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あさかぜさんは見た

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01/15

Tue

2008

弱さを制御できなくて、人に対して苛立ちを覚え、どうしようもなく暴力的な衝動が渦巻き、深夜に酒を飲みに行く。
一晩中飲んで、今日は二日酔いで、一日を潰す。
お酒は弱いほうではないので、飲みだすと一万近くは必ずいく。
ウィスキーでもボトルを空けてしまうので、やはりそれだけはかかる。
なんてもったいない時間とお金の使い方だろうとつくづく思いながらも、弱さと他人への寛容さのなさに、どうしようもないやつだなと感じる。
何かにいつも不満を抱いていて、愚痴ばかりこぼしているような、ただのたちの悪い人間でしかない。

素直な感情を抑えることをやめ、衝動に忠実になろうと思いながらも、何か強烈に抑え込んでいるものがあるから、心の苛立ちはいつまでも消えないでいる。
成人式の夜は、新成人の姿があった。
別にうらやましいともなんとも思わない。
どこか、さっぱりした若々しさを感じない。
たまたま見たそのグループがそうなのだと思いたい。

充実した時間はそれほどないにしろ、充実した話ができない。
未来を真剣に考えて、どうすればよいのかを討論できる人間がいない。
この先、新しい時代の担い手たちが、「明日の自分の生活をどうしていこうか」ということぐらいしか考えないのでは困る。
でも、生活することそのものに時間が奪われていくようになって、仕事と家の往復が一日になってしまえば、いずれはそうなってしまうかもしれない。

自分の苛立ちは、人に対してのもの。
たかが「情報」だけで、これほど心がぶれる自分のふがいなさに対してのもの。

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01/14

Mon

2008

つくづくもろい心だと思った。ちょっといいなと思っていた異性が親しい友達と付き合っていると知ったときの切ない胸の苦しみや、誹謗中傷されたときの殴られたような心臓の痛い動悸、そしてそれが自分でも現在どうしようもないくらいに向き合っているものに対して、たたみかけるように何人にも言われたとき卑屈になる己への腐りはてた感情や、他人をうらやんで皮肉や意味もなく否定したくなる下衆な感情、誰かを見下す気持ち、誰かを冷静に観察する気持ち、とにかくすべてが自分の財産で、すべてがもろい精神の上で、まるで平均台の上に片足で立っているかのようにバランスを保っている。

いくつもの故人を思う。自ら命を絶った巨人も多い。人と向き合うには、常に戦う気持ちがなければ死んでしまう。本気で芸術をやろうとするものには、死を意識するものがある。

いつか自分も踏み外してしまうのではないかと思いながらも、結構生きることへの執着が強い自分。同時にもろいものをあわせ持つ。真の芸術家は政治家にはなれない。欺瞞の中に真の芸術は出来上がらないからだ。
真実を否定する民衆の欺瞞を暴きだすのが、時代における芸術といえる。あとは、個々の活動に過ぎない。

いつも考えることから逃げる。行動することから逃げる。
何もありはしないのに。
もろい自分が大好きで、安定することが怖い。
失いかけ、少しだけ思い出した繊細さともろさを失うのが怖い。
何も描けなくなってしまうのではないかと、不安になる。

静まり返った雪の夜が大好き。静まり返った街。
幻想的で、朝の光と共に消滅するもろい静寂。

嘘は要らない。真実だけでいい。もろくて孤独な心を引きずって、いつままでも子供のままでいるのだろう。
さよならを言う準備はまだできていない。
苦しくても、孤独でも、悲しくても、伝えなければならないことは山ほどある。
伝えることに完全に絶望したときに、きっとようやくこの世に見切りをつけるのだろうと思う。

最後の言葉をどうするか。
それを考えるのもなぜかしらないが、わくわくする。

「私は人間に絶望した。しかし、希望にまで絶望したわけではない」

せいぜいその程度の男になりさがるかもしれない。

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01/12

Sat

2008

モラルを守ろう?

秋田県のなまはげ行事で温泉街の女風呂に20代のなまはげが入り込み、女性の体を触ったらしい。
色々と教員が生徒と関係を持ったり、援助交際なり、未成年とのセックスなり、何かとニュースにセクハラは取り上げられる。
そのほか、いきなり包丁で知らない人を切りつけた、まったく面識のない人から強盗殺人、恋愛トラブルでの逆恨み、モラル崩壊と言われてだいぶ時間が過ぎたのではないかと思う。
そもそも、モラルを守ろう、モラルを守らないのは犯罪、社会の秩序が・・・という理屈はあるのだけれど、それらは公共の視点である。それに対して個人が公共意識の著しい欠如があるとき、公共の視点からの苦言や警告はなんら意味を成さなくなる。
つまり、簡単に言うと、他人なんてどうでもいい、自分の(表現は正確には間違っているが)苦しい思いや、抑圧されている感覚だけなくなればいい、自分が楽しければいい、と考えている人たちにとって、他人を含めたコミュニティーという団体で生きていかなければならないという意見は、ただの邪魔くさい説教にしか聞こえないのだろう。

