忍者ブログ

あさかぜさんは見た

リクエスト何かあれば「comment」に書いてください。「note」「Paboo」で小説作品読めます。

11/25

Mon

2024

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

02/29

Fri

2008

時間の使い方がヘタ

無駄な時間を多く過ごしている・・・
精神的にふらふらふらふらふらふらふらふら・・・
気持ちの落ち着くことが続くことはない。

「何をすればよいのだろう」
「何を優先させるべきだろう」

これをやろうと思っても、ふらふらふらふら・・・

スケジュール管理力と実行力のなさだといわれればそれまでだ。

同じ事を繰り返す。
進歩のない人間。

砂漠に木を生やすのは大変なことだ。

仕事があり、やるべきことがあり、時間を使う。
「なんのために?」と一度は誰もが思う。

理不尽な要求、「お客さま第一主義」、自己啓蒙・・・

今日、ニュース番組でうつのことをやっていた。
「うつになってよかった」と、働けるまでに回復した人が言っていた。
「深い海の底に沈んでいくような」という表現をしていたがよくわかる。
「鉛のような重い心」という解説をしていたがよくわかる。

本当に体が重くて動かない。
心と体が完全に分離して意思通り動かすことができない。
ネガティブな思考の連鎖の中で死にたくなる。
接する人すらも巻き込んであらゆるものを破壊していく。

健全な人間から見れば「悪」そのものに見えるのもよくわかる。

結局何もできないで一日を過ごす。
一日だけならいい。
数年続く場合もある。

そういう時間は無駄なのだろうか。
過ぎてしまえば何が起こっていたのかすらよくわからない。

自分の心のペースどおり過ごしていたら、5年過ぎていたとか、うつに関してはよくある話だろう。
そういう状態もよくわかる。

現代人はスピードが早いから、有言即実行、かつ結果主義、となる。
10年かけてやりますとか言ったら批判と中傷の嵐だろう。

心が仮死状態にある。
こればかりはなってみないとわからないし、特に「なんの支障もなく五体満足に心が命じたとおり動かせる人」には到底理解できない領域だ。

現代人は能率主義を前提にして時間を仮定している。
だから使い方がヘタとか、ウマイとか、「時間給的能率」を主にして時間を捉える。
誰もそれを「おかしい」とは思わない。
覚えることややるべきことがたくさんあるから、少ない労力で最大限の成果を上げたいと考えているからだろう。

思えば矛盾するものをたくさん自分は抱えている。
みんなそうだろうとは思うけれど、自分は「時間から脱落した人間」だ。
現代社会のペースには合わすことができないし、自分が傲慢だから他人の傲慢にはついていけない。
無理すればおかしくなるのがわかるから、自分勝手にやるしかない。
「社会人失格宣言」をしているようなものだけれど、これでいいと思っている。

社会からの脱落者が見る現代社会も面白いと思う。
誰かの心を一生懸命考えるために、まず自分の心を捉える。
この日記でいちいち見苦しいものも残していくのは、「強い人間」にならないためだ。
ひざを折って、じっと話を聞く気持ちを忘れたら、もう書くことをやめなければいけない。

拍手[0回]

PR

02/27

Wed

2008

大企業へのクレーム

今、一通り「Google AdSense(現在上にある広告)」への入金トラブルを調べていた。
将来、自分もなんらかのトラブルに巻き込まれる可能性も考慮に入れて読んでいた。
まあそもそも「なぜGoogleは不正なクリックなどをカウントしないプログラムを作らないのか?」につきるのだが。

組織が大きくなればなるほど、各セクションが手足のように動くようになる。
これは組織構成の必然なのだけれど、今一番厄介なのは、「個人情報保護法」によって各セクションの情報が分断されて、例えばクレーム係りからクレジット係りへの情報が大変手間取るということ。

