忍者ブログ

あさかぜさんは見た

リクエスト何かあれば「comment」に書いてください。「note」「Paboo」で小説作品読めます。

11/22

Fri

2024

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

08/11

Wed

2021

初めて義父と会った話2

医者に怒鳴られ追い出されるようにして病院を後にした両親だが、その前からも気功の大先生から遠隔治療を受けていた。
「癌の気は消えていった」と家族は気功の大先生から聞く。
彼女はその大先生の家族が癌で死んでいることを知っているため、あくまで科学的客観性を欲しがっていたし義母にも科学的客観性から話をしようとしていた。
その時気功や霊の観点から義母は激怒。
「父ちゃんに死んでほしいのか」と言わんとばかりの言いようだった。
まず「死ぬ」という現象すら信じたくはなかったのだろう。
彼女は泣きながら違うと弁明し、あくまで科学的客観性を説明しようとしたが聞く耳持たずだった。
「看護師なんて長くやらなければよかった」
泣く彼女を抱きしめるしか自分は手段を持っていなかった。
これほど言葉が無意味な空間は存在しない。
容体は徐々に悪化し4月20日、他の病院で彼女の務めていた大きな病院への紹介状を書いてもらったはいいが、21日義父は用も済ませられなくなるほど脱力し失禁、救急車の中で吐血し、病院でも吐血しそのまま集中治療室に入る。
21日彼女に電話。
彼女の夜勤初日。
救急車で運ばれたとの連絡を受け彼女は勤務先の病院に連絡。
「誰か代わりの家族の人が行けばいいじゃない」
と師長から言われる。
勤務には午後4時に家を出なければならず、時間は迫っていた。
自分は嫌な予感がしており、
「万が一のことがあったりしたら一生後悔するから何が何でも休んで今すぐ行こう」と告げる。
今度は家族とのやり取りの後病院へと連絡。
以前の職場仲間がそこにいるとわかり、知っている看護師と挨拶をして病状を聞き、担当医も一緒に仕事をしていた人だとわかり連絡を待つ。
担当医から連絡。
「明日まで持たなかったらごめんなさい」
慰めを言わない先生だからと知っていた。
かなり緊迫している状況を聞き、師長が休ませてくれないからと夜勤にこだわる彼女に対し、
「全部今聞いたことを師長に話して人数が足りないとか代わりいないとか関係ないから用意して行こう」
彼女師長に連絡。
「この世に唯一の親なんで休ませてください」
泣いて懇願すると、ようやく休みの許可が下りる。
「何を用意すればいいのかな? 手が震えてる」
動揺する彼女に
「万が一のことは考えた方がいいから喪服と数日の着替えは用意して。今日行ける便探して行こう」
義母に喪服を用意していることは悟られてはいけない状況だった。
何よりも自分が葬儀に出席させてもらえるのかまったくわからない。
行って自分がどのように扱われるか、また罵倒の対象になるのか、自分にも覚悟が必要だった。
「今更何しに来たんだ!」と最悪地獄の責め苦を味わうことになるかもしれないことすら想像すると、胃がキリキリと痛んだ。
そんなことよりも彼女が生涯の後悔を残さないようにするのが先決で、21日中に羽田の便で行けることが決まった。
羽田から電車で茨城までは約2時間。
彼女の妹が駅まで迎えに来てくれた。
ついこの前まで「彼(自分の名前)と一緒に行くから」と彼女が言った時「誰?」と姉の旦那であろうとまったく興味を持っていなかった妹だ。
意外にも丁寧に挨拶をしてくれて後ろの席に座っていたが姉妹同士の話が弾むようで車内では多少リラックスできた。
日付も変わる時間に近づいてはいたが義母と義兄が起きていた。
「お久しぶりです」「初めまして」
挨拶は交わしたけれど怒鳴り散らされるような雰囲気はなく、義父が寝ていた部屋で自分は寝ることになり、多少の戸惑いを覚えながら寝ることになった。

拍手[0回]

