何でもやってやる。

生きることはなんとかなっても、生きぬく事は簡単な事ではない。
私は生き抜かなきゃいけない。
自分の携わっている世界で、絶対に。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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