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あさかぜさんは見た

日記

01/10

Sat

2026

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04/02

Thu

2015

「声優魂」著:大塚明夫




 題名の通り、声優の世界では有名な方が書いた声優の世界の本ですが、俳優とか、小説家とかにも言えるような内容で身につまされました、というか自分も思っていたことなのですが、私も「小説家になりたいんです」と言う人がいたら「やめなよ。真っ当に生きられるならそっちの方が絶対いいから」と言います。
 最近はボイスドラマなんぞを作るようになって、新人声優さんの音源や素人の方の音源を組み立てたりしているのですが、やはり才能の差というのはハッキリわかるものです。
 私が素直にダメなところを伝えると、だいたい素人の方には恨まれたりします。若い頃私も「自分は凄い」みたいな感覚があったので、よく思い出せば今の若い人たちの感覚もわからないまでもないのですが、なんせ私ネームバリューがまだ皆無なので、この方のようにハッキリ言うと恨まれることがかなり多く、「何言ってるんだ素人のくせに」のような辛辣な目を向けられ、挙句の果てには陰口を叩かれまくるという次第でございます。
 自分が仕事のできない人間だということが一番の原因ではありますが。

 さて、声優のことが書いてあるのですが、小説家も似たような事情に晒されています。唯一の違いは「自分で仕事を作れるかどうか」の違いがあります。
 小説家は自分で勝手に作れますが、役者はシナリオがないと役者にはなれない。厳しい世界だと思います。そして自分も最近になってようやく体に染み付いてきたことですが、こういうことをやる限りは、たとえ他人の車に引かれても仕事の面においては自己責任です。言い訳できません。それだけ身一つ、技術一つ、人間一つで勝負しなければいけないということです。
 ボイスドラマを作るようになって様々な素人や経験者や現役の人と触れ合う機会が多くなってきたのですが、「あー」と思い当たるふしが沢山書いてあり、特に素人の方で声優志望の人たちに多いのが「現実から乖離した夢を抱いている」ということと、何故かたいしたこともないのに「自尊心だけ強い」ということなんですよね。
 例えば大塚明夫と言えばアニメなどに興味のある人は代表作がポッと出るでしょう。本の帯に「メタルギアソリッド」というゲームの監督小島秀夫が「ボス」と書いてありますが、正直知らない人から見れば「ボスって何? だいぶ偉い人なのかな?」と勘違いしますし、ギリギリテレビを見まくっている人なら「セガールの声の人だよ」と言えば「あーっ」と引っかかる程度の有名さです。
 つまり、業界として既にニッチであり、そのニッチの中の有名人となると映画俳優とは比べ物にならないほどマイナーな役者ということになるでしょう。
 これが正常な見方だと思うのですが、どっぷり浸かっちゃっている人、それしか見てない人は、もう世界そのものがサブカル系に浸されていて、物凄く飛躍したイメージを抱いていることが多々あります。
 そしてその飛躍したイメージは自分に対しても向けられる。自分は主役を演じるのにふさわしい人間だとか、人気キャラを担当して伸び伸びと演じていて、見ている人が感動して、よかったです素敵です、だなんて言われる姿まで想像していたりします。よくわかります。自分もかつて、テレビに文化人として映ってチヤホヤされて、ちょっと格好のいいこと言っている自分みたいなのを想像していました。反吐が出るような思い上がりでした。
 この年になり、様々な経験をして鼻っ柱も折られまくって陥没し、自分の実力もよくわかるようになりました。才能ってなんだろうとか、才能がないんじゃないかとか、色々悩んで、自信満々の作品が落とされて、あまりにも情けなくて思わず母親の前で泣き崩れたこともありました。