PR

08/05

Thu

2021

暑さにやられている

32度以上はもうダメらしい。
正直頭がほわんほわんしてて、慣れてない・・・じゃない環境でようやく頑張ってやってる感じ。
今まで体験したことがなかった。去年とは少し違う。今年の北海道は去年を上回っている。
北海道昭和世代は「クーラーつけるのは負け」みたいな考え方があった。
それは一か月以内で夏は終わるからだ(実際お盆を過ぎたあたりから急激に温度が下がる)。
そして北海道の夜は20度近くまで下がる・・・はずだったのに、何故ここまで温度が下がらないのか(室内温度は25度が平均)。
ちょうど昭和の東京がここに来ているのではないか。
僕の住んでいる北広島(札幌のちょっと南)でさえ、外で布団を干す文化がない。
干すと子供から「あそこの家布団干してるよ?」と母親に質問されるぐらい必要がない。
「万年床にしておくと床にカビが生える」
この話は僕の偏見として東京らへんから南の話かと思っていたけれど、以前の東京やらの話が北海道に移り住んでいる事実に驚愕しているし、僕は受け入れる前に倒れている。
文字を打っている間も朦朧としている。
相方は茨城出身だけれど初めて来た最初の冬は蕁麻疹が出て、頭痛が止まらなかった(逆に今の夏の温度くらいは普通に過ごしてきたから大丈夫なんだって)。
九州から来た俳優さんが札幌でバーを営んでいるが(探偵はBARにいる)、その方から聞いた話でも最初の一年は体がおかしくなったと仰っていた。
まさか自分がブーメランを受け取るとは思いだにしなかった。
僕は京都で夏場から半年は過ごしていたにしろ夏場の対応、がっちりしている人たちはクーラー絶対つけていた。
その前に夏場に旅行で京都に泊まったことがあったけれど、ホテルだってどんなに安くてもクーラーはついていた。
一緒に暮らした京都半年生活もクーラーつけてた。(ただしこの条件はフェレットがいたということだが)。
だから寝る時間は快適に過ごせていた。
もう来年は北海道であろうともクーラーをつけなくてはいけない。
気候に関して難しい話を絡めるつもりはないんだけれど、こりゃ来年は今年を上回ってくるのなら「蝦夷梅雨」という言葉はあったけれど梅雨の本場はこちらに移る可能性もあるかもと思ってる。
実際積乱雲とまではいかなくとも重苦しい雲が風に流れてくるようになった。
そして怪しいなとは思ったものの重苦しい雲の流れで洗濯したシーツや布団を干すとやったら濡らしてしまった。
長くは雨が続かなかったにしろ来年はあまり楽観視しない方がいいのだなと痛感した。
気候が変わってきた実感はニュースでも裏付けられている。
日本酒(岐阜の三千櫻143年の歴史、現在東川町)、ワイン(ブルゴーニュで300年の老舗が函館にワイナリーを移すドメーヌ・ド・モンティーユ)等々、北海道に移ってきている人たちがいる。
北海道ではマグロが捕れなかった。北では青森の大間が有名だけれど十勝沖でもかかるようになったとは数年前から聞いていた。
となると、もう札幌のすぐ近く、石狩湾沖(小樽産等)のマグロがブランドとして出てきて南のものは徐々に北に上がってくるのではないか。
打っている間もちょっとまずい。
本当にダメなんだ。
まともに文字も打てなくなってきた。
僕は慣れてない。
こいつはまずい。
ひとまず水風呂だ。

追記:8月7日
純粋に北海道で育ってきた人って札幌市民であろうと30度以上は耐えられないと思う。
札幌駅から大通りススキノまで続く地下歩行空間はJamiroquaiもリスペクトしたくらいだから。
地上に人はいないのに地下に沢山人がいるって。
そして夜になると、もう秋の虫が鳴いているんだ。
札幌より少し気温が低いからなんだろうけど、一足先に秋の兆しがここにあって、風も日中冷たくなっていた。
そして聞いてたけどJamiroquaiソロユニットだって初めて知ったよ。

