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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

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12/28

Fri

2012

文化は一日にしてならず おかきや京豆腐楽しんできました

全国の天気予報ではどうしても札幌を見てしまう私ですが、京都で風邪を引き、ようやく治りかけました。
ひとまず無事です。

さて、日記を更新しない間、清川豆腐店で豆腐作りを見学させてもらったり、島原の付近におかきを売っている菱屋を見つけたり、京都を見学するには働いてみたほうがいいのではないかと、嵐山の花灯路というイベントにスタッフとして潜入したりしておりました。
もう、嵐山の冬の夜の気温はしっかり体に刻んできましたよ。
花灯路に関しては、ライトアップされた竹林や神社や寺を楽しめるのですが、ちょうど11月下旬ほどが紅葉の時期で一番綺麗なのですね。
札幌ではどっさりと散ってしまっている季節なのですが、さすが山の上だけあって、ちょっと寒かったです。
仕事は交通整理と道案内なのですが、竹林の中、外灯の下でぼんやり照らされながら雨の日半透明の合羽を着て声を出していたら女性の方に「こわーい」と言われてしまいました。
幽霊じゃねぇよ!
しかも時折私の足元を見る人がちらほらとおりまして、余計に思ったものでした。
道の先は天龍寺の墓地が見えますからね。
わかる気がするけど、幽霊じゃねぇんだよ!

お豆腐作りは「これでも今日は遅い時間」とは言っていましたが、4時半に起きまして見学させてもらいました。

うるかした豆を圧力釜で炊いた後、豆乳とおからに分ける作業中。


豆乳を汲み取っている作業中。
ちなみに熱いまま放っておくとたくさん湯葉が出来上がります。


にがりを入れて豆乳を混ぜた後固まるのを待つ。


重石を乗せて豆腐から水分を抜く作業中。


最後固まった豆腐を切り分けて水に浮かべます。



約この工程が1時間ほど。
たくさん注文がある際は4回ほど、この工程を繰り返すそうです。
お父さんは今年で66歳なんですって。
顔も赤々として若々しく見えましたよ。
昔は豆腐を作った後ゴルフにでかけていたそうですが、ご病気なされてからは体力的にもきつくなってきて注文を減らしているのですって。
前の日記にも書いたのですが、お父さんに万が一のことがあったら、この味は失われます。
今しか食べられないのかなと思うと、とても惜しい気がしますな。
大変人の良いお父さんお母さんですから「技を伝授してください」と頭を下げに弟子入りしたら教えてくれるかもしれませんよ。
一番苦労したのが「同じ味を作ること」だそうです。
見た目は簡単そうに見えますけど、結構繊細な作業をさらりとこなしているのかも。
40年もやってらっしゃるのですからね。
シンプルな材料なだけにタイミングやにがりの入れ方などでハッキリ味が分かれるのでしょうね。

ちなみに場所はここ



そして島原。
ここもふらふらして偶然見つけたのですが、今は島原の門などが多少残っているだけで、島原という昔ながらのイメージは壊滅しています。
ほとんどが住宅。
お豆腐屋の豆蔵のお豆腐もおいしかったのですが、菱屋というおかき屋さんが収穫でした。
きちんと噛み砕いたときにお米の味と醤油の風味がする本格的なおかきなのですが、中でも「うすばね」という薄いおかきがここの売り。
凄い薄さです。
そしてネーミングもぴったり。
羽のようにふわりと薄い。
しかもしっかりパリッとしている。
ところで、おかきって焼いたら膨れるのに、どうやったらこんな薄さになるのでしょうね。






実はここもね、お父さんには娘一人で店を継ぐ人は決まっているわけじゃないんですって。
100年以上も続いているおかき屋さんなのに、もったいないですね。
選挙では「京都の文化」うんたらと叫んでいた人がいましたけれど、文化はこういうところから崩壊するのですよ。
そのうち「京都らしさ」というもの、つまり文化における技術や知識の伝承がおろそかになると、別に京都でなくともよくなるわけです。
名前だけ残って中身は近代文明に食い散らかされてスカスカでは、京都に文化があるとはだんだん言えなくなってくる。
建物だけ違う。
後は他の地域と一緒というのでは文化らしい文化、土に根ざしている文化とはいえないわけです。
こういうのは、失われかけてから問題提起しても遅いわけですな。
京都府や京都市が、「文化継承プロジェクト」でも立ち上げて、衣食住などにおける技と継承状況を逐一チェックするということでもやらない限り、そのうち滅んでしまいますよ。
特に人がいなければ成り立たない技術というのは神経を研ぎ澄ましてあぶりだしていかないと、廃れるのは本当にすぐです。
20,30年あればなくなってしまう。