たとえ、電話受付をしている場所でも、アウトソージング(外部委託。表面の名前は同じ会社でも運営している会社はまったく関係ない会社。これはお客さまには絶対に伏せる)だった場合、もっとやっかいになる。
本部から詳細は降りてこないし、外部委託された企業が本部へ詳細を伺える範囲も極めて狭い。
正直言って何も教えてくれない。

個人情報とは「個人を特定できる情報」なので(最近は企業内部の機密事項も含まれる)、たとえ関係なくても、それに関連する情報はすべて知ることはできないことになる。

そもそも個人情報だって「悪用したほうを罰する」ことにすればよいものを・・・

特に本部と各セクションが完全に組織的に構成されている場合、今の時代、各部門は分断されていると考えてもらっていい。
特にそこで働く派遣社員、パート、アルバイト、正社員でも平社員クラスはお客さまのクレームに対して具体的に対応する能力は一切持っていない場合が多い。

たとえば、重大なクレームがある。
怪我や損害を被るような重大なクレームだとしても、賠償責任まで明らかにあるにも関わらず、賠償するのが本部だとしたら、当然対応してくれた人には即答できない。
せめて各セクションのトップに報告することぐらいしかできない。
そしてそのセクションのトップはまた違う部署に「こういうことがありました」と報告して指示を待つことしかできない。
だって勝手に判断したら「お前の会社かよ」ってことになるでしょう?

逆に言えば、だからこそ「マニュアルの存在」がある。
こういう場合は、こう対応すると書いてある。
もっとお客さま側から言えば「そうとしか対応してくれない」のは当たり前の話だ。
クレームを受けた側から言えば「マニュアル以上の対応はできない(権限が与えられていない)」のだ。

この時代、本部と各セクションが完全に分断されていた場合最悪の事態になる。
お客さまからクレームを受ける。
「こちらでは対応できないので本社に連絡していただけますか」と言う。
お客さまは、当然同じ会社だから連絡が取れるだろうと思い、納得されないので怒る。
こちらはひたすら謝る。
いちおうは伝える。
でも伝わったかどうかもよくわからない。
あとは伝えた側の対応を期待するしかない。

特にコールセンターやメールなどの苦情を受け付けるセクションの場合は完全に来た用件をランダムで受け取るので、同じ人間が対応してくれる可能性は極めて低い。

たとえばコールセンターの場合100人とか200人とか在籍していたら、各電話口にランダムに配信される。
電話するごとに違う人間が出るのは当たり前なのだ。

保険や金融会社の場合は、各担当が各お客さまを仕切らないと仕事にならないので、だいたい担当はつくけれど、担当がつくケースはめったにないのでは・・・と推測はする。

私は思います。
多くの「サービス」と呼ばれるものは、「お客さまのよい思い込みを維持する努力」を必死にしているわけです。
これを崩さないためにどうすればよいのかを日々考え抜いて悩んでいるわけです。

特にこの時代我々は権利を主張しなければ泣き寝入りをする時代です。
誰も「A権利、B権利が与えられています」とは説明してくれません。
権利も複雑になってきているし、専門家でなければわからない内容も数多くあります。
しかし知らなければ損をするし、主張しなければ権利を与えられるチャンスも失ってしまいます。
もう、そういう時代です。
我々客の立場からすれば横暴になるのは避けたい。
機械じゃないのだから人間が完璧なものなんて現実世界には存在しえない。

我々がもっとお互いの立場を知れればと私は思っていますが、企業というのは時として虚飾を作り上げることにやっきになっています。
しかしこのインターネットの時代、そんなまやかしは通じなくなる。

これからの企業に求められるのは、「悪いところをどのように改善しているか明示する」ことで、「悪いところはありません」と隠すことではないと思います。

コンプライアンス(法令順守)とか言うけれど、法律が絶対だと信じていたら国に騙されますよ。
ダメな法律はダメだと主張する賢さを持たないと、結局めぐりめぐってしわ寄せが国民生活にまで来ることになります。

その典型が「なんで対応してくれないの?」「生活苦しいんですけれど」と言っても「いえ、法律で定められていますので」でおしまい。
そう言ってくれればいいけれど、「こちらでは対応しかねます。申し訳ございません」でおしまい。
ということになります。

のほほんとしている場合ではないですよ?

