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あさかぜさんは見た

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11/25

Mon

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03/26

Wed

2008

才能とは絶えずそこに浸らせておかなければならない。
さもなければさび付くのだ。

ほかの事を一生懸命していて日常に追われ、そしていざストーリーの世界へと入り込もうとしても何も浮かばない。
浮かばないのが非常に苦痛で、積み重ねられないのが苦痛で、ため息をつく。

そういえば、高校の頃の友達とごくまれに連絡が取れたとき、昔あった鋭いインスピレーションのようなものがなくなっていたことにショックを受けた。
どうしてなくなってしまったのかはわからないけれど、はっきりとあたりの感覚でわかる。

幼い頃の鋭敏だった、何よりも尊いものが、大人になって消えうせている。
何のせいなのだろうとか考えるつもりはないけれど、寂しいと思った。

自分でさえ、一週間二週間あけば、このざまだ。
ひどいものだと思う。
また最初からやり直さなければならないような気持ちになって、面倒くさくなる。

思えば夢を語る人にあまり出会ったことがない。
こうしたらとっても楽しいとか、こうしたら幸せになるとか、でかいこと考えて、バカみたいに突っ走っているという話をする人がいない。
それはとても寂しい。

自分が何かを作るとき、子供の心だけは忘れていない。
いつもそうだ。

純粋な心が、何かに一途に向かわせる。
汚れてしまっては、まっすぐには進めない。



最後の時
僕らは確かめ合った
ここにいると叫びあった

地球はめぐり
星は流れ
僕らの時間は
どこかに置き忘れ
昔のあの夕日は
いつの間にか消えている

幼少の頃の輪郭は
ぼやけて汚れてしまった

明日を迎える
僕らは見つめあった
確かに存在する現実

言葉は増え続け
傷つきあい
喜び合った時間は
過去に流れ去り
昔と呼べるほど
懐かしむことがあるのだろうか

幼少の頃の輪郭は
ぼやけて汚れてしまった

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03/24

Mon

2008

「芸術」という辞書としての定義

辞書の定義を求めてある一定の物事をくくりたいのなら、辞書を引けばいいのに、なぜ私の感覚をわざわざ言葉にする必要性があるのか疑問に思う出来事があった。
「芸術ってどういうもの?」
という簡単な質問だった。

考えながらまごまごして、「無形物から生まれる有形物でしょうかね?」と答えたら「それは芸術の定義にはならないな」と答えられた。

別に定義で芸事をしようとしているわけではないから、どれだけコケにされようと私には関係のないことだった。

その方は非常に本を読まれる方で、私の読書量の大変少ないことに対して「そんなことで文章書こうとするほうがおこがましいわ。やることを言わないほうがいい」といわれた。
そりゃそうなのだが、文学とネット上でのコンテンツとしてのエンターテイメント文章とは、まったく違う方向を向いている。

私は少なくとも紙にはしたいので、確かにその方のいわれることも一理あるかとは思うが、芸術の最終目標は「限りなく無限に近い同化」であって、限りなく限定されたものへと向かうのは「感覚」を「広げる」ことから反している。
つまり、何かでくくろうとすること自体、行動としての芸術には反する。

芸術には矛盾がある。
我々はツールを使う。
本を書くなら文字を、絵を書くなら絵の具や筆などを使う。
これは、限りなく無限に近い状態、つまり感覚の鋭敏さが世界へと溶け込んでいく、同化することによって得られる達観した状態を限りなく封じ込めることになる。
無限を限定すること。
芸術としての矛盾はすべてここにあると私は考えている。
そして、永遠にこの矛盾と戦い続けるのだ。

