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あさかぜさんは見た

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06/11

Wed

2008

マクロスフロンティア

 アニメなのですが、超時空要塞マクロスを見ていた自分としては、少し懐かしくも新しい匂いのするアニメに出会いました。
 同じ時期、ガンダムもやっていたのですが、私はマクロスのほうが好きでした。

 なんてったって、マクロスはミサイルの量が違ったものね。
 あの無駄遣いとも言えるほどのミサイルの発射量を見ると、ガンダムの攻撃の地味なこと、地味なこと。
 ガンダムのよさは大人になってからわかりました。
 最近のガンダムは、どうにも(ごめんあえて言わせてもらう)腐女子相手のこびまくりの作品だからね。
 見る気すらうせる。
 許せたのはターンエーガンダムくらいだった。
 というか、だいたいの作品ってシナリオのテンポが悪いんだよ。
 子供っぽい事情ばっかり。

 ガンダムは私よりも詳しい人がいるからいいんだ。
 私はマクロスだったから。亡き羽田健太郎さんだったから。同じく亡き宮川泰さんだったから。宮川さんはヤマトね。

 創聖のアクエリオンは、合体合体って、狙いすぎだろ。
 最初の吸引力がいまいちかも。合体とか気持ちいいとか、真面目にアニメ見る前にこっちが恥ずかしいんですけど。よこしまな想像するなっていうほうが無理です。

 いや、マクロスフロンティアの話なんですよ。
 コードギアスも斬新だけど、マクロスフロンティアは懐かしいですよ。
 リン・ミンメイだっけか、マクロスのアイドル。いい歌だったよなぁ、あれ。

 あいかわらず菅野よう子さんすげぇや。
 内容の説明はサイトでされているからはぶくけれど、最初から見たらよくわかりました。

 あのさ、最近のアニメって学園シーンを入れないと売れないの?
 マンネリ化してきてますよ。ところどころがとっても。

 いや、マクロスの話からそれすぎた。いいか。


追記:
羽田健太郎さんがヤマトの作曲をしていないと思っている人、私はテレビ版の記憶は定かじゃないですけど、2時間とかの長い映画バージョンでは作曲していますよ。
私CD持っているから確かです。

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06/10

Tue

2008

秋葉原の無差別殺傷事件についての動きについて

 サバイバルナイフの規制だとか、やれゲームのせいだとか、大の大人が素面でそれを言っているんだから、自分がもっと幼かったら、「大人って本当にバカなのかもしれない」ってこの一面を見て思っています。

 例えばナイフだったら、サバイバルナイフではなく刺身包丁で充分サバイバルナイフ並みの威力発揮すると思うけれど。
 マグロ解体用のでかい包丁があるでしょ。小さなサバイバルナイフより、あれ振り回したほうがずっといいわ。
 今回は6cm以上の刃物とか言っているからさ、マグロ解体用のは排除されるけど、前に航空機でも似たような動きがあったような・・・
 刃物規制したら、今度それに代わる凶器でハイジャック事件が起きましたよね?
 ・・・なんていうか、「いたちごっこです。まったく解決しません」とか言う前に、着眼点がまったく違うんじゃないのかな?

 時々思うことがある。
 それは、究極の状態は「法律で規制しなくても、何もかもお互いがうまく行く状態」が、もう最高によい状態なのではないでしょうか。
 法律を作る前に「政治」をしたらどうでしょうかね。
 この究極によい状態から比較すれば、「個人の自由意志を国家で規制しなければならないほど個人を信用できないし、また個人は逸脱するものである」と「民衆」をくくっているから法律で規制しなければいけないわけだ。
 法律を作る前に、もっと政治がやらなきゃいけないことがあるし、ゲームのせいだとかなんだとか言う前に、もっと見つめなきゃいけないことがある。
 私の勝手な推測だけど、国民生活が圧迫されるようになれば、自然と犯罪率はアップすると思っているのだけど・・・なぜって追い詰められたらなにするかわからないからね。お金もそう。精神もそう。
 自分にとって生きることがどうでもよくなっている人間は、他人を大事にするわけないし、お金に困ってのどから手が出るほど金が欲しくてたまらない人間は、もう打つ手がなくなったら何するかわからないからね。

