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あさかぜさんは見た

日記

09/11

Thu

2008

大言壮語の酔っ払い

酔った勢いで、でかいことを言う人間は数多くいるし、できるようなことを言って何もしない人なんて吐いて捨てるほどいる。
人を信じさせるには結果を出すしかなくて、未来の不確定なことを他人は滅多に信じない。
だいたいは楽観的には見ないものだ。
それが現実だし、大人の社会というものだろう。
だからこそ信じてくれる人や応援してくれる人はとても大事で、そういう人たちの存在に気がついて、きちんと応援してくれた以上のものを返していかなきゃいけない。
それは責任感というものではなく、幸福を分かち合うということ。

一人暮らしのおばあちゃんがいる。
現在入院していて、1ヶ月ほど家を空けている。
隣の人たちが心配してくれて、花に水やらをあげて枯らさないでいてくれている。
「大事になさってくださいね」
と声をかけてくれる近所の人の姿を見ると、とても一人では生きていけないような不自由なおばあさんでも、この周囲の支えがあるから生きていけるのだと思った。
その一方で、周囲から孤立している人も同時にみている。
自分が常に被害者で、自分が常になにかをしてあげている本人で、相手のことをまず置いておいて、自分主体でなにかを言ってきたりする。
本人はしてあげているという意識が強く、されたことを無視して自分がしたことを大きく言う。
時には自分を大きく見せるために、他人をけなすようなことを平気で言う。
自分の行動を支持してくれる人だけが周囲にいて、自分の都合のよいことだけしか認めない。
そういう姿勢が見て取れる。
対照的なケースだ。
おばあさんは自分のことを犠牲にしてまで、いつも周囲に尽くしたりする。
丁寧なお礼、挨拶、ひとつひとつのこと細かな礼儀が、周囲の好感を呼んで、いまだに見放されず心配されるのだろう。
見習うべきものと、教訓にすべきもの。

自分は大きなことばかり言っている。
まだ言ったことは叶えてはいない。
しかし、これから必ず叶える。
信じさせるための結果を出していかないと、人は信用してくれない。
自分が辛いんじゃない。
他人が辛いんだ。
他人がしてくれて、他人が見守っていてくれて、あたたかなものに囲まれて、そういうものをむげにしちゃいけない。
だから戦わなきゃいけない。
あの酔っ払いの言葉は本当だったと信じさせなきゃいけない。

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09/08

Mon

2008

おもしろいドラマ、キャラクターもの、そういうのはストーリーもそうだけど、引き込まれるものがないといけない。
引き込まれるっていうのはどういうことかというと、「あ~おもしろいなぁ~」とか「あ~すごいなぁ~」という、「自主的な感情」がないといけない。
「これって凄いからどうぞ」とこちらが言っても、相手は「誘われただけ」なのだから、そこを越えてなお凄いと思わないと自主性は出てこない。
同じ目線に立つとか、自然と心の底に響くとか、こっちが仕掛けたことを悟られる前に、向こうが自然とぐいぐい来るような、相手の思い入れを作らなきゃいけない。
つまり作り手は読者より苦労しなきゃいけない。
苦労を知ってなきゃいけないし、辛さとか苦しみとか喜びも知ってなきゃいけない。
なによりも、自然体で受け入れられるものって結構重要。
そこを狙わないなら、もう「すんげぇ~」ってやつを出しちゃうしかない。
あ~、答えは見つかってるのになぁ…

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09/08

Mon

2008

つい感情に任せて勢いでやってしまって、ひどいことしてしまって、本当に申し訳ないと思うと同時に、自己嫌悪になる。
そういうことを繰り返して、たいそうガキやっている自分や、世間一般の道理から外れて生きて、さんざん言われることの後ろめたさや苦痛を、誰かに言えるはずもなく、たんたんと過ごしていく。

悩みはたくさんある。
書いているものが、あまり必要とされていないのではないかとか、ちゃんと伝わっていないのではないかとか、どうやれば伝わるのかとか、興味を引く表現、人の心を動かす言葉遣い、そういうものを会得するには何をすればよいのか。

悩んで見つかるわけじゃない。
止まって考えるより、やり続けたほうがいいに決まっている。
なのに、成果ばかり気にしてイライラする。
そういうイライラを、つい他人にぶつけてしまう。
相当ひどいことだし、下劣なことだと思う。

また今日も動き出します。
しっかり、今日を生きていきます。
気持ちを入れ替えて、自分の成すべきことをやります。

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09/07

Sun

2008

いまだに人気のあるキーワードで、最近では「スピリチュアル」という言葉にも置き換えられて多用されている。
「人生訓よりも、ほっとできたり、安心できるものが欲しい」
と言った人がいた。
なるほど、あいかわらずのストレス&不安社会なのねと思ったというか、実際検索数を調べてみると、癒し関連の言葉で検索される回数のなんと多いことか。
行き場がなく、どうしようもない心をみんな秘めて日々生きているのだなと感じました。
そういう人たちが少しでもほっとできればよいし、ほっとさせられたら人気も出てうっしっしなのです。
とにかくあたしゃ~技を磨かなければならないものを、のほほ~んと生きていて時間を浪費しまくっているというなんとも情けない状態です。
奮起してやっていかねばね。

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09/04

Thu

2008

広まる 広める 売れる

「もし、俺の知り合いに作家とかいたら自慢しちゃうなぁ」

そんな言葉を聞いた。
そういう話って、今まであまり好きではなかった。
その人の力ではないことを自慢げに語ることの小ささと言うか、自分がしたことでもないのに自分がしたことのように自慢げにかたる人のことがあまり好きではない。

しかし、ちょっと待てよと考えてみた。
商品とか、芸術品とか、そういう類のものが広まるのは、「その人が他人に話して、なおかつ自分にメリットがある状態」じゃないと他の人に話す気が起こらない。
つまり、自慢することによる優越感とか、感動したから知ってほしいとか、あのアイドルグループめっちゃかわいいやんとか、ドラマ面白いとか、いいと思ったから聞いてとか、自分が他人に話すことによって、自分の中のなんらかの感情を他人に分けたいと思うから話すのであると考えた。

そこから私自身のことを考えるに、私の作品には、「他人に話すことのメリットが少ない」と考えるのが妥当ではないかという考えに至っています。

はて、他人に話してメリットが出るものを作るには、感動とか、共感とか、なんか知らんけどすげえなとか、何度でも読みたいとか、「あるある~。あるよね~」とか。
とにかくその人の中に「これはいいものだから広めなくちゃいかん!」という使命感のような、優越感のような、勇気のような、思い入れのような、もろもろの感情を沸き起こすものを作らなきゃいけないという結論には至りました。

しかし、感動を呼び起こす商品を簡単に作ることができたら、誰もが作るわけです。
自分はどうすればよいのか、どうしていけばよいのか、まだしっかりしたものが掴みきれていないのが現状。

今日もちびっとずつ進む私。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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