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あさかぜさんは見た

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05/21

Tue

2013

「テリトリー」の中

「前にできていたのに、できないから言ってるんだよ。これでも十分の一だから」
二時間ほど、作った声劇のギルドのメンバーに説教を受けて、ぼんやりしながら聞いていた。
そう、今の私はその十分の一すらも頭に入ってきていない。
言ってくれた人は、かつてゲームで私がマスターとしてのびのびとやっていた時を知っていた人。
「時間が経つとこんなにアホになるものなの? ほんっとイライラするんだけど。もう言わないからね」

正直、今の自分は昔の自分じゃなくて、日常に捉われていて、自分のことに捉われていて、「彼女」のことに捉われていて、疲れていて頭が回っていなかった。
シナリオ作らなきゃいけない、新しい環境を作った、成果を出さないといけない。
じゃあ、何を見逃していたのか。
「人」そのものだ。
お前は人を集めたのに、無責任すぎるだろ、ということだ。
自分だけ頑張っていても、それは「人を集める意味がないよね」ということだ。

人は自分の容量の中で懸命にやっていると、とにかく自己弁護を用意しがちで、「今の自分の限界はこれだから!」と声高に「自分のテリトリー」を主張する。
つまり、自分以外の人にとって「言い訳」と判断されるような内容だ。
一生懸命やっている。
努力をしている。
これからやろうとしているのに。
自分はこうだから、しょうがないんだ。
そんなことを言葉で懸命に怒気をはらみながら主張しがちだ。
多くの人はそうなのだろう。
昔の私だって必要がなかったから、本当にいっぱいいっぱいすぎたから、今の自分は一生懸命なんだ、と主張していた。
さすがに、この年じゃあ、さすがに、「自分の限界を超える」と宣言した後じゃあ、現状維持やましてや劣化するなんて目も当てられない。
無様そのものだ。

昔は真面目に働こうなどとも思っておらず、一日を自由に使えたから余裕が持てた。
今は半分だけ社会生活をしている人にようやく近づいている。
「それさ、みんなやってることだから。みんな食うために働いて、それで時間作ってるから」
まあ、特殊な環境に自分はいて、「創作」のために非常に理想的な環境が準備されている。
ああ、自惚れてもいいぐらいだ。

今までの私は「テリトリー」を懸命に守ろうとしていた。
しかし、ようやくその「テリトリー」にこだわっていては、誰かもう一人でも抱え込もうとすると、その人を不幸にすることを理解した。
だからこそ、変わろうと決意した。
そして呼び寄せたのが、今の状況。

口頭で説教されてようやく少しだけ目が覚めつつある。
昔の感覚を少しだけ思い出しつつある。
ああ、そうだ、昔の自分は今の自分じゃなかった。
「過去から学ぶこともあるだろう」
それを認識していたのは自分だったのに、いつの間にか見失っていた。
おそろしや、おそろしや。
「捉われ」の中に落ちていく自分。
そしていつの間にか、その「捉われ落ちた場所」を「自分の限界」と思い込む自分。
おそろしや、おそろしや。

「人はその時必要な言葉しか吸収しようとしない」
自分で言った言葉だが、それすらも忘れ去っている。
これを「成長」というのか、とても怪しいが、今「テリトリー」を放棄することを試みている。
大人になると、とても人生は楽しい。

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05/13

Mon

2013

生き方は「家族観」です

小説を書いている時、素直に文章を書いていたり、他人の文章を読んでいる時に、ふと気がつくことがあるのだが、家族への考え方というのが、自然と人間関係にも影響しているような気がする。
声劇の団体を作ってその人たちとも話すことが多くなったりしたけれど、やはり両親の間に何かがあった人というのは人の中に踏み込んでいっているようで距離感があり、自分の人との付き合い方はこうだから、と自らスタイルを決めている。

以前、子供に対して「優しい虐待」をしている母親をテーマに番組が組まれていたが、その内容はともかくとして、重要な点は「自分の親からされていたことを子供にもしていた」という点だった。
自分では忘れ去った過去が無意識領域に沈んでおり、ようは自分でも気がつかないレベルで行為がなされている。

この日記では何度も繰り返しているが、私は父親に対してはよろしくない感情を抱いていて、実に15年間の歳月を経て、負の感情へある程度の決着をつけることができた。
母親は辛抱強く、愚痴などほとんど言わなかった。
父親のことを言うと「私なんてもっと酷いこと言われてる」とよく言っていた。
当然私は両親の影響を強く受けている。
この両者がいなければ、わからなかった人たちも数多く存在する。
つまり、繋がりえなかった人たちがいた、ということだ。
そして、その「繋がり」の中で人生は展開される。