 そして同じことをやっている人たちも少なからず見てきましたので最悪の末路も知っています。でもやめることができなかった。その時「書けなくなることが嫌なんだな」と思いました。自分の場合消去法ですが、どうしても最後に削れなくなる物がこれしかなかったし、そのために人生そのものをリスキーにしても別にかまわないと思いました。純粋に作品の精度と向き合うのが楽しい。そして私はまだ手段を沢山持っているし、頭の中のものを全て出し切ったわけでもないので、やめたら即人生後悔するわけです。
 私のことは沢山書く機会があるので、他の場所で致しますが、声を聞いていて思ったことは「上手い」と言われている人でも、どうもその人の中でテンプレートがあって、そのテンプレートを繰り返しているだけという人がいます。長い年月聞いてもいっこうに演技が変わらない。安定しているとも言えるのですが、人間味がまったく深まっていない。若くて上手い人が現れたら取って代わられる程度の実力。きっとその方ちやほさされるのが心底好きなんだろうことがよくわかるのですが、たぶん本人それを隠す。
 本にも書いてありましたが、こういう世界で自分に正直じゃない人って未来の方向性がハッキリしない。で、本当に厄介なのはプロでは食ってはいけないけど、素人よりは断然上手いっていう中途半端な人って、何故か妙なプライドを持っていて、文章の世界でも声の世界でも同じような状況が展開されていました。
 そういう人、素人を見て胡坐をかいているか、もしくは見下すか、どちらかが多かった。無駄にプライドが高くて完全に自分の成長を阻害している。自分の実力を客観視できないから必要な批判と必要ではない批判の区別ができない。もうここに至れない時点で才能がないと私などは思うようになりました。
 演技というのが何かはよくわからないのですが、少なくとも小説というものから見ると、才能があれば文章は年を取るごとに円熟味が増します。というのは様々な経験や人との繋がりから、優れたものもダメなものも自他共に見つけます。当然凄い目利きの人にケチョンケチョンに、立ち直れないほど言われることもあります。少なくとも私は深く傷つかなければ、ここまで気づくことはなかったのではないかと思います。でも、見ている限りプロになろうとしている人の中でもプロの目線から逃げ続ける人、圧倒的に多いと実感しています。
 そして少しでも自分の境遇を他人のせいにする人は、正直会社員生活のほうが絶対合ってますので、就職活動頑張ってくださいと心より応援させていただきます。だってこの世界本当にまともな人間が来るところじゃないんだもの。だからまともな人はまともな社会で暮らして欲しい。親とか親戚とか悲しませるしね。夢追ってて格好いいね、なんて云われるのは30歳まで。その前からも言われますが、その後は辛辣な言われようです。食えないってそういう言葉を言われてもしょうがないんです。
 あと、声真似する人多いですね。声を真似て演技を勉強するんだと言っている人ちらほらいるんですが、文章を書く立場から見たら「?」です。何故なら文章の世界で有名な人の文体や作り方真似ている人、新人にもなれないので。で、当たり前の話ですがプロだってぬるい見方しないです。「ああこいつ、この人の真似しているな」と思われたら即アウトオブ眼中です。何故なら、オリジナルは既に業界にいて稼いでいるわけです。劣化したものいると思います?
 学は真似ると言いますから、よい文章を模写するのは勉強になるとは言われますけど、参考にはなっても完全に役に立つかと言ったら「NO」です。理由は文章も体で書くわけで、私には私の心と体と精神があって、私自身のリズムがあるわけです。その感覚をガッチリと掴みながら、時には登場人物を演じるかのように懸命にその人のことを考えて、自分の文章のリズムを音楽でも作るかのようにパズルのように組み合わせ、物語全体を調節していく。つまり、この体を持っている、この心を持っている、だからこそ書けている文章であると実感するようになりました。結局自分からはどう足掻いても離れられないというのがいい意味でも悪い意味でも理解したことです。
