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あさかぜさんは見た

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11/25

Mon

2024

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06/20

Fri

2008

 そんな議論よりもまず、重犯罪者には、実質上世間の人が人権与えてないじゃん。
 机上の空論はなはだおかしい。
 いくら理屈をこねくりまわそうと、高尚なこと言おうと、社会が犯罪者を受け入れるシステムや気持ちがないと、死刑廃止やそのまた先の議論なんて成り立とうはずがない。
 現実だな。
 現実。

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06/16

Mon

2008

売れる文章 書けるものなら書いてみたい

どうすればよいのかいつもわからなくなる。
誰しも人気はほしい。
誰しもたくさんの人に読んでほしいと思う。

どうすればいい。
面白いものってなんだ。
その定義が誰しもわかれば、みんなベストセラー作家か。

毎日毎日悩んで億劫で、さてどうしようとまごついているだけで時間が過ぎる。
自信さえもだんだんとなくなってきそうになる。

どこをどうすればいい。
受け入れられやすいものとは、わかりやすいものとは、他とぬきんでるものとは・・・

わからん。

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06/14

Sat

2008

報道 メディアという立場であること

 そもそも報道というのは、客観的な立場を維持しつつ、情報の裏づけを確保し、あくまで中立的に現象を伝えることであって、ブログのように個人的な感情を背景に、あたかも民意のごとく感情的に情報を伝え、かつ取材をし、そして報道するというのは、「報道」としては愚劣の極みなのではないかと思っている。

 特にテレビにおけるワイドショー的な演出と、真面目なニュースまでがそこに便乗したかのように、感情を交えて報道するのは、もはや現実を劇場化させていると言っても過言ではない。

 事件が起こり、劇の幕開けとなると、観客が引くまで公演をやめないかのごとく、第二幕、第三幕、そこに登場させるのは、本件とは直接的に関係のないものまで、密接に関係しているかのようなシナリオを組み立て、演出をする。
 もはや、それをフィクションとしてやるのではなく、ノンフィクションとしてやっているので、病気としか言いようがない。
 もはや腐り果てていて見るに耐えない。

 世の中がフィクションを求めているのだろうか、それとも報道機関が病気なだけか。
 ただ単に納得させるだけの論理や証拠なら、この日本そのものが、真実なんてどうでもよく、ただ単におさまりのつくように適当なものを持ってきて納得すればいいという、大変幼稚なものでしか動いていないことになる。

 だんだんと情報が薄っぺらくなる。報道までもが視聴率にこだわっているのか、やはり利益で記事を創り上げているのか、事実だけ伝えて、真実と言い張る低脳ぶり。時折事実でもない虚構すらもどうどうと報道する。
 会社が社会に損害を与えると、彼らは悪のように叩く。
 しかし報道機関が社会に与えている目に見えない損害に関しては「報道の自由」「言論の自由」を背景に、一切賠償することも報道することもない。
 言論を操れる「一権力機構」が、どのような人間であろうと、一個人に対して感情的になっているという構図が、誰もおかしいと思わないほうが異常なんだよ。
 完全に強者が弱者に対しているわけでしょう。いちおう憲法の建前もあるんだよ?先進国の権力機構の一員なら紳士淑女にならないとね。社会から完全に抹殺したりするのは「私刑」だよ。そんなもの認められていない。法や倫理に対してはうるさいくせに、自分のことになると、さも当然のごとく矛盾を行う。
 これを最低だと言わずして、なんだというんだ。
 ブログでやれ。個人のな。

 「事件を風化させてはいけない」とあるけれど、ならどう生かしているんだ。小手先のことだけで何とも向き合ってないのに。
 報道機関はただ情報を流しているだけであって、問題解決のための行動なんて一切していないだろ。
 悪いものを社会から排除しても、排除された人間は生きていくための犯罪を行うだろうさ。

 悪いことして、心が痛むっていうのは、人のこと大事だと思えるからでしょう。
 ただ単に嫌悪して排除するだけなら、相手は到底「この人を傷つけちゃいけない」なんて思わないと思う。
 悪人を取り込めとか言ってるんじゃないよ。
 悪人が出来上がるまでの心の過程を作るのを防止せよ、ってこと。

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06/11

Wed

2008

マクロスフロンティア

 アニメなのですが、超時空要塞マクロスを見ていた自分としては、少し懐かしくも新しい匂いのするアニメに出会いました。
 同じ時期、ガンダムもやっていたのですが、私はマクロスのほうが好きでした。

