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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

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09/22

Thu

2011

他人の写真を見てふと思うことがあった。
なんでもない日常を並べることによって絵になる。

自分の写真は綺麗なものを探そうとして撮るものを見失っている。
つまり自分の望むものを思い描くあまり日常に落ちているちゃんとした絵になる数々のものを自ら見落としているということになる。
これは致命的なことだし、作家の視点としてバカらしい。
書けなくなるのも当然だろう、と思ったりする。

先日バーでたまにカウンターで相席するおじさまにおごってもらった。
女の子がいるお店だったが酔っ払って抱きついて呂律が回らなくなったりして大変だった。
普通のお店でも見知らぬ女の子を口説こうとするので店側としてはいい迷惑だろう。
でも何かとてつもなく親近感を感じる。

伊集院静の「大人の流儀」だったと思うが、「きちんと大人になっているものは10人中1,2人ほど」という記述があった。
そんなものなのだろうか、といまだに「大人」というものが何かわからず、一応は「大人は常に洗練させていくもの。さもなければガキ」というイメージで捉えている。

当たり前だが物を書く時は1人じゃないとできない。
それも何ヶ月も1人でもくもくとやる。
誰のためでもないかもしれないが、一応は自分なりに誰かのためを意識しては書いているが結局は「自分のため」なのだろう。
だから孤独は当然抱える。
本音はあっても話が通じないから話さない。
愚痴っても自分で解決するしかないから言うだけ虚しくなる。
という具合で色々1人で抱える。

自分は会社勤めをして誰かの指示通り動くことができず、自分で納得できなかったり消化できなかったり考える時間がなかったりすると止まる。
すぐいっぱいいっぱいになる。
人見知りもするので体が固まったりする。
人前では結構頑張って、終わった後脱力する。
そんな感じで、こんな物書きなんてことにしがみついているのだけれど、40,50代の抱える「オヤジの孤独」というのが嫌に理解できて困る。

酔っ払って女に抱きつく家庭持ちの男となると、家では上手く言ってないのか、友達がいなくて色々溜め込んでいるのか、だから変な形で歪んで出てきてしまうのか。
酔っ払っているからと言って、そのことを全員が免罪符として見てくれるのかと言ったら、ほとんどがNOだ。
かく言う自分も酒でだいぶやらかして、知り合い友達から遠ざけられているのでよくわかる。
例えば見た目は酷くとも心の奥に酷い孤独ややりきれなさを抱えている人を見ると、酷く親近感を覚えてたまらなくなってくる。
自分を見ているような気分になるのだ。
俺はわかるよ。その孤独が、と。
しかし他の人にとっては酔っ払って絶対一緒にいたくない人だろう。

人は、自分の見たいものを見ている。
自然と選び取って目の前の景色や情報を受け取って心に残している。
写真を撮っているとよくわかるのだが、他人は自分の感じない景色を平気で撮っている。
自分が見た時にはそうでもないのに、他人のフレームに納められた景色には何故か特徴がある。
それは雑草の生い茂った原っぱでも、何気ない住宅地の景色でも、切り取られた景色から何を思ったのか伝わってくるような気がする。

いいな、とも思うし、うらやましい、とも思う。
自分も日常の何気ない景色を大事にして、そこから絵になるものを切り取りたいと思うが、なかなか見えない。
「見えない」ということは「心の中に何かがない」ということだ。
きっとわかったら見れるようになるのだろうが、わからないから見れない。

都会は「日常」というものを「作れる」。
当たり前のさりげない日常をお金を使って変えることができる。
よく考えたら、不自然さが当たり前になっている。
お金を払えば日常をある程度まで変えれるということに何の疑問も考えも持たない。
当たり前だと思っている。

写真を撮る時、自分の望んだ景色を作り上げるには莫大な金がかかる。
ほとんど個人の力では不可能になるため、出かけて待ったりする。
自然なものと寄り添いながら自然のほうが来てくれるのを待ったり、ばったり出会った偶然を迎え入れたりする。
しかし人が作り上げて出来上がったものには偶然はない。
作ったものを取り囲む人が偶然を作ることはあっても物は偶然を作らない。

だからいくらお姉ちゃんのお店で金使ってよい常連になろうと、好きなことしようと、金が切れればそれまでになる。
寂しいものだ。
酔っ払って現実を忘れようと、明日にはまた日常が待っている。
その日常とは一体なんだろう。
今まで考えもしなかったし、ほとんどの人は生きていくために普通に日常を生きている。
お金を稼いで食べていくという行為の中で人と関わっていく。

今の自分には日常が欠けている。
日常がなんだかわからない。
そしてその先の「自然」ということも一体なんだかわからない。
漠然ともやもやとした霧のようなものが広がっている気分にもなってくる。
よい写真が撮りたい。
よい文章が書きたい。
しかし「いいもの」って一体なんだろう。
またくだらぬことを考えて立ち止まる。
そして動けなくなる。
こういうことをやりだすから、社会人というものからドロップアウトしてしまい、唯一人生の中で諦めずに続いている物書きという行為にしがみ付いている。

