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あさかぜさんは見た

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11/14

Thu

2019

芸術家からの影響

僕はとあるマスターのはからいで、有名な陶芸家さんと知り合った。
その方は僕に強烈な影響を与えてくださっている。
最初は相手が酔っぱらっていたのもあるが「感性が足りない」と言われ、その夜は心底悪酔いして友達に電話して悪態もついた。
出会った時、このような話をしていた。
「器を大事にしていれば、その様子を子供も見ているから子供も大事にしていく。そのような様子を見せていくのが大事」
と言う内容を仰っていた。
僕は下衆の感情を知っていたので「いや、そうはならない」ということを反論した。
「じゃあどうすればいいのですか?」
と、その時聞かれたけど納得させられるようなことは何一つ言えなかったと思う。
悪貨は良貨を駆逐する。
要は、僕の言いたかったことって「嫉妬」なのだと今思う。
嫉妬や怒りは思考回路の停止になる。
それがどれだけ素晴らしいものかは感性や知識がなければわからない。
だから、どれだけいいものが出来たとしても、見る人間が成熟していなければ怒りや嫉妬で問答無用で破壊されるのだと、伝えたかった。
でも、伝えたところで本当に「じゃあどうすればいいのですか?」になるのだ。
その答えは今わかりつつある。
自分を伝えるしかないのだ。
相手のことを考えつつ、どう、そこに対して寄り添えるか、言葉を考えて、例えて言うならば「君はこういうことがあったんだね。僕は君と同じようにこうして器を作ったんだよ」って、相手の話を聞いて、打ち明けるような、姿勢を始めて伝えるべきところで伝えるみたいな、そういうアプローチが必要で、それでこそ、ようやく苦しみの中から救われるんだろうなと。
不思議なことに僕は両極の人を知っていて、面白いもので上の人たちは下の人たちと関わることがないという現実をまざまざと見ている。
それは社長がわざわざバイトと友達になろうとしないように、知識や持っているフィールドや階級の次元によって、その下の人間とは積極的には関わろうとしないからだ。
古今東西社会や認識の断絶はこういう些細なところにあるのだけれど、多くの人はこれを意識しようとしない。
なんだか僕はこの断絶を知らない人に対して攻撃的になる傾向があった。
精神の飢餓は、どんな美的なものをも破壊する。
むしろ美を壊すことに対して快楽を得る。
でもわかるはずもない。
伝えたところで理解されるはずもない。
だが、攻略策は少し見出している。
要は「大人が精神的に貧困」なんだ。
僕が僕自身を見つめて周囲を見つめていると、やっぱり大人こそ何かに飢えている。
だから子供に対して飢えを、そっくりそのまま与えるんだ。
それじゃあいけない。
大人、馬鹿やろう。
僕は今町内会を基軸にしてそれをやろうとしている。
大人よ。
馬鹿をやって楽しもうぜ。
大人こそ馬鹿にされても自分が世界一楽しんでいる人間になろうぜ。
それでこそ、僕が今でも会って大事にしてくださっている方に対しての恩返しになると思っている。
つまりは、大人が大事にしていることを伝えることを子供に伝える、伝えるってことは子供との交流を持つ機会や場を設けるってこと。
この「場」こそ、全ての答えを詰め込める機会であって、試みのすべて試されるのだと、そう考えて小さな場から作り上げています。

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11/13

Wed

2019

働きすぎって

飲食メインで働いていて、キッチンがようやくホールの年数を超えそうなくらい今キッチンで働いていて、正社員になるほどの体力がないからアルバイトにでいるけれど、見ていると体壊していない人が珍しいくらいの実態がある。
実際労働の割には給料は多くないし、一生懸命働いて体を壊しても、その負担は当然自分ってことになるから、体強い人じゃないとやっていけない。
そんな体強そうな人でさえ、例えば膝が割れて手術したり(疲労骨折)、体どこか壊して入院したり、精神病んだりと、飲食って体育会系かつ風通しの悪い(勉強する暇もなく独自の経験則が横行しまくる)業界であるので、とにかく悪い所はとことん悪い。

最近「生活をする」という概念を知ったのだけれど、これは家事炊事掃除をきちんと確保できる時間を持っていることを指すのだそうだ。
最低限の生活はここにあるのだから、生活が阻害されるとなると少し問題が出てくるわけですな。