 なんてったって、マクロスはミサイルの量が違ったものね。
 あの無駄遣いとも言えるほどのミサイルの発射量を見ると、ガンダムの攻撃の地味なこと、地味なこと。
 ガンダムのよさは大人になってからわかりました。
 最近のガンダムは、どうにも(ごめんあえて言わせてもらう)腐女子相手のこびまくりの作品だからね。
 見る気すらうせる。
 許せたのはターンエーガンダムくらいだった。
 というか、だいたいの作品ってシナリオのテンポが悪いんだよ。
 子供っぽい事情ばっかり。

 ガンダムは私よりも詳しい人がいるからいいんだ。
 私はマクロスだったから。亡き羽田健太郎さんだったから。同じく亡き宮川泰さんだったから。宮川さんはヤマトね。

 創聖のアクエリオンは、合体合体って、狙いすぎだろ。
 最初の吸引力がいまいちかも。合体とか気持ちいいとか、真面目にアニメ見る前にこっちが恥ずかしいんですけど。よこしまな想像するなっていうほうが無理です。

 いや、マクロスフロンティアの話なんですよ。
 コードギアスも斬新だけど、マクロスフロンティアは懐かしいですよ。
 リン・ミンメイだっけか、マクロスのアイドル。いい歌だったよなぁ、あれ。

 あいかわらず菅野よう子さんすげぇや。
 内容の説明はサイトでされているからはぶくけれど、最初から見たらよくわかりました。

 あのさ、最近のアニメって学園シーンを入れないと売れないの?
 マンネリ化してきてますよ。ところどころがとっても。

 いや、マクロスの話からそれすぎた。いいか。


追記:
羽田健太郎さんがヤマトの作曲をしていないと思っている人、私はテレビ版の記憶は定かじゃないですけど、2時間とかの長い映画バージョンでは作曲していますよ。
私CD持っているから確かです。

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06/10

Tue

2008

秋葉原の無差別殺傷事件についての動きについて

 サバイバルナイフの規制だとか、やれゲームのせいだとか、大の大人が素面でそれを言っているんだから、自分がもっと幼かったら、「大人って本当にバカなのかもしれない」ってこの一面を見て思っています。

 例えばナイフだったら、サバイバルナイフではなく刺身包丁で充分サバイバルナイフ並みの威力発揮すると思うけれど。
 マグロ解体用のでかい包丁があるでしょ。小さなサバイバルナイフより、あれ振り回したほうがずっといいわ。
 今回は6cm以上の刃物とか言っているからさ、マグロ解体用のは排除されるけど、前に航空機でも似たような動きがあったような・・・
 刃物規制したら、今度それに代わる凶器でハイジャック事件が起きましたよね?
 ・・・なんていうか、「いたちごっこです。まったく解決しません」とか言う前に、着眼点がまったく違うんじゃないのかな?

 時々思うことがある。
 それは、究極の状態は「法律で規制しなくても、何もかもお互いがうまく行く状態」が、もう最高によい状態なのではないでしょうか。
 法律を作る前に「政治」をしたらどうでしょうかね。
 この究極によい状態から比較すれば、「個人の自由意志を国家で規制しなければならないほど個人を信用できないし、また個人は逸脱するものである」と「民衆」をくくっているから法律で規制しなければいけないわけだ。
 法律を作る前に、もっと政治がやらなきゃいけないことがあるし、ゲームのせいだとかなんだとか言う前に、もっと見つめなきゃいけないことがある。
 私の勝手な推測だけど、国民生活が圧迫されるようになれば、自然と犯罪率はアップすると思っているのだけど・・・なぜって追い詰められたらなにするかわからないからね。お金もそう。精神もそう。
 自分にとって生きることがどうでもよくなっている人間は、他人を大事にするわけないし、お金に困ってのどから手が出るほど金が欲しくてたまらない人間は、もう打つ手がなくなったら何するかわからないからね。

 規制するだけ規制すればいいじゃないの。もしそれでまったく犯罪がなくなったら、全部そのせいだわ。でも、犯罪は起きると思う。なぜって、包丁やゲームのせいじゃないから。

 ひとつの問題を出そう。
 我々の家庭には必ず包丁がある。その包丁を使って人を殺さないのはどうしてか。
 自分が殺そうとする立場になって一生懸命考えて欲しい。
 そして、人を殺せるとしたら、自分のどんな感情が足りないときに、人を殺せるのだろうと一生懸命考えて欲しい。
 私はそこに個人が他人に接するべき答えがあるのではないかと思っている。

