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あさかぜさんは見た

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09/23

Sun

2007

信じられない世界

詐欺師は信頼を武器にして人を騙す。
しかし、いったんそれが行われると、感染病のように不安が広がり、人々はそれに対して防御を固める。
凶悪犯罪もまたしかり。

昔コナミのゲームソフトで「スナッチャー」というゲームがあって、人間そっくりに作られたロボットがいつの間にかオリジナルの人間とすり替わって人間世界で生きていくというシナリオがあったが、その中で細かい言い回しは忘れたが、「疑念を刺激するだけで人間社会は崩壊する」というような内容があったのを印象深く記憶している。

例えば自分でもネットを使った軽い悪さならいくらでも思い浮かぶ。
悪さ、と言っても、立派な犯罪なのだが、簡単に言えば善人を装って悪行をそ知らぬ顔でするということになる。
変な話なのだが、「ああ、善人は信用できないね」ということになり、よりチェックが厳しくなる。
「騙されたほうが悪いんだよ」とか、ちょっと外れるが「いじめられるほうが悪いんだよ」ばりに言う人がいるが、そりゃあんた、自分が一ヶ月の給料分の金が入った財布が盗まれれば、絶対「自分が悪いですごめんなさい」とは言わないわけで、自分のときだけ「相手が悪い」と言う人がほとんどなのですが、基本刑法の罪は被害者ではなく、加害者にあるということを忘れてはいけません。

でも、ですよ?
あたかも被害者であるかのような加害者もいるのですよね、この世界には。
もっと巧妙なのが、完全に被害者支援をしていると見せかけて、実は犯罪の張本人なのですよと、そういう人もいるわけです。
この場合、よほどはめをはずさないとばれることがありません。
一番悪質なのが、合法的な犯罪行為なのですが、法律上は合法なのですから犯罪とは言いません。
ですが、「人間社会や集団をつなぎとめている信頼というもろい鎖を破壊する」という意味では立派な犯罪です。
これに関しては自分も多少手を染めるし、これからも染めていくので、でかいことは言えませんが、困ったことにこれからこの手のぎりぎりの合法行為は多発します。
より物も人も含めて合理主義の完成形みたいな人間が社会の上層部を占めるようになりますと、それこそ奴隷のような階層が生まれるわけですな。

人間ぎりぎりになってくると「騙された」とかも言っている暇なくなっちゃう。
「生活していけなくなるならこれでいいや」みたくなってしまうと、社会全体が大変なことになっちまいますな。

色々複雑に絡み合ってあたかも悪いことが常識のようになっていきますが、人情がぶっ壊れる世界が一番悪いんですわ。
それなくしたら日本おしまいですよ。
何が最後に無くなるかって言ったら「人を心から思いやろうとする心」ですからね。
それが本当は人間社会を健全に維持していく前提なんです。
マジで。

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09/22

Sat

2007

「結局誰に拾われるかなんだから、最初は。誰かに、こいつはすげぇと思わせて、そのすげぇと思わせた人たちがお前を勝手に上まで連れていってくれるんだから、そんなんじゃダメだ。バリエーションの豊富さを見せないと。誰でもできるならお前なんかいらないんだわ。色んなもの吸収していかないと。大人の世界なんて汚いんだから、何度潰されてもはい上がれるくらい実力つけないとダメだ。夢ばかり語ったってダメだ」

こいつはすげぇ・・・か。

すげぇ・・・か・・・。

すげぇのは、どこまでいけばすげぇんだろ。

宇宙みたいで楽しいな。

きっと人間じゃ行けないようなところまで、すっといっちゃう人がすげぇんだろうな。

例えば、同じ夢を目指している人が100万いて、その100万みんなぶった切っちゃうような人がすげぇんだなきっと。

なんかこう、気がついたらそこにいたよ、え?なに?ぐらいの感じでそこにいてもすげぇんじゃないの?

目立つくらい「すげぇ!」じゃなくて、自然とそこにいるみたいな凄さもあっていいのではないかと考えたり。

とにかく、食い込まなきゃな。



P.S.
え?「なんでもやってみりゃ~いいじゃん。ぐちぐちいってないで」って思っている自分ダメかいな?
なんか、物凄く楽観的なんですけど。

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09/21

Fri

2007

私にとって大事なのは、それがいいか悪いかではなく、なぜ起こったのか、なぜそれがあるのか、ただそれが発生した事情のみに興味があるのです。
価値観や先入観は勘や元にある根を見る力を鈍らせるだけなのです。

他の人はどう判断していきようといいのです。
なるべくなら、社会的な常識に従って生きるのがよいですが、自ら率先して行動したい方は、一度常識を捨て去り、自らが最も汚れたことをする覚悟をして行動することをお勧めします。

理解されるされないの問題を超えたものを残したい人はそのように強く生きてください。

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09/21

Fri

2007

もはや息をしているだけのじいちゃんに声をかけた。
「今までありがとうございました」

うんともすんとも言わず、酸素吸入器で息をし、病院のベッドの横たわるじいちゃんが泣いていたように見えた。
なぜかそれを感じた。
きっと、魂で聞いたのだと思った。
今は必死で息をしているが、いつ穏やかになるかわからない。
きっと、穏やかになったときには、「おつかれさま」と言える状態になるのだろう。