拍手[0回]

07/16

Fri

2021

初めて義父と会った話1

5月4日、初めて養父と対面することができた。
いつかは会えると思っていたけれど、時間はかかるだろうなと思っていた。
それが10年なのか、20年なのか、恐らくは体も弱ってだいぶ不自由になってからかもしれないと漠然と考えていた。
その頃までには覇気も衰え、思考も変わってくるだろうと思っていたからだ。
思っていたよりも、かなり早い形となった。
相方が北海道に来る前から会うことを拒否されていたし、僕は両親からの罵倒の対象だった。
一部彼女から伝えられてはいたけれど、かなり酷い言われようだった。
そもそも彼女はそういう家族の反対を押し切ってきただけでも凄いのに、当時最も大事だと思っていた「家族」を天秤にかけてきた。
大事だと思っている両親から「縁を切る」と言われていたのだ。
人間は人生で一番大事なものを捨てる覚悟を持つことは非常に難しいしそれができるだけでも圧倒的に普通の人間とは違う。
「家族の縁なんて、そう簡単に切れるものじゃないから大丈夫だよ」と慰めたものの、彼女は縁が切れると泣きながら覚悟していた。
その彼女の深い覚悟は恐れ入るものだった。
彼女は霊力の強い実の母親から28歳で死ぬと言われていたが、長生きしている。
正直その点だけでも彼女の運命には勝利していると考えている。
他の人間は自分が死のうがどうしようが関係なく時間が過ぎていく。
だけど彼女には自分が関与していかないとダメだろうと強く感じていた。
僕は彼女の運命を導いていると断言できるほど様々なきっかけを作っている。
いちいち例を挙げるときりがないけれど、例えば、北海道に移り住んできてから2つ精神的な事情で病院を変えたが、今いる病院へ入るきっかけを作った。
自分は北広島に来てから町内会の人たちを集めて小さな宴会をしていたけれど、その人たちの中に、ある病院のセンター長がいて「もし転職をお考えの際は紹介しますので、ぜひよろしくお願いします。お互い10万円入りますから」と冗談交じりに言っていたものの、結局はお言葉に甘えることになった。
今は精神的にはとても落ち着いていると言う。
もちろん自分も変えられた。
お盆に墓参りに言った時よく自分を覚えているおばあちゃんが寺にいて僕を見ると「よく笑うようになったねぇ」と言っていた。
それだけ笑わない人間だったのかもしれない。
短い旅もよくするようになった。
3日間で伊達から稚内へ行き北広島へ帰るという1100km程のプランなしの弾丸旅行、突然支笏湖に月を見に行こう、中山峠まで星を見に行こう、岩内町は夕日が綺麗そうだから行こう、襟裳岬は朝出れば夜までには帰れるから行こう等、1日500kmも走ったことがある。
おかげで助手席に座る自分は北海道のお酒や食べ物を知れるようになり、まったく知らなかった北海道を知ることができた。
今はだいぶ仲良しになったが一緒に暮らした1年ほどは酷い喧嘩ばかりしていて、互いの価値観の違いに戸惑っていた。
都道府県独特の価値観というものにもぶち当たった。
時間はかかったものの、価値観のすり合わせも少しずつできているし、行動パターンもお互いにわかるようになってきた。
何を考えているのかも、多少は。

