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あさかぜさんは見た

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09/08

Fri

2006

皆様は本を買うときに、どうしていますでしょうか。
私は教養書なら目次、小説なら真ん中あたりをガバッと開けて、そこから少し読み始めます。
教養書の場合、目次で内容がよくわからなければ、あまりいい本ではない場合が多いので、目次である程度の内容が見えてこない場合は、あまり購買意欲は起きません。
また、小説の場合、作者は最初は気合を入れている場合が多いので、最初のところはすっ飛ばして、中でたるんでそうなところで文章のレベルがどの程度かを知るために読むわけです。
それにしても、最近は不思議で、「買って損をした」とか「ひどい内容」とか、ヒット作を中心に本への手ひどい恨みすらこもった読者レビューが書かれております。
中も見ないで買うなんて、凄い勇気だと思うのですが、買い手側も「受身」なのだなと思ったりします。
最近の小説を読む限りは、逆に「どうして自分の書いているやつが注目されないのだろう」と、ちらほら思うことがあります。
「あ、自分でも芥川賞取れるや」などと、ルンルン気分で書店から帰ってきたりするのですが、現実は厳しいのか、それともぜんぜん実力がないのか、今だここで地味な生活をしているわけです。
それで、書いていて、もしくは売れ筋を見ていてよく思うことなのですが、どうやら読者というものの小説への目的というものが、二極化しているのではないのだろうか、と、思ったりするのです。
今更こんなこと言うのも時代遅れで馬鹿らしいかもしれませんが、ようするに、インターネットや携帯などの通信機器で育った、「文字離れ世代」と、「王道の文学を求める読書家世代」の二層に分かれていて、お互い相反する好みを持って、読書をしているようです。
前者は、簡単で読みやすく、ストーリーも単純明快かつ奇抜でおもしろい「映像的」なものを好み、そして後者は、いかに文章に情景や心理や人間味や思想があふれているかという「文学的」なものを好むわけです。
それで、出版社はどちらの読者層によりターゲットを絞っているかというと、もちろん前者の「映像派」の人たちです。
この層は、「燃えやすく燃え尽きやすい」のが特徴で、火がつけばガソリンのように燃え広がり、そして燃料切れと共に、何事もなかったかのように鎮火してしまいます。
それで、この「一番受けやすい層」へ、書いていて一番思うことは、「最近の読者はよりはっきりと具体的にわかりやすく書かないと作者のメッセージ性に気がつかないことが多い」ということで、これは所謂「文学」という観点から言えば、相反するもので、文章の密度を薄くし、より内容も平たくし、小難しい思想を排除し、頭で考えるよりも目で追える文章を作るということです。
これが、本当にいいのかどうか、ということは置いておいて、この「文章離れ」減少は歯止めがかからず、いずれ日本語を破壊するまでに至りますが、正直言って自分もまともに「国語教育」というものが、どのように自分の力になっているのかさっぱり理解できず、自分で文章を書いていて「これでいいのだろうか」と不安になりながらも書いているわけです。
私は「国語」で学んだことをうまく思い出せません。他のことならよく思い出せるのに不思議です。
「読者により受ける文章」のほうが世の中には残っていきます。つまり、どのように「文学派」の人たちが新しい世代の文章へ文句を言おうと、「売れたもの勝ち」のようです。
ひどいものは最後にゴミになるのがオチでしょうが、はたしてこの「文章離れ」からくる「文学離れ」に歯止めはかかるのでしょうか。
この問題の裏にある「国語」というものを、皆でもう少し真剣に考えなければならないようです。

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09/03

Sun

2006

http://www.gillette-jp.com/

男性用のカミソリで、今度は五枚刃が出るそうです。
私は今三枚刃使っていますけれど、よく切れますよ?
カミソリもいやに長持ちするし。

単純な疑問として、なぜにそのようにたくさん刃をつける必要があるのか。
もういらぬ。

どうせなら十枚刃とかすぐに出しちゃえ♪
たぶん50年後には三十枚刃とかあるんだろうなぁ。

「ミクロの刃で深剃りスベスベ!世界初30枚刃!」

とかなんとか言って。

刃が多くなるとそれなりに値段も高くなるのですけど。

五枚刃もかなわない鋼鉄の髭を持つ男でもこの世界にいるのでしょうか。

六枚刃、出るかどうかが注目ですな。

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08/18

Fri

2006

今まで出版業界の事情というものはよくわからなくて、無名の新人でいかにすぐれた作品であろうと、いわゆる保険金のようなものを著作者からとって、限りなく出版社側の損をなくすどころか、それで利益を取ろうとするような事業をやっているとは知らなかったのです。
新人作家は、賞を取ってからなら、過去の実績があるので、例えば雑誌への連載などをしつつ、様子を見ながら徐々に会社が後押ししていく、というのがだいたいの成功法のようです。