どんなに会社や学校の環境などが変化しても、自然と付き合う人は絞られてくる。
私がいたところで、一言必ず多い社員はバイトの連中と仲良くしていると思っていたけれど、バイトの人たちは誰一人として一緒に飲みに行きたがらなかった。
その人間の価値観や癖が、そのまま自分の人生に跳ね返ってくる。
当然その人の「仲間」は、似たような価値観を持った人たちが集まってくる。
そして「仲間」が一人でもいると、嫌味や愚痴にたいそう拍車がかかった。

そのように、私たちは自分の価値観を認めてくれる人を傍に置きたがる。
その価値観の共有意識こそ、「安心感」「自らの存在意義の肯定」と思っているところさえある。

私はまだ若輩浅学。
その先のことは断定できない。
このことは人間が元々持っている弱さなのか、それともこの社会が抱える「家族という不安」なのか、それとも別の根本的な問題があるのか。
コミュニティーの崩壊というのもよく言われることではある。

「家族の問題」を心の中で解決できていない人は、どこかしら影を落としているし、あまりよくない発言を時折する。
愛情の存在を怖がっているし、利便性の高い関係を好む。
何が正しい形か、なんてそんなことは他人に決められることじゃない。
だからこそ、「書き尽くされた」と言われる小説だって、誰も書き止めない。

私たちは大人になれば「大人の事情」を重視するけれど、実は私たちはその「価値観」を下の世代へと受け渡していっている。
そして受け取った子供たちは、自分たちが受け持った社会の中で心を対応させていく。
心は完全制御可能なものではないし、ゆえに集団社会は完全統率されることはない。
あらゆるSF小説がディストピアで不幸な上体にあったとしても、つまり社会に住む人間が何かによって完全にコントロールされていたとしても、そこから逃れる人間がよく描かれるように、心は他人が決められるものではない。

人の人生は「家族への考え方」が強く出るというのが今のところの私の実感だ。
そしてその「考え方」と「姿勢」は、だいたいは受け継がれていく。
それを変えられるのは「強い意志」でしかない。

よく考えてみれば、自分を産んでくれた存在。
その存在を否定するのは、そのまま自分の存在を否定することになる。
それでは心にしこりが出るのは当然だろう。
いちいちそのことで心を悩まされることになる。
どれだけ腐っていたとしても、反面教師にはできる。
「ああはなりたくない」と努力することは可能だ。
そうしてほんの少し自分の心を変えていくことはできる。

人を取り囲む環境はそれほど単純なものではないし、色々な要素があって今の家庭があったりするのだから、簡単に心は変えることなどできやしないが、ほんの少しの気付きで、そしてほんの少しの勇気で、関わる誰かの気持ちが少しだけ幸せなものになるのなら、きっとそれは素敵なことなのだろうと信じている。
自分の「家族」と「自分の行動」は、ゆっくり考えてみると面白い発見がある。

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05/06

Mon

2013

みぞれだったらしい

5月に入り、雪が降った。
この時期に雪が降るのは実に21年ぶりだという。
21年前は私は中学2年生だったのかな。
ちょうどじいちゃんがバイク事故で亡くなった翌年だろうか。
初めて肉親を突然の事故で亡くした中学一年のころは、自分が悲しんでいることすらわからなくて、随分と指摘されて困ったものだった。
そうじゃないつもりでいたのに、やっぱり様子がおかしいと言われた。

あの頃と今と、どう変わっているのか、もしかしたら中学生のままなんじゃないかとか、そんなことさえ思う。
相変わらず酒に酔って人に迷惑かけるし、心は弱いし、かろうじて張り付いている理性の膜など、いとも簡単に破れてしまうし。
私小説なんて書くつもりなかったんだけど、こんな屑っぷりは、これからもあまり変わらないと思うから、恐らく書いていくんだろうな。

生きられない。
自分のような男は、世間ではまっとうに生きられない。
生きようとしてもずれていく。
だから、違う道を歩く。
遅いけれど歩いて進んでいる。

私は私の運命を直感している。
私はどうしても今の順路じゃないといけなかった。
「ああ、こいつは勘違いしている」「頭がおかしい」
きっと他人から見たらそういうレベル。
でも他人は自分の体の感覚や心などわかりもしないし、世界でたった一人自分だけが信じているに過ぎない。
世界でたった一人、自分だけが勘違いし続けてもいいじゃないか。
そして、それを現実で証明すればいい。

