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あさかぜさんは見た

日記

06/30

Mon

2008

文章の魅力とリアリティー

 ちょっと知り合いに愚痴のメールを入れたら返信が来た。
 抜粋する。



  どんどん 変化があった方が 良い経験になると思いますよ
  そういった 経験こそが 売れる本のベースになるかもしれませんしね

  売れている作家自身の お話を伺うと 少なからず 作家自身の経験が
作品に反映されています
  もちろん 豊かな想像力 豊富な知識も必要ですが それが枝葉だとすれば根幹は経験 リアリティが無い言葉を連ねても 読者は作者に魅力を感じないものです




 小説の根幹は確かにここにあるかもしれない。しかし、これでは説明のつかない現象がいくつも起きている。今の携帯小説にリアリティーはあるのだろうか。豊富な知識や経験があるのだろうか。今の未成年は成人をはるか前に超えていった自分よりも早熟なのか。
 しかしこの人は「作品」ではなく、「作者に魅力を感じる」ということを言っている。

 でもひとつだけ思い当たることがある。
 読者は等身大の自分よりも、もう少し掘り下げたところに共感を求めているのではないだろうか、と思った。
 読者が作者に魅力を感じるということは、文章を通して作者がどのような人間かを思い描いているということだ。
 自分は一人歩きしだす作品は、作者とはまったく別物になるというイメージを抱いていたし、実際別物になっている。
 一度出したらこちらの思い通りになんか絶対ならない。
 作者の人生観に共感するのが最もリアリティーのある小説になるということだろうか。

 読者は作品に共感しているのではなく、作者に共感している・・・

 いや・・・どう考えても作者側からしてみればおかしな話だ。
 意図的に仕掛ける仕組みの裏を取る読者がいるだろうか。いるにはいるが、それは大多数の購買層のほんの一部だ。

 でも本当に小説好きな人は、作者の考えを知りたいという内容のことを知り合いが言っていた。

 売れるものと魅力のあるものは別なのだろうか。
 それとも一緒なのか。

 「ノルウェーの森」と「世界の中心で愛を叫ぶ」じゃ、比較にならない。
 「ノルウェーの森」は今も売れているが、「世界の中心で愛を叫ぶ」は売れていない。

 「ノルウェーの森」には、リアリティーとは別の何かがある。

 またわからなくなってきた。

 最近の人は、人間に興味を持っているというよりもむしろ自分自身に興味があるようだ。
 私の知っている20前後や20代の若いネットの友達も、こちらを掘り下げるより、むしろ自分中心の付き合い方をする。
 人を掘り下げられない。
 でも歳をとると上記のような考え方やものの見方をするようになる。

 売り上げを上げるには、コアなファン層ではなく、実際すぐ買ってくれる人をターゲットにすべきだ。
 コアなファン層は嗜好がうるさくなってきていて、なかなか安易にお金を払わない。
 これは生活をする立場からすれば危機だ。
 お金がなければ育たない。
 よいものすらもよいものにならない。
 残念ながら理想論を軽く覆す現実だ。
 なぜなら続けられる資金源がなければ、廃業するしかないのだから。

 エンターテイメント性と作品性両方高められれば言うことはない。
 作家が求められているのは、職人芸であって素人の児戯ではない・・・と、思いたいが・・・やっぱり人は理屈で動かない。

 どう心をくすぐるかが、大事らしい。

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06/27

Fri

2008

 この世界の全ては思い込みだ。
 自分の人生も、自分に対する評価も、与えられてきた情報も、すべては思い込みでしか過ぎなかった。
 なんて馬鹿な人生を過ごしてきたのか。
 
 思い込みなら、幻をぶち破ればいいのだ。
 明日のために今日を作り変えればいいんだ。
 呪いのように与えられてきたことも、呪縛を断てばいいだけの話だ。

 なんてことだ・・・
 これに気がつくまでに、十数年もかかったのか・・・

 状態を維持するのが大変なのだけれどね。

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06/27

Fri

2008

・・・でたらめ記事 犯罪件数 検挙率 自殺者

 ふと、犯罪発生率と検挙率が気になって調べてみたけれど・・・
 あれあれ・・・?

