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あさかぜさんは見た

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09/21

Fri

2007

私にとって大事なのは、それがいいか悪いかではなく、なぜ起こったのか、なぜそれがあるのか、ただそれが発生した事情のみに興味があるのです。
価値観や先入観は勘や元にある根を見る力を鈍らせるだけなのです。

他の人はどう判断していきようといいのです。
なるべくなら、社会的な常識に従って生きるのがよいですが、自ら率先して行動したい方は、一度常識を捨て去り、自らが最も汚れたことをする覚悟をして行動することをお勧めします。

理解されるされないの問題を超えたものを残したい人はそのように強く生きてください。

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09/21

Fri

2007

もはや息をしているだけのじいちゃんに声をかけた。
「今までありがとうございました」

うんともすんとも言わず、酸素吸入器で息をし、病院のベッドの横たわるじいちゃんが泣いていたように見えた。
なぜかそれを感じた。
きっと、魂で聞いたのだと思った。
今は必死で息をしているが、いつ穏やかになるかわからない。
きっと、穏やかになったときには、「おつかれさま」と言える状態になるのだろう。

生と死を考える。
生きるとはなんぞや。
死ぬとは何ぞや。

仏教思想の「空」を考える。
すべてのものは均一なり。
そこには生も死もない。
すべては空なり。

論理の前に、感情が太刀打ちできない。
何を考えるわけでもなく、何かを感じている。
自分の中の感情をなるべく抑えようとしている。

ふと感じた。
感情は論理をぶち壊し、理性をぶち壊す。
感情のこもらない論理は信用するに値しない。

思えば理屈ばかりだった。

理詰めで動ける人間は強いのだ。
そんな人間には誰もついてこない。

人間は、理屈じゃない。
感情で動いている。
もし、そのことを「当たり前だ」と思った人は、まだ「理屈で動いている人」だ。
自分もそうだった。

去り際に一生懸命じいちゃんを看病したおばさんから「がんばってって言ってあげて」と言われて言ったけれど、もう自分には酷な言葉に感じた。
もう大丈夫。
もう、ゆっくり休んでいいよ。
そう言いたかった。

私は将来この家系に不幸を及ぼすかもしれない。
誰も知らない、誰も理解しない、自分だけの覚悟を背負って、私は行きます。
じいちゃんがいなければ、私はきっと映画を作ろうと思わなかったし、創作する空想すらも貧困だったでしょう。
世話をしてくれ、多大な援助をしてもらったおかげで、少年期の夢想の癖はつきました。
あの頃の鋭い感受性はまだ取り戻せないままでいますが、少しずつ取り戻していきたいと思います。
私は、どうやら普通の会社員は無理なようです。

何かとご心配かけましたが、長い目で見てやってください。
本当にありがとうございました。

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09/19

Wed

2007

よく最近、意味不明の理由で人を傷つける人がいますが、その気持ちがわかる?一人です。
何か神経が毎日張り詰めすぎていて、そして未来に何も希望や発展的人生を見出せなくなって、毎日単調でピンと張った心持でいると、何かに八つ当たりしたくなります。
物でもよいのですが、「ああ、破壊してやった」と手ごたえのあるものがよいです。
破壊した後はとても気持ちのいいものです。
だいたいストレスっていうのは人からもらうもので、自己中心的な破壊衝動によりストレスを発散するのですが、たいていは重度の甘えがあります。
甘えというよりも、むしろ極度の想像力の欠如と言ったほうがいいかもしれません。

想像力というのはとても大事で、己を未知の世界に対して進ませるきっかけにもなります。
ひとつの原動力として想像力は欠かせないのですが、その想像力が貧困だということは、つまり他人に与えてもらってばかりで自分で考えたり、自分で想像したりする力が著しくないと言ってもいいかもしれません。
また、その力は張り詰めた神経ではなかなか豊かな想像性を発揮はできません。
いわゆる、心に血が通わなくなって麻痺するんですね。
そうなると、とても心が本能的になり、一方的になります。
豊かな想像性を発揮するには単純労働に慣れていては無理です。
自由に発想できてそれを組み立てられる力が出せる環境が必要になります。
だからと言って想像性豊かな人がやらないかといったらそうでもないのですが、問題はストレスの受け皿となる環境づくりができていないことが問題となってきます。

