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あさかぜさんは見た

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10/07

Wed

2020

北海道の食べ物殿堂入り一つ加わりました

飲食店勤めが長いので、中の人の気持ちというか、中の人の事情が少しわかる。
だからチェーン店とか、バイトに頼っている店とかは、中の人の愚痴も聞いているので、ある意味覚悟しながら行く。
この前だって、ラストオーダー30分前で店内にお客さんが誰もいない状態で入ると客席からモロ見えのキッチンの人から「誰あんた?」って目で見られただけだったし、「まだやってます?」って聞くまでお客さんだとも認識してもらえなかったし。もうしょうがない。そこ居酒屋じゃなかったけど「片付け終わってるのに、まさか客来たの? やめてよ」って心境はよくわかる。
そして今チェーン店、他の会社行かなくてもコロナのご時世、業態のシフトチェンジできてないところほど(従来の店舗型から変えられないところほど)、お客さんももどってきてないし、中のバイトさんほど「楽できるなら楽してお金もらいたい」って心境充満しているの今働いててよくわかる。

そもそも飲食店って労働基準法に厳格に照らし合わせると成り立たない商売がほとんどだから、時代が変わるとあからさまに、その弱点、むしろ本性が出る。

まぁ、中の人だから余計なこと書きましたけど。
頑張って欲しいというよりも、もう以前の時代は既に終わったという認識で色々なことを受け止めています。

======本題はここから=======

北海道の中で、つまみ食いをしながら片道100kmくらいは平気で移動したりすることをするけれど、以前にも書いたもの2つありました。これは宿泊込みの移動でした。
でも、この2つの食べ物、スイーツでしたけれど、初めてスイーツ以外のものが今回殿堂入りしました。

スイーツ部門は
・【フェルム ラ・テール美瑛】のプリン
   ーー食べた瞬間笑う。人は本当に美味しいものに出会うと笑う。自分も創作料理他者に提供しているからよくわかる。
・【西興部(にしおこっぺ)道の駅】のストロベリーソフトクリーム
   ーー北海道でソフトクリーム食べた中でも群を抜いて苺感が強く酸味と甘みのバランスが最強に取れてた感動イチゴソフトでした。

そして、今回初めて
・【仁木町 ベリーベリーファームレストラン】のマルゲリータピザ

が入りました。

   ーー生地に使っている粉も美味しい事ながら、トマトソースが他の追随を許さぬ美味さ。
こんなコクも旨味も甘みもバランスのいいトマトソース通年出しているのか、それともたまたま出来が良かったのか。通常舌先や中ほどで終わる美味さが喉の奥ギリギリまで伝わってくる。このような味わいは、野菜を長距離輸送して商品化しているものでは絶対に出ない奥深い味。
(予想するに)自家栽培の強みが最大限に出ていて、生バジルの葉もフッとした香りと味のアクセントになっていて絶品でした。
そもそもトマト缶とかでは絶対出せない味ですので、マルゲリータピザを食べるためだけに来ても損はないくらい。


有機栽培のワインが何種類か売っていますが、その中でも山ぶどうのワインが凄い。
初心者に優しくないワイルドさがあるワインで山ぶどうならではの酸味とその奥から伝ってくるかすかな甘みと森林浴をしているかのような香り、ぶどうの奥深くに、地べたの草を嗅いでいる草食動物なら我を忘れて食らいついているかのような草の味わいもある。魚料理に合うような香りよりも、やっぱり森の中の生き物、肉、肉、肉に似合う香り。
山ぶどうを食べた方なら、絶対うなる結構珍しい山ぶどうワイン。北海道の中でも売っているところ、なかなかないと思います(他の情報提供お待ちしております)。
絶対に買う価値あり。ワイン好きで、5千円以上のワインで、尚且つ森の感じが好きでワインをお買い求めている方は、これは安いですよ(現段階では4000円で買えます)。

旅番組でも作ろうかな。
面白いだろうな。
北海道には本当にいいものが沢山あるから紹介して歩いてもいい。

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08/19

Wed

2020

三か月ほど前だろうか、知り合いに連れられてバーに行った。
初対面のマスターと少しだけ話が盛り上がったが一週間後に首つり自殺をした。
独り身で、愛犬が死んで間もなくのことだった。
知り合いはとてもショックを受けて2か月も仕事を休んでいた。
仕事をまた再会したとのことで会いに行くと元気そうだった。
「四十九日が過ぎて少し落ち着いた」
といつものように微笑んでいた。

