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あさかぜさんは見た

日記

11/10

Sat

2007

答えは簡単されど易くなく

東急ハンズの売れ筋はこの男から始まるという人とくちゃぱっくの会社の女社長さんと10分ほど話した。
引き止めておくだけの質問力の著しい欠如からか、そのくらいしか聞けなかった。
有意義とは言えないが、自分にとって得るものはあった。
男の方は商品と人、そこには愛情がなければいけないと言った。
「基本的には日本の商品はほとんど飽和状態になっています」
つまり、いいものばかり、ということだろう。
そう言った。
「愛情でしょうね。手を加えることです」
商品と人との間に手を加え、商品を愛する。
押し売りではなく、利益は考えず、商品のためを思う。
効率的な商品にはよい部分が欠落することがあるので、手間隙かけた商品が売れるのだろう。
女の方は55から商売を始めたと言った。
みんなに反対され、馬鹿にされたが、今は順調に進んでいるといった。
将来は天然ものの石鹸を作りたいと言っていた。
嘘をつかない、天然素材の石鹸を作って札幌から発信していくのだと言っていた。

男の人は大阪の人で市政にもアドバイスをしているらしく、これからは横浜でしょうといった。
先駆者となる地域、その人にとって横浜という場所は商品を売るにも新しいことをやるにも魅力的なのだろう。
西欧の文化に目が開いていて、積極的にいいものを取り入れ、自己啓発の気持ちが強いとのこと。
自分、札幌なので、「札幌には興味ないのですか?」と聞くと、「興味ないですね」とバッサリ。
「官民甘えすぎなんですよ。公共のもの同士、民間同士、公共と民間同士、それぞれ甘えすぎです」
未来がありませんね、とまでは言わないまでも、「どうせこのままでしょう」という雰囲気には邪推かもしれないが見て取れた。
北海道は中央から援助金をもらっている。
援助金を減らされるとあたふたする。
サービスでも横浜のホテルのレベルと、札幌では大人と子供くらいの差がある。
自分も言われて反論できないところがあった。
ただ、札幌市民として、さすがにカチンとはくる。
いや、北海道民として、目に物見せてくれるという気持ちは起きた。
自らを高めること、多くのものを吸収すること。
ゆっくりでも進まなければいけない。

後日カチンときていたので、いいふらしてやった。
「札幌には興味ないと言われた。人の幸福のことを一生懸命考える人にならなければいけない。洗練されていくもの、洗練しようとするもの、これはすべてアートだ。アートたるには、接するものを愛していなければいけない。愛してこそプロ意識も洗練されたものも生まれる」

・・・酔っ払っていたので伝わったかどうかは知らないけれど、いろんな人に言った。
帰りのタクシー運転手にもちらっとふってみた。
「札幌には興味ないといわれましたよ」
夜道を走り、家の前で停めてもらい、深夜料金の表示がコロコロかわっていくのもほうっておいて、メーターを止めてもらわないで話をした。
少しくたびれた痩せ型の中年なすびのような運転手だったが、口をすぼめたような感じでしみじみと語りだした。
「その人がどういう人かは知りませんけどね、僕なんてこういう仕事するしかなくて、一生懸命毎日生きて、それでも日本国民としての意識はなくなっているわけじゃないですよ。僕らこうやって生きていくしかないからね」
なんとも形容しがたい、ただ強く「生きている人だ」と思った。
表には強く出ない、それでもしっかりと持っている魂の強さを感じて、涙がすっと出た。
主張はしないかもしれないけれど、意識は強くある。
耳を傾けて、その心を聞けば、そこには強い人がいる。
卑屈になるわけではない、さりとておごるほどでもない、生きているというものの中に、日本人としての意識は希薄ではないと強く言える、その強さが胸を打った。

私は一地域としてあまり軽んじないで欲しいと思う。
私は佐渡と山形で大変な恩恵を受けて帰ってきた。
人情があって、人のやわらかい気持ちがあって、一生懸命、しかも何も不自然ではない振る舞いで人への優しさを見せる。
あの人たちの姿こそ、本来の日本のあるべき姿なのではないかと思っている。
ものを売る立場としては、見込みのある場所、人の姿勢、そういったものを見てしまうのだろうと思う。
でも私は自称でも作家としての視点だから、人の魂を見る。
友達に「この人見えているようで何にも見えてないですよ。へっへっへ」と紹介されてしまったが、あからさまに「すげぇ」と思わせなければどうしようもない。

