4月7日のお話。
かれこれ、出会ってから6年くらいになるのだろうか。
2年ごとに札幌三越で伊賀焼の個展をやっているはずだから、6年だろうと思う。
3度行った記憶が・・・。
伊賀焼の代表的な作家である谷本洋さんと知り合ったのは、当時京都から帰ってきて「今までとは違う新しいコミュニティを探そうと、すすきのや狸小路をウロウロして目星をつけた2・3店舗の中の1つ「MINIBEG」の店主である梶原さん伝いで知り合った。
知らない物に触れていこうと思っていた矢先、ここにしようと思えるお店が「MINIBEG」だった。
今は様々な陶芸作品の杯でお酒を飲める「無茶法」というお店になっている。
当初谷本洋さんとの出会いは否定されるところから始まった。
「感性がない」と言われ、夜の帰途、「チクショー!」と怒り狂いながら帰った。
その時の個展だったか、梶原さんの計らいで洋さんの個展の片づけをしたお礼にと「僕の作品じゃなくてすいませんが」と、お猪口をもらった。
その後数年経ち、北広島に引っ越し札幌が遠くなってしまった中、自分の料理を振る舞いたくて町内会の人たちを集めて小さな宴会をしていたのだけれど、その時お客様用で出そうと思ったお猪口に「こちらはどちら様の作でしょうか?」なんて聞かれたら自分何も知らないな、と思い洋さんに聞いてみると「底の方見せてもらえますか?」「僕の作品です」と数年越しで判明した。
箱をよく見ると「洋」と見れる形の落款もある。
「知ろうとしなければ、見ることもできない」
過去の自分に言ってあげたいよ。
そりゃ感性がないって言われてもしょうがない。
もうそろそろ、このネタ今回で止めにしようかな。
未熟とは何かを顕著に語れる例だからたまに出すかも。
4月7日以前はメゾソプラノのオペラ歌手である谷本綾香さんのミニコンサートで出会った。
オペラ歌手の声を2mほどもない距離で聞くのは初めてだったし、体がぐっと押されるのを感じるくらい声の圧がかかってきた。
その時洋さんが綾香さんに「こちら、ダディーの友達」と紹介してくれたことが、ずっと心に残ってて、そんな洒落た紹介のされ方は初めてだったし、なによりも「友達」って言ってくれたことが嬉しく・・・嬉しかったけど「自分も洋さんの事友達って言っていいんだろうか」と、そこからずっと気にかかっていて、「僕も友達って言っていいんですかね?」と確認したのが17時半ぐらい。
今回会ってみた時に質問したいことがあった。
・感性から入って言葉を学んでいった先にある世界(感性→言葉→?)
・言葉から入って感性というものを感じた先にある世界(言葉→感性→?)
これ、どっちの入り方がより大きな世界観になっていくのか。
例えば世の中には天才って呼ばれるような人がいて、理屈をスイスイと体で覚えてしまって龍のごとくのし上がる人がいる。
逆に知識は膨大にあるのに頭でっかちになってしまって、感性の部分で突き出られない人がいる。
たぶん感性と知識と実践のサイクルで自分の中の才能が練り上げられていくんだろうけど、色んな人の意見が聞きたくて。
2つ面白い回答をもらった。
「やっぱり見に来てもらった若い子たちには説明しないといけない。これはこういうものだと説明して知ってもらっていく。知識を持ってもらえると興味も持ってもらえる」
「今面白い企画をやっていて雑誌の編集長に陶器を作ってもらう企画をやっている。忙しくて月に数回しかできないけど陶芸の雑誌じゃないんだけど、雑誌の中で小さな特集も組んで熱心に取り組んでいる。その人は陶芸に関しては素人なんだけど、今まで雑誌で鍛えた(レイアウトやデザインなどの)センスがある。作ってみると技術的には稚拙なんだけど非常に面白い作品が出来上がる。その人がやってきたことは無駄になっていない」
1時間と少しくらいだろうか雑談することができた。
その中で、とある歌舞伎役者の「Cさん」のことで、
「あれはダメだ。どうしようもない」
と、仰っていた方がいてと話題に出すと、
「僕はそっちの方はわからないんだけど、clubhouseってあるでしょ? あれで京都のお茶の先生が陶器のことで、これ知らんやろ? ぐらいの雰囲気で言ったのね。そしたらやっぱり代々伝わってきた器とかもあるんだろうね。知識があってきちんと答えてた上に逆にどう? みたいなやりとりあって、お茶の先生舌巻いててね、陶芸家としては感心した」
それを聞いて色んな見方があるものだなぁと感じた。
もっと自分の知識を増やして少しずつでもいいから色んな分野の理解を深めたいものだな。
その後は見た器のことをぼんやり考えながら飲んでいた。
伊賀焼は、一言で言うならば「森」のイメージがある。
その「森」は人が歩くような綺麗なものではなく、荒々しい石であったり、手つかずの土であったり、吹く風、そこに生きる花や木、湧き水の流れ、大きな岩がゴロゴロしている渓流であったり。
それらが溶けて受け止めているのが人であり、人が作るからこそ、生命観や哲学観が垣間見えるように思える。
一軒立ち寄った後に無茶法に辿り着いて梶原さんに洋さんの個展を見てきて一つ器を購入したことを告げた。
茶道はやらないので、だいたいぐい飲みか器が自分の実用品となってくる。