拍手[0回]

02/24

Sun

2008

妙な予感を知りたい

時折、恐ろしく不安になる。
理由はない。
ただじっとしていると、急に胸の辺りを襲う。
そして、「ああ、怖い」「ああ、もうダメだ」と思う。

自分の中で何が起こったのかわからない。
でも胸騒ぎがして、理由のない漠然とした不安が襲う。

どうしてこうなるのか知りたい。
なんか、前世のせいらしいけれど、本当に嫌な気持ちになる。
何をするにも怖くなって、何もできなくなる。

どうすれば治るのだろう。
どうすればいいのだろう。
まるで軽い躁鬱を繰り返している。

意味もなく幸せになった後、不安になる。

危ない。
バイオリズムなのだろうか。
一ヶ月に何度も来る。

今日も結局何もせずに過ごしてしまった。
やらなければならないことの10分の1もしていない。

拍手[0回]

02/23

Sat

2008

※追記:今日のは読むだけ時間の無駄。

4人に1人くらい一般社会人の(マナーなど)研修を受け持つ教官は「常識」とか「社会人」という言葉を相当使う。
我々観察者としての作家の世界(芸術世界)には、「常識」なんてばかげた概念を植えつけてしまうと「創造」の段階になって大変なことになるので、捨て去る。

例えば、100人いたとして、2人がとてつもない非常識な人間になり、他は「常識人」だとする。社会人とか常識とか言う定義すらあいまいだが、微妙なものは除いて、それらが確実にくくっているものとしよう。

さて、問題。
2人の非常識な人間は、常識的な人間98人に阻害されます。
常識的な人間は98人もいるので、2人のことを阻害しても常識になります。
2人の人間はだんだん人間的に腐ってきて、人間を信用しなくなり、心が邪悪になっていきます。
そして最終的には、常識的な人間に激しい憎悪を抱くことになります。
ついに2人の憎悪の塊たる悪魔は「殺せるだけ殺そうぜ」と1人15人で合計30人もの殺人を犯しました。
何が元となって30人もの死者が出たのでしょう。
2人も殺されるから32人ですね。

作家っていうのは、この「根っこ」を見る。
それを見れないと「テーマ」にならない。
「その人間が殺した動機を作らせた何かがあるはずだ」ということだ。
ただ単純に「常識」とは見ない。
「常識的概念が絶対的に正しいと信じた人間の驕り」が非常識な人間を邪悪に育てたと見たほうがいいかな。
それよりもたぶん、非常識な人間の「生活できない恨み」。もっと言えば「飯の恨み」になるのかな。
「金の恨み」とか。
テーマをどこに絞るかは各作家に任せられるけれど、「自慢げに語られるものほどうさんくさい」「絶対的正義など存在しない」など、ひねくれてなきゃ作家ってできないと思う。

「人に迷惑かけません」とか、「一般人として常識」とか、「まともに社会人やりたい人」「人から嫌われるのが怖い人」は、私たちの領域には本当には踏み込めないと思う。

で、教官の話に戻るけれど、彼らが言っている「常識」とか「当たり前」とか「できなければ社会人として失格」というのは、とにかく「人を不快にさせないための最低限のレベル」から言っているわけであるが、変な人で、ある領域においての能力が著しく突出している人っていると思う。ていうかいる。
だいたい歴史に残る大天才って、日常生活レベルにおいて「なんだこいつ?」って単純に思われるほどの逸話が必ずある。

教官たちが言っている「当たり前」のことって、少なくとも「その仕事における常識」であって「人間としての尺度」ではない。
それを何を勘違いしたのか、「人間として失格」とまで言う人もいる。