ということで、少し話が長くなりましたが、菱屋さんはここ

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11/23

Fri

2012

八坂神社で凶を思いっきり引いちゃってへこみました

2,3ヶ月前に大吉を引いて、よしやったぞこれから安泰に違いないと思いつつ、待ちぼうけで鼻ほじくりながらチャンスでも巡ってこねぇかなと考えていた私が同じ八坂神社で凶を引きました。
凶そのものを引いたのは数年ぶりだったとは思いますけれど、ずたぼろには書かれてはいない。
勇気を持てとか、努力で諸事なんとかなるみたいなことが書かれていて、むしろ絶望的な凶ではなく、お前なんとかしろよみたいな感じで書かれていたのが唯一の救いというか、こっちにきて、ちょっとお仕事しようと思ってバイトでもしながらちょこちょこ動こうとか考えてて、書き物ではないお仕事決まった矢先に凶を引くとか、私が書き物さぼっていたのを見通していたかのごとく、というか、色々凶の意味を考えていて、努力すればなんとかなるみたいなことを仕事のところに書かれていると、そりゃーもう書き物のことしか思い当たらず、書き物では何一つ進んでいませんよということが、どう考えても言い当てられているような気がするのです。
ということで、凶を引いて、その意味をずっと考えていたのですが、人間はどうしても自分の思い当たる範囲で物事を考えている。
人間は目で物を見ているのではなく、脳で世界を断定している。
知覚で世界を感じていながら、脳で認識を慣習化している。
これは逃れられぬ癖なのですが、それゆえに私だって自分の経験上おみくじがたとえ迷信であろうと、それなりに因果関係を考えるわけじゃないですか。
そうしたらやっぱり書き物が運命、命運、命数、それらの中に含まれていて、ちょっと小金稼いで生き延びたとしても私の生涯でやるべき仕事は何一つ進んでいないのだと二礼二拍手一礼でしっかりお願いした後引いたおみくじに書かれていればそりゃー考えるわけじゃないですか。
現段階では変なこと書きますけれどね、人間って生涯にすべきことが決まっていると思っているんです。
というか、万人に対する運命論者ではないのですが、成すべきことを悟った人間は、神の敷いたレールの上を左右にぶれながら歩いていくのだと、何か信じているわけです。
というのも、変な話、私の親があの性格でなければ今京都にいることは不可能であったし、今まであれがなければ、これはない、ということを何かしら意識させられているのです。
人間体験したことでなければ語ることはできないわけですから、口先三寸であろうとテクニックってのは積み重なるわけでしょ。
そりゃあね、人間努力とか行動の積み重ねの上に人生が成り立っているわけですが、すべて努力どおりになったり、思い通りになったりするわけがなく、それなりに人の気まぐれや自分の感情と相手の感情の狭間でサイコロを転がしたようにあっちへいったりこっちへいったりするものですから、狭い意味では努力しだいでなんとかなるとか思いながらも、多くの小説が題材にしている理不尽さに共感しつつ、人生を重ね合わせて考えるものでしょ。
ですから、自分の意思ではどうにもならなかった、生まれ持った境遇とか、人の巡り会わせとか、そんなものを一つ一つ考えながら、人生の意味や生まれ持った意義を考え出すのが人間だと思うわけです。
そんな感じでぐだぐだと長くなりましたが、ようは一行でまとめれば、「書かずして未来なし」であり、一言でまとめれば「書け」なのです。
それをおみくじで言われたのだなと色々考えた結果そうなったのです。
こうして無駄な文章を書いて、いかにも長く無駄な、でもタランティーノには及びもしない、どうでもいい日常風景の面白さだと思い込んでいることを書いていると、やっぱりこの日記もどうにもなるものでもなし、酒なんか飲んでふてくされている場合じゃないぞという感じで結局は重要な文章は三行だけで終わる今日の日記を終わろうかなと思いつつ、そういえば今日はどうしてこんな日記を書きたくなったかというと、梅小路公園で夜の紅葉ライトアップを見て京都駅前で酒を飲みながら、ふと考え事が深くなったのでこうやって書いているのですよという読みづらい日記を書く次第になったわけです。
お付き合いくださった皆様、今日はありがとうございました。
ほろ酔いの私はこれから寝ます。