たった1度しか会ったことがなかった、マスターの作るマティーニが美味しかった。
マティーニの美味しい店はハズレがない。
さらにはオリーブまでも美味しいお店は気が利いてる。
もう飲めなくなったのはとても残念に思った。

人にはいつか死が訪れる。
自分でケリをつけるも、自然に死ぬも、事故や病気で死ぬも、いつかは終わりが来る。
知り合いの周囲には変わった人が沢山いる。
だから僕のことも変わった仲間として気にかけてくれて時折連絡をくれる。
「あさちゃんは死なないでね」
と言われたが、気持ちはブレブレだ。

何故バーのマスターが自殺をしたのか誰も理由がわからなかった。
誰にも理由を話さずに死んでいったから、マスターを知る誰もが死を信じられなかった。
影をも見せなかったということは、自分が会った時も普通のように見えたのだろう。
フッとこの世界から消えてしまった。
例え理由があったからといって、きっと誰も死ぬことには納得しなかっただろう。
どうして何も話してくれなかったのか、という気持ちが周囲を支配していたに違いない。

僕は自殺はあまり反対しない派だ。
そういう選択肢があってもいいと思っている。
死ぬには色々な理由があるから、こうだからとは言えないけれど、他人は「生きろ」なんて言ったって何も保証しないじゃないか。
「生きていくこと」の何も保証しない。
例えば苦しみがあったとして、所詮他人事じゃないか。
挙句の果てには「甘ったれてる」とか「自分が悪い」とか個人の何かに原因を見つけて責め立てる。

それでも人は助けられたり助けたりしている。
気が付かない間にもしている。
当然傷つきもしているし、ぬくもりに触れたりもする。

人は死に向かっている。
けれど無気力という状態や、ふと生きることを諦めたりする気持ちになることもある。
深いところを覗いてしまって、暗闇の中に心を沈ませることもある。
生きることは思い通りにはならない。
それでも生きている人はいる。
だけど死ぬ人もいる。
生きている場所が違うのだとも思ったりする。

いずれは、誰もが遅かれ早かれ死を迎える。
「生」に人間は意味をつけたがるから「死」にも意味を見つけたがるのだろうと思うけれど、「死」は人にとっては意味も何もない。
ただそこにあるという現象の一つに過ぎないのだと思っている。

そう。
だからこんなにもまとまりのない文章になっている。

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08/18

Tue

2020

生きる気力がどんどんなくなっていく。
誰かに認められたことなどない。
自分が活動できる時間と、実際の時間の流れには大きな隔たりがある。
自分のような人間がどうやってこの世を生きていけばいいのか手段がわからない。
価値がない。
価値のない人間は生きていく資格がないらしい。
自分で生きられない人間は生きていてはいけないらしい。
自分は人から奪うことでしか生きていくことができない。
存在自体が今は無駄でしかない。
辛いという気持ちはない。
ただ無気力のような、力の抜けた妙な達観のような、諦めにも近い気持ちがある。
才能は世に溢れている。
何をするにも臆病になっている。
何か行動をするのが怖い。
どうせ見向きもされないか、批判的な言葉を投げかけられるだけだ。
自分がすることはほとんどそうなんだ。
だからどうせ生きていてもと思うのは、ここに理由があるのかもしれない。
虚しい。
今は少しだけ人助けができてて、それまでは頑張って生きようかなと思える。
うまく眠れない。
そういえば眠れないという理由もあって酒を飲んでたことを思い出す。
病気が治って少し健康になったら今度は眠れなくなった。
もうどうしようもなく壊れてる。
どうしたらいいのかわからない。
どうやったら普通に生きられるのかわからない。
グチャグチャになっていって、年だけとって知識も振る舞いも何もかも子供のままで成長できない。
気がついたら1ヶ月経っている。
もうダメだ。
気がついたら数年経っている。
もう死んでしまう。
所詮クズだったんだ。

