http://www.geocities.jp/whitecollarexemption/
(消えるかと思ったけれど、本気でやる気らしいですよ)
ぼちぼちと出てきましたが、要するに経営者側としては、完全な「能力成果主義」に切り替えたく、能力のないやつには払う価値がないという考えなのでしょう。
徹底した、「賃金=会社にとっての労働成果価値」、というものをやりたいらしいですが、本当に口汚く罵りたくなる気分です。
経団連の提言を見ると、結局「仕事していない時間も家なりで仕事のこと考えて、会社でその考えたことやっている人は、成果を挙げているのだから、当然仕事を時間内に処理できない残業組みと同じ基準で見るのはおかしい」ということなのでしょう。
いかにも頭でっかちのインテリの考えることだよね。
だってこんな考え「理屈」でしか通らないもの。
下で働く人間を敵に回して会社が成り立つとでも思っているのだろうか。
それとも、経団連に属している社長さんがたの会社には、すでに社員に「能力成果主義における当社の評価方法」でもすでに公開しているのだろうか。
別に弱者が苦しもうと、これなら「あんた仕事できないだけでしょ」で終わらせられるものね。
これって、社会に貢献しているの?
これが本当に現場から上がってきた人間の考えだとすると、怖いね。
彼らにとって「労働」や「仕事」の定義には、「仕事を会社の思惑通りにこなせない人間が不満を持って、どのような行動に出るか、またはどのような末路を辿るか」という思考努力は微塵も垣間見られないことでしょう。
それとも今までの会社経営が「理屈」だけでうまくいっていたのだろうか。
万が一経団連連中の会社の社員が評価基準に満足がいったとして、「労働者における、ある程度妥協し受け入れることのできる評価基準」というものが、この日本の会社すべてに当てはめられるとでも思っているのだろうか。
というか、自分なんぞは会社人ではないので、ちょっと引いて見ると、「そんなに仕事して人生が豊かになるものかな?」などと思う。
成果に対する正当な報酬を支払うという観点から、仕事時間外の仕事に対する思考までも評価基準に入れるのは反対とは言わないが、それを万人に押し付けることによって、24時間仕事という恐ろしいことにはなりませんでしょうか。
24時間仕事と化したら、いつ休むの?心はいつ休まるの?
そんなにてきぱき心を起用に切り替えられる人間は、そう多くはないと思う。
ある一種の企業からの脅迫にもなりかねませんな。
この法律が施行されたと仮定して、当然理屈で考えなくとも、正当な評価ができない会社が生まれるわけですから、新卒などの就職での会社選びの理由はよりいっそうの「安定志向」から、隔たったものへとなるわけです。
これって当然地方の空洞化は簡単に予想できるわけで、例えば財力のない会社は「正当な報酬」というものが「労働者にとって満足のいかないもの」になり、なおかつ「残業につぐ残業でも大手企業の成果報酬にも満たない」ということにもなるわけですね。
結局財力の不足から「理想からかけ離れた劣悪な環境」ができあがる。
このような会社や労働者に直接「死ね」って言ったほうが、めちゃくちゃわかりやすくていいと思うのですがどうでしょう。
仕事をやっているのは大都会の人間だけじゃありませんよ、ホント。
変に解釈されて悪用されるのがオチだねこれ。
こういう理屈で固められた理論を平気で言うのは学者だけかと思ったけれど、日本企業のトップランナーたちが口走るとは思ってもみなかったわね。
居酒屋で部下と一緒に飲みながら、または同僚と飲みながら、肩をほぐす役割の人間がいるけれど、その人たちには「成果報酬」は支払われるのかな?
いずれにせよ、「画一化」するには難が付きまといすぎる。
さすがの日本人もそろそろ暴動起こすだろうさ。
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