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11/15

Thu

2012

清川豆腐店

京都の西院という場所にいるのですが、近くに清川豆腐店というお店があります。
京都に来たのなら、というかある小説でやたら豆腐の描写が印象深いやつがありまして、それに触発され豆腐屋の豆腐が食べたくなり、探して近くのお店に行ってきたわけですな。
一丁180円で私の手のひらくらいあるから、だいたい400g程度はあるのでしょうか。
一人でたいらげるには少々量が多く、冷奴、湯豆腐の他にも創作料理で楽しみましたが、いやはや日本酒が飲みたくなる豆腐というのは、実にこのことですね。
ほのかな甘みが口の中に残って、触感がふわっとしていい。
豆の舌触りが滑らかでやっぱりスーパーのとは段違いにおいしいです。
色々お話を聞いたのですが、やっぱりにがりの入れ方タイミング一つで味が変わるとのこと。
お店によってそりゃー味は違ってきますとのことでした。
近くに大型スーパーなどが乱立して、小さな豆腐屋は近くで数件しかもう残っておらず、清川豆腐店では子供さんが後を継がない意思を示しているらしいので、豆腐を作っているお父さんが止めたら、もうそのお店はおしまいなのだそうです。
「私ら食べていくくらいは稼げるけどな。儲からんから」
と気さくにお母さんが話してくれました。
ちなみにお揚げはお母さんが作っていて、店番はいつもお母さんが出てきます。
たまーに、いなかったりするのですけどね。
朝も3時4時くらいに起きて豆腐作ってるんですって。
色々お豆腐の話してたら、
「スーパーとかでも安く豆腐売ってるけどな、普通豆腐は2・3日でダメになるからな。それが何日も持つなんて何が入ってるかわからない。怖くて食べられん」
言われてみればそうだよな、と思いましたよ。
食品添加物とか、日持ちさせるために色々入っているんですよね、ほとんどの食品って。
一応我々それを食べたからといって大きく体調を崩すなどありませんが、本職の人から見たら2・3日でダメになる豆腐が一週間近くも日持ちしたら、不気味に見えますよね。
自然の製法では混じりえないものが混じっている、と考えるのが当然。
スーパーで慣れてしまうとそんなことにも気がつきませんが、しかしちゃんとしたお店が大型スーパーの出展で消えていってしまうのは忍びない。
おいしい豆腐が180円で買えるのに、こんな良心的なお店がなくなったら「本物の味」はどんどん高値になって4・500円出さないと買えなくなってしまいますよ。
ちなみにおからも譲ってもらったのですがスーパーの買い終えた食品を入れるサッカー台のところにある透明なポリ袋サイズくらいにめいいっぱい入れてもらって10円。
え? と一瞬思いましたが、捨て値ですよね。
豆腐屋のおからは捨ててしまうことは知っていましたが、普通においしいです。
捨てるにはもったいないくらい味が残っていて、やっぱり良い豆使っているからでしょうか。
家に帰ってさっそく調理。
ゴボウを細かく切ったものをごま油で炒めて、そこにおからを入れ、酒和風だししょうゆで味付けしたらご飯のお供に最高でした。
豆乳おからクッキーなるものがあるくらいだから、小麦粉に混ぜてもおいしいはず。
今度色々試してみたいと思います。
本物の味が残っているっていいですね。

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11/12

Mon

2012

生きていくことは不安なことばかり

生き辛い。
生きていくことが不安。
こんな声に分析屋は閉塞した経済がとか、雇用のうんたらとか、政治がうんたらとか、色々あるでしょう。

確かに能力の無い人間の雇用は不安定で、いつお払い箱にされるかわからない立場に常に立たされるし、誰でもできそうな仕事の条件はきついが食えないから日銭を稼ぐためにたくさんの人が群がり雇う側は困らないし、お金がなければ友達関係など保ちようがないし、政治はあまりにも雲の上の出来事過ぎて社会への諦観が民主主義そのものへの諦観に摩り替わり、そんなものより日々の生活に追われて、社会で何が起きているのか充分把握できないような事態が起こる。
一日の食費が300円以内で遊びや他の活動することは金銭面から控えなければならなく、仕事場と部屋との往復の日々。時間にさえ追われて、満足に休息が取れず、ましてや余暇を楽しむことなどできない。
日々の反復の中で変化があるかといえば、そうではなくむしろ一年後にはきちんと仕事があるのかどうかという危うさのみが大きくなっていく。
そんな閉塞した日々と環境の中では、どんどん貧相で卑しい考え方になってきて、社会の中の裕福なものを憎み、自分より少しでもよい環境にいる者を標的にして鬱憤を晴らす。
この手の負の感情は、直接的に社会そのものを蝕んでいき、次の犠牲者を出していく。
精神的に負の感情を持っている人間が、豊かな人間を育てられるはずが無いのだから。