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08/09

Sun

2020

病気をする

先月28日より一週間ほど熱が出ていて倒れていた。
コロナも心配し、保健所で検査を受けられる場所を教えてもらおうと思ったけれど、コロナ症状に該当しないとのことだった。
しかしながら5日間は8度以下にはならず9度5分まで上がったりして大変だった。
大変だ、と言っても、固形物が喉を通らない。
水とゼリー状の栄養ドリンクのみでしのいだ。
喉も痛くなければ咳も出ない。しいて言うならば、腹痛が多少あるくらい。
治ってからが問題だ。
ほぼ寝たきり状態を一週間も過ごすと特に足の筋肉がガタ落ちだ。
3分の1になったんじゃないかって思うほど。
少し歩いただけで筋肉痛になった。
年取って一度寝たきりになると、なかなか戻れない理由がよく分かった。
それにしても27日両親とともに仏壇に手を合わせた次の日に高熱を出すとは一体どういうことか。
気が付くと酒がすっかり抜けている状態だ。
飲みたいけれど今は前の抜けだせない状態になるのが少し怖い。
死にたいと自分を呪っても、体は動けなくさせてでも制止させ、酒を飲むことを気持ち悪くさせ、体をリセットさせようと勝手に試みる。
凄いことだ。

酒を飲むにはエネルギーを使う。分解に相当な手間がかかってる。
消化にはエネルギーを使う。血糖値が急激に上がるようなものは食事の後半にまわさなければクラクラしてくる。スープはとても体によく染みる。自然に染みる感じがする。食べる量にも当然気を付けなければいけない。体感的には腹八分目。少し飢えがあった方がエネルギー効率がよいように思う。
運動にはエネルギーを使う。年を取ってからの運動はむしろ筋肉を増やすのではなく各筋肉部位の血流を意識しながらやることが効果的だと知る。
大人になると使わない筋肉ばかりが増えるため血流が全身におおいに行きわたらない。

「衰えている」とはあまり感じないが、
「とても色んな所を使っていない」ということは凄く感じる。

病気は辛い。
心が悪くなっても前へ進めないし、体が悪くなっても前へ進めない。
ましてや動かさなければ衰えていく。

新しいことを沢山勉強していきたいけれど、心身ともに整えなければいけないし、整えるために気を使って行動しなければいけないことが沢山あることに気が付いた。

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07/20

Mon

2020

鴨頭嘉人さんのYouTube見てる

何か月もちょこちょこ見ているのだけれど、面白いことを言っていた。
「95%は講演後に行動しない」
聞いた人のほとんどはお金を払っているにも関わらず、その場で満足するか忘れるかしてしまうから行動しないそうだ。

僕は弱い人の気持ちがよくわかるし、自分も心が弱く半アルコール依存症にもなっているから、たぶん95%の中のさらに弱い2割ぐらいかどうかは知らないけど、そこら辺の人たちだと思っている。
それで僕は昔から考えていていまだに結論が出ていないことがある。
それは心の弱い人間が強くなっていくにはどうすればいいのか。
そのメンタルの土壌を作るにはどうすればいいのか。
「行動するしかない」のはわかっているけど、きっと「95%の人たち」は永遠にそのままだよね。
それとも何度も何度も刷り込めばだんだん「残った95%の中の95%が・・・」となっていくのだろうか。

例えば僕は嫌なことが頭から離れず、その時はアルコールの力を借りるしかない。
運動してもイライラするし、食べてもイライラするし、大声出してもイライラする。
そうして忘れるための手段が常習化してくる。
特に依存症の漫画の中で「報酬系」と呼ばれる脳の機能が刺激するから癖になると描いてあって、なるほどなと納得した。
何故なら僕は今店先でアルコールを見ると梅干し思い浮かべたみたいに口の中に唾液が出てきて、飲みたくなってしまうほどになっている。

