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あさかぜさんは見た

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11/26

Tue

2024

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08/02

Wed

2006

昔からよく理解できないのだが、なぜテレビなどに出る、社会的地位があるなど、どうしてそのような立場になるとメディアはプライバシーを平然と暴露していいと言うことになるのだろう。
この情報化社会で一番の権力者は、地位のあるものでも、大衆を魅了するものでも誰でもなく、「言論を支配し大衆へと影響を及ぼすもの」だということに今日まで気がついていないというのが腹立たしくてならない。
万が一それがガセネタであっても、積極的にメディアはその人間に対して賠償をするのだろうか。
いや、しないだろうな。
どうせ、記事なんて金稼ぎの道具なんだから。
私はその一個人がSMやろうがとても世間には公表できないような変態チックな癖を持っていようが、それは一個人のプライベートな問題であって、その人間がやっている仕事とはまったく別物だと思っている。
たとえそれが二者間にまたがろうと、それがどうして三者間にまで広げる必要性があるのかが理解できない。
「地位のあるべき人間はこうあるべき」と主張するよりも前に、それよりも権力を持つ「言論を支配する側」であるということをよく考えてどちらがより節制をしなければならないのか、頭がいいんだから考えられないわけがないと思う。
一個人の素行を悪として、それが社会的な害悪を及ぼすためにそれを正常化させるための記事なのだと主張するなら、そんなことよりも、もっと組織的なブラックマネーの動きや、この日本を巣食うあらゆる闇の売買の動きをなぜ洗い出さないのだろう。
それをやらないで、放置しておいて、殺されないだろう安全な人間に対してだけ、「あいつは酒乱です」というのは、本末転倒なのでは?
見えなければ社会的な影響は薄いと考えているのか、それともそれこそ「社会的感覚」なのか。
メディアの正常なる浄化作用とは、公私の区別をつけて報道することなのではないかと思うのだが、人がトイレに入っているときに平気でドアを開けて、「彼は一週間ぶりの大便をしてしごく満足のようです」と公衆の面前にさらすことが平気で「一般的な社会的感覚と密接であると考える」というメディアの品のなさを、一体誰が止めるのだろうかと、いささか白々しく眺めているのである。

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07/10

Mon

2006

「時間を無駄にするな」と言われた。
「先送りにして、出版が遅れるようなことがないように」
だらだらやっている自分がいて、気が散る自分がいて、集中できない自分がいる。
弱い自分だ。
長編を書くのは辛い。
ましてや、メッセージ性を強く含むものならなおさらだ。

いろいろと気に入らないものの中に、過去の名誉を使って自分を権威化して、誰かに高圧的な態度をとること。
過去の名誉をいつまでも自慢すること。
これが好きではない。
あんなもの、過去の産物であり、一過性のものであり、人間を欺くための幻に過ぎないものを、どうして人間はあんなものに憧れるのだろう。
と、言いつつ、直木賞を狙っている。
今作っている作品にどうしてもつけて欲しいという願いがある。
文学としては少し卑怯な手段だが、不思議なもので、名誉がついたりすると、人はあからさまに昨日までの見方を一変させる。
不思議なものだと思う。
人間も作品も、ただ存在し続けたものが、権威付けによって、今日からの瞬間がらりと変わってしまうのが名誉。
そんなまやかしにも似た道具でしかないものなのに。
それをいつまでも自慢する人間を私は信じない。
そういう人間には何かしら意図的なものがあるからだ。

で、そういうものを見ると気が散る。
で、そういう人が多いのでなおさら気が散る。
なんか、本当、弱い。
時間を大切に。
弱さが自分を苦しめているだけ。
敵なんてどこにもいない。
自分に負けているだけなのだ。

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07/06

Thu

2006

未来に(何年後くらいには)、こういうことが起こるということがふと浮かんだりする。
周囲の状況を見て、人の気持ちの移り変わりを考えて、必ずこういうことが起こるはずだとある一種の予言にも似た予測をすることがある。
いわゆる、「未来が少しだけ見えることがある」ってやつで、本当にその通り事件が起こったときに、物凄い憤りを覚える。
どうして自分は世に対して、もっと有効的に発言できなかったのだろう。
どうして自分の発言は、何事もないかのような、いやそれよりか狂人的な扱いで「そんな馬鹿な」と一蹴されるのか。
どうしてなんだろうという疑問と、阻害されて落ち込んであきらめているうちに、時代はそのときを迎え、人は事件を起こす。
もう、テレビ画面の前で、爆発しそうなほどの憤りは覚えたくない。
今自分はとてもじゃないけれど、褒められるような状態じゃない。
だけど、自分にしかできないことをしている。
きっと今書いている小説は、多くの人への救済を与えるものと信じている。
今の自分がどんなに罵られようと、やり遂げなければならない。
これ以上引っ張ったら、自分の人生にも支障をきたすし、きっとこの日本の状態も悪くなる。

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07/04

Tue

2006

頭のいい人は独善的で伝わりにくい難解な文章を描くということなので、ようするにその文章は、伝わりにくく飽きられるってことで、お堅い文章をばっきばきにハンマーで砕いていく作業もしなきゃいけないのぉ~~~。

がちがちの石を砕いたらいかなることに。

やっぱり司馬遼太郎参考にしよう・・・

三島じゃだめじゃ~~~~!!!

「短く、簡潔に、伝わりやすくする」

結論を最初と最後にって言われたけれど、目的は結論じゃなくて過程にあるのでそれは少しだけ頭に入れておこう。

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06/27

Tue

2006

現実感のない子供たち

夢を見ているかのような
ずっとぼんやりしてかのような子供たち
不安や不眠や不摂生
それらがあいまいな感情の子供たちを作る

長編って楽じゃないよ
書いているときは楽しくなんかない
できあがってくると楽しいけれど
書いているときは地獄だ

伝えようとすることを
はっきりと伝えようとすると
とたんに悩む

失踪したい気分

でもやらなきゃなぁ
ああいう子達を救うためにも

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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