とにかく、リベンジは必ずしてやろうと思う。
そうして、「いかがです?熱のある地域でしょう?」と言えるほどになってみたい。

もし、他の地域の方、この文章を読んでいるのなら、「自分の地域は?」と考えてみてください。
そして、意識から変えてみてください。
明日の日本を作るすべての人たちへ。

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11/06

Tue

2007

相手から何を切り取り
切り取ったものをどう創り上げ
相手に別のものとして売れるか

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11/05

Mon

2007



ふらりと休み時間に立ち寄った東急ハンズで「美ら(ちゅら)パック」と「くちゃ(土のこと)」の販売員に捕まる。
男なのにと思ったけれど、よく考えてみると泥パックは脂ぎった自分の肌とか頭皮に使うとよいのでは?とか思い話を聞いてみることにした。
名詞をいただき、よく見ると目の前の女性は会社の取締役で、販売員はその道のプロ(セールスクリエイターというらしい)。
話の流れで明日一緒に飲みながら話を聞くことになった。
販売サイトも何も用意していないが、まずは販売のコツとその人の苦労話でもたくさん聞いておかなければ販売員の人は大阪に帰るのでチャンスはないと思い夜遅い時間にアポを取ってしまった。
最近髪の毛にも気を使っていて、抜け毛の原因は皮脂とかフケとか男性ホルモンだとか言うなら、これを使えば皮脂とフケは解消されるのではと思い購入した。
ついでに肌にも使ってみる。
男の脂ぎった肌って結構自分でもイライラしてくる。
脂性だとべっとりしてくるのでめがねくんの自分はめがねすべるわ顔触れば脂つくわでどうにかなるものならそれにこしたことはない。
それで早速使ってみるとびっくりするのだけれど、毛穴がパッチリする感じがする。
鏡で見ると埋まっていた毛穴が見える見える。
油も綺麗に取れた感じ。
まあ、とにかく凄いのはわかった。
来年にかけて流行らすと言っていたのでこれからの商品でしょう。
出せば売れるとのこと。
明日はしっかり話を聞いてこなきゃ。

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10/31

Wed

2007

じいちゃんの葬式は密葬という形で行ったので、身内だけの葬式でほかは誰も呼ばないし知らせない形となったのだけれど、それはそれでよかったと思う。
これでたくさんいたらもっと疲れていた。
夜線香をたやさないように身内で交代で立てていくのだけれど、その間に親戚の人たちと話をしたりした。
たいした話もしてないけれど、子供の近況や今何しているなのこうしているなの、あとは雑談だった。
遺体を見て、棺おけを見て、「みんなこういう年になったんだよな」とか「あと俺の兄弟も俺入れて二人」とか「今月は葬式何件めだ」とか、昔よくあっていた変わらないように見える親戚の人たちも高齢といえる年齢になっていた。
小説を書いていきたいのですと親戚の息子に話すと、「ビジネスには評論はいらないから、自分がどうしていきたいのかが大事。例え小説でもそれを問われると思う」と言われ、「今のニュース番組のような卑怯な手法ではいかないです」とは言っておいた。
作家としても戦わない作家は軟弱すぎていかんだろうな、とは思っていたけれどお互い話していたのは、何が悪いかと言うと「あれが悪い」おしまい、「これはどうなの?」おしまい、というのは完全な思考力の停止であって、一番安全なところでただ罵り合っているだけの悪辣さに言っている本人が気がつかないのが今の日本の言論のレベルそのものを下げているわけで、壊した後をどうするのかを真剣に考える人間がもっと増えれば下がりもしないものをやりっぱなしにするところがいけないのだと、私自身そう思うわけです。
行動することは完全なリスクであります。
そのリスクを避けて、既存の範ちゅうにとどまることは、残念ながら退化しかありません。
それは型を崩せということではなく、型を守りつつ徐々に変えていかなきゃいけないところを勇気を持って変えるということであります。
よいものはすぐにはできません。
100の失敗があってよいものも悪いものの避け方も学べるのです。
わかってはいるのだけれどね、頭では。
生きているものが新しい時代を作っていく。
目の前の遺体を見て思う。
生きるとはなんだろう。
未だ生を知らず。
骨になったじいちゃんを見てなおさら思った。
「これが現実」
親戚がふともらす。
現実。
自分は現実すらもわかってないや。
情けないことよ。
そういえば、今の火葬場って空港みたいに綺麗ね。
やや緩やかなアーチ型に各火葬する部屋が並んであって、館内にはアナウンスが流れる。
30だか40だかある焼き場がすべて埋まるくらい混雑していたけれど、なんかこりゃー近代式ですげぇやと周囲を見ながら思ってしまった。
じゅうたんもふかふかだし、待合室も綺麗だし、マッサージチェアついているし、売店も食堂も待合ロビーもあるし、喫煙室あるし、待合室の家名が電光式だし、火葬室の名前も電光式だし、全然陰気くさくない。
ああ、棺おけが・・・ああ、なんと言っていいのか、電動式で、手で押すとらくらく進むぞみたいな機械があって、二人で持ってせっせせっせとは運ばない。
いや、とにかく金がかかっているのはよくわかった。
骨になって、壷に入って、供養されて、その人間の人生は終わる。
繋いだものはなんなのか、繋いでいくものは生きているものに託される。
俺がその答えを出していけばいい。