他にもゲームをやっている時も面白いゲームがあると永遠とやっている。

なんでだろうね。
自分の経験から言うと「報酬系」もそうだけど、加えて人間は「快楽」の方が強いから、より楽な方へ行くんでしょう。

人類は成功法則は結構編み出していて、何故か成功者は自分の苦労体験とかもあるのだけど、最後にはゴリマッチョになっていく性質がある。
ゴリマッチョって言うのは、最初は優しかったのが、最終的には強者の理論になっていって、その強者の理論にならなくてはダメだと、弱いものを排斥しかねない理屈になっていく。
人は自分の脳を騙せるから、やがて分厚く塗られたものが、感情になっていくのかもしれない。
わかるけど、この方は「世界を変える」と仰っているのだから、違和感がある時がある。

僕は本を読むとき読書の習慣がない人は、絵本から始めようと薦める。
「大人だから絵本なんて=あれは子供の読み物だから」と頭から否定していると(プライドがあると)、ステップアップって難しい。
ゲームって、とっても面白くって、あまりにも難易度が高すぎるとゲームは売れない。
だいたいはゲームシステムの説明があって、操作させながら覚えさせて、後半に行くにつれ、少しずつ難易度が上がっていく。
その間に細かなイベントがあって、クリアするごとに効果音なり音楽なり映像なり色んな演出で盛り上げてくれる。つまり報酬が与えられる。
世の中に出ると、この手の報酬はなかなか与えられなくなる。給料ぐらいか、もしくは自分で目標設定して自分の中で盛り上がっていくしかない。
じゃあ多分自分で目標設定して盛り上げていくことはできるけど、95%の人はそのことを「快楽に勝る報酬だ」とは感じていないわけだ。

鴨頭さんはお酒を飲めないみたいだから、紀元前から続いている人類の快楽を知らない、はず。
そしてゲームをやるのは精神が未成熟だからやるということも言っていた気がする。スマホゲームはそうかもしれないけど、ゲーム産業が映画産業をゆうに超える規模なのは軽視しているのだろう。目標達成には関係のないことだろうし。
じゃあこの2つの快楽がどれほど強いものなのか、特にゲームなんて習慣のない人間を習慣化させるシステムがあることを知らないのかもしれない。
上に書いてあるゲームのステップアップ形式。ゲームバランスがきついと途端に遊んでくれないけど人気のあるゲームには必ず「報酬系」がある。

鴨頭さんは「ギフト」ということを考えていて常に与えようとしている。
「講演そのままパクってもいいよ」って言っているぐらいだから、自分なりの解釈をしてYouTubeでも始めればお小遣いは稼げるかもしれない。講演にもお呼ばれしちゃうかもしれない。
でもやっぱりそれは「行動できた人」であって、「行動までのメンタルブロックを外し常習化させるメソッド」にまでは至らない。

伊賀焼の先生とお話した時「才能って何ですか?」と聞いたことがある。
「環境だろうね」とあっさり答えた時は「それはイラっとしますね」と素直に伝えた。
だって先生のオヤジさんは既に素晴らしい伊賀焼の陶芸家で小さなころから「芸術」というものに囲まれていたんだもの。
うちはサラリーマンの家庭だったし、芸術のことには非常に否定的だった。学校の先生にも「映画監督になりたい」と言ったら「頭がおかしくなった」と親に連絡がいったそうだ。
じゃあ僕は才能なんて、これっぽっちもないじゃないか。
とても悲しくもなる。

「才能=環境」なのはよくわかる。
つまり「思考を変え行動を変え習慣を変え環境を変える」ってことだ。
ここまでの作業をゼロからやるのは、かなり骨が折れる。
「5%の人たち」って「才能のある人」だと思う。
既に環境を変える力を持っている人たちだ。
でも残りの「95%の人たち」は「才能のない人」だ。
だからこの手の人たちを変えるには「才能を導き、才能を行為させ、才能があることを認識させ、才能を証明する」必要が出てくる。
もうここまでの理屈になってくると「行動するしない」の問題ではなくなってくる。
「システム化」させるしか術はなくなってくる。
しかも「報酬系」も欠かせない。
もし「才能への報酬系システム」みたいなの考えられたら、自分が長年考えてた「メンタルブロックが強く心が弱い人間への成功快楽法」みたいなのが出来上がるのかな?

もう少し考えてみる必要がありそうだ。


追記:8/9
95%がどうしてできないのか。潜在意識を変えられないからだ、というところまでわかりました。つまり、この潜在意識の改善方法さえ見つければよいということになりますね。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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