 これを演技で言うならば、その人間と体の作りも心も違うのにコピーを試みても、結局違う体と心を持った自分の素の演技に磨きがかかるかと言ったら、どうも聞いている限りでは疑問です。絵の世界でも偽物は贋作と言いますけど、本当に勉強になるのは、寸分の狂いもなくコピーできた時だけです。偽札が偽物だとわかったら価値がないのと似てます。比喩でもしっくりこないのだったら、言います。真似ても、どう足掻いても自分出ていて、その自分をガン無視し続けているんです。それを目指すより、相手の演技を聞き入って、どう返すかを考えつくしたほうが、コピーするよりも近道だと思うのですけど。どうやったら、この演技に負けない演技ができるのか。返すのではない。圧倒するんだという意気込みでようやく成長できる気がします。
 憧れてしがみ付く人は多いですが、去る人も圧倒的に多いところです。特にちゃんと家庭を持とうとか、当然周囲もまともに社会人やっていれば出世していく姿を見ることでしょう。それと自分を比べて惨めな気持ちになったりすることもあります。正直病みます。それ気にならない人だけ出来るとも言えます。
 そして長年やり続けることで邪魔になる物があります。あくまで長年です。10年とか20年とかやり続けるためのコツ。自己顕示欲と承認欲求を捨て去ることです。兎にも角にも理不尽なところです。努力した見返りはほとんどありません。テスト勉強をするように点数が出ないし、人気にあやかろうと思ってもまず思い通りにいきません。そして今まで努力の見返りは何らかの形で点数なり評価なりわかりやすいシステムの中で分別されてきましたが、人間の理不尽さそのものの真っ只中に突っ込まれることになります。とてもじゃありませんが、存在意義など見出せないしあまりの見返りのなさに擦れてきて最後には病みます。で、自分は必要のない人間なのだとわけのわからないことを言い出し、他人を恨んだり孤独感に打ちのめされたり、精神を充足させる道としては本当に選択を誤っています。そこは著者と何一つ変わらない意見をずっと持ち続けていました。
 同業者だったら自分のこともっとわかってくれるはずだという幻想も捨てましょう。プロはもっと厳しいです。同業者は同業者だからこそ容赦しないと思います。そして傷つくからということで馴れ合いをしている人、成長しませんのでいずれ誰かにすっと抜かれていきます。最初からモチベーションも低いので数年で溶けるようにして消えていくんですけどね。これ、あくまでプロになろうとしている人の話しです。遊びでやっている人は、楽しいのが一番ですし、サークル仲間とわいわいやるというのは日々お仕事などでお疲れの人生の癒しの一つとなるでしょうし、そこはまったく否定しません。
 私が見ている限り、本当に好きな人は自分で自分の欠点を見抜いて、誰に言われなくても勝手にやってます。好きってことは、ある意味オタク視点というのが出てきて、細部にこだわりだすし細部が気になりだすし、出来ていないのも気になりだすし、そこをできるようにするのが楽しいし、スキルアップしていった先の世界というものを見ていたり、自分への客観性を超えてシニカルさもあるような目で自分を捉えます。だから決して何かのせいにしないんですね。自分で失敗しているってわかっているから。だから勝手にやって勝手に直す。立派です。本当に尊敬できるタイプです。そしてその手のタイプ、超グングン伸びます。びっくりするほど。
 今声も出していますけど、気持ちは小説を書いている時とあまり変わりがなくて、声も出しているのとても楽しいし、出せば出すほど打ちのめされているし、課題が沢山あるって楽しいです。小説ももちろん。
 私はとにかく満足したい。あー、これよかったなー、と心底言ってみたい。こりゃすげぇ、とぞっとするものを創って見せたい。私は小説を書いているので、とにかく人間を見つめている。自分が演じることで動く心の細部を通しながら他人の存在をもっと別の角度から新しく発見したい。
 私は極端な例をいつも考えています。本当に大事なものを犠牲にしてでも、これをやり続けられるか、ということです。実際それに似たような経験もしたし、体験としては結構充分な域まで行きました。
 自分の人生捧げられますか? 他人から心底酷いこと言われても、これやれますか? 本当に凄い人とやり合って太刀打ちできるだけの自信つけられるようにしていますか?