 規制するだけ規制すればいいじゃないの。もしそれでまったく犯罪がなくなったら、全部そのせいだわ。でも、犯罪は起きると思う。なぜって、包丁やゲームのせいじゃないから。

 ひとつの問題を出そう。
 我々の家庭には必ず包丁がある。その包丁を使って人を殺さないのはどうしてか。
 自分が殺そうとする立場になって一生懸命考えて欲しい。
 そして、人を殺せるとしたら、自分のどんな感情が足りないときに、人を殺せるのだろうと一生懸命考えて欲しい。
 私はそこに個人が他人に接するべき答えがあるのではないかと思っている。

 結局、現代人は「感覚のない情報」に支配されている。つまり、本来原始的な生活なら、情報とは五感で感じたものだけが情報として体に蓄積される。
 簡単に言えば、自分の足でいけないところの情報なんてわかるわけがない。
 でも現代は空間を超えて情報が来る。でも空間を越えたからって感覚はわからない。
 旅行記・・・湿度は?気温は?味は?どんな感触?・・・わかりませんよね。
 格闘ゲームとかさ、格闘技とか、現象だけはわかる。でもどれだけ痛いかとか、どんな感触かとか、想像しているだけで現実感がない。
 ニュースだってそう。想像しているだけで現実感がない。なぜならその現場にいないから。
 そういう感情的なリアリティーのなさが、傍観者をきどらせているんじゃないでしょうかね?
 みなさんはどう考えているのでしょう。ゲームのせいなのでしょうかね。ナイフのせいなのでしょうかね。親のせいなのでしょうか。先生のせいなのでしょうか。
 私はいつもコミュニティー全体の責任だと思いますけれどね。

 「防止に勝る抑止はなし」

 しかし、「犯罪を起こそうとする気持ちを防止する」のに、なぜ「物質的規制」をかけるのかがとても理解できない。
 つまり、包丁や、たとえゲームが絡んでいたとしても、「きっかけ」だったんですよね。それは。

 「殺そう。じゃあ素手で?ダメだな。負けたらどうする。絶対殺せるものじゃないと・・・そう言えば、ゲームであんなナイフがあったな。どこで手に入れるんだろう。これか。でもこれだけじゃ殺すのには不安だな。もっと揃えよう。そうだトラックがいいや。トラックで引くだけ引いて、人々が逃げているところを襲い掛かれば、みんな逃げ腰だから殺しやすくなるぞ」

 ゲームをとっても、ナイフをとっても、どう考えても殺人の衝動だけは残ると思うのですが・・・

 この殺人の衝動を防止するにはどうすればよいのでしょう。

 よく「犯行の動機」とか言うけれど、不思議なことに「動悸が生まれた原因を防止しよう」ってところに、いつも深く突っ込めないよね。マスコミも政府も。特にマスコミなんて逃げ腰論調だからね。必ず責任をおわなくてもいい状態から発言をしている。しかも役に立たないし。

 愛だろ。愛。愛情が足りないんだよ。みんな他人同士だし、そんなはずじゃなかった。日本はイライラするよ。どうでもいいことでわめきたてるし細かいし。揚げ足を取るのが大好きだし。言葉尻だけにこだわって、問題の本質を見ようともしない。

 ・・・なんでだろ???
 
