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あさかぜさんは見た

日記

01/12

Sat

2008

モラルを守ろう?

秋田県のなまはげ行事で温泉街の女風呂に20代のなまはげが入り込み、女性の体を触ったらしい。
色々と教員が生徒と関係を持ったり、援助交際なり、未成年とのセックスなり、何かとニュースにセクハラは取り上げられる。
そのほか、いきなり包丁で知らない人を切りつけた、まったく面識のない人から強盗殺人、恋愛トラブルでの逆恨み、モラル崩壊と言われてだいぶ時間が過ぎたのではないかと思う。
そもそも、モラルを守ろう、モラルを守らないのは犯罪、社会の秩序が・・・という理屈はあるのだけれど、それらは公共の視点である。それに対して個人が公共意識の著しい欠如があるとき、公共の視点からの苦言や警告はなんら意味を成さなくなる。
つまり、簡単に言うと、他人なんてどうでもいい、自分の(表現は正確には間違っているが)苦しい思いや、抑圧されている感覚だけなくなればいい、自分が楽しければいい、と考えている人たちにとって、他人を含めたコミュニティーという団体で生きていかなければならないという意見は、ただの邪魔くさい説教にしか聞こえないのだろう。

じゃあ公共性というものがまったく感覚としてない人たちのことを考えるならば、問題点がいくつかあがる。
まず、

・なぜ、公共性への意識が芽生えないのか。

・なぜ、まったく知らない人(または知り合い)のことを思いやる必要性がないと考えるのか。

・満たされている欲求と、満たされていない欲求は何か。

その根底にある問題としては、シンプルに「どうしてモラル崩壊が起こるの?」ということだ。
我々は警告や非難や罰則を加える前に、嫌だろうがその人間と向き合う必要性がある。
本当にどうしようもない人もいる。
だけれど、例えば若い人がそうしてしまうのは、我々の価値観がどこか間違っているからではないのか、という気がしてならない。

弱者切捨てのこの時代の中で、社会的にあらゆる利益に貢献するのが価値のある人間で、その他は存在しなくてもよいという無意識の感情は、いずれ人の感情を危うい方向へと向けさせる。
他人事には、よく「人権」とか「人道的に」とか言う言葉を平気で使えるが、自ら理不尽にも他人の人生を背負わなくてはならなくなったとき、どこかに妙な意識が芽生えるのが人間なのではないのか。

ちょっと疑問なのだけれど、我々は本当に「コミュニティー」で生きているのだろうか。
特に都会なんて、「コミュニティー」と思っているだけで、ただ個々人バラバラに生きているだけではないのか。
それがライフスタイル?社会の常識?資本主義?少なくともコミュニティーではないと思う。

広辞苑にはコミュニティーの意味はこうある。
「一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団」
Yahooで検索すると大辞泉にはこうある。
「居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村・都市・地方など、生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会。」

つまり、集団としての利害意識がまったく欠如しているからモラルもないわけだ。
集団としての利害意識とは、どこで生まれるものなのでしょう。
少なくとも他人のことを大切だと思えなければ、他人に対する思いやりも愛情もないわけだ。
となると、逆にその人はきちんと愛情を受けて育ったのか、という疑問も発生する。
愛情って、「全面的な保護」じゃないからね。

我々が再生しなければならないのは、きちんとしたコミュニティー作りと、資本や貨幣を意識しない、利益を超えた関係性を作り上げることにあると思う。
なんだか何度も書いているような気がするけれど、全体的にそれをやらなければならないという意識もないのだと思う。
下は食べるので精一杯。
上は下々の無責任なことには関与しない。
結局みんなバラバラです。