 結構長く書いてしまったし、著作に書いてある内容とほとんどかぶりますけど、自分もずっと思ってきた内容だけに、自分もまとめてみることにしました。
 自分にとってはとてもいい本でした。声優を取材するのも楽しそう。ダメな人凄い人ハッキリ分かれるだろうから。

 私からアドバイスできることは、この本には今すぐにでもできるノウハウが沢山詰まっている。本当に覚悟があるのなら今すぐにでもやるべきだ。勇気があれば大胆な行動も取れるはず。迷っている暇はない。


追記:
次世代を担って当社を支えうる俳優を育てるため、私たちは可能な限り真摯な姿勢で新人育成に取り組んでいます。
『全国的規模で受け入れられてナンボ』というこの業界ですが、若手声優飽和状態の昨今その道は年々細くなりつつあります。事務所に入ったから食って行ける、といった『義務教育のエスカレーター感覚』ではもはや生き残れません。
『やる気』も『本気』も『一生懸命さ』もあるのが常識ですから特に評価の対象にはなりませんし、それらすべてを持ち合わせていない人間が『幸運』や『ルックス』で売れてしまう矛盾を納得しなくてはならない場合もあります。さらに、日本語を扱う仕事ですから一般的なサラリーマンよりもはるかに緻密な国語力と社会常識が求められる世界でもあります。
 あなたは夢を『見る側』から『見せる側』に回る覚悟が出来ていますか?
 今まであなたが『タレントのだれそれが好き』と考えていたのと同じマナイタに、今度はあなた自身が乗せられて、他人の好き嫌いにさらされながら生きてゆくという覚悟が本当にできていますか?
 その上で、もう一度このサイト内の募集に関する情報を読み直してみてください。養成所に関するご質問の多くはこのサイトの情報をよく読んでいない事から発生しています。読解力も評価の対象になる事をお忘れなく。


この文章、マウスプロモーションの「養成所の募集について」の文面です。
もう募集のところからこんな文面載せないといけないのかと笑ってしまいました。
どれだけ酷い状態なのか、この文面を見ればよく伝わってきます。
最低限のことさえも調べない人がどんどん来るってことなんでしょうね。

さて、ずっと身も蓋もない書き方をしてきたけれど、自分にとっては発見のある内容だった。
なぜならシナリオ側の人間でもあるし、声を出すほうの人間でもあるし、誰かに自分なりに教える側の人間であるから、一体どうしたらベストなのかということがうっすら見えてくる。
個人として読むと上記のような辛辣なことになるけれど、団体の長となるとそうもいかない。
色々教えられることは教えて、本人も気がついていなかった潜在能力を引き出さないといけないわけだ。
例えば人には、その人固有の音がある。つまり声の音だ。それを最大限に引き出すには、その人本来の心地いい音のラインが必ずあるはずだ。だからそれをきちんと見つけるべきなのだと思った。
それもこれも全て人間観察によるものなのだけど、才能はその人間が持っている潜在能力のことをさすと考えている。
芸事に関することで言えば、感性だ。
感性はいかにして伸ばすことができるのか、それに挑戦するのも自分にとって大きな勉強になると思うし、感性を刺激する魅力的なシナリオや人物を描けたら最高だと思う。
これらは全て自分がなすべきことであって、最初にダラダラと辛辣な事を書いたように、才能ありません、ハイさようなら、では自分に才能がないことになる。
そこらへん、これから大いに勉強しようと思う。

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04/01

Wed

2015

ドラマだね

どうしてもギリギリまで原稿を引っ張るという癖が抜けなくて、遅刻ギリギリに応募するということを毎度のこと繰り返しております。
 いつも近くの郵便局が閉まったあと、24時間の窓口の郵便局まで行って締め切りの消印ギリギリで送るのですが、今回の小説もう三度目の正直みたいな三番煎じで、正直もう純文学とかよくわからないから自分にとってはもう心底どうでもよくって、別に新人賞など取らなくたって作家としては一応書き続けることもできるし、ネタも沢山あるから、今回送ったら送ったで、結果などかなりどうでもよかったりします。
 前骨が折れた時の記事で、自分の場合何かよい兆しの時はわざわざ雲が円状に避けていくくらい晴れるというようなことを書いた記憶がありますが、31日は雨でした。でも嫌な感じがしなかったのは、骨を折ったとき冷たい雨が降っていて、今回は春先の寒さゆるまった雨が降っていた。
 雨の日に骨が折れて書こうと思い立ち、雨の日にひとまず送る。因果なものだなと、ふっと笑いながら外に出て、コンビニでプリントしてタクシーで行こうかと思っていたら、コンビニで近くの居酒屋の店主に出会い、郵便局行くんですって言ったら「じゃあ送っていきましょうか」と。
 正直、家にいる時から頼もうかなとちらっと考え、いやいや、さすがにぶしつけだなと思っていた矢先の思い通りの出来事。本当に幸先がいいなと思った。
 骨を折っていると、色々な人が優しくしてくれるものです。他人って案外親切なんだなーと、しみじみ感じることができて普段は感じることのできない新しい発見をしております。
 正直もう自分の内面を掘りさげた小説を書くのは、いささか疲れました。もうネタないし、自分の人生を投影しながら書くので一度失敗したら、もうほとんど書くことはなくなるのです。で、ダメもとの三番煎じなわけですが、要約したら150枚くらい予定していたのが、たかだが55枚程度、スペース入れて19999文字に収まってしまい、これでいいや的な感じで。
 今まで少ない力で絞って絞って、一本で勝負みたいなことやっていたからいちいち傷つくわけであって、もう書いた後のことは全て忘れ去ってどんどんやってしまえば気にすることもないやと。
 もう何年も前から書く書く詐欺を繰り返し、鬼のように書いてやると宣言したにもかかわらずダラダラと過ごす日々をもう10年近くも過ごしているはずですが、それでも遠回りしてきてよかったなぁ、と思うし、まだまだ色々な事やっていきたいし、恐らく今日のようなドラマのような展開がまだまだ起こるなら、舞台の上に立っていると確信できるので、状況的には窮地そのものなのだけど、かなり気楽です。
 あと2ヶ月、どれだけのことができるかわかりませんが、やれるだけやっておこうと思いますよ。