http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm
(警察庁の統計)

 少年犯罪件数は五年連続での減少を辿っている。
 少年ではない成人の刑法犯認知件数も年々下がってきている。

http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51518805.html
(少年犯罪データベースドアの記事)

 これらを見ると、自分はなんとひどいデタラメ記事を書いていたのだろうと青ざめてくる。
 一般市民や非難しているマスコミレベルと同じじゃ、非難する資格もないわ。

 自殺者も無職の人間が多い。
 働いている人間が自殺することに比べれば、職がなくてお金に困って・・・というとこだろうか。

 なぜ、マスコミは凶悪化していると言うのだろう。
 少年法改正も法律に対する民意の先導も、マスコミが操っていることになる。
 マスコミが操っているのではなくて、マスコミを支配している誰かが操っているということはないだろうか。
 誰がマスコミを支配している。

 考えを改めないと。

 ここまでマスメディアがひどいとは・・・
 ごめん。自分もひどいけどね。

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06/27

Fri

2008

 三重県で18歳の少年が友達?顔見知りの女性の母親を殺害して現金10万円を奪ったらしい。
 三女は事情聴取をされるまで母親が死んだことを知らなかったというから、むごい話だ。
 しかし、この事件は物凄い純粋な動機だ。生粋の犯罪者と言っていい。目的のためには人殺しも、虫けらを殺す程度にしか考えない。金さえ手に入れば他はどうでもいい。

 映画で思い出したものがある。
 リドリー・スコット監督作品に、「ブラック・レイン」という高倉健、マイケル・ダグラス、アンディー・ガルシア、そして松田優作が出演した有名な映画がある。
 松田優作の悪役振りには、ハリウッドが騒然としたというが、この松田優作のヤクザの悪役は、目的を達するためには、極道としての道すらも外し、目的のためだけに純粋に動いていくという悪なのだが、組の親分が「戦後、アメリカから押し付けられた文化で、(松田優作役の)佐藤のような男(任侠、人情、礼儀もない目的のためには手段を選ばない人間)がたくさん生まれた」という内容のセリフがある。
 1989年の作品だ。
 脚本は日本人ではなく、そのセリフにすべての真実があるかというとそうではないが、効率と利益を追い求める現代人なのに、逆に精神論も唱えるという矛盾したことを言い続けているのは団塊の世代あたりだ。純粋にその考えを抽出したら、金のために奴隷になれと言うことだ。
 こんな日本になったのはアメリカのせいだとは言わないけれど、仏作って魂入れずの国になってきているのではないかという懸念や憤りはいつも抱いている。

 単純な理由で殺される。単純なことで傷つけられる。
 このネットでさえもそうだし、ネットを越えて現実でもそう。我が身大事で他人はどうでもいいなら、その部分に関してだけいえば、犯罪を起こした少年と何も変わらないことになる。

 この文章を読んで何かと腹立たしくなる方はたくさんいると思うが、時々チャットで未成年と話していて、たまに妙な気持ちになる。
 動機が単純で、人間のことなのに、まるで物のように言う。
 子供はああがいい、こうしたい、結婚するなら若くして子供生んだ方がいい、ババアやジジイじゃ参観日がかわいそう。
 気に入らなければ暴言(いい大人も子供と同じレベルでやる)。
 色々と具体例をあげるのも面倒くさいくらい。
 
 もう常識なんてぶっ壊れたんだね。
 真面目に働いて、通り魔に殺される時代になったんだよ。
 財布の中に入っている5、6万でも取られて殺される時代なのだし、溜まり溜まった鬱憤をみんな持っていて、どこで爆発するかわからない。
 そういう時代になっちゃったんだ。

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06/26

Thu

2008

自分の人生を歩んでいないから誰かのせいにしたがる。
自分の人生をコントロールできないから誰かに支配される。
操られ、己の意思を曲げられ、従うことが正しいと調教される。
奴隷になるのか、それとも自らを操るのか、意識と行動で全ては変わる。