例えば憲法25条。



二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。



「文明的な」ではなく「文化的な」なのですな。
ということは、読書をしたり、本を読んだり、歌を歌ったり、何かを創ったり、なんてことが出来る状態を意味している。
文化的な作業をするには、少なくとも心に余裕がないといけない。
ちなみに今心が荒んでいて家の中がどんどん汚くなっている。
掃除機もろくにかけていない酷い状態。
時間はあってもやる気がしない。
文化的でさえ、精神が荒むとできないのに、社会福祉や公衆衛生の向上なんて不可能となる。
ここまでやるには、相当生活面で余裕がないといけないってことだ。

余裕。
余裕って何だろう。
少なくとも今年はハッキリ感じたのは「お金」「時間」「孤独にならない」「人のために何かできる知識と行動力」なんてものが揃ってないといけない。
さもなければ余裕などない。

日々生活していて、とにかく泥沼にはまっていくような感じがする。
底辺の生活って、本当に心に余裕など産まれないのだなと感じる。
職場のストレスを忘れるために1日中酒を飲んでなきゃいけなくなる。
底辺の人間は鬱憤の矛先を常に探している。
だから弱い人間を見つけては捌け口にしていく。
職場以外で時間的余裕などないし、ゆえにストレス発散ができないから、職場だけがストレスコントロールの場所になる。
だから当然の成り行きとなる。
これは飲食じゃなくても、どこでも一緒。

せめて、自分だけはとは思ったけれど、攻撃の対象とされると、こっちも余裕がなくなってくる。
蟻地獄。
同じ場所に引き込もうとする。
人には人の人生があるんだけどな。
以前ブラック企業だと噂されるところで「まだ遅刻で罰金ってやってるんですか?」と聞いたら「やってる」と言われた。
あなたもこういう生活してみれば色々わかりますよ、なんて言われたけど、冗談じゃねぇんだよ。
目の下にはクマ、顔には精気なし、笑顔も不自然、自分たち以外の世界はないかのような閉塞的な価値観。
そういう人間になりたくないから自分はあんたたちの側にいかないのに。
でも文化的な生活を送るまでには達していない。

働きすぎはよくないよ。
本当に。
自分、働きすぎなわけじゃないけど何も追いついてない。
職場ストレスで動けなくなるくらいだ。

もう少し人に恵まれても、いい気がするんだけどな。

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11/06

Wed

2019

ここ2か月のことを整理

9月3日

名古屋空港に降り立った時15度以上も気温差があった。
この日は30度越え。
さすがにそれだけ気温差があると具合が悪くなる。
汗だくで熱田神社と名古屋城を回り、名古屋らしい味噌料理を食べて京都へ。



























京都で花を買おうと思ったけれど間に合わず名古屋で日本酒と花とを買い、のんびり行こうと考えていたけれど急遽新幹線に。
同じ年の生まれのマスターを祝う。
花の写真はマスターが撮ってくれたもの。






ここまではよかった。

その後事件。
当時の日記より。


先斗町からの帰り道、工事をしていて迂回する。
その時路地に入り、ちょっと寄っていきません?なんて言われるものだから、さらにそこでも飲んだ。
これがとどめになったらしく、記憶が飛び、目覚めたら青空の下。
万歩計を見ると40分車に乗っている。
ヤラカシタらしい。
胸には2つの青アザもあるし、誰かにとてつもない迷惑をかけたっぽい。
幸いにして何も取られていなかったし、怪我もないから、まぁいっかと思ってるけど、本当にやっちまったなー。
でも目的は達成したし、達成したことで満足もした。
気持ちの切り替えもできた。
また明日から歩きだそう。



新幹線の中では花を持っているのが珍しいのか背広姿の男たちにジロジロ見られた。
男が男に花をプレゼントする。
僕はとても好きで、本当にここぞって時にだけやる。

9月5日

小樽 天狗山




























9月13日

石狩湾新港

月を求めに・・・
















そして当別へ行くが、山に入るごとに霧が濃くなる。
これ以上は進めず引き返す。
正直ぞっとして引き返そうと思った。








9月22日

朝の夕張シューパロ湖

そして解放されていたので奥の山道へ。
少しハンドル間違えたら10m下へ真っ逆さまの場所。
車がどんどん来る。
譲り合い。
恐らく渓流釣りか何か。
ペンケモユウパロ川の上流へ向かう人たち。
場違いすぎて引き返した。

























引き返すと天気が多少良くなる。

















老夫婦が大きなレンズを構えていた。
いい瞬間を切り取るために、あんなに一生懸命なのだと考えると写真に対する見方も変わるような気がした。


9月24日

お彼岸。
ウトナイ湖。
人間慣れした鳥たち。
途中鮭を釣っていた人も見かけた。
白老当たりだったと思う。




































室蘭









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09/17

Tue

2019

終わった、と思った。

勝負の年だった。
それが全て裏目に出た。
面白いほど全てが裏目に出た。

信じられないな。
自分が思っていたよりも心を病んでいた。
時間はあったはずなのに、嫌なことを沢山思い出して余計に病んでいた。
何故こうなるのだろう。
何故こうしかできないのだろう。

