忍者ブログ

あさかぜさんは見た

日記

12/19

Tue

2006

書いたそばから気に入らない。
燃やしたいけど燃やせない。
読み返してみて全部書き直したい。
なんだか笑える。
未熟な文章に絶句した。

開き直りの手段から考えようじゃないか。
はっはっは。
頭の中がごっちゃらけっけ。

拍手[0回]

PR

12/17

Sun

2006

夢の中で高校一年の時の担任や、高校でおなじみの先生方が職員室の椅子に座っていて、その側に自分が立っている夢を見た。
別の場所で興味のある資格・・・文学のこととか、色々探しながら、あいかわらずの自由奔放ぶりの自分で、高校?卒業などの単位なんぞどうでもいいというふうなふるまいで。
大学なのか高校なのか、高校にしてはとても自由で大学っぽい雰囲気もあったけれど、事務の女の子と、自分が興味持っている資格のことや、まったく関係ない雑談や、わいわい話しつつ廊下を歩いたり。

夢って、シーンがぼんぼんと飛ぶことがある。
映画のフィルムみたいに。

よく覚えているのは、結局世話になった先生方や担任の前で、神妙そうにして自分の退学届けのようなものが受理されたと悩んでいるところに、自分が、
「もう、私のことなんかいいですよ」
だなんて言うものだから、担任に胸ぐら掴まれてぶたれ、
「お前、俺たちがどれほど心配しているのか・・・」
って声を震わせながら言っていた。
そこで今でもガキな自分は、
「いつも、どこで人生終わらせようかって考えてる。こんな人生・・・」
って悔し泣きしながら担任の胸ぐら掴み返していた。

生きる意味を探しながらも、充実感を見出せないでいる。
どこにいくのだろうと、何も変化がないまま毎日が過ぎる。

何年ぶりに高校一年の担任と出会えたのだろう。
夢の中だったけれど、今の自分に随分とぴったりな夢で、夢の中でも情けないことを言っていた自分を相当ダメなやつだなと思う。
なんとなく今の自分が申し訳なく思う。
こんな状態じゃ顔向けもできない。
しっかりしなきゃ。

拍手[0回]

12/15

Fri

2006

「結局、善とか悪とか、正義とかなんだとか、そういう区分自体がすでに悪徳であって、結局己が正義だと信じて疑わないものが、残虐非道なことも正当化できるわけであって、同じ天秤の上でどっちが重いかということをやっているにすぎないのだと思うよ。人類にとって大事なのは、正義か悪かじゃなくて、そこに秩序があるか混沌があるかってことじゃないの?だって秩序があれば、そこに究極の状態として不満も何も昇華できるような秩序があれば、どこにいくかもわからない不安を持った混沌よりもずっと安心できて幸せなわけであって、むしろそっちのほうが、正義なのなんなのって言っているような人々の感覚に近いわけだ」

拍手[0回]

12/11

Mon

2006

ホワイトカラー・イグゼンプション制度

http://www.geocities.jp/whitecollarexemption/

(消えるかと思ったけれど、本気でやる気らしいですよ)
ぼちぼちと出てきましたが、要するに経営者側としては、完全な「能力成果主義」に切り替えたく、能力のないやつには払う価値がないという考えなのでしょう。
徹底した、「賃金=会社にとっての労働成果価値」、というものをやりたいらしいですが、本当に口汚く罵りたくなる気分です。
経団連の提言を見ると、結局「仕事していない時間も家なりで仕事のこと考えて、会社でその考えたことやっている人は、成果を挙げているのだから、当然仕事を時間内に処理できない残業組みと同じ基準で見るのはおかしい」ということなのでしょう。
いかにも頭でっかちのインテリの考えることだよね。
だってこんな考え「理屈」でしか通らないもの。
下で働く人間を敵に回して会社が成り立つとでも思っているのだろうか。
それとも、経団連に属している社長さんがたの会社には、すでに社員に「能力成果主義における当社の評価方法」でもすでに公開しているのだろうか。
別に弱者が苦しもうと、これなら「あんた仕事できないだけでしょ」で終わらせられるものね。
これって、社会に貢献しているの?

これが本当に現場から上がってきた人間の考えだとすると、怖いね。
彼らにとって「労働」や「仕事」の定義には、「仕事を会社の思惑通りにこなせない人間が不満を持って、どのような行動に出るか、またはどのような末路を辿るか」という思考努力は微塵も垣間見られないことでしょう。
それとも今までの会社経営が「理屈」だけでうまくいっていたのだろうか。

万が一経団連連中の会社の社員が評価基準に満足がいったとして、「労働者における、ある程度妥協し受け入れることのできる評価基準」というものが、この日本の会社すべてに当てはめられるとでも思っているのだろうか。

というか、自分なんぞは会社人ではないので、ちょっと引いて見ると、「そんなに仕事して人生が豊かになるものかな?」などと思う。
成果に対する正当な報酬を支払うという観点から、仕事時間外の仕事に対する思考までも評価基準に入れるのは反対とは言わないが、それを万人に押し付けることによって、24時間仕事という恐ろしいことにはなりませんでしょうか。
24時間仕事と化したら、いつ休むの?心はいつ休まるの?
そんなにてきぱき心を起用に切り替えられる人間は、そう多くはないと思う。
ある一種の企業からの脅迫にもなりかねませんな。

この法律が施行されたと仮定して、当然理屈で考えなくとも、正当な評価ができない会社が生まれるわけですから、新卒などの就職での会社選びの理由はよりいっそうの「安定志向」から、隔たったものへとなるわけです。
これって当然地方の空洞化は簡単に予想できるわけで、例えば財力のない会社は「正当な報酬」というものが「労働者にとって満足のいかないもの」になり、なおかつ「残業につぐ残業でも大手企業の成果報酬にも満たない」ということにもなるわけですね。
結局財力の不足から「理想からかけ離れた劣悪な環境」ができあがる。
このような会社や労働者に直接「死ね」って言ったほうが、めちゃくちゃわかりやすくていいと思うのですがどうでしょう。
仕事をやっているのは大都会の人間だけじゃありませんよ、ホント。
変に解釈されて悪用されるのがオチだねこれ。

こういう理屈で固められた理論を平気で言うのは学者だけかと思ったけれど、日本企業のトップランナーたちが口走るとは思ってもみなかったわね。
居酒屋で部下と一緒に飲みながら、または同僚と飲みながら、肩をほぐす役割の人間がいるけれど、その人たちには「成果報酬」は支払われるのかな?

いずれにせよ、「画一化」するには難が付きまといすぎる。
さすがの日本人もそろそろ暴動起こすだろうさ。

拍手[0回]

11/24

Fri

2006

ひとつだけわかったことがある。

世の中で真実だと思われて語られている約70%以上は、ただの虚構に過ぎなかったということを。

私は文字をもってものを語る人間を二度と信用しないことにした。

世の中のほとんどの人間はガラスケースの中の饅頭を見て満足する。

中に何が入っているかも知らずに。

世の中の一般の人々はガラスケースの外から見る饅頭が真実で、本当に真実を知っている人間は、饅頭の中に入っているものの味まで知っている。

どちらも真実だが、その差は大きい。

拍手[0回]

フリーエリア

ブログランキング・にほんブログ村へ

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

10 2025/11 12
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]