正直言ってそこまでいっちゃったら、もう「病気」です。
自分の視野の範囲が著しく狭いことを暴露しているに等しい。

平均的な人間を育てることって簡単だし、普通教官に求められるのもそのレベルでしかない。
「接客業として失格」「社会人として失格」ならば、例えば影で社内環境が悪く、お前たちが日々職場で行っている強烈な人権侵害は、「文明社会に生きる人間として失格」なのではないか、と。
発展途上国にいる、高度な近代的文明を持たない原住民でさえ、他人を大切にする。
たとえば、接客業だとして、客を大事にして社員を大事にしないとか、どういう神経しているんだろうな・・・人間として(笑)って思う。

著しい人権侵害によって、深い傷をおったとなったら、証拠さえとっておけば、もはや「刑事犯」ですからね。
刑事犯においては、罪の大小なく罪は罪として「前科一犯」となるので、その前段階を行っている人間は、「犯罪者予備軍」になるわけだ。

・・・となると、「常識」すらも疑われる。
だいたいこういう病気の方は、「社会人としてのマナー失格」=「人間として失格」=「人間として役に立たない」=「人間として最低」と次々と連結させて最終的には人権侵害を行う。

まあ、長々と書いたけれど、結局最後にまとめると、「常識を盾に、他人罵倒しなければいけない理由」なんてどこにも発生しないってこと。

まだ何もやっちゃいないのに「この仕事に向いていない」とか、ちょっとミスしたくらいで「素質がない」とか、結局教官でさえも人間だから、「自分の好きな基準」でしか物事を見ていない。
まさにそれって「非常識の典型」だと思うのですがいかがでしょう。

いつも私が言いたいのは「自分が正しいと思っているやつほど危ない」ってこと。
「私間違えまくってるけど、どうだっていいじゃん」って開き直りすぎちゃうやつも危ないけれど。

あー、今日は頭悪そうな文章いっぱい書いた。
「ダメな文章」「悪文の典型」とか添削されそう。

拍手[0回]

02/21

Thu

2008

いつでも子どもたちは大人が作った罰を被る。
それは時として子どもたちに責任がなくても罰を被る。

原罪も、これから犯す罪も、みな誰かが被る。
わざと傷つけることはないのだ。
子どもだって、叩かなくたって傷ついていくさ。
こんな時代だから。
汚い物だって見せ付ける必要もない。
教えてやるだけでいい。
いずれ見るのだから。

私は人を馬鹿にして笑いを取るお笑いに対して反吐が出る思いを抱く。
人を傷つけて人気を取る。
人を貶めて金を取る。同じことだ。

私は生きて来た中で多くの命を奪ったし殺した。
そしてこれからもそうなるだろう。
そういう命たちに対して創作する段階になっても、なお不必要に傷つけようとは思わない。

命を思って、命を抱く。
そうすることで、せめてもの贖罪をと思っている。

命を抱く。
それはおもしろおかしく命を扱うこととは分けなければならない。
いつでも命に対する敬意の念を忘れてはいけない。

誰を思うのか。
「国民」「視聴者」「読者」「お客様」
そういう単語を出す人間は偽善者か嘘つきだろう。
そんなものはどこにもいやしない。
誰が嘘つきにさせたのか、誰が罪をきせているのか。

不特定多数を表す言葉の中に、思いはない。
泣いているあの子、苦しんでいるおばさん、お金に困っている人、ドラマが好きな人、弱い人しかいじめない人、誰か、もっと限定された人がそこにいる。

仏を彫って、何をしたい。
もし、彫りあがったら、誰に一番に見てほしいのか、誰に一番届けたいのか、その人の笑顔や、その人の先を考えているのか。
向き合うというのは、届けたあとの誰かの気持ちを思うことだ。

危うく見失いそうになった。
このように危うくなることが何度もある。

拍手[0回]

フリーエリア

にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]