生きていくことは不安なことばかりです。
それは当然のことでしょう。
平等な社会などありえないし、使えないものは捨てられるだけ。
常に何らかの烙印を他者に押されるし、肯定よりも否定のほうが世の中に渦巻いている気さえしてきます。
積み上げても叩き壊されることがあるし、理不尽さの前に悔しさと怒りだけが積み重なり感情を制御できなくなることだってあるでしょう。
社会の否定がそのまま自己への否定につながり、社会上から抹殺されるほどに追い込まれてしまうほどの閉塞感にやがて思考をそがれ、奴隷のように従うことしか術を持たなくなり、いつの間にかそんな「常識感覚」の中で、さも偉そうに語るだけの存在に堕落していくというありさまにもなりかねない。

いったい私たちはどうすればよいのでしょう。
考えることは苦痛です。
行動することは危険を伴います。
恐れと不安の中でどんどん精神が、いえ、魂そのものが萎縮し、自らの可能性を除草剤を撒かれた後のように枯らしていく。
生きていくことは不安なことばかり。
言葉ひとつではどうにもならないことばかり。
気持ちひとつでは途方もないことばかり。
それでも人に尽くしなさい親切にしなさい礼を欠いてはいけませんなどと言われても、腹が立つばかりで、仕方なしにその場しのぎの「社交辞令」を身につけ嘘を重ねていくばかりで、生活を成り立たせることに必死になり、いつしか気持ちの余裕が何なのかさえも見失っていく。
私たちはそんな狂った世界に生きているのかもしれません。

戦う牙をそがれ、従順なペットのふりをして、外に出れば悪態をつく。
人間油断すれば心がどこまでも荒んで貧相なものになっていくものです。
いつの間にかじとじととした精神に浸っていて、もうそこが心地よくなっている。
他人を見下している間だけ快楽で、一瞬の快楽を追うために悪口を言うことが癖になってくる。
そんな人間に油断をすればすぐになってしまう。

きっと上の連中は理解はできないでしょう。
日々数十円のきり詰めをしてお財布の小銭を確認しながら買い物をして日々を重ねる人間が「子育て」などというお金のかかる一大イベントに踏み込むのが不安だということを。
月末に財布の残り数百円を見て、給料日前に何か起こったらもうダメだなと不安を覚え、焦燥と無力感ばかりが膨らんでいくことを。
貧困層がデモを起こしたとしても、シャンパンを片手に見物するような気持ちしか持っていないのに、あなたのために一生懸命頑張りますと言う権力者や金持ち。

どんな世でも生きていくことは大変であることにかわりはないでしょう。
この時代に生れ落ちてしまったのですから、この時代において生きていかなければならなくなりました。
生まれたときから環境や遺伝子という因果を背負い育っていかなければならない。
社会の枠の中で能力は常に評価され優劣をつけられ落ちたものは価値を失っていく。
まったくもって理路整然としているように見せかけているおかしな社会であります。
戦う気力さえもなくなりそうで、生活や苦痛を逃れる道具にばかり目がいき、まったく他者のため、社会の未来のために何かひとつでも変えていこうとする勇ましさを失い、座すばかりの時間を送りそうになってしまいますが、私たちはどのような世においても、戦っていかなければならぬ運命を背負っております。
どうしようもなく、欲深き生き物であるからこそ、邪な魂を持った輩をはびこらせることを眺めていてはいけないのです。
それを「正義」とは言わないかもしれない。
自らが誤っているかもしれない。
それでも生きていくことはその過ちすら噛み砕いて栄養としていかなければならない。
黙っていても命を食らって生きていくのが生物だから。

生きていくことは不安なことばかり。
しかしまだ命があるのなら、まだ希望は残っている。
常に残っている。

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11/09

Fri

2012

夢は追うもの? 叶えるもの? 見るもの?