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03/19

Thu

2015

名言は思っているほど軽くない

よく酒場に行くと、どこかの情報誌などの言葉などをそっくりそのまま自分の言葉のように語る人がいる。
しかし実際に自分がやっていることでもなんでもないので、言葉だけを知っていて内容は薄っぺらい。
言葉だけ知っている人は、その言葉の本当の意味を応用できないから得た知識のみで語り、酷く狭量なことを平然と正解のように語る。
言葉の意味を厳密に言えば正解だが、しかし生きる上で役に立たないのなら本末転倒だし、そもそも知識というのは自分を活かすために使うものであるから自分を無視してはまったく意味がない。

よく名言なども覚えている人がいるけれど、実際その名言が出来上がるまでには何年もかかったり、相当な苦労が必要だったり、言葉でわかったつもりでも内容はずっと重いことが多い。
特に実現しようとしたら、かなりの苦労が必要なことが肌身でわかる。
実現するのでさえ大変なのだから、いかにいい言葉でも沢山集めすぎると逆に重くなって身動きが取れなくなる。
また、やっていないから、どれもこれも大事なもののように思えて、必要のないものまで集めてくる。
実際名言を一つ実現するだけでも大変なのに、出だしから行動が正解には程遠かったら、自分では辿りつけない正解に苦しめられるだけだろう。
そしてその数が多ければ多いほど苦痛になる。
結局何が安全かとなると、行動しないのが一番になる。
正解はわかっているのに、行動したら失敗する。
そして数多くのそれに囲まれているのだから、自分で実証を試みないのが一番傷つかない手段となるわけだ。
かくして名言なるものは己を活かすものではなく殺すものになってしまうわけだ。

何故人は目に見える安易な正解にすがり付こうとするのだろう。
名言など必要としなくとも必死に生きていく旅路の途中で経験上確信できるいくつかの言葉に出会うはずだ。
その上で名言に共感できるようになるのだ。
そして完成された名言に対して自分に足りないものもわかってくるだろう。
それを最初から正解を掲げて多く集めたって、なんの役に立たせなければいけないのか、本当に身につくのかどうかもわからない。
情報を処理できないのも優柔不断な証拠だし、自分で検証する前から受け入れているのだから思考停止している。
よって直接的な行為に結びつかない。
名言は暗誦できるほど頭に叩き込んでおかなければまず役に立たないし、行動の中で細部を学び取っていかなければ個人にとってはゴミのままだ。

有名な言葉だが、論語から引用しよう。
学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し

考えて行動する。
それができないのなら捨てて一つに絞ったほうがいい。
逆に重さがわからないのであれば、持っていても過ちを人に伝えるだけだから捨てたほうがいい。
そして下品なのは、他人の言葉を借りて自分の意見を伝えることだ。
それをもしやっていたのなら、将来薄っぺらい友達しかできなくなるので今すぐ止めたほうがいい。
悲惨な事になる。

