今日はどこにいってきたかっていうと、札幌のものまねオーディション会場で歌ってきたわけですが、アカペラでやるわけです。
それで東京は400、大阪200とかいう人数が来るとか言っていましたが、札幌は十数人のまったりした感じ。
なんか、こう、ついでで来ましたみたいな感じの人が多い中(私も含める)、一人ちょっとオーラが出ていた人がいたのですが、それでもまあまあの反応。
喜んでいるほどではなかったです。
人数が多いとどうなるのかはわからないのですが、マイク使ってやって、審査員が一人いて(おそらく東京から来た人)、長所短所をズバズバ言ってくれます。
「これは今時うけない」とか「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」とか「中途半端」とか。
ちなみに私の総合評価は「歌はうまいけどものまねとしてはいけてない」でした。
審査員が全員に出した言葉を私なりにまとめると、ものまね本戦に出るカギは「誰もが知っていて、誰もが似ていると感じて、誰もが違いがわかって、かつ独自の視点や工夫が見られる突出した素人としての才能を見出せる」こと。
例えば尾崎豊でも「死ぬ前」「レコード」「デビュー中盤」などなど他者が聞いて違いがはっきりわかる程度に区別できるものまねのレベルを目指す。
だいたいは「カラオケレベルだよね」と言われ、私もその部類でしたが、まあそのくらいで挑戦していってちょうどいいのではないでしょうか。
上には上がいるからね。
楽しんでくるのもひとつ。
そういう時は真面目に行かないほうがいい。
遊んでくる気持ちで行くほうがちょうどいい。
そんなこんなで、帰ってくると、じいちゃんが危篤だという知らせ。
死んだ人は見たことがあるのですが、死んでいく人は生まれて初めて見ました。
10月28日18:25 永眠 93歳(数え年)
意外に葬式って大の大人でもわかったつもりでわかってませんでした。
特に、故人の意向があると、普通の知識じゃおいつかない。
宗派はこうだったら、これはこうだとか、あれはダメだとか、故人はこうして欲しくても、坊さんがどうだとか色々あって、親友とかに葬儀屋は一人は欲しいものだと思いました。
最後に「ありがとう」といって息を引き取っていったじいちゃん。
ひとつ、繋いでいったものと、繋いでいくものの区切りがついた感じがしました。
自分のこともまた同時に考え、まだこの年で見通しの暗い不安定な状態でいることを申し訳ないと思い、もう引く気にはならない自分を考えていました。
今はゆっくり明日に備えて休みます。
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