「私は嫌なのです。人生を振り返って、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった。そして、自分の人生において後悔したり、否定したり、そんな悔しい思いはもうしたくないのです。だからもう生活の安定だとか、そういう問題じゃなくて、これから先、後悔しないように生きていって、やるだけやって、自分がどうしていいかをしっかり見極めたいのです。それが砕け散る結果だとしても。もし傷ついても、またそこから始められます。すべてが中途半端でどこにいるかもわからない状態から出たいのです」
老人や年配や身内の助言はとことん保守的だ。
今まで自分は保守的・・・というよりも、臆病すぎて何にもつかず離れずでいた。
その結果、すべてがこなせず、すべてが中途半端に終わった。
何をもきちっと決断せず、それゆえに責任もあいまいな状態で回避してきた。
傷つくことを恐れ、極端にそこから逃げようとしてきた。
でも、もう少しずつ立ち向かおうと思い始めている。
助言は嬉しいけれど、もう、「普通の生活をするため」の助言は、私にはいらない。
今日会話していて少し気がついたことがあるけれど、あれほど嫌だった親父の鼻にかけるような物言いや、見下したような物言いが、そっくり口から出るようになって、出たとたんはっと気がついた。
もう自分の中にもしっかり根付いてしまっているのかな。
恐ろしいことだし、吐き気がする。
そんな風に人に言葉を出したくないのに。
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