追記:
産経のWEB上の記事から。

 石原都知事が行政として未然に防ぐことはできるのか、と聞かれて、「そんなこと、できませんよ。時代の文明はみんなでつくったもんだ」と言ったそうです。
 さらに、「ああいう人間っているよね。ただ、ああいう形で爆発するかしないかってのは、時代も背景にあるんでしょうけど。みんな鬱屈(うっくつ)してるよ、今の日本人は」「文明の便宜が進んでも、人間はやっぱり芯(しん)は孤独になっている感じがする」と言ったそうです。

 私も同意見です。ただ、政治ができること、ていうのもあるとは思うのです。しかし、民衆が政治ばかりに頼っても、よくはならない。国民の生活レベルを少しでも改善させるのが政治の役割です。理想を言えば、お金に困らなければいい。生活に困らなければいい。
 あとの問題はそれぞれ個人の問題であって、さらには個人が集まってできたコミュニティーの問題です。
 だから、「政治が悪いから」とか「先生が」とか「親が」とか言う理屈は成り立たないのです。
 そこに接していたみんなの責任です。

 時代の文明はみんなで作ったもの、というのは常々考えていたことで、大人が批判する子供や社会という構図につくづく苛立ちを覚えていたものです。
 残念ながら、今の社会というのは、一つ上の世代が創り上げたものです。その社会で育った子供を否定すると言うのは、自分たちの功績を否定するに等しい行為です。
 そのような矛盾を自ら並べ立てて、子供が希望を抱けるのかと、私は思うのです。
 誰が時代を作ったのか、ということをよく考えないといけない。
 国は政治家のものじゃない。国民のものなのです。政治家は国民の代表でしょう?批判すればよくなるというものじゃない。協力しようという姿勢が足りない。いつも傍観者でしかない。
 ひどいものです。

 そう・・・どこか鬱屈している。ひたすら抑えこまれている。そして「みんなそうしているのだから当たり前」という風潮がある。挙句の果てには精神論になる。しまいには愚痴しか並べない。野次しか言わない。
 本当に何かをよくしたいと考えているのならば、そんな下策は取らないはず。他のプランを考えようとするはず。
 もう少し、向き合って欲しいと思う。
 向き合うとは、受け入れることです。

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06/08

Sun

2008

「言った事はやらなきゃいけない」
インド人ムラリーさんの言葉。

自分はやっていないと見られているから、早め早めのスタンスで行動していかなければ確実に疑われるし、自分の首を絞めるだけ。

どちらかというと、不言実行のほうがずっとよいのかもしれない。

「自分で言ったこと、ひとつでも実行したことある?」
だって。

何もしてないみたい。
自分。

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06/08

Sun

2008

この世の中には、物理的な暴力のほかにも数多くの暴力が存在している。
私は自傷行為を物理的にしていたが、今は精神的にもしている。
人間は、証拠がなければいけない。
なぜなら、人間社会は理屈で納得しないと(背景に心理的事情があったとしても)、動けないからだ。

私はストレスがたまるとどうしようもなく自分をいじめる。

拒食症と過食症、どちらも痩せる。
過食症がなぜ、痩せるかというと、吐くまで食べ続けるからだ。
つまり、尋常じゃない量を食べて、吐く。これが病的な過食症。
私の場合は過食気味になる。だから吐くことはない。
酒に走って、酔った勢いで食べる。
自傷行為も残念ながら暴力だ。

自分は、自分の中でどうしようもないほどの暴力的衝動がうずまいているのがわかる。
こんな人間はこの感情の使い方を間違えば、誰か人を殺しかねないこともわかる。

世の中には数多くの暴力行為が存在している。
食べるという行為も、他人に暴力の代行をさせているだけで、食卓に並んだものは、暴力の代償だ。

以前、菜食主義者を何度か掲示板で見たことがあるが、彼らの言い分は「植物は痛みを感じないから」だそうだ。他にもあるだろうけどさ。
科学的に立証できなければ、植物に対する暴力でさえもうまく自分の中で丸め込めるらしい。
残念ながら、「痛み」を科学で立証できないだけで、植物に対する殺生行為も残念ながら同じことだ。
せいぜい自分を納得させるために、理論武装をすればよいと思う。
理屈で納得しているだけに過ぎない。

