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あさかぜさんは見た

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06/23

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03/12

Wed

2008

完璧な論理構造が正論とは限らない。
論理的に正しくないからと言って、問題点として扱えないというわけではない。

議論をするときに、言葉遊びなどどうでもよい。
「ロジックとして間違ってますね。その程度ですか」
そういう人は、ただ人をこばかにしたいだけでそれ以上のものはない。
不毛なコメントだ。

不確定なものに対して、「証拠を出せ」とかいう人間に対して「勘が100%間違っている証拠が絶対に存在しますね?」と突っ込んでみたい。

人間は感情の生き物で、心理的なものがロジックを捻じ曲げることは多々ある。
でもそれは確実に間違いとは言い切れない時がある。

心理的なものがシステムに関与しすぎると、間違いが多々起きる。

人は感情論ではこの人間社会を支配しているシステムを崩すことはできない。
システムに反論するなら、ロジックもまたシステム的である必要性がある。
論理構造としておかしくないもの。
感情的なものは一切省かれているもの。
人と構造は相容れない。
構造に支配されるのか、人が構造を支配するのか。
システムに飼いならされた人間が、「正論」なる「過ち」を犯しても別にどうでもいいことだ。

大事なのは、間違いからどう学ぶか。
間違いとどう向き合うか、だ。

やってみなきゃわからないことだってたくさんある。

自分は言うだけだったから、そろそろ自分が情けなくなってきた。
何を言われてもやろうと思う。

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03/05

Wed

2008

他人の自分へのイメージ

頼りないとか、不安だとか、結構ちらほら言われたりする。
確かになぁ、と思ったりするのだが、直していきたいなとも思う。

しかし、自分の悪いところは、なかなか全部自分でわからないものだ。

口癖とか、行動とか、そういうもので他人は判断するのだから、自分がこうだとか思ってもどうしようもない。

人付き合いのうまい人は、他者への与えるイメージがよいのだから、本当はダメダメでも、見た目やあたりさえ好感を持てればよいのだろうと思う。

しかし、「他人と比べるのは、最も非生産的なことである」と誰かが言っていた。
究極的には、自分の能力しかないのだから、ここに集中して、それを高めていくしかないのだろう。

イメージもまた、内面の具現化にしかすぎない。
他者の指摘は、正論である場合が多い。

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03/04

Tue

2008

他人に読ませるためのブログじゃない

正直に言うと、愚痴や、ネガティブな部分も丸出しにしたブログというのは、他人受けしない。
なんで書いているかと言うと、自分の書いたものを見ると、他人が書いたように見える。
出力と入力は、どうやら別の人間がやっているようだ。

リハビリのようなものなのかもしれない。
感情に忠実になる。
己に忠実な感情を知る。

裏舞台を見せるのは下の下かもしれないが、本当に読ませたくないものは伏せている。

自分の考えがどう変わっていくのかも興味がある。

ああ、こういうことを書こうと思ったのではない。

男という生き物は、常に何かに向かってなければ無気力になる生き物らしい。
それだけを書こうと思った。

時間を有効に使う術を学ぼう。
じゃないと何もできなくなって、本当に口だけの人間になってしまう。

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03/03

Mon

2008

「そんなもんやらねぇよバカヤロウ」と言った数ヵ月後に、否定したものにどっぷり浸かっているということはよくあることだから、安易に否定しないほうがいい。
人生というのは、よくよく考えてみれば、皮肉にできているから、すべてを幸福として受け入れるもののみが、人生を謳歌できるのだと私は思う。

でも、知恵がなければ飲まれるだけだ。

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03/03

Mon

2008

本気で自分のために泣いてくれる存在がいるというのは、心の底から幸せだと思う。
自己のための悲しみではなく、本当に私のために泣いてくれている人がいるのだと、正直言って驚いた。

ことあるごとに私は父や一部の人に軽んじられる。
なぜかそういうことが積み重なると、肯定的なことも受け入れられなくなる。
自分で勝手に卑下し、軽んじる人々の意見を肯定的に受け入れる。

褒められても、肯定されても、「嘘だろ」「おせじだろ」と、勝手に邪推して自分の首を絞める。

心に後ろ向きなクセがつくというのは、その人の人生にとって、恐ろしいほどの不幸だと私は思う。
でもこれは、相当な訓練や成功体験を積み重ねないと、なかなか治らないくらいしつこい。
しかも、慢性的にぶり返す可能性もある。

そういうものを私は抱えていて、目の前で本気で泣いてくれる人を見て、その人にとって自分はどれだけ大事な存在かを知った。
自分を軽んじることは、その人を傷つけることなのだと体感した。

自分の存在があいまいで、自分の立場すらも、感覚すらも、生命観すらも希薄な人間は、まず自分を大事にしないので、他人を大事にする余裕すらない。
だから平気で自分を傷つけて、他人を傷つける。

人間一人は万人を守ることはできない。
だからこそ、選択があるのだ。

私は人と接するとき、「なるべくよい思い出をひとつでも作りたい」と思って接する。
自分がアメリカにいたときも、国内を旅したときも思ったけれど、たったひとつの思い出が、自分の人生の拠り所になることが多々ある。
そのことを思い出して、勇気を持って生きていけることが多々ある。
だからこそ、先に絶対ある「別れ」を意識しても無意味なことだと考える。
皆、生命である限りは死ぬ。
死ぬ限り、「別れ」はいつ訪れてもおかしくはない。

私はなるべく繋がった限りは、いつまでも何かの形でお互いの人生を報告しあいたいと思っている。
でも、思想や方向性の違いで、著しく対立し、離れる人も少なくはない。
自分が耐えられなくなって離れる場合もある。

思い出とは不思議なもので、意図してないときに思い出す。
どれだけたくさんのものを残せるのだろう。
どれだけたくさんの思い出を作れるだろう。
泣いてくれた人へ、私と接している多くの人へ、思いを懸命に込めたい。

自分勝手だけれど、思いがないほど薄情ではない。
たとえ冷徹に見えたとしても。


追記:親愛なるMへ。心からのありがとうをここに記す。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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