たぶん、これからもっとひどくなるような気がする。

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01/10

Thu

2008

少し呆けすぎていた。
昔の感覚がそのままあると思い込んでいた。
でも、それは己に対する思い込みと傲慢と虚像だった。
確実に、落ちている。

常に昨日であり続けられるはずがなく、常に積み重なっていくわけでもない。
砂の山は、風に吹かれてその形を崩していくように、感覚もまた、黙っていれば壊れていく。

「この、バカヤロウが。お前はどこで何してやがる」

・・・そうだな。
心が自分を殺そうとしている。
すべてを殺されてしまう前に、己で潰してしまう前に、必死に積み上げていかなければならない。

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01/04

Fri

2008

今まで何がダメだったかって、スケジュール管理がしっかりしていないからダラダラと無駄に時間を使って浪費だけをしていた。
今年はそれさえ直せば、なんてことはなく、すべて前向きにうまくゆくと思うのです。
岡田斗司夫が書いた「いつまでもデブと思うなよ」という本をテレビで取り上げているのを見たけれど、彼はレコーディングダイエットなる方法で痩せたそうで、食べたものをひたすら紙に書いて記録していくと、今までつまみ食いなどしていた自分の食生活を見直し、勝手に気をつけるようになるそうな。
私は、先にスケジュールを立てると必ず頓挫するので、このレコーディングダイエットをスケジュールに応用してみることにする。
名づけて、「レコーディングスケジュール」(パクリかよ)。
一見スケジュール通りこなせる敏腕仕事人には、とてもナンセンスに見えるし、むしろ時間通りこなしてこそ仕事になるのだけれど、普段の生活がルーズな人はこうでもしないと、自分の浪費した時間がわからないのです。もう自分がどう過ごしたかも正確にわからないのですから、ほとんど重症です。だから低所得層のまま這い上がれないのだと思うわけです。
ああ、私は一体どれほど時間を浪費し続けてきたのか。
歳をとった人の話を聞くと、まだ人生半分以上もあるのに、もう棺桶が近いような気分になってきて暗くなります。
30代はあっという間に過ぎ、40代はもっと早く過ぎ、さらに50代は・・・いいかげんにしなさい。
若者に言うアドバイスにしては下手すぎます。
己に対して投資をした分だけ、人は稼げるし、世の中の人の役に立った分だけ、幸福が返ってくるように思えます。
そういう気持ちの余裕を得るには、時間的にも金銭的にも、やや余裕がなくてはいけないし、生活するためだけに時間に追われるようになれば、もはやいいように上に操られるだけです。
文句も言えなくなるような従業員の立場なんて、この日本においては「奴隷」も一緒でしょう。本人が勉強しないから悪いのか、それとも企業が労働者を食いつぶそうとするから悪いのか、色々思うところはあっても、結局自分の地盤を固めないと動けないこの悲しさを、今年は払拭していきたい。
レコーディングスケジュールで(爆)。
何もかもルーズな男です。

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12/01

Sat

2007

仕事に時間を多く取られると、人とじっくり向き合う時間が削られてしまう。
本当は自分にとってゆったりと相手のペースで向き合うことが大事なのに、どこか時間を勘定しながら人と接している。
自給いくらとか、労働時間が一日いくらで睡眠がどうとか、時間を計算しながら一日を生きると、何かせせこましい気持ちになりそうで困る。
低所得層。
金に追われ、時間にも追われる。
人としての最低限の余裕は社会からは与えられず、会社からも与えられない。
文明社会においての、奴隷層。
常々私が主としている「日本民族としての人情の再生」は恐らく、これから低所得層をクリアしたあとに、アメリカのように援助の手が差し伸べられなく、民間企業にあらゆる意味で苦しめられる中間層が問題になるかもしれない。
だけれど、私が本当にしたいのは「救済」ではなくて、「みんなで一緒にやろう」ということだ。
私と言う人間はとにかく時間のかかる男で、社会のスピードとはまったくかけ離れたところにいても満足しきるので常々周囲から「もっと危機感を持て」と忠告ならぬ警告ばかり受けて生きているけれど、だってさ、人間って自然のリズムの中で生きていくのが本来の生きようじゃない?
それが人工的なリズムと人工的な物質の中ばかりで生きているからおかしくなるのでしょう。
究極的な極論になるからやめるけれど、「サービス」という観点から離れて「みんなで楽しいことしよう」という新しい巻き込み型の思考でいかなきゃ、何も面白いものなんてできないと思うのだけれど。
結局何もかも時間の話なのだけれど、「最上のワインは最良の友と分かち合う」・・・どこかでこんな言葉が心に染み付いているわけですが、「幸福は常に人と分かち合うもの」と己の人生訓にしているわけです。
さらに究極的に言えば「時間は常に他者へ幸福を分け与えるものでなくてはならない」となるわけです。
この理想を実現するには、どうしても人を時間的に追い詰めるのはいけないのです。
ここを原点に考えていかないと私はいけないのです。
えっと、まずは私の低所得脱出からがんばる。うん。

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11/25

Sun

2007

飲み屋のはるかさん

知識もない、経験もない、結果もない、これから職を選ぶにもだんだんと辛くなってくる。

作家として命をかけようという気持ちが足りない。

はるかさんは最近通っていた飲み屋の男性のかた。
大阪出身で今札幌でがんばろうとしている元ホスト。
ちょっとした縁で知り合って、誕生日だというから祝った。

私にはこの人のことを描ききれる実力がないから、つたない言葉でしか表すことができない。
波乱万丈な人生を送り、関西仕込の出汁を使っておいしい料理を作る。

昨日、さんざん通いつめて、もう最後の日にしますという気持ちで行ったら、私の将来のことが心配だからとアドバイスしてくれた。
と言っても、簡単なことなのだけれど、書こうとするときの姿勢を強く言われた。

何度か生きるか死ぬかのところを抜けてきた人に言われると、自分の甘さがボロボロ何もしゃべらなくてもあぶりだされるようで辛かった。

今自分の境遇を多くの人が心配してくれている。
不安定な場所にいて何も土台も芯もなく、ふらふらしているからだ。

今頭の中がぐちゃぐちゃで何からかけばいいかわからないし、まだぐるぐるなにかまとまらずにまわっているようで貧相な言葉でしかかけないけれど、結局は書くしかない。
それも必死に。
そして安心させたい。

今はそれだけ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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