 結局、現代人は「感覚のない情報」に支配されている。つまり、本来原始的な生活なら、情報とは五感で感じたものだけが情報として体に蓄積される。
 簡単に言えば、自分の足でいけないところの情報なんてわかるわけがない。
 でも現代は空間を超えて情報が来る。でも空間を越えたからって感覚はわからない。
 旅行記・・・湿度は?気温は?味は?どんな感触?・・・わかりませんよね。
 格闘ゲームとかさ、格闘技とか、現象だけはわかる。でもどれだけ痛いかとか、どんな感触かとか、想像しているだけで現実感がない。
 ニュースだってそう。想像しているだけで現実感がない。なぜならその現場にいないから。
 そういう感情的なリアリティーのなさが、傍観者をきどらせているんじゃないでしょうかね?
 みなさんはどう考えているのでしょう。ゲームのせいなのでしょうかね。ナイフのせいなのでしょうかね。親のせいなのでしょうか。先生のせいなのでしょうか。
 私はいつもコミュニティー全体の責任だと思いますけれどね。

 「防止に勝る抑止はなし」

 しかし、「犯罪を起こそうとする気持ちを防止する」のに、なぜ「物質的規制」をかけるのかがとても理解できない。
 つまり、包丁や、たとえゲームが絡んでいたとしても、「きっかけ」だったんですよね。それは。

 「殺そう。じゃあ素手で?ダメだな。負けたらどうする。絶対殺せるものじゃないと・・・そう言えば、ゲームであんなナイフがあったな。どこで手に入れるんだろう。これか。でもこれだけじゃ殺すのには不安だな。もっと揃えよう。そうだトラックがいいや。トラックで引くだけ引いて、人々が逃げているところを襲い掛かれば、みんな逃げ腰だから殺しやすくなるぞ」

 ゲームをとっても、ナイフをとっても、どう考えても殺人の衝動だけは残ると思うのですが・・・

 この殺人の衝動を防止するにはどうすればよいのでしょう。

 よく「犯行の動機」とか言うけれど、不思議なことに「動悸が生まれた原因を防止しよう」ってところに、いつも深く突っ込めないよね。マスコミも政府も。特にマスコミなんて逃げ腰論調だからね。必ず責任をおわなくてもいい状態から発言をしている。しかも役に立たないし。

 愛だろ。愛。愛情が足りないんだよ。みんな他人同士だし、そんなはずじゃなかった。日本はイライラするよ。どうでもいいことでわめきたてるし細かいし。揚げ足を取るのが大好きだし。言葉尻だけにこだわって、問題の本質を見ようともしない。

 ・・・なんでだろ???
 
追記:
産経のWEB上の記事から。

 石原都知事が行政として未然に防ぐことはできるのか、と聞かれて、「そんなこと、できませんよ。時代の文明はみんなでつくったもんだ」と言ったそうです。
 さらに、「ああいう人間っているよね。ただ、ああいう形で爆発するかしないかってのは、時代も背景にあるんでしょうけど。みんな鬱屈(うっくつ)してるよ、今の日本人は」「文明の便宜が進んでも、人間はやっぱり芯(しん)は孤独になっている感じがする」と言ったそうです。

 私も同意見です。ただ、政治ができること、ていうのもあるとは思うのです。しかし、民衆が政治ばかりに頼っても、よくはならない。国民の生活レベルを少しでも改善させるのが政治の役割です。理想を言えば、お金に困らなければいい。生活に困らなければいい。
 あとの問題はそれぞれ個人の問題であって、さらには個人が集まってできたコミュニティーの問題です。
 だから、「政治が悪いから」とか「先生が」とか「親が」とか言う理屈は成り立たないのです。
 そこに接していたみんなの責任です。

 時代の文明はみんなで作ったもの、というのは常々考えていたことで、大人が批判する子供や社会という構図につくづく苛立ちを覚えていたものです。
 残念ながら、今の社会というのは、一つ上の世代が創り上げたものです。その社会で育った子供を否定すると言うのは、自分たちの功績を否定するに等しい行為です。
 そのような矛盾を自ら並べ立てて、子供が希望を抱けるのかと、私は思うのです。
 誰が時代を作ったのか、ということをよく考えないといけない。
 国は政治家のものじゃない。国民のものなのです。政治家は国民の代表でしょう?批判すればよくなるというものじゃない。協力しようという姿勢が足りない。いつも傍観者でしかない。
 ひどいものです。

 そう・・・どこか鬱屈している。ひたすら抑えこまれている。そして「みんなそうしているのだから当たり前」という風潮がある。挙句の果てには精神論になる。しまいには愚痴しか並べない。野次しか言わない。
 本当に何かをよくしたいと考えているのならば、そんな下策は取らないはず。他のプランを考えようとするはず。
 もう少し、向き合って欲しいと思う。
 向き合うとは、受け入れることです。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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