若いころ、具体的に言えば20代前半など、作家を熱心に目指す人にとっては、様々な理想的な状態を思い浮かべている。
当然実践の理論ではなく、それらはすべて理想論なので、年上から見えれば「宙に浮いた考え」に見えるのだが、当人にとっては全力で、むしろ周囲の人間が何故理想的な状態ではないのか、お前たちこそ間違っているぐらいの勢いで来る。
それは私は間違ってはいないとは思うし、本当にその人に実力があり、反骨精神を貫けるのなら、ぜひ逆風という大きなチャンスを生かしてのし上がって欲しいと思う。
つまり作家は注目されなければ意味がない。
書いても認知されなければ、それは「妄想」と同じレベルで他人に処理される。
現物がなければ「何こいつ」程度で誰も話してくれない。
そこを例え批判とは言え、否定されようとも、注目されているうちはチャンスを握っているといっていいし、むしろ主導権は自分にある。
技術職は現場でしか腕が鍛えられないのは、どの職業でも同じことだ。
作家にとってはあらゆるものがチャンスになる。
つまりきちんと理想論へのプロセスを戦場で鍛えていれば、必ずチャンスをものにできる。
できないのは、そのプロセスとノウハウがごっそり抜け落ちているからに他ならない。
プロの現場は理想論へ近づくプロセスを突き詰める。
だからこそ理想論だけの状態が無意味だということを身をもって知っている。
素人作家にありがちなのは、特にこのプロセスを積み上げるという作業で、理想論だけが浮いて存在するので、口から出るのは泥臭いものではなく、かなりの綺麗ごとや、今まで自分の妄想の中で積み上げてきた偏屈な考え方だったりする。
そして理想的な状態を自分にも当てはめるばかりに、作品に対して「これでは完成ではない」「もっと素晴らしいものができるはずだ」もしくは逆の発想だと「こんなものでは見せられない」「批判されるのが怖い」という思いで他者に対して公開するのを止め、常に身内、気の合うサークル仲間など内へとこもりだし、最悪の場合そこで馴れ合いをしだす。
もしそうなってしまったら、理想論ばかりが大きくなり、他者への批判意識ばかりが育てられるという危険性がますます大きくなる。
理想論の中に閉じこもり、作品を外に向かって公開できないということは自分の実力すらも知らないということだ。
だからこそ無限大に理想論は頭の中で膨れ上がり、外に向かって対応できるノウハウが削られ、自分を批判するものに対して強烈に噛み付いていく姿勢が生まれてしまう。
これは特に20代の、そして少し教養を嚙み始めた学生に多い姿勢でもある。
そしてそのまま現場を知らずに過ごしてしまうと、いつまでも理想的なことだけ述べて、突然気に入らないものに対して憎悪に近い感情を燃やすということは、いい大人でもたまにやったりするので、なるべくそうならないように自分を鍛えて欲しいとは感じる。
理想論を思い浮かべるばかりに上記の理由からスランプに陥る人もたくさんいる。
複合的に理由が重なっているので、自分の中で何が原因なのかまったくわからず、かといってぼんやりと見えているような霞のような、どうにもすっきりしない状態で、かといって筆が進まなくて苛立つことに、さらに苛立つという畳み掛けで、ドツボにはまるという状態だ。
批判されても理想論が邪魔をし、自分の現在の実力を受け入れられず、いつまでも「違う」という感覚しか持てない。
そんなドツボにはまらないためにも、作家は自分に対して人に対して寛容で、かつ柔軟でなければいけないとは考えている。
さもなければ自分の視野の狭さに作品の首が絞められ、それがやがては致命傷を作家自身に及ぼしていくからだ。
一本や二本ならまだしも、生涯20,30と書いていく豊かな創造性は、自身の劣悪な視野の中では生まれてはこない。
例えば人に対して不器用すぎて礼儀を尽くせず暴れてしまうような性格というのもあるだろう。
無頼なら無頼で通せばいいし、荒唐無稽な人生だってできないこともないだろう。
だがそれは実力に裏打ちされなければ、たちまち他人に引き摺り下ろされるし、自分が思ってもいない、特に油断していた後方から突然殴りかかられるという事態だって起こりうる。
そのことは実は自分で蒔いていた種だとも気がつかないわけだが、結局は広く視野を広げてみれば、やはり自分のせいなのかなと気がつく。
もしそうなったとしても、またそれを作品にできるのが作家の凄いところで、何一つ無駄にはならないのは確かだ。
意図してやるのなら覚悟してやるといい。
愛されなければ、殺される。
二つに一つしかない。
作家は中に浮いたふわふわとしたものを追い求めるものじゃないのと言われたことがある。
半分合っているが半分間違っている。
つまりそこには現場で鍛えられたノウハウなどなく、プロセスがごっそり抜け落ちれば、口だけのやつに過ぎないし、その他大勢の人間と大差がないことになる。
それは理想を叶えようとする以前の問題で、今やるべきことは我武者羅に自分の身の丈、器の大きさを受け入れて、そこからやるべきなのだ。
所詮、人は手に余ったものをこぼれ落とせば、その分反動が来る。
恐ろしいことに、それは思いもよらない暴力的な力だったりするかもしれない。
外に出れば、広い世界が待っている。
その世界にはたくさんの人たちがいて、自分ひとりでは到底こなしていけない。
つまりは誰かの力が絶対必須になる。
そんな戦場で一人でふらふら、あちらにふわふわ、こんな状態で生きていけるはずがないのだ。
もしあなたが作家を目指したいのなら、人の力を真正面から見つめないと、次の瞬間道が崩れ落ちることはよく覚えておくといい。
批判されようと何を言われようと、頑張ってください。
その歩みこそ、美しい姿です。
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