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あさかぜさんは見た

日記

10/02

Mon

2006

希望も絶望もどちらも想像力の賜物

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10/01

Sun

2006

見ればわかりますけど、何も持ってません。
それで「なんちゃってギタリスト」を演じるわけですが、

もうすでに、パフォーマンスが一流エンターティナー

なぜか笑いが止まらない






そして、次のが世界選手権で優勝したチャンプの技
この方、日本人です。
わが国の誇り!





・・・すばらしい!!

アメリカはこういうパフォーマンス性の高いものをとても好みます。
私もこういうの好み。
大好きです。

エアギターを広めようの会でした。

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10/01

Sun

2006

眠らないで、ずっと起きていられたら、どんなにいいことかと思ってしまう。
寝るのが惜しい。
考えたり、情報を集めたり、情報にならない情報を目に入れたりしているうちに時間は過ぎる。
生身の人間よりも、別のものを相手にしているような感覚は昔はあったけれど、今はあまりない。
養老さんが「無意識を否定しているから睡眠も人生の大事な一部だということを認められない」だか、なんだか書いておられたような気がした。
でも、思うに、起きて何かしていたほうが、ずっと有意義のような気がしないでもない。
アメリカでは別に気にならなかった、時間から追いたてられるような恐怖感が、日本に帰ってきてからはすっかり戻ってきて、毎日が追い立てられているように過ぎる。
どうしてこんな気持ちになるのかすらわからないが、おかげで眠ることすら惜しい。
日本人は細かすぎる。
スケジュールや電車でさえ分刻み。
五分遅れてきたら腹が立つ。
どうしてだろうな。
でも眠ることにする。
眠らないと、ぼんやりしすぎて何がなんだかわからない。
それでも、寝ることに抵抗があるのは、これも強迫観念なのだろうか。
ゆとりとは、自分だけで作るものでもないのかもしれない。

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09/28

Thu

2006

白きものほど汚れが目立つ
人生にはよい洗剤などはなく
染み付いた汚れこそ
よき味を出すものを
理想が潔癖症を生み出し
己がどれほど汚れているかも省みず
「お前は汚れているからそこに立つ資格がない」
と言い張る

ああ
人間の傲慢たるこの金切り声にも近い叫びよ
耳が痛くなるほど言われるべきなのは
欠点すらないと思い込んでいるそなたではないのか

助け合いが生まれるのは
完璧ではないからではないのか
人間たちよ

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09/26

Tue

2006

知り合いの身内が癌になってしまい、治療に専念している。
知り合いは、ブログを書いていらっしゃるので、いろいろと様子はわかるのですが、その中で、

病院側は厚生省から出ている通達が原因で
長く入院させることが出来ないらしい。
(朝風注:厚生労働省)

というフレーズがあり、一度退院させられたのち、再入院ということになったようだ。

親御さんからも、「子供の体重や体調管理に気をつけないと、(体重などが)基準値から上回ると、児童相談所などから指導される」ということを聞いた。

「それって、行政指導やん(笑)」と話したが、複雑な気持ちだった。

法律というものは、水槽の中の魚を泳がせるごとく、理性を前提としていなければならない。
誰もが、「この魚は、水槽の外には飛び出たりはしねぇだろ」と考えて水槽の中のことを考えていくのだ。
あとは、関係性の問題なのだ。
「外来魚はあっち。国産魚はこっち」
基本的には理性と良心があるということを前提として、作っていかなければならないものを、最近の規則や法律というものは、すでにこの理性と良心を疑ってかかっている。
極端な話、いくら法律や規則を作ろうと、理性や良心がなければ、それは守られることはない。
新しくどんどん作ればよくなるという話でもないのだが、
「国産魚同士で共食い始めたよ」
「いやいや、時折外来魚が」
という感じで理性と良心を疑ってかかっているので、規則や法律は増え、厳しくなるばかりだ。

国家や行政、というものは、「民衆」という単位で人をくくっていかなければならず、「個人」は「民衆」という観念から保護しなければならない。
「民衆の秩序」を守るために「個人を罰する」のだ。
「個人の秩序」を守るために「民衆を規制する」のではない。
個別の例で見れば法律は「個人の保護」だが、社会上のシステムとしてある法は決して「個人のため」にあるものではない。
それは「国家秩序」のためにあるものだからだ。
個人を縛るようになると、法としては下の下。

しかし、最近は何かと、国家が「各家庭にまで介入」するようになってきた。
これは国家としては、すでに「民衆を信じていない」という状態に近い。
逆を言えば、「個人の価値観の肥満化」である。
個人の価値観はエゴと同一化しやすい。
つまり、均衡を保たなければならないエゴが、すでに「糖尿病状態」のように、いきすぎている。
このために、自分勝手すぎる、時には他人の生命をも脅かす行為となって社会に表出する。

当然、そこで「なんとかしましょう」「なんとかしてくれ」こういう声が多数上がる。
そしたら、もう、規則規則ですよ、これ。
なにこれ。

行政ももっとマニュアルっぽくやるのではなく、現行のシステムを生かして「コミュニティー」を作っていけばいいものを、いかにも「機械的」だ。
昔っから、そうらしいけど、公務員(というよりお役所とか)は、仕事はきっちしりなきゃいけないけれど、民衆と接するときまできっちりしなきゃいけない、なんて規則は・・・あるの?
あるならやめてよ。
ぶっきらぼうすぎて、「こいつ本当に今楽しいのかな」って疑ってしまう。
警察官はたまにおちゃらけた人いて楽しいけれど。
うちの父親が物凄く申し訳なさそうにスピード違反の罰金取られたって言ってた。
トーカ堂の北さんみたいな様子が浮かんだ。
「あの~、すいません~。ここ~60キロじゃなくてぇ~、50キロ制限なんでぇ~、15キロオーバーでぇ~、19800えん~」
とか、なんとか言ったかは知らないけれど。

極端な状態として、法律も規制もなくて、各家庭の躾が行き届いていて、なにひとつ問題が出ない社会というのが究極の理想状態なわけだ。
それが「国家」という単位として存在しえるのか、というのは別としてね。

本当に人のために役立つ規則というものは、規則や法律そのものではなくて、人と人との相互作用から生まれるのだと思う。
気づくはずの人への感情が麻痺しているというのが一番の問題なのだろうけれどね。
文句だけから規則を作れば、人は生きてこない。

人を規制することを考えるよりも、どのようにしたら人が自然に繋がっていくかを考えたほうが、ずっと正常な社会がうまれてくるように思う。
それはもう法律の範疇ではなくて、人々の意識の問題だけれど。
マニュアル行政じゃ、いかにも不自然すぎる。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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