それにしても、とある会社などは、出版に関しての見積もりもあいまいなまま、例えば「全国展開させていただきますので200万ほど負担していただきますが、よろしいでしょうか」などと話を持ちかけ、よく本のルートのわからないことをやっているとのこと。
そういうことなら、当然こちら側の心理として「本当に店頭に並んでいるのだろうか」という疑問も出てくる。
しかも余ったものはお買い上げとなり、そこまでやられると、「本当はもらったもの以外の部数は作ってないんじゃないですか?」と疑いたくなる。
商売人って顧客を安心させてこそ堅実な商売がしていけるのに、そういうことをやっているとなると会社の命も相当先が短いと予測できる。

自分の打つ手がすべて消えたわけではないが、さすがに精神的に疲労した。
そういうことやって、会社成り立たせているんだなと。
どこもかしこもそういう場所ばかりではないけれど、「世の中お金」なんだなと思うと同時に、「下っ端はいつのときも厳しい環境にある」ということもわかってきた。
当たり前のことを、頭だけでわかるのと体でわかるのとでは、だいぶ違うようだ。

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08/02

Wed

2006

昔からよく理解できないのだが、なぜテレビなどに出る、社会的地位があるなど、どうしてそのような立場になるとメディアはプライバシーを平然と暴露していいと言うことになるのだろう。
この情報化社会で一番の権力者は、地位のあるものでも、大衆を魅了するものでも誰でもなく、「言論を支配し大衆へと影響を及ぼすもの」だということに今日まで気がついていないというのが腹立たしくてならない。
万が一それがガセネタであっても、積極的にメディアはその人間に対して賠償をするのだろうか。
いや、しないだろうな。
どうせ、記事なんて金稼ぎの道具なんだから。
私はその一個人がSMやろうがとても世間には公表できないような変態チックな癖を持っていようが、それは一個人のプライベートな問題であって、その人間がやっている仕事とはまったく別物だと思っている。
たとえそれが二者間にまたがろうと、それがどうして三者間にまで広げる必要性があるのかが理解できない。
「地位のあるべき人間はこうあるべき」と主張するよりも前に、それよりも権力を持つ「言論を支配する側」であるということをよく考えてどちらがより節制をしなければならないのか、頭がいいんだから考えられないわけがないと思う。
一個人の素行を悪として、それが社会的な害悪を及ぼすためにそれを正常化させるための記事なのだと主張するなら、そんなことよりも、もっと組織的なブラックマネーの動きや、この日本を巣食うあらゆる闇の売買の動きをなぜ洗い出さないのだろう。
それをやらないで、放置しておいて、殺されないだろう安全な人間に対してだけ、「あいつは酒乱です」というのは、本末転倒なのでは?
見えなければ社会的な影響は薄いと考えているのか、それともそれこそ「社会的感覚」なのか。
メディアの正常なる浄化作用とは、公私の区別をつけて報道することなのではないかと思うのだが、人がトイレに入っているときに平気でドアを開けて、「彼は一週間ぶりの大便をしてしごく満足のようです」と公衆の面前にさらすことが平気で「一般的な社会的感覚と密接であると考える」というメディアの品のなさを、一体誰が止めるのだろうかと、いささか白々しく眺めているのである。

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07/10

Mon

2006

「時間を無駄にするな」と言われた。
「先送りにして、出版が遅れるようなことがないように」
だらだらやっている自分がいて、気が散る自分がいて、集中できない自分がいる。
弱い自分だ。
長編を書くのは辛い。
ましてや、メッセージ性を強く含むものならなおさらだ。

いろいろと気に入らないものの中に、過去の名誉を使って自分を権威化して、誰かに高圧的な態度をとること。
過去の名誉をいつまでも自慢すること。
これが好きではない。
あんなもの、過去の産物であり、一過性のものであり、人間を欺くための幻に過ぎないものを、どうして人間はあんなものに憧れるのだろう。
と、言いつつ、直木賞を狙っている。
今作っている作品にどうしてもつけて欲しいという願いがある。
文学としては少し卑怯な手段だが、不思議なもので、名誉がついたりすると、人はあからさまに昨日までの見方を一変させる。
不思議なものだと思う。
人間も作品も、ただ存在し続けたものが、権威付けによって、今日からの瞬間がらりと変わってしまうのが名誉。
そんなまやかしにも似た道具でしかないものなのに。
それをいつまでも自慢する人間を私は信じない。
そういう人間には何かしら意図的なものがあるからだ。

で、そういうものを見ると気が散る。
で、そういう人が多いのでなおさら気が散る。
なんか、本当、弱い。
時間を大切に。
弱さが自分を苦しめているだけ。
敵なんてどこにもいない。
自分に負けているだけなのだ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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