桜はまだ咲いていない。
北海道の桜は後一週間後です。

21年ぶりのみぞれは、冷たかったですよ。
嬉しいぐらいに。

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05/01

Wed

2013

去年の今頃は何していたっけ

進んでいると見せかけて、逃避を全力でしていることはよくある。
辛いことから逃げて、楽しいことだけを追い求める。
自分が成長せず、成長しないからこそ、同じことを何度も繰り返す。
それは目の前にある辛い辛い壁を乗り越える能力がいつまでも身につかないから。

他人の醜いところだけはよく見えて、自分はそれを堂々としていることだってある。
それは私だってそう。

去年の4月、確か上旬に届いたばかりのパソコンが壊れたんだっけ。
それで替えがなくて返金してもらって、似たような値段で新しいモデルを買って、それで5月に入って昔やってたゲームをまた始めてしまって、そこでマスターちょこっと再会して。
そこから小説は始まっている。
自分で言うのもなんだけど、いい小説だと思う。
ただ、登場人物の心情を理解するには、少し材料不足だったり、非常に細かなところまで想像しなきゃいけなくなるかもしれない。
振り返れば、いい一年だった。
本当に本当に。
その一年を提供してくれた仲間たちと、あの人に改めて感謝したい。

今、私の鍵には八坂神社の勝ち守りがついている。
京都に居たときのように、毎日のように、こいつに気持ちを伝えている。
俺は勝つ。俺は必ずやる。どうか、見ていてください。
そんな願いを、お守りを握り締めて、心で言う。
年末年始は、京都で過ごそうと思っている。
きっと、いい結果が出ると信じている。
だから、このお守りまで導いてくれた、あの人の存在に感謝しながら、元の場所にお守りを戻し、新しく買い換えようと思う。

「半年で結果を出します」
版元さんに宣言をしてしまった。
だからよい目標ができた。
興味ももってくれたみたいだし、もはや引くことはできなくなった。
声のことなんて素人なのに、ボイスドラマの団体を作ろうとして、すべてゼロからのスタート。
ゲームのことだけど、色々思い出す。
自分の団体を大きくしようと、勧誘しまくってたんだっけ。
結局その後は規模が大きくなりすぎて、相談事で忙殺されてゲームどころじゃなくなってきて、精神的な打撃も受けて一気に自分が崩れて終わった。
3年か、4年前くらいの出来事だろうか。
去年戻った時は「まるくなった。怖くなくなった」みたいなこと言われたんだっけ。

あれから少しは成長できただろうか。
ツイッターには相変わらず醜いことばかり書いて、本当に、どうしようもないやつ、と思うばかり。
器が小さくて、醜くて。
でも、もう吹っ切れそう。
元の自分に戻れそう。

未来を作っていこうと思います。
せっかく集まってくれたメンバー。
巻き込んだからには、ちゃんと結果を出さないと。
シナリオも書くから、小説も書きますよ。

すがすがしい気分です。
進んでいけそうです。

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04/24

Wed

2013

劣等感から始めることもある ギルド「Zero Kelvin」

声劇の団体を作ることにしました。
「だったらお前がやってみろよ」という内容の暴言をある人に吐かれ、とてもイラっとしたのが、そもそもの発端なのですが、それをやっても別に自分の仕事の支障にはならないし、むしろ可能性が広がるのならやってみるかと思い立ったわけです。

ある人のブログに載っていた記事をそのまま転載してしまいますが、脳は主語を理解していないようなのです。
http://matome.naver.jp/odai/2136590852040993701
つまり他人に悪口を言うと、そのまま自分に悪口を言っているのと同じ状態になるというのです。
相手をけなす人、失敗すればいいのにと思ってしまうことは、そのまま自分への呪いになるそうです。

私は劣等感の固まりだし、だからこそ自意識過剰なほどにならないと、すぐに落ちてしまうような不安定な精神の持ち主で、長年の「呪い」からようやく少しずつ出てきているので、この年でようやく出発か、と本当に先が思いやられますが、今年はやる気が途切れそうもなくて心からよかったと思っています。
こうやって自分を追い立てて、逃げ道をなくしていけば、前へと進まなければいけない状態になります。

最終的にはラジオ形式の生放送、短編長編のボイスドラマの発信、ボイスドラマを絡めた小説の発表などを目標にしています。
だから、「ギルド」形式なのですね。
みんながみんなを生かしあえる環境を作っていきたい。

自分の足りないところもよくわかるだろうし、シナリオだってメンバーによる審査形式にしているので、容赦なくボツにされます。
これでやがては大きな勢力となっていければ、勝手に洗練されていくだろうと考えています。

特に声の技術があるわけではないし、ミックスだってゼロからの出発。
酷い状態の見切り発車ではありますが、もう後には引かない。
立派に育てていきたいと思います。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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