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あさかぜさんは見た

日記

11/15

Sat

2008

13日、新宿から高速バスで羽田へと向かう途中、左手に東京タワーが見える。
まあるい月を、ちょうど展望台の真横あたりに見え隠れさせていた。
ビルの合間から時折見える月とタワーの光。
まるで東京タワーの展望台に昇れば、月がすぐ触れられそうなところにあった。
この日の新千歳行きの航空券は、今までの自分と決別するための切符だ。
あの摩天楼の街にもう一度舞い戻るために、私は今なすべきことをしていく。

この胸の中にあふれんばかりのいくつもの思い。
その中にはよくない感情も多々ある。
それすらも自分は凌駕して、打ち勝ち、食らい、我が血肉とする。

この日のことを忘れるな。
この日の思いを忘れるな。

すぐに戻る。

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11/15

Sat

2008

どうして人が書けるかと言うと、ちょっとした感情でも爆発的に大きくなったり、ひとつのことでもたくさんのことが浮かんできたりするのです。
それが人とまったく違っているところで、私がすぐ落ち込んだり自信持ったりその変貌振りに驚いていましたが、それは私が何者であるかをまったく考えなかったからです。
だから書けるのだと。
だから書いているのだと。
それが書くことに固執する理由でもあります。
表現することに固執する理由でもあります。
人と感じることや考えることや思い浮かぶことが違うから、変なところで未知のものを考え嬉しくなったりするのです。それがシリアスな場面だったらなおさら不信感を持つでしょうね。
見ていて気持ち悪いでしょう。
きっとそうだったでしょう。
一人でニヤニヤしたり落ち込んだり、自信持ったり、理解不能なはずです。
私の中で常にどんなことが起こっているのかある程度わかっていないと気持ちが悪いだけなのです。
「心の中の核融合炉」を持っているのが芸術家なのだと思います。
そして人の数倍も感じるから表現できるのだと思います。
だから、「普通じゃない」のです。
当たり前です。
ある意味芸術家というのは他人から見て病気っぽいものがないと、成り立ち得ない部分があるのかもしれません。

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11/14

Fri

2008

提言・文句・教訓 Sに感謝を込めて

25年住んだ家を整理する。
よい思い出がたくさんあったはずなのに、悪い思い出のほうがこびりついている。
過去の手紙や自分で記録した文章などが出てくる。
高校生から、今までのことが断片的に思い出される。

過去の色々なことを思い出す。
最近、過去を思い出させるようなことが起こった。
7年前の出来事を猛烈に思い出させることが起きた。
ネットで知り合い、大きな好意を抱かれ、現実で出会い、思っていたのと違うと幻滅され、酷い目に合った。
今回もその人に出会い、猛烈に過去がだぶった。
それぐらい、起こったことも、人間的にも、どこか似通う部分があった。
私のことを猛烈に嫌い、私の対応が奇妙すぎてほとんど不愉快にさせてしまい、話しても通じ合えなかった。
でも、一生懸命話そうとした。その人を知ろうと頑張った。
でも、通じ合えなかった。
自分の未熟さを悟り、その人の言葉に数々打ちのめされた。

7年前はあまりのことにその人をぶち壊し、感謝すらもできなかった。
ただ切なさの中に恨みがあった。
その人からは「死ね」「裏切った」と画面中に書かれたメールをもらった。

今回も、傷つけてしまった。
自分ももろいもろい道化師のようなものだと言うつもりが、酔っ払い、主語をはぶいてぼそりとにやけながら言ったので、その人のことを言っていると思われてぶちぎられてしまった。
「もろい道化師さ」
これだけ聞けばバカにされているとしか聞こえない。
自分をあざ笑った言葉だった。
その誤解だけは解いておきたかったけれど、無理だった。
でも、7年前と決定的に違うことが自分でできた。
最後は不愉快にさせて切れさせたけれど、たくさんの感謝の気持ちを伝えられた。
本当に本当に感謝しているのだと、伝えた。嘘だと取られたかもしれない。
それでも、自分は自分の思いを感謝の気持ちにして伝えられた。
その人に出会ってよかったと思えた。

7年もかけて、ようやく自分がそこまできたのだということを、今日片づけをしながら知った。
過去の自分と比べて、7年もかけて遅すぎる成長をした。
今回その人には嫌われたけれど、その人の姿勢に影響を受けた。
すがすがしい気持ちになって、色々なものに感謝したくなった。
その人と出会わなければ、そんな境地には至らなかった。
相手は「理解不能な存在」として最後まで私のことを見ているから、きっともう関わりたくないだろうし、存在も忘れ去りたいと思う。

その人は私の人間的な未熟さと、配慮のなさ、細かな動きに至るまでの作法、言動、礼儀、思いやりのなさを嫌った。嫌悪した。拒否反応を起こして、私を拒絶した。
それが、自分自身の教訓であると知った。
思いやりとは、相手の立場をわかってあげられること、相手の感覚を考えられること。それが礼儀となって出てくるのだと。
それを言葉ではなく、行動で示さなければダメなんだと。そうじゃなきゃ人には伝わらないんだと。勘違いされるだけなんだと。
それは人との触れあいの中で、ぶつかり合ったり、手をつなぎあったりしていかなきゃわからないことなんだと。
友人にも「自分の傲慢さを正せ」との意見をもらった。
その通りだと思う。

ようやくここまでこれた。
ありがとう。
本当にありがとう。
私はSに本当に深く深く感謝しています。
たとえあなたの心の中から抹殺されても、私はずっと感謝し続ける。




太宰治先生へ。
今度、手土産を持って行きます。
その時に、一緒に銀座の「ルパン」で飲み明かしましょう。
必ず、近々参ります。

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11/14

Fri

2008

伝えようとしても伝わらない。
お互いのなにかが邪魔をしていがみあう。

理解しあえないのがこれほど悲しくて辛いとは。

努力をする。
あきらめない。

それよりも思いやり。
思いやりは相手の立場を知ること。
でも、わからなければ?
向こうが教えたくなければそれまで。
一生懸命外側から知っていくしかない。

尊敬しながら、配慮しながら。

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11/13

Thu

2008

「人の神経を逆撫でするような言い方をするお前は教祖様かなんかかよ」

「言葉だけ巧みに操っても人を信じさせる行動をしていない」

「自分を押し売りして誰にでもわかってもらおうと思うのは傲慢そのもの。相手をわかろうとする努力もしないで、自分だけ押し売るという神経そのものを改めたほうがいい」

「ひとつひとつの動作でどれだけ社会生活でもまれたきたかすぐわかる。やっぱり言っちゃいけないこととか、やっちゃいけないこととか、踏み込みすぎてラインが見えない。空気が読めない」

私は受け取ったものを忘れないように、改善するように、努力していかなければならない。
ちょっとした幸福さえも不機嫌にさせたり、怒らせたりするような人間ではいけない。
どれだけ未熟か、思い知り、打ちのめされました。
礼儀も配慮も気遣いも社会人としては不適格です。
器の小さすぎるところも問題です。

「差」というものを考えれば考えるほど、屈辱的な格差がありました。
負けません。忘れません。教訓に、胸に刻み込んで決して忘れないように精進しなければ、この先何度でも同じ過ちを自分は犯すのです。
やらなければなりません。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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