ぐい飲みはもらったものを大事にしているし、あまり沢山のものを持っても、ほとんどがお蔵入りしてしまうので、使う頻度の高い器を購入していた。
色々と話していると洋さんが入店してくる。
その時までには相当お酒も入っていて、やっぱり色々話しているのだけど記憶にはしっかり残らない。
ただ、なんとなく自分の中で答え合わせをしている。
自分が向かっているもの、持っているもの、感じているものは正しいのか、漠然とした答え合わせ。
そりゃ感性人それぞれあるんだけど、やはり人間だから、根っこにある何かは同じなんじゃないかっていうふわふわとした感触だけは持っている。
その根っこから大きく外れた時、人を限りなくよくない方向へいかせる、言わば己も他者も殺していく考え方や心持ちになっているのではないか、などと感じているのだ。
僕はだいたい酔っぱらうと突然色んなものが頭の中で交錯しだすので、ふと思い出したことがあって、
「倍音」
を思い出した。
声の先生のところで習ったもので、体全体の力を抜いて声を最大限に出す方法なのだけれど、老人は自然とできていると言う。
その時肺もそうなのだけれど上半身全体が震える感じになる。特に肺の横なんかブルブル震えるから触ったらわかる。
触ったら。
それで気になっちゃって、洋さんも歌を歌っていたし今も歌うし、よく響くいい声をしている。
そこでお手洗いから出た時に席に座って話している洋さんの胸の横を両手でピトリと押さえて震えを確認すると、
「キモイな、オマエ」
と超絶嫌悪感マックスで言われてしまい、今日午後六時近くから続いた友達関係は、わずか六時間程度で終わってしまったか、と感じたものだった。
後に梶原さんにも話すと「それはキモイわ」と言われたものだった。
気色の悪い体験をさせて申し訳ありません。
少し確かめたいことがあった。
「倍音」がよくできると、日本語の母音が柔らかくなる。
日本語は全ての発音で母音が関わってくるため、従来の西洋式の発声法では母音がきつすぎて逆に耳障りになるという。
所謂棘のイメージになるのだろうか。
そこで「倍音」ができるようになると棘が取れる。
声の先生が「倍音」ができると「性格も変わった、前は怒りっぽかったが温和になった」と言う。
つまり体の中に響く音が思考回路にも影響を及ぼすのだと理解した。
今谷本洋さんがどれだけ体の力が抜けているのか確かめたくなったのだ。
年を取って体力や気持ちの衰えも感じていると話していたけれど、それでもまだ自分の体の中のエネルギーを若さを使って出していると感じたのだ。
その時、ふと洋さんのお父さんの作品が気になった。
個展のところに一緒に展示してあるのだけれど、より艶っぽい。
何故艶っぽいのだろう。
「うちの親父は70代(確か72って言っていたような?)の時一番いい仕事をしていた」
と言っていたのを思い出した。
その言葉が「倍音」と重なり、もしかしたらこれから洋さんがもっと「衰えた」と感じた時、今よりも体の力が抜けて声に影響を与え、そして思考回路にも性格にも変化を与え、作品そのものへの表現として現れてくるのではないだろうか。
だとしたら作品は艶っぽくなるのか、もしくはそこに気が付いて逆に大胆さが出てくるのではないか、三越で見たものが頭の中で色々と変化していき、十年後いかなることになるのかと想像をしていた。
そこで梶原さんが持っていた器を見せてもらったけれど、摘まむ形で持ち上げてしまったものだから、そこにいた三名に注意を受けてしまった。
もう自分が酔いすぎだとわかったし、人の持ち物軽率に扱うほど酒でやられていると感じたのですぐに引き上げることにした。
酒乱は早く引き上げるべき。
と、いっても・・・
その後三件はしごしてしまったのだけれど、「カラスの書斎」の泉さんにも「倍音利かせると迫力出るんですよ」と詰めよって迷惑をかけてしまい、次の日全力で謝りました。
最後は札幌の老舗のバーに寄ったんですけど、綺麗なステアリングに見惚れながらフィニッシュしました。
もう朝日が眩しいほど。
電車もしっかり動いている中で北広島駅に辿り着いたのは10時を過ぎておりました。
早朝までやっているBARとなると、もう数えるくらいしかないので、あそこかな? って思ってください。
7日、梶原さんが作ったふきのとう味噌がとても美味で、その話のはずみで「うち普通に出てきますよ」と伝えたところ「頂戴!」と頼まれたことを思い出し、10日の洋さんのトークイベントに合わせて持っていったところ、facebookで「小説家光野朝風氏」と書いてくれて、その記事を読んでから夜から朝まで8時間近く目を潤ませっぱなしだった。
なんせ作品を読んでもらったことがあるだけに、そういう人から改めて書かれると、少し胸にきすぎるものがあって、どうでもいいやと思っていた気持ちが書こうかなと方向転換した。
これからリハビリの日々だけれど(書かないと錆びついて一切書けなくなるため)、もう一度改めて向き合おうと思いだした。
10年後の洋さんともし喋ることができたら、もっと違う話をしてみたい。
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