大の大人になっても自己肯定感が足りなくて、穴の空いた鍋みたいに何も蓄えられないでいる。
最後の砦はここだけなのだ。
最後ここさえ解決できれば、まず問題ないはずなのに。
ここだけが最大の欠点なのだ。

正直2か月くらい前に資金の目途がもう立たなくなって死のうと考えていた。
今年で出来なかったらお仕舞だ。
正直、今は落ち目だ。
落ち目だけど、死んでは困る人もいるらしい。

働きだした。
また飲食に戻ったけれど、ここがどうにも穴だらけ。
欠点を放置している。
自分は何をすれば改善できるかわかるから、黙っているのも癪なので、報酬度外視で動いている。
ただそれは、ほとんど「自分のストレスをなくすため」なんだ。
でもそれはきっと、みんなの仕事のしやすさにも繋がってくるとは思っている。

なんだこれ。
自分の欠点をまるまる見ているみたいだ。
なんだかね、天は常に足りないものを与えてくれるのかね。

絶望の淵から這い上がれと言うのかね。

正直まるで人生は糞のようなものだ。
生きているのが恥ずかしい。
だけど、自分の知りえたものは他人が知っているとは限らない。
懸命に学んでいれば、そこで知らない人へ教える機会も出てくるのだと感じた。

この世には改善点がよくわかっているはずなのに行動に移さない人が多い。
こうすれば人生はよくなるはずだ。
そう思うだけで何もしない。
明日も同じように生きる。
どうしてだろう。

僕は、いつも心だ。
心の問題がある。

どこに行ってしまうんだろう。
どこにも行きたくない。
真っ直ぐ進みたいのに。

死のうと思ったことは止めた。
炭まで用意してたけど。

さぁ、人の言葉で止めようと思うくらいなら、覚悟が足りなかったのか。
もうなんだかよくわからない。
だけど結果的にはもう一周する必要が出てきた。
しょうがない。
やらなきゃね。

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08/03

Sat

2019

表現に触れることは心に触れること

凄い人は凄いなぁと。
無名の才能を見出す力はあっても、自分がこれじゃぁな。

例えば、その子は高校三年生で3時間で作詞作曲をする。
早熟だし、音のセンスも言葉のセンスもいい。
凄いとしか言いようがない。
プロになるには時間の問題だし、大金を稼ぐ存在になる。

紹介しよう。
とても高校生の発想じゃない。
気を付けていることなのだそう。

・人の話を聞く傾聴力
・心の力を引き出す対話力
・主体的に自分も他人も引き込む力(新しいを共に作る)
・1人よりも2人
・新しいを共に作る共創力
・答えを言わないが方向を定める
・目標提示のための先見力
・自分の物差しを剥ぐ

もはや次元が違う。
創作をするうえで生きている次元も違いすぎる。
「あー、新しいコード探さなきゃ」
即興ギターをやりながら言う。
音楽がとある法則性の中にあることも感覚的に理解している。
話しかけてきてくれたから酔っぱらいながら色々喋った。

とにかく親がいい。
何一つ反対しない。
クーラー大好きで風邪引いていた時にクーラー消しなさいくらいのことを言うって感じだ。

たぶん泳ぐように音楽の世界を生きていく。
その後その子は、ある壁にぶつかることも、うっすら見える。
人の心の動きがわかる。
「え?なんでわかるんですか?」
その子と話し合った時も言われたし、この言葉はもう結構他の人からも聞いた。
皆言葉にできない言葉を抱えて生きている。
知識では読み解けないもの。
人の心の流れ、発言や行動から見える過去。
根っこから発せられる表現。

とにかく表現って、芸術って「生もの」なんですよ。
ネットだと余計に好きなものだけ集められる。
そんな世界の中、人がまだ見つけていない「生もの」に触れられる世の中になったわけだし、なんだか優れた存在に出会って思った通りにスイスイ昇っていく姿を眺めながら、昔みたいに嫉妬の炎に燃え上がるわけでもなく、ただ単純に「すげぇなぁ」って思って上を見上げている自分がいることに、ちょっと驚いているところであります。

この感覚も「生もの」であります。
相対した時に生じる感覚そのものが、芸術に触れた証なのであります。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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