殺したい人間がいる。

誰かを殺す前に自分を殺したい。

自分が一番危うい。

自分がもし何かをしたら、みんな驚くだろうな。

あんな子が信じられない。
よくテレビで言われることを言われるのか。
身内は知らない。
自分がどんな気持ちなのかも。

自分がいなかった。
表現できなかった。
そんな気持ちで過ごしてきた。
殺されてきた。
行動すらできずに潰れてきた。
クズに成り下がっていた。

私は弱きものの王だ。

甘えすぎたクズだな。
今日も吐き気がする。




 6月24日、人身事故があって、出先から帰るのに1時間半ほど遅れた。
 ちょうど高校生たちが帰る時間帯らしく、駅にはたくさんの人がいた。
 そこはベッドタウンの駅なので、会社勤めのサラリーマンなどは、ほとんどおらず、恐らく都市部の中心駅から、こちらの駅に来る人間がほとんどだ。スーツ姿の人間は指を折るくらいしかいなかった。
 みんな早く家に帰りたいと思っていただろう。
 よく次のような言葉を聞くことがある。
「死ぬなら迷惑かけない方法で。死んでからも迷惑かけるなんて」
 生きている人間が理性的に、死にゆく人間を批判することがあるが、「?」と私は首をかしげる。
 誰かのことを思いやれる気持ちの余裕があるなら、その人のことを考えて「死にたい」とは思わないはずだ。
 自己を破壊するのは最終的な破壊行為だ。もうそれ以上は破壊しようがない。「世界との断絶」を意味する。
 わざわざ言葉にしなくとも、誰しも「死」の意味はかわっている。
 しかしそれは、多くの人間が「生の側から捉えた死」でしかすぎない。
 死にゆく人間の多くは「死の側から捉えた生」というものを捉えるのではないだろうか。

 新聞ではない、リアルタイムで起こった人の死という事件。
 なぜ死んだのか、気にはしたけれど、調べるまでにはいたらない。
 自分をどのように表現すれば、自分がどのように活躍すれば、自分はとても楽しくなるのか、どうにも「夢を語る人」に、ここ最近出会ったことがない。
 こうしなければならない、こうしたほうがいい、しかたない、なにもわかってない・・・などなど、随分と自分を縛る言葉の多いことか。
 自分を解放させるような言葉にあまりであったことがないのがとても不思議に思う。
 なぜだろう。

 時間に縛られているから、限られた時間の中で利益活動を行っているから、効率を追い求め、利益のために多少えげつなくなっても、それが常識だと思い込む。
 きっと、人身事故が発生しても、痛み入るどころか、死者にムチを打つような考え方をした人は少なくはないと思う。
 逆転の発想ができないから、既存のものに縛られて革新的なことができない。

 ちょっと笑い話になるけど、ドリフのコントで加藤茶のハゲオヤジが瀕死の人を囲んで泣いている家族に混じり、「あいつもう死にそうだ」とか「棺桶の寸法はこうだな」とか、葬儀の準備を勝手にするというものがあった。
 いわゆるタブーを無視した逆転の発想で見事なコントに仕上げている。

 効率を無視したら何が残るだろう。利益を無視したら何が残るだろう。
 その逆転の発想から人間を生かす利益活動はあるのだろうか。

 もう少し人を殺さないようにする方法はないのだろうか。
 年間4万も自殺で死んでいるんだから、もはや国内では交戦状態だと言っても過言ではない。
 戦国春秋の大きな合戦でさえ、それほどの死者を出さなかった。
 だが、現代で一年間の戦争で死者4万人と言ったら、日本人はどう反応するのか。
 4万という自殺者を異常と思わない現代人こそ異常だと私は考えている。

 みんないつか死ぬけれど、死にそうな気持ちほど悲しいものはないし、虚無に満ちたものはない。
 自分はここにしかいない。自分探しなんてしても無駄だ。自分を生かせる環境を作ることが自分を見つけることに繋がる。苦しいのは充分だろ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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