今年に入って養父の食が細くなってきていると聞いていた。写真を見せてくれて「だいぶ細くなったけど」と。
連絡が来たのは彼女の誕生日の3月1日。
いよいよ本人の気力だけではどうにもならぬ事態が出て検査。
胃カメラと血液検査。
胃潰瘍で済んでいるといいが、胃癌だと思うとのこと。
彼女の知り合いに呼吸器内科医がいたため胃カメラ写真を見せると「胃癌の可能性が強いと思う」との回答。
看護師の経験的な勘が働いてもいた。
医師の横で写真レントゲン等見ていた経験もある。
信じたくはない気持ちが少しはあった。
でもダメかもしれないと悟った。
だから号泣していた。
義父は我慢強い人間で仕事も文句も言わずにこなしていたという。
朝は庭の畑、一軒家は建つくらいのスペースはあったが、その畑の世話をしていた。
自分がやるまでわからなかったが、とにかく畑仕事は雑草との戦いだ。
その髭を一本ずつ抜く作業をするようなことを毎日やっていたという。
そんな我慢強さと真面目さが裏目に出た。
お腹の不調は去年あたりからあったらしい。
つまり食が細くなってきたのを含めて周囲から見ても半年ほどは放置されていたかもしれないと心当たりを義母は吐露していた。
紹介状を書いてもらったが、紹介状の先で診断される。
「ステージ4の胃癌ですね」
その時治療方針で担当医と衝突。
霊媒師の仕事そのものの観点を義母が告げる。
それは義父との同意の事だった。
「抗がん剤治療はやらず、気功で治す。でも点滴とかはやって欲しい」
医者激怒。
「そんな都合のいいことはない!」
追い出されるようにして病院を後にする。


拍手[0回]

06/25

Fri

2021

42歳の誕生日



いつもは作っているから、作ってもらえるのはとても幸せだなと感じた。

拍手[0回]

06/24

Thu

2021

4月7日のお話。

かれこれ、出会ってから6年くらいになるのだろうか。
2年ごとに札幌三越で伊賀焼の個展をやっているはずだから、6年だろうと思う。
3度行った記憶が・・・。
伊賀焼の代表的な作家である谷本洋さんと知り合ったのは、当時京都から帰ってきて「今までとは違う新しいコミュニティを探そうと、すすきのや狸小路をウロウロして目星をつけた2・3店舗の中の1つ「MINIBEG」の店主である梶原さん伝いで知り合った。
知らない物に触れていこうと思っていた矢先、ここにしようと思えるお店が「MINIBEG」だった。
今は様々な陶芸作品の杯でお酒を飲める「無茶法」というお店になっている。

当初谷本洋さんとの出会いは否定されるところから始まった。
「感性がない」と言われ、夜の帰途、「チクショー!」と怒り狂いながら帰った。
その時の個展だったか、梶原さんの計らいで洋さんの個展の片づけをしたお礼にと「僕の作品じゃなくてすいませんが」と、お猪口をもらった。
その後数年経ち、北広島に引っ越し札幌が遠くなってしまった中、自分の料理を振る舞いたくて町内会の人たちを集めて小さな宴会をしていたのだけれど、その時お客様用で出そうと思ったお猪口に「こちらはどちら様の作でしょうか?」なんて聞かれたら自分何も知らないな、と思い洋さんに聞いてみると「底の方見せてもらえますか?」「僕の作品です」と数年越しで判明した。
箱をよく見ると「洋」と見れる形の落款もある。
「知ろうとしなければ、見ることもできない」
過去の自分に言ってあげたいよ。
そりゃ感性がないって言われてもしょうがない。
もうそろそろ、このネタ今回で止めにしようかな。
未熟とは何かを顕著に語れる例だからたまに出すかも。

4月7日以前はメゾソプラノのオペラ歌手である谷本綾香さんのミニコンサートで出会った。
オペラ歌手の声を2mほどもない距離で聞くのは初めてだったし、体がぐっと押されるのを感じるくらい声の圧がかかってきた。
その時洋さんが綾香さんに「こちら、ダディーの友達」と紹介してくれたことが、ずっと心に残ってて、そんな洒落た紹介のされ方は初めてだったし、なによりも「友達」って言ってくれたことが嬉しく・・・嬉しかったけど「自分も洋さんの事友達って言っていいんだろうか」と、そこからずっと気にかかっていて、「僕も友達って言っていいんですかね?」と確認したのが17時半ぐらい。