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03/15

Sun

2015

左足関節外果骨折

今年に入り2ヶ月半経ちました。
 相変わらず去年のようなペースでダラダラと進みつつ、文章や芸のこととは別の方向性で頑張っており、そこで少し発想を変えて職場を変えて働いていたら、どうにも使い勝手が悪く、動きづらさを感じすぎていたので、ここは自腹を切って自分で環境を変えようと思い立ち、道具を東急ハンズで買いました。
 東急ハンズの外に出ると先ほどまで降ってなかった雨がパラパラと強く降ってきていて、雨傘も持ってきていなかったことから、嫌な雲行きだなと感じまして。だって、だいたい自分の場合、いいことが起こるというか何かしら予感を感じる時って晴れていて、ほぼお天道様のタイミングを掴むことが物凄く多いのですが、今回に関しては道具一式揃えての帰り際の雨。なんだか流れが悪いと感じるわけじゃないですか。
 それで、狸小路というアーケードがある通りが近く、知っている店も多いので、どこかのお店で雨宿りさせてもらおうかなと思い、どのお店に行こうかなと思っていたら、ふと以前フリーの声優の柴田マサタカさんという方と一緒に行ったお店を思い出し、そこへふらりと立ち寄って飲んでいたわけです。
 時間帯が早いせいもあって、お客は少なく、マスターも自分の顔を覚えていてくださって色々な話をしましたが、結構2回目でも突っ込んだ話をしてくれるというか、ズバズバ屈託なく意見も言ってくれる人なので、この方は正直な人なのだろうなと感じ、たぶん人によっては反発するようなこともしっかりと考えていて、自分にとってはとても好きになれる人でした。
 裏表ないってこういう人のこと言うんだろうなと。
「ナレーションとかで稼いでるんだっけ?」
「いや、稼いでるってほどでもないですね。元々小説とか書いていたんですけどね」
 との流れから、
「それ、本気でやらないとダメだよ」
 と言われ、色々と聞いてみました。
「いくつまでに何をしたいか決めないと、ダラダラとやるだけじゃん。本気って言うのは寝る間も惜しんでやるものでしょ。俺はお客さんもそう呼ぶけど仲間のためなら自分の持っている力総結集させるよ。自分が担がれてここまで来たから、逆にその次元になったらやらなきゃ」
「自分がそのレベルまで行かなきゃ。他の人よりも上のレベルになってようやく他人を助けられるんだよ。それまでは絶対自分のことだけで精一杯だと思うんだよね」
「夢って実現させなきゃ本当に夢じゃん。そういう幻想を語っているうちって本当に口だけの人でしょ。情報もそうじゃん。他人から聞きましたっていうのは違う。自分で見ましたっていうのが情報じゃん。そういう情報持ってないんだもん。」
「本気じゃなければ諦めればいい。時間の無駄じゃん」
「だってそいつ(口だけのヤツ)、泥すすったことないじゃん」
 とまあ、改めてというか、だいぶ酔っ払ってしまいましたが気持ちが引き締まる思いで。
 わかってはいるけれど、とか、わかっている、ってのは人間絶対嘘なんですよね。本当に理解しているっていうのは行為に出るし、行為に出ないのは、なんらかの理由が存在するからですよね。
 例えば自分の場合グダグダと特に精神的な理由をつけて「時間がない」というようなことを繰り返し毎日を過ごしてきましたが、それも工夫すれば工面できた時間たち。もうちょっと気持ちを強く持てば、切り替え方をきちんと学んでいれば、毎日進めている。色々反省点はあるわけです。
 自腹で職場環境変えるために色々買ってきたことを告げると「いいね!自腹っていうのが大事だね!」と言われました。
 自分もそこらへんはわきまえていて、いくら自分の職場でも他人の場所なので、それはただの押し付けがましいことかもしれないし、やろうとしていることも自分勝手なことだから、もしかしたらまったく相手側にとってメリットはないかもしれないという危険性もある。言ってしまえば、自分の能力が低いからっていうのが一番大きいから偉そうなことも言えない。
 大きな荷物抱えて外に出るとまだ雨が降っていてビニール傘を貸してくれました。
「必ず返しに来ますね」
 と伝え、さあもう一件(元々そこに行きたかった)ってな具合で雨の中、行きたかった店の近くの横断歩道の縁石をピョンと飛び越えて着地した瞬間にくじきまして、そのまま立つことができずにうずくまってしまいました。
 左足関節に特に鈍く重い痛みが走っており、力が入らず濡れた路面にお尻をべったりとつけて、「あーっ」と低くうめきながら呼吸をし、今度は傘が杖代わりになり、ようやく立ち上がってすぐさまタクシーを呼んで家まで帰りました。
「すいません。シート汚れちゃうかも」