以前、夢を語るタイプの中には小さなことからコツコツ語るタイプと、途方もなく大きなことを語るタイプの2種類いて、日本人には前者のほうが受け入れられ、後者はだいたい非難の対象となることが多いような日記を書いた。
多くの人間は夢を見て、それを実現しようとするとき、想像と現実のギャップの埋め合わせが大変で、だいたい根気がなくなるか、もしくは大きな失敗をして挫折する。
世の中には随分と語られるサクセスストーリーが多いが、その後どうして失敗したかとか、失敗してどうなったかとか、そういう人の話は成功に比べて少ない。
特にそういう人間のことを「落ち目の人間ですね」と見る人がほとんどだが、この「失敗」の中にこそ本当の成功へのノウハウが込められている。

プロ、という道を本気で目指そうとするとき、ひとつ覚悟が必要になる。
恐怖と戦うことと、馬鹿正直に可能性を信じることと、行動することを止めないことだ。
特に最初は誰も信じてくれないし、初心者なのは当たり前だし、技術など体験して得るべきものが全て未来にしかない。
そして素人であることの未熟さを曝け出し、親友に話したところで人ごとなのは当たり前だし、時として現実味の無いことに批判すらされるかもしれない。
そうして自分で掴み取るよりも、誰かに使われるほうが本当は楽なのではないか、着実なのではないかと「保険」のことを考え出す。
「失敗してもいいように、いくつかの逃げ場所を用意しておかないと」
これが「まともな考え」とされるけれど、何かを成し遂げようとするのは博打そのものであるから、恐怖に打ち勝つような精神力と肥大する欲望への抑制力がないと、上に上がることは難しい。
特にプロというのは、その道を歩むにあたって、どのような「怖さ」があるのか知り尽くしている人だし、またその「怖さ」をあらゆる技術によって埋めていくものであるから、プロを目指そうとして保険を考えているつもりが、いつの間にか横道にそれ、本筋を見失いながら余計な力ばかり使っているということもよくあることなのだ。

夢を追うには精神のコントロールと欲望の抑制が必須になる。
これは自分の実力(技術以外に対人能力も入る)以上のものが手に入ると思わないことと、失敗しても利点を見出していく好奇心を失わないこと、別の何かに追い立てられるようなことがないよう心の余裕を常に持っておくことだ。
さもなければ、自他問わず何かを責めるようになってしまい、その責めたぶんだけ自分の損失として降りかかってくる。
といっても、この精神のコントロールができる人間は、ほぼ間違いなくある程度達観している人間なので、この境地に至れる人間は数少ないし、むしろ生涯の目標としてもよいくらい難しいことだ。

私の場合だが精神が落ち着かず、何年もまともに動かず酒ばかり飲んでいたし、特に過去に対する未練のようなものが重くのしかかっており、引きずり回して時間を歩んでいた。
そんな黙っていても何者かに圧力をかけられているような精神では、何かに集中することすら難しい。
自分に対して負の要素を抱えている人間も、過去のことばかり気にし、人の批判を恐れ、やがては行動して失敗することに恐怖を感じ、夢を見るだけになり、酒場で語るだけのネタになってしまうことだって珍しいことじゃない。

京都に来て、このような場所だから余計に気がつくことなのだが、この地には数多くの文化があり、様々な形で伝承され発信しようとしている。
たとえば神社仏閣知名歴史などがあっても、知識と好奇心がなければただの建物や文字にしかならない。
狂言だってよく演じられているが、意味を解釈しようとする想像性がなければ、ただの無言の踊りにしか見えず、なんら楽しめないだろう。
人によって、この地では見えているものが違う。
数名の人間と話していると、ハッキリとわかる。
この京都をただの住む場所と捉えているのか、都市という感覚を当てはめ多少刺激の少ない場所と捉えるのか、文化そのものがこの地に数多くあると認識するのか。
何故これだけ違うのかと言えば、好奇心の対象がまったく違い、知識も違ってくるからだ。
今捉えている世界は知識と経験によって成り立っており、世界観を広げていくには好奇心を持ち続けるしかない。
世界は確かに広いが、世界を広く見つめるためにも高い知識と技量が必要になるし、くじけずに進むためには諦観にまみれず好奇心を持ち続けるしかないのだ。

夢を掴むには困難があって当たり前。
むしろ挑戦しなくなることこそ危うい。
行為が続いているのなら、何一つ無駄にはならない。
もし「無駄になった」「失敗して何も残らなかった」などと考えるのならば、それは己の考え方や姿勢そのものが不毛で堕落していることは間違いない。
それは自らへの真摯さを欠いているので姿勢を正すことをお勧めする。
夢にきちんと魂を吹き込めるよう、飽くなき心を失わないように。
夢を目指す全ての人を応援します。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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