今回会ってみた時に質問したいことがあった。
・感性から入って言葉を学んでいった先にある世界(感性→言葉→?)
・言葉から入って感性というものを感じた先にある世界(言葉→感性→?)
これ、どっちの入り方がより大きな世界観になっていくのか。
例えば世の中には天才って呼ばれるような人がいて、理屈をスイスイと体で覚えてしまって龍のごとくのし上がる人がいる。
逆に知識は膨大にあるのに頭でっかちになってしまって、感性の部分で突き出られない人がいる。
たぶん感性と知識と実践のサイクルで自分の中の才能が練り上げられていくんだろうけど、色んな人の意見が聞きたくて。

2つ面白い回答をもらった。
「やっぱり見に来てもらった若い子たちには説明しないといけない。これはこういうものだと説明して知ってもらっていく。知識を持ってもらえると興味も持ってもらえる」
「今面白い企画をやっていて雑誌の編集長に陶器を作ってもらう企画をやっている。忙しくて月に数回しかできないけど陶芸の雑誌じゃないんだけど、雑誌の中で小さな特集も組んで熱心に取り組んでいる。その人は陶芸に関しては素人なんだけど、今まで雑誌で鍛えた(レイアウトやデザインなどの)センスがある。作ってみると技術的には稚拙なんだけど非常に面白い作品が出来上がる。その人がやってきたことは無駄になっていない」

1時間と少しくらいだろうか雑談することができた。
その中で、とある歌舞伎役者の「Cさん」のことで、
「あれはダメだ。どうしようもない」
と、仰っていた方がいてと話題に出すと、
「僕はそっちの方はわからないんだけど、clubhouseってあるでしょ? あれで京都のお茶の先生が陶器のことで、これ知らんやろ? ぐらいの雰囲気で言ったのね。そしたらやっぱり代々伝わってきた器とかもあるんだろうね。知識があってきちんと答えてた上に逆にどう? みたいなやりとりあって、お茶の先生舌巻いててね、陶芸家としては感心した」
それを聞いて色んな見方があるものだなぁと感じた。
もっと自分の知識を増やして少しずつでもいいから色んな分野の理解を深めたいものだな。



その後は見た器のことをぼんやり考えながら飲んでいた。
伊賀焼は、一言で言うならば「森」のイメージがある。
その「森」は人が歩くような綺麗なものではなく、荒々しい石であったり、手つかずの土であったり、吹く風、そこに生きる花や木、湧き水の流れ、大きな岩がゴロゴロしている渓流であったり。
それらが溶けて受け止めているのが人であり、人が作るからこそ、生命観や哲学観が垣間見えるように思える。

一軒立ち寄った後に無茶法に辿り着いて梶原さんに洋さんの個展を見てきて一つ器を購入したことを告げた。
茶道はやらないので、だいたいぐい飲みか器が自分の実用品となってくる。
ぐい飲みはもらったものを大事にしているし、あまり沢山のものを持っても、ほとんどがお蔵入りしてしまうので、使う頻度の高い器を購入していた。
色々と話していると洋さんが入店してくる。
その時までには相当お酒も入っていて、やっぱり色々話しているのだけど記憶にはしっかり残らない。
ただ、なんとなく自分の中で答え合わせをしている。
自分が向かっているもの、持っているもの、感じているものは正しいのか、漠然とした答え合わせ。
そりゃ感性人それぞれあるんだけど、やはり人間だから、根っこにある何かは同じなんじゃないかっていうふわふわとした感触だけは持っている。
その根っこから大きく外れた時、人を限りなくよくない方向へいかせる、言わば己も他者も殺していく考え方や心持ちになっているのではないか、などと感じているのだ。