 と謝りながら「いいよいいよ」なんて言われながら、これ本当に力はいらない、立っているのがやっとだと思って、タクシー降りてからも引きずるというより、なんとか一歩、また一歩と雨の中時間をかけて前に進んで家までたどり着くという具合でした。
 家に帰っても両親が「これは普通じゃない」と言うので、ばあちゃん用の車椅子に乗り、雨の中誰の手も借りず動かしていたのですが、車椅子に使う力とか、スロープでどの程度の負荷がかかってくるのかとか、色々なことがわかって新鮮でした。
 歩けはしないけれど、耐えられないほど痛くはなかったので、自分でも楽観視しているところがありました。
 雨は止む気配がなく、激しく降り注いでいました。救急外来。父親の車で行きました。
 10年ほど前でしょうか。同じ病院に、似たような時間に来ました。
 救急車のサイレンを消してくださいと言った記憶があります。
 母がうつ病で首を切り、救急車で運ばれた時同席してました。首の傷はたいしたことはなく、傷口からも致命傷ではないとわかりましたし、以前に大きな音を覚えていて過剰に反応する母の様子を見ていたのでサイレンを消してくださいと言ったんです。
 救急隊員は怪訝そうな顔をしていましたが、父がすいませんつけてくださいって言ってサイレン鳴らしながら行ったという記憶があります。
 同じ廊下。似たような病室。一人でその廊下まで車椅子をこぎ、眺めていると勝手に涙が出てきて、一人で泣いてしまった。
 色んな思いが込み上げてきたんでしょうね。自分への思いも、思い出しました。
 3月9日深夜。診察時には10日に変わっていました。
 診察は左足関節外果骨折。細い骨が二箇所折れていました。
 L字型の足固定用の器具をつけて包帯で巻いて、それで帰るという流れ。
 なんかもう、一つ一つの説明を冷静に聞いていて、手術で金具を入れる可能性が七割、靭帯ももしかしたら切れていたりする可能性もある、など何の感情も浮かばず、ただ浮かんだことと言えば皮肉なことだなという思いだけでした。
 文章のこととは関係のないことをして、その道具を気合を入れて買った矢先に起こした怪我。
「本気でやれ」とのマスターの話。
 立ち仕事なので、しばらく仕事はまったくできない状況になった。
 そして3月という時期。文学賞の締め切りが目白押しである。
 まったく頭の中になかった思いがぐっともたげてきて、これはもう、文章を書けという天命なのだろうなと妙に納得している自分がいて、これで本気でやれなかったら本物のクズ野郎だなと苦笑している自分もいました。
 次の日近くの整形外科の待合室で目の前に相田みつをの「本気」の詩が。
 また本気かよ。もうわかったよ。なんてしつこさにうんざりしながら、自分の性格も冷静に考えて、これぐらいしつこくないと無理だなとどうしようもない自分に冷めた目を向けておりました。
 先生の説明は二箇所折れてますとのこと。あれ、自分の見立てであってるじゃんか、と。
「この白い線わかります? これ骨がずれた跡なんですよ。これね、2mm以上ずれたら手術しか手がなくなるんですけど、まだ1mmの範囲なのでギプスという選択肢もあります」
 手術すると10cm切って金具をいれ、さらに一年後に取るそうなんですね。治ったと思ってるのに、さらに手術っていうのも面倒なので、ギプスと言うか正確に言うとプロテクターのような着脱可能なものらしいのですが(イメージ的にはアイスホッケーのプロテクターのようなものが近い)、それをつけることにしました。
 さて、松葉杖生活。小さな小物がとても危険に感じるようになりました。
 例えば瓶や紙、袋、箱など、小さなスペースも動きづらいし、周囲に物があるだけで今までとは違った感覚で注意しなければいけなくなりました。
 足一つ使えなくなるだけで、これだけ世界が変わるのかと、どこかしら新鮮な気持ちを抱きつつ、例えば足を折ったり、手が使えなくなったりしたら、仕事もできなくなるし、周囲に知り合いもいなかった場合助けも呼べずに一人で生活しなければいけないのですから、本当にこれは大変なのだなと改めて感じました。
 大変だなと眺めるのと、自分が大変さを被るのとでは、言葉の上では違うとわかっているのですが、その感覚を生めるのはとても難しい。
 今とてもいい経験をさせていただいているのだなと、すっきりとした気持ちで過ごしております。
 立ち仕事できなくなって、それで悩み事が今は消え、マスターの言葉もあり、わりとシンプルに物事を捉えようとしています。
 ごちゃごちゃしていた心が整理された感がありますよ。
 さて、せっかくのお休みなので、文章書いていこうと思っております。
 救急外来の帰りのときから「窓」が浮かんでいて「窓」と「部屋」で一つ心の中を描写しながら小説書こうと思っています。
 ある意味これも、一つチャンスを与えてくださったのだと思うことにしています。