残念ながら世の中には、人間が直接「暴力」と認めない行為も、私は暴力の範疇にくくっている。
ただし、人間社会を維持するシステムの中には、私ながらの厳密な意味での「暴力」は組み込まない。

でも、自称者諸君には言う。
君たちのやっている行為は、己ならず他者に対する暴力行為でもある。
それも、精神的に追い詰めてしまうほどのひどい暴力だ。

私は知っている。
自傷行為というのが、己の存在価値をどこかで確かめたい行為だということを。

・・・やってたんだよ。自分も。

この世界には理屈でその本質を隠しているだけで、その姿は醜い破壊行為と暴力行為を数々行っているのを知っている。

私は数多くのものを傷つけ、殺しているのを知っている。
だからこそ私は、既存の倫理や道徳や規則を時折無視している。
守っても、緩慢に死ぬだけで、どうせなら積極的に死んだほうがいいからだ。

世の中は欺瞞に満ちている。
暴力を嘘で隠し通す。
そしてその嘘を真実だと理屈で納得させることで人間社会はよからぬ方向へと向かうのだ。

暴力はこの世界に満ちている。
私の中にも、あなたの中にもそう・・・

私が耐えられなくて死ぬのが先か、あなたの欺瞞が永遠に続いてそれを「幸福」と呼んで終わるのか。

私はこの日記を素面になった後でも消さない。
久しぶりに、よい意味で壊れた自分が出てきてくれた。
目が覚めたときには、もう帰っているだろう。

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06/07

Sat

2008

 気持ちに変化を入れようと思って丸刈りにしてみた。でもなんの変化もなかった。虚しい。両親は見世物みたいに見るし、同じ質問ばかりする。そして、予想通りの行動をとった。すると思った行動をした。それを見てとても虚しくなった。

「結婚したくないんだ。父親に自分が凄く似ていて、それを知る瞬間ごとに父親にされた嫌なことを思い出すから、子供に自分みたいな思いをさせたくない。人生潰しちゃうから」

 自分が思春期の頃の父親は絶えずイライラしていた。ただ自分は刺激しないように、心細く過ごしていた。今はそんな記憶しかない。

 自分でやったけど、じろじろ見られている。口数もいつもより多い。こんなことでもしないと会話の糸口がないのがとても虚しい。どうして心から語り合えない家族なのだろう。どうして本音を隠して過ごさなくてはいけない家族なのだろう。

 明らかにあった、中学三年のときの父親からの過酷な精神的いじめは、今でもよく覚えている。人の欠点や、気に入らない点をきっかけにして、人の精神が壊れる寸前までいじめるなんて、親としてあってはいけない行為だった。私はそのことを今でも許していない。親はいじめだとこれっぽっちも思ってはいないし、きっともうすっかり忘れている。でも、その時、父親を殺そうと思っていたし、逆に自分に死の危険性があった。

 例えば、こう言う人がいる。「誰のおかげで今まで生きてこれたか。親にありがたいと思うならまだしも、恨むとはなんたることか」
 結果論ですべてをよいもので終わらせられるのなら、倫理や道徳なんていらねぇんだよ!!別に語るつもりもないけどさ。
 ならば逆に言ってあげよう。「自分の娘を強姦して過ごしてきた父親が娘に殺されたら、当然娘を非難するのでしょうねあなたは」

 どうしてこんなに疲れるんだろう。気にしすぎなのかな。大人になるってさ、相手の罪を柔らかく包むこと?でもそれは罪を忘れ去れということではないよね。

 大人ならばどうするべきか。彼が犯した罪を、最大の幸福でもって返してやること。きっとそれ以上の仕返しはない。

「私は、あなたよりも数段に格が上の人間なのですよ」

 ただ見下しているだけか。
 でも、見下されて育ってきた人間は、誰かを見下すことでしか自分の存在を維持できない。悲しいほどに、癖がついている。

 もう、嫌だ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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