僕はだいたい酔っぱらうと突然色んなものが頭の中で交錯しだすので、ふと思い出したことがあって、
「倍音」
を思い出した。
声の先生のところで習ったもので、体全体の力を抜いて声を最大限に出す方法なのだけれど、老人は自然とできていると言う。
その時肺もそうなのだけれど上半身全体が震える感じになる。特に肺の横なんかブルブル震えるから触ったらわかる。
触ったら。
それで気になっちゃって、洋さんも歌を歌っていたし今も歌うし、よく響くいい声をしている。
そこでお手洗いから出た時に席に座って話している洋さんの胸の横を両手でピトリと押さえて震えを確認すると、
「キモイな、オマエ」
と超絶嫌悪感マックスで言われてしまい、今日午後六時近くから続いた友達関係は、わずか六時間程度で終わってしまったか、と感じたものだった。
後に梶原さんにも話すと「それはキモイわ」と言われたものだった。
気色の悪い体験をさせて申し訳ありません。

少し確かめたいことがあった。
「倍音」がよくできると、日本語の母音が柔らかくなる。
日本語は全ての発音で母音が関わってくるため、従来の西洋式の発声法では母音がきつすぎて逆に耳障りになるという。
所謂棘のイメージになるのだろうか。
そこで「倍音」ができるようになると棘が取れる。
声の先生が「倍音」ができると「性格も変わった、前は怒りっぽかったが温和になった」と言う。
つまり体の中に響く音が思考回路にも影響を及ぼすのだと理解した。
今谷本洋さんがどれだけ体の力が抜けているのか確かめたくなったのだ。
年を取って体力や気持ちの衰えも感じていると話していたけれど、それでもまだ自分の体の中のエネルギーを若さを使って出していると感じたのだ。
その時、ふと洋さんのお父さんの作品が気になった。
個展のところに一緒に展示してあるのだけれど、より艶っぽい。
何故艶っぽいのだろう。
「うちの親父は70代(確か72って言っていたような?)の時一番いい仕事をしていた」
と言っていたのを思い出した。
その言葉が「倍音」と重なり、もしかしたらこれから洋さんがもっと「衰えた」と感じた時、今よりも体の力が抜けて声に影響を与え、そして思考回路にも性格にも変化を与え、作品そのものへの表現として現れてくるのではないだろうか。
だとしたら作品は艶っぽくなるのか、もしくはそこに気が付いて逆に大胆さが出てくるのではないか、三越で見たものが頭の中で色々と変化していき、十年後いかなることになるのかと想像をしていた。
そこで梶原さんが持っていた器を見せてもらったけれど、摘まむ形で持ち上げてしまったものだから、そこにいた三名に注意を受けてしまった。
もう自分が酔いすぎだとわかったし、人の持ち物軽率に扱うほど酒でやられていると感じたのですぐに引き上げることにした。
酒乱は早く引き上げるべき。

と、いっても・・・
その後三件はしごしてしまったのだけれど、「カラスの書斎」の泉さんにも「倍音利かせると迫力出るんですよ」と詰めよって迷惑をかけてしまい、次の日全力で謝りました。
最後は札幌の老舗のバーに寄ったんですけど、綺麗なステアリングに見惚れながらフィニッシュしました。
もう朝日が眩しいほど。
電車もしっかり動いている中で北広島駅に辿り着いたのは10時を過ぎておりました。
早朝までやっているBARとなると、もう数えるくらいしかないので、あそこかな? って思ってください。



7日、梶原さんが作ったふきのとう味噌がとても美味で、その話のはずみで「うち普通に出てきますよ」と伝えたところ「頂戴!」と頼まれたことを思い出し、10日の洋さんのトークイベントに合わせて持っていったところ、facebookで「小説家光野朝風氏」と書いてくれて、その記事を読んでから夜から朝まで8時間近く目を潤ませっぱなしだった。
なんせ作品を読んでもらったことがあるだけに、そういう人から改めて書かれると、少し胸にきすぎるものがあって、どうでもいいやと思っていた気持ちが書こうかなと方向転換した。
これからリハビリの日々だけれど(書かないと錆びついて一切書けなくなるため)、もう一度改めて向き合おうと思いだした。
10年後の洋さんともし喋ることができたら、もっと違う話をしてみたい。

拍手[0回]

フリーエリア

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]