それが何のせいだというのは極力避けますが、現代都市文明はエネルギーを使っています。
それがこの地球上での最もわかりやすい「破壊のシンボル」だということは、あまり気がつく人はいません。
そして、その都市社会の動きを止めないために働く人もまた「破壊活動に加担している破壊者」となります。
なぜなら、繰り返しますが、エネルギーや資材を限りなく消費していくからです。

都市部にだけ犯罪者が出るとは限らないのですが、犯罪者は人間社会の破壊者であり、人の心のは会社でもあります。
よく、「愛情が注がれなかった人が凶悪犯罪を犯す」と言われていますが、私は愛情のない家庭で育ったわけではありません。
でも、破壊的な衝動だけはどことなく浮かび上がってきます。
物理的な暴力はダメで、精神的な暴力はよいということにはならないように、誰でも大なり小なりやっているわけですが、心が硬くなれば、硬いものが当たった時、跳ね返せるようなクッションはなく、ガキッと変な音を立てて、欠けるときがあります。
張り詰めた筋肉が何かの衝撃で切れてしまう感じです。
心が切れちゃった人が変なことやり始めるわけです。

「豊かな社会」にも「貧困の社会」にも「破壊」があふれています。
そしてどちらにも共通しているものが「循環」がありません。
自然のサイクルといいますが、ごく自然なものは「循環」します。
それがどこかで滞ってしまうと不自然な状態になります。
「破壊」したあと、「再生」するものがない。
よりよい社会ができあがるには、「循環」させるシステムを考えなければいけません。
そしてそれは人の目を背ける不都合な真実に向けられなければいけません。

想像力がなく、創造のできないものは「破壊者」です。
そして、破壊しつくしてしまうと、気が遠くなるほど時間がかかります。
誰かのせいにすることは簡単で、あらゆる自分の不都合を他人のせいにできる世の中になりました。
でも、その分自分で考えなくなりました。
自分に不都合な現象を自分で率先して解決する人が少なくなりました。
自分が嫌な人の心を無視して生きようとする人が多くなりました。

と、言ってみましたが、「心」が他人を循環しなくなると、己の中で腐り果てます。
エネルギーを使うだけで再生ができないといずれ枯渇します。
循環がないと、何もかもおかしくなります。

破壊は誰でもできます。
そしてそのターゲットは無差別に向けられてもよいのです。
どうせ、結果的には破壊なのですから。

しかし再生は無差別には無理です。
莫大な想像力と力がいります。
これをやる人も誰でもよいのです。

誰のせいでもないのです。
きっと社会が悪くなっているのは、いつの間にか創造することを忘れている人が増えているからなのではと私は思ったりします。
私は人に向かって「やりなさい」とは言わないタイプですし、それを言えるような身分でもありません。
でも、「少し、考えてみてくれませんか?」とぼやいてはおきたいです。

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09/19

Wed

2007

誰もが突拍子もないことに否定から入る。
無理だ。
とうてい不可能だ。
現在の状況から逸脱したものを想像できないものは、大きな未来は作れない。
なぜなら、奇抜なものは前例のないもので、過去を探して安定材料を探しても無駄だからだ。
「それみたことか」
「やっぱり失敗しただろ。言ったとおりだ」
みんなその言葉を他人に言い放って自己顕示欲に浸りたいのか、それとも変化が怖いのか。
犠牲にするものがなくて、何が得られるのだろう。
苦しまずして、どんな鋭いものが創れるというのだろう。

ずっとなにかあるごとに心に思い出す宣伝がある。



見るたびに涙ぐむのだが、この宣伝にだけはかなわないと思った。
同時に、自分が誰かの想像力あふれる未来を潰すことに恐怖を感じた。
そして、己の未来さえも、他人にはくくれない何かがあるのだと自分で充分感じた。
もし、自分に本当に能力があるのなら、必ず世の中に出られるだろう。
そのタイミングがいつになるかはわからないけれど、なぜか自分が活躍している姿は想像に難くない。

少しずつ、近づいている。
そう、感じる。

誰も敵はいない。
一番の敵は、あらゆるものに対してくじけそうになる心そのものなのだ。

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09/17

Mon

2007

「神はサイコロ遊びをしない」

たとえ失敗が目に見えている無謀な行為でも、何かしら得るものが大きいと思い行動している。
馬鹿でも、アホでも、どのように身内からすらも罵られようと、私は私の新しく得るものに向かって身を犠牲にしている。

誰も、その覚悟を知らない。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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