じゃあ公共性というものがまったく感覚としてない人たちのことを考えるならば、問題点がいくつかあがる。
まず、

・なぜ、公共性への意識が芽生えないのか。

・なぜ、まったく知らない人(または知り合い)のことを思いやる必要性がないと考えるのか。

・満たされている欲求と、満たされていない欲求は何か。

その根底にある問題としては、シンプルに「どうしてモラル崩壊が起こるの?」ということだ。
我々は警告や非難や罰則を加える前に、嫌だろうがその人間と向き合う必要性がある。
本当にどうしようもない人もいる。
だけれど、例えば若い人がそうしてしまうのは、我々の価値観がどこか間違っているからではないのか、という気がしてならない。

弱者切捨てのこの時代の中で、社会的にあらゆる利益に貢献するのが価値のある人間で、その他は存在しなくてもよいという無意識の感情は、いずれ人の感情を危うい方向へと向けさせる。
他人事には、よく「人権」とか「人道的に」とか言う言葉を平気で使えるが、自ら理不尽にも他人の人生を背負わなくてはならなくなったとき、どこかに妙な意識が芽生えるのが人間なのではないのか。

ちょっと疑問なのだけれど、我々は本当に「コミュニティー」で生きているのだろうか。
特に都会なんて、「コミュニティー」と思っているだけで、ただ個々人バラバラに生きているだけではないのか。
それがライフスタイル?社会の常識?資本主義?少なくともコミュニティーではないと思う。

広辞苑にはコミュニティーの意味はこうある。
「一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団」
Yahooで検索すると大辞泉にはこうある。
「居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。」

つまり、集団としての利害意識がまったく欠如しているからモラルもないわけだ。
集団としての利害意識とは、どこで生まれるものなのでしょう。
少なくとも他人のことを大切だと思えなければ、他人に対する思いやりも愛情もないわけだ。
となると、逆にその人はきちんと愛情を受けて育ったのか、という疑問も発生する。
愛情って、「全面的な保護」じゃないからね。

我々が再生しなければならないのは、きちんとしたコミュニティー作りと、資本や貨幣を意識しない、利益を超えた関係性を作り上げることにあると思う。
なんだか何度も書いているような気がするけれど、全体的にそれをやらなければならないという意識もないのだと思う。
下は食べるので精一杯。
上は下々の無責任なことには関与しない。
結局みんなバラバラです。

たぶん、これからもっとひどくなるような気がする。

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01/10

Thu

2008

少し呆けすぎていた。
昔の感覚がそのままあると思い込んでいた。
でも、それは己に対する思い込みと傲慢と虚像だった。
確実に、落ちている。

常に昨日であり続けられるはずがなく、常に積み重なっていくわけでもない。
砂の山は、風に吹かれてその形を崩していくように、感覚もまた、黙っていれば壊れていく。

「この、バカヤロウが。お前はどこで何してやがる」

・・・そうだな。
心が自分を殺そうとしている。
すべてを殺されてしまう前に、己で潰してしまう前に、必死に積み上げていかなければならない。

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01/04

Fri

2008

今まで何がダメだったかって、スケジュール管理がしっかりしていないからダラダラと無駄に時間を使って浪費だけをしていた。
今年はそれさえ直せば、なんてことはなく、すべて前向きにうまくゆくと思うのです。
岡田斗司夫が書いた「いつまでもデブと思うなよ」という本をテレビで取り上げているのを見たけれど、彼はレコーディングダイエットなる方法で痩せたそうで、食べたものをひたすら紙に書いて記録していくと、今までつまみ食いなどしていた自分の食生活を見直し、勝手に気をつけるようになるそうな。
私は、先にスケジュールを立てると必ず頓挫するので、このレコーディングダイエットをスケジュールに応用してみることにする。
名づけて、「レコーディングスケジュール」(パクリかよ)。
一見スケジュール通りこなせる敏腕仕事人には、とてもナンセンスに見えるし、むしろ時間通りこなしてこそ仕事になるのだけれど、普段の生活がルーズな人はこうでもしないと、自分の浪費した時間がわからないのです。もう自分がどう過ごしたかも正確にわからないのですから、ほとんど重症です。だから低所得層のまま這い上がれないのだと思うわけです。
ああ、私は一体どれほど時間を浪費し続けてきたのか。
歳をとった人の話を聞くと、まだ人生半分以上もあるのに、もう棺桶が近いような気分になってきて暗くなります。
30代はあっという間に過ぎ、40代はもっと早く過ぎ、さらに50代は・・・いいかげんにしなさい。
若者に言うアドバイスにしては下手すぎます。
己に対して投資をした分だけ、人は稼げるし、世の中の人の役に立った分だけ、幸福が返ってくるように思えます。
そういう気持ちの余裕を得るには、時間的にも金銭的にも、やや余裕がなくてはいけないし、生活するためだけに時間に追われるようになれば、もはやいいように上に操られるだけです。
文句も言えなくなるような従業員の立場なんて、この日本においては「奴隷」も一緒でしょう。本人が勉強しないから悪いのか、それとも企業が労働者を食いつぶそうとするから悪いのか、色々思うところはあっても、結局自分の地盤を固めないと動けないこの悲しさを、今年は払拭していきたい。
レコーディングスケジュールで(爆)。
何もかもルーズな男です。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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