生と死を考える。
生きるとはなんぞや。
死ぬとは何ぞや。

仏教思想の「空」を考える。
すべてのものは均一なり。
そこには生も死もない。
すべては空なり。

論理の前に、感情が太刀打ちできない。
何を考えるわけでもなく、何かを感じている。
自分の中の感情をなるべく抑えようとしている。

ふと感じた。
感情は論理をぶち壊し、理性をぶち壊す。
感情のこもらない論理は信用するに値しない。

思えば理屈ばかりだった。

理詰めで動ける人間は強いのだ。
そんな人間には誰もついてこない。

人間は、理屈じゃない。
感情で動いている。
もし、そのことを「当たり前だ」と思った人は、まだ「理屈で動いている人」だ。
自分もそうだった。

去り際に一生懸命じいちゃんを看病したおばさんから「がんばってって言ってあげて」と言われて言ったけれど、もう自分には酷な言葉に感じた。
もう大丈夫。
もう、ゆっくり休んでいいよ。
そう言いたかった。

私は将来この家系に不幸を及ぼすかもしれない。
誰も知らない、誰も理解しない、自分だけの覚悟を背負って、私は行きます。
じいちゃんがいなければ、私はきっと映画を作ろうと思わなかったし、創作する空想すらも貧困だったでしょう。
世話をしてくれ、多大な援助をしてもらったおかげで、少年期の夢想の癖はつきました。
あの頃の鋭い感受性はまだ取り戻せないままでいますが、少しずつ取り戻していきたいと思います。
私は、どうやら普通の会社員は無理なようです。

何かとご心配かけましたが、長い目で見てやってください。
本当にありがとうございました。

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09/19

Wed

2007

よく最近、意味不明の理由で人を傷つける人がいますが、その気持ちがわかる?一人です。
何か神経が毎日張り詰めすぎていて、そして未来に何も希望や発展的人生を見出せなくなって、毎日単調でピンと張った心持でいると、何かに八つ当たりしたくなります。
物でもよいのですが、「ああ、破壊してやった」と手ごたえのあるものがよいです。
破壊した後はとても気持ちのいいものです。
だいたいストレスっていうのは人からもらうもので、自己中心的な破壊衝動によりストレスを発散するのですが、たいていは重度の甘えがあります。
甘えというよりも、むしろ極度の想像力の欠如と言ったほうがいいかもしれません。

想像力というのはとても大事で、己を未知の世界に対して進ませるきっかけにもなります。
ひとつの原動力として想像力は欠かせないのですが、その想像力が貧困だということは、つまり他人に与えてもらってばかりで自分で考えたり、自分で想像したりする力が著しくないと言ってもいいかもしれません。
また、その力は張り詰めた神経ではなかなか豊かな想像性を発揮はできません。
いわゆる、心に血が通わなくなって麻痺するんですね。
そうなると、とても心が本能的になり、一方的になります。
豊かな想像性を発揮するには単純労働に慣れていては無理です。
自由に発想できてそれを組み立てられる力が出せる環境が必要になります。
だからと言って想像性豊かな人がやらないかといったらそうでもないのですが、問題はストレスの受け皿となる環境づくりができていないことが問題となってきます。

それが何のせいだというのは極力避けますが、現代都市文明はエネルギーを使っています。
それがこの地球上での最もわかりやすい「破壊のシンボル」だということは、あまり気がつく人はいません。
そして、その都市社会の動きを止めないために働く人もまた「破壊活動に加担している破壊者」となります。
なぜなら、繰り返しますが、エネルギーや資材を限りなく消費していくからです。

都市部にだけ犯罪者が出るとは限らないのですが、犯罪者は人間社会の破壊者であり、人の心のは会社でもあります。
よく、「愛情が注がれなかった人が凶悪犯罪を犯す」と言われていますが、私は愛情のない家庭で育ったわけではありません。
でも、破壊的な衝動だけはどことなく浮かび上がってきます。
物理的な暴力はダメで、精神的な暴力はよいということにはならないように、誰でも大なり小なりやっているわけですが、心が硬くなれば、硬いものが当たった時、跳ね返せるようなクッションはなく、ガキッと変な音を立てて、欠けるときがあります。
張り詰めた筋肉が何かの衝撃で切れてしまう感じです。
心が切れちゃった人が変なことやり始めるわけです。

「豊かな社会」にも「貧困の社会」にも「破壊」があふれています。
そしてどちらにも共通しているものが「循環」がありません。
自然のサイクルといいますが、ごく自然なものは「循環」します。
それがどこかで滞ってしまうと不自然な状態になります。
「破壊」したあと、「再生」するものがない。
よりよい社会ができあがるには、「循環」させるシステムを考えなければいけません。
そしてそれは人の目を背ける不都合な真実に向けられなければいけません。

想像力がなく、創造のできないものは「破壊者」です。
そして、破壊しつくしてしまうと、気が遠くなるほど時間がかかります。
誰かのせいにすることは簡単で、あらゆる自分の不都合を他人のせいにできる世の中になりました。
でも、その分自分で考えなくなりました。
自分に不都合な現象を自分で率先して解決する人が少なくなりました。
自分が嫌な人の心を無視して生きようとする人が多くなりました。

と、言ってみましたが、「心」が他人を循環しなくなると、己の中で腐り果てます。
エネルギーを使うだけで再生ができないといずれ枯渇します。
循環がないと、何もかもおかしくなります。

破壊は誰でもできます。
そしてそのターゲットは無差別に向けられてもよいのです。
どうせ、結果的には破壊なのですから。

しかし再生は無差別には無理です。
莫大な想像力と力がいります。
これをやる人も誰でもよいのです。

誰のせいでもないのです。
きっと社会が悪くなっているのは、いつの間にか創造することを忘れている人が増えているからなのではと私は思ったりします。
私は人に向かって「やりなさい」とは言わないタイプですし、それを言えるような身分でもありません。
でも、「少し、考えてみてくれませんか?」とぼやいてはおきたいです。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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