経営コンサルタントをなさっている方だったが、正直に言って「商売になるかならないか」なんてことはどうでもよいのだ。
私は「利道」の大原則は「投資」にあると思っている。
「投資」とは、「他人の幸福を育てる」ことだと思っている。
投資におけるお金とはそのように扱われるべきなのだ。
物を売るということの裏には、「この道具を使うことによって少しでも幸せに貢献したい」という思いがなければ商品は魅力を持たないと私は考えている。
さもなければ最終的にお金に裏切られることになる。
それもそうだろう。
最初からお金を裏切っているのだから、最終的に見放されるのは当然だ。
私は「これは儲かる」「これは儲からない」という基準よりも、一人でも幸福にできるだろうか、もしくは後世に何か残せるだろうかを基準に考える。
一人殺して百人救えるのならば、私はちゅうちょなくやろう。

辞書としての定義などどうでもいい。
一人殺すことが「救済」かと言えばそうではないではないか。
だが結果的に百人を「救済」している。

定義が人を救っているわけではない。
定義が芸術をしているわけではない。

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03/12

Wed

2008

完璧な論理構造が正論とは限らない。
論理的に正しくないからと言って、問題点として扱えないというわけではない。

議論をするときに、言葉遊びなどどうでもよい。
「ロジックとして間違ってますね。その程度ですか」
そういう人は、ただ人をこばかにしたいだけでそれ以上のものはない。
不毛なコメントだ。

不確定なものに対して、「証拠を出せ」とかいう人間に対して「勘が100%間違っている証拠が絶対に存在しますね?」と突っ込んでみたい。

人間は感情の生き物で、心理的なものがロジックを捻じ曲げることは多々ある。
でもそれは確実に間違いとは言い切れない時がある。

心理的なものがシステムに関与しすぎると、間違いが多々起きる。

人は感情論ではこの人間社会を支配しているシステムを崩すことはできない。
システムに反論するなら、ロジックもまたシステム的である必要性がある。
論理構造としておかしくないもの。
感情的なものは一切省かれているもの。
人と構造は相容れない。
構造に支配されるのか、人が構造を支配するのか。
システムに飼いならされた人間が、「正論」なる「過ち」を犯しても別にどうでもいいことだ。

大事なのは、間違いからどう学ぶか。
間違いとどう向き合うか、だ。

やってみなきゃわからないことだってたくさんある。

自分は言うだけだったから、そろそろ自分が情けなくなってきた。
何を言われてもやろうと思う。

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03/05

Wed

2008

他人の自分へのイメージ

頼りないとか、不安だとか、結構ちらほら言われたりする。
確かになぁ、と思ったりするのだが、直していきたいなとも思う。

しかし、自分の悪いところは、なかなか全部自分でわからないものだ。

口癖とか、行動とか、そういうもので他人は判断するのだから、自分がこうだとか思ってもどうしようもない。

人付き合いのうまい人は、他者への与えるイメージがよいのだから、本当はダメダメでも、見た目やあたりさえ好感を持てればよいのだろうと思う。

しかし、「他人と比べるのは、最も非生産的なことである」と誰かが言っていた。
究極的には、自分の能力しかないのだから、ここに集中して、それを高めていくしかないのだろう。

イメージもまた、内面の具現化にしかすぎない。
他者の指摘は、正論である場合が多い。

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03/04

Tue

2008

他人に読ませるためのブログじゃない

正直に言うと、愚痴や、ネガティブな部分も丸出しにしたブログというのは、他人受けしない。
なんで書いているかと言うと、自分の書いたものを見ると、他人が書いたように見える。
出力と入力は、どうやら別の人間がやっているようだ。

リハビリのようなものなのかもしれない。
感情に忠実になる。
己に忠実な感情を知る。

裏舞台を見せるのは下の下かもしれないが、本当に読ませたくないものは伏せている。

自分の考えがどう変わっていくのかも興味がある。

ああ、こういうことを書こうと思ったのではない。

男という生き物は、常に何かに向かってなければ無気力になる生き物らしい。
それだけを書こうと思った。

時間を有効に使う術を学ぼう。
じゃないと何もできなくなって、本当に口だけの人間になってしまう。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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