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10/29

Mon

2007

ものまねオーディションとじいちゃんの死

今日はどこにいってきたかっていうと、札幌のものまねオーディション会場で歌ってきたわけですが、アカペラでやるわけです。
それで東京は400、大阪200とかいう人数が来るとか言っていましたが、札幌は十数人のまったりした感じ。
なんか、こう、ついでで来ましたみたいな感じの人が多い中(私も含める)、一人ちょっとオーラが出ていた人がいたのですが、それでもまあまあの反応。
喜んでいるほどではなかったです。
人数が多いとどうなるのかはわからないのですが、マイク使ってやって、審査員が一人いて(おそらく東京から来た人)、長所短所をズバズバ言ってくれます。
「これは今時うけない」とか「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」とか「中途半端」とか。
ちなみに私の総合評価は「歌はうまいけどものまねとしてはいけてない」でした。
審査員が全員に出した言葉を私なりにまとめると、ものまね本戦に出るカギは「誰もが知っていて、誰もが似ていると感じて、誰もが違いがわかって、かつ独自の視点や工夫が見られる突出した素人としての才能を見出せる」こと。
例えば尾崎豊でも「死ぬ前」「レコード」「デビュー中盤」などなど他者が聞いて違いがはっきりわかる程度に区別できるものまねのレベルを目指す。
だいたいは「カラオケレベルだよね」と言われ、私もその部類でしたが、まあそのくらいで挑戦していってちょうどいいのではないでしょうか。
上には上がいるからね。
楽しんでくるのもひとつ。
そういう時は真面目に行かないほうがいい。
遊んでくる気持ちで行くほうがちょうどいい。
そんなこんなで、帰ってくると、じいちゃんが危篤だという知らせ。
死んだ人は見たことがあるのですが、死んでいく人は生まれて初めて見ました。

10月28日18:25 永眠 93歳(数え年)

意外に葬式って大の大人でもわかったつもりでわかってませんでした。
特に、故人の意向があると、普通の知識じゃおいつかない。
宗派はこうだったら、これはこうだとか、あれはダメだとか、故人はこうして欲しくても、坊さんがどうだとか色々あって、親友とかに葬儀屋は一人は欲しいものだと思いました。
最後に「ありがとう」といって息を引き取っていったじいちゃん。
ひとつ、繋いでいったものと、繋いでいくものの区切りがついた感じがしました。
自分のこともまた同時に考え、まだこの年で見通しの暗い不安定な状態でいることを申し訳ないと思い、もう引く気にはならない自分を考えていました。
今はゆっくり明日に備えて休みます。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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