「本気」 著:相田みつを
なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
つかれても
つかれが
さわやかだから


追記:
ちょっと前にもリアルラジオのDJさんと話し合ってFMの枠が取れるかどうかという話の中で、「それだけいいもの持っている団体なら、無理にでも負荷かけたほうがいいんじゃないのかな。僕も面白かったらガンガンラジオで流すから」という話をされていて、色んな意味でここが踏ん張り時、むしろこの機会を逃したら一生なくなるんじゃないかというぐらい。
思うところが多すぎる。

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03/09

Mon

2015

勉強させてもらえる先生はいつも目の前にいる

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
ー山本五十六ー

有名な言葉ですが、前半部だけがよく取り上げられます。


「人望がない人」は、大体"話しすぎ"ている
職場で、どうすれば人はついてくる?
http://toyokeizai.net/articles/-/62331


先日、上記の記事を見つけまして、色々と考えておりました。
束ねている、というほどのことでもないのですが、団体を持ち、年齢層も幅広く、様々な才能の人たちと関わっていくと、例えば10個下の上司の自分への接し方一つ取っても勉強になるわけです。
つまり我が身に置き換えて、一体自分の何がダメだったのかよかったのか、そしてどうしていけばいいのか、傷つきながら喜びながら、自分がやってきたことを反省し酷く落ち込んでいる日々が続いているのですが、こういうことは金を払って学べるものでもないし、言葉を学んだとしても感覚ではわからない。
最初に書いた言葉だって熟読していくら覚えていても、個々人に対しての細かな方法、実行した時の大変さだってわからない。
多くの人もそうだと思いますが、普通の人は今必要だと思っている情報以外のことには鈍い。そして、感覚を研ぎ澄ましていないから見逃す。
つまり言葉だけ知っていても行動しないから理解しない。知っているつもりで、中を見れば何も詰まってない。
やっぱり何かをしている人って、自分なりにちゃんと言葉を持っていたりします。そして、その言葉や行動はきちんと自らの人生、生き方から出て来ている。たとえそれがあまりよくない方法や言葉だったとしても、学ぶところは数多くあるわけです。
それは自分自分していたら絶対わからない。俺は、私は、こう思うから、これがこうだから、なんて考え方していたら、絶対見えてこないことでした。
相手の立場を考える。相手の気持ちを考える。相手の思考を知る。その上で一番制御しなきゃいけないのが自分の気持ち。憎いと思える人に程、大親友であるかのように接しろ。最近はそう考えるようにしています。
大親友って逆にベタベタしないし、わかりあおうとするから本当の本当の本当のピンチじゃないと助けようともしないし、でも話を聞く姿勢はいつも保っている。それが大事。受け入れる姿勢があるってこと。だからよく観察しているし、ちょっとした違いにも気がつける。
日々の中で学べるかどうかは、相手じゃない。自分の姿勢にかかっています。
もちろん人間は感情の生き物だから、そう簡単にはできないけれど、そのことを意識することはできます。

最近若い人と接してよく理解したことは、かつての自分もそうであったように、大人が思う勝手な親切心は、ただの説教にしかならず反発心を買うだけだとよくわかりました。
だから余計な事は言わない。聞かれないことは答えない。その前に相手のことをたくさん知るべきなのだとよく思いました。
今自分に足りないのはコミュニケーション能力。相手の力や本来持っている魅力を存分に引き出すということ。日々勉強中です。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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