資料集めのために版数の少ない本を買い求めた。
ネットでは高値がつきそうな本なのだし、実際ついているのだが、ふとたくさん買って高く売ってやろうかというよこしまな思いが頭をかすめた。
お金も手に入るし、いいじゃないかと、自分のふところ事情を思って考えたのだが、やめた。
もし自分がそうされたら、あまりいい気分はしない。
本は、それを大切にするものにこそ真価を発揮する。
投機の目的で本が売買されたのでは、本も作者も泣くだろう。
でも、お金は捨てがたい。
思えば、「やってはいけないこと(その業界においてのモラル)」と「商業資本主義(いわゆるカネ儲け)」というのは、いかにも危うい関係で紙一重の薄さで隣り合っているのでは、と自分が行いそうになったことで思った。
例えば文化的に優れた本がある。文化的に優れた映画がある。それらは思想的に、構成として、作品として、突出した可能性を持っているとする。
しかしそれらは時間をかけて噛み砕かなければ、もしくは教養がなければすっと見えてこない作品で大規模な利益は期待できないとする。
一方、エンターテイメントで構成された娯楽商品があるとする。この持続性は低く、一度出すと次は期待できないが、一時的には莫大な利益が期待できる。だが文化を壊し、真っ当で正当な作品がことごとく破壊され、真面目にやってきた人は涙を流す。
実際モラルなんて無視して金儲けに走ったものが得をする。嘆くやつはほうっておけばよい。稼いだもの勝ちだ。次のことも自由にできる。
はたして残ったものは何かといえば、まさにゴミの山。見向きもされない資源の山ができあがるわけだ。
いや、その中でも次に繋がるものが出来上がるのだろうか。
何が正しいのかはわからないけれど、少なくとも昔ながらの硬い考えでは金儲けの発想はできないということらしい。
じゃあモラルはどうなるのだろう。
誰かが破る。周囲は焦る。やがて渡りだした最初の赤信号を無視したものにつられてゾロゾロと信号無視をするものが多くなる。
「真価」とは、なにになるのだろう。
逆に、社会のそのようなあおりを受けて、これではいけないと立ち上がる人たちが、日の当たらない場所で活動を開始するのだろうか。可能性は低い。
なぜなら、やはり欲望に目がくらみがちなのが人で、第一に名誉欲や、物欲がくるに決まっている。
私が隔たった見方をしすぎなのだろうか。
そもそも仕掛ける側が弱腰になるのは、客にこびているからに他ならない。
売り上げを気にし、利益を気にし、何事も商業ベースで考える。
そこに価値のある文化は生まれるのだろうか。
類似作品が横行し、似たようなキャッチフレーズが飛び交い、もはや燃やす燃料すらも枯渇してきた。
資源を無駄遣いしてきた結果だ。
この世界ですらも「飽食」なのだ。
最近本の悪口はよく見かけるけれど、一生とっておきたい本というのはあまり聞いたことがない。
価値ある本が、消えていく気がしてならない。
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