きちんと目の前の景色を見るために、心を作らなければいけないのも、仕事のうちかもしれない。
自分に負けずに。

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09/19

Mon

2011

オール読物新人賞落選

別に偉そうに堂々と題にするべきことでもないのですが、先月の22日の段階で落ちていたことに気がつかず、今日までもんもんとしながら過ごしていた。
落ちたのはこれ。

「傘をよこせ」
http://p.booklog.jp/book/34488
「シュレーディンガーの猫」を題材に、人間の認識における多重構造をテーマに世界を観測する。
主人公の男はある日大きな地震に見舞われビルのガラス片が落ちてきたと思い必死に身をかがめる。
しかし起き上がってみると周囲の人間は何事もなく平然と歩いていた。
周囲の人間に効いてみると別になんでもないことを告げられ首をかしげながら帰るが、次の日目覚めると少しだけ妙な世界へと来ていたことに気がつく。
・・・という内容。

オール読物新人賞は「人情小説」を主に選んでくるらしいので、完全にお門違いだなと思いながらも送ってみたのだが、やっぱり落ちていた。
「人情小説」とは何かと言われれば、藤沢修平、池波正太郎、今月載っていた白石一文、審査員の山本一力、など人間の日常を通して心情がぐっと伝わってくる小説のことを言う。
特に仕草など些細な描写から自然とにじみ出てくるようなものが望ましいと思われる。
私みたいに「量子論」なんか持ち出したら落ちるに決まってる。
とりあえず、これを書き上げた時点で満足だったし、入り口にしか過ぎないので、落ちたとわかった途端公開した。

といっても、ここ一ヶ月ほど、嫌な不安感に襲われていて、苦しくて苦しくてたまらなかった。
どうしてこれほどの不安感や落ち着きのなさに見舞われているのか理解できずに酒で記憶を飛ばしていた。
それがここ数日前から凄く落ち着いている。
澄んだ湖を眺めているような気分だ。
少し毒気が落ちたのかなと思っている。
だいたい小説で新人賞を狙おうとする人のほとんどは、負の感情を練り上げているし、見向きもされない悔しさ、努力が報われたいとひたすら空回りする怒りと虚しさを抱えている。
それがだんだんと腐敗してくると、自分より腕のある作家を見下したり、悪く言ったり、周囲を恨んだり、自分の実力のなさを諦め切れなかったり、固執するあまりに豊かな言葉をなくし、さらに劣化したものを作り、苦しみの中で作った作品がさらに評価されずにダメスパイラルに落ちていくパターンがほとんどだろう。

今私の精神は落ち着いている。
前よりも非常に穏やかだ。
いつ崩れるかはわからないにしろ、今書けることを書く。

「出世したいなら、我欲を洗い流せ」ということだ。
人に対する憎しみ、恨み、悪態、そんなものを投げかけているうちは下の下、作家どころか人間としてもまともではない。
特に世間に出て行くために、様々な繋がりができる。
ある賞の佳作に引っかかった人の日記を読んでいると、様々な作家の団体や作家たちとの交流を広げていく様子が毎日に渡って更新されている。
つまり特殊な社交界に入らなければいけない人が、人を尊敬もできない見下す、まともに会話もできないとなると、多くの人間が本作りに関わるというのに論外も論外、そのまま部屋で篭っていたほうがいいよ、という話になる。

作り手は孤独だ。
だから孤独に押しつぶされそうになる。
自分が努力してゼロから作り上げたのだと言えるもので勝負する。
最初はそうかもしれない。
しかし世に出る、製本するためには、たくさんの人たちの力が絶対必要になる。
他の人の力を借りたくなければ、賞など送らずに自分で出版社を起こしてやればいい。
人の協力を仰ぐのなら、ちゃんと人に対する敬意を持つこと。
さもなければ自分一人でやる。
どちらかにしたほうがいいのです。

作品を作っていると、作るための努力を孤独に続けていると、世界には自分ひとりしかいないような錯覚を持ちます。
本当に、ここで一人死んだら誰も気がつかないとか、もし必死に頑張って他のものを犠牲にしていたのなら、自分ひとり死んでも社会の損失にはならないし、など本当に孤独でネガティブな感情になりますが、本を出したいのなら、本が世間に出て行く様子を思い浮かべるべきなのです。
まず出版社の人たちが関わり、製本関連の人たちが関わり、輸送、販売、読者と実に様々な人たちが関わってきます。
私たちが想像しているよりもはるかに多くの人たちが関わってくる。
そういう人たちに自分で作り上げた本を「どうかよろしく頼みます」と頼まなければ読み手まで届いていかない。
これが「文章を本という形にする」ということだと思うのです。

私もこのことをよく考えさせていただく。
何がきっかけで今このような穏やかな気持ちになっているのか、まったくわからないところが不思議だが、こう見えても落選したら本当に悔しい時期があった。
誰にも相手にされず相手を馬鹿にする気持ちが強いこともあった。
今はうまく力が抜けていて、心がほぐされている。
こういう時は待っていれば必ずよいものが降りてくる。
何かひとつのことが原因というわけではなく、ここまでやってきたひとつひとつのことが、穏やかな気持ちを招いているのだと思う。
若者たちよ、どうかあがいて、あがいて、あがきまくってください。
それは今しかできないことです。

そして最後には我欲が抜け落ちるといい。

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09/17

Sat

2011

夢を叶えようと頑張る2タイプ

目標設定の仕方といいますか、大きく分けて2タイプの人がいる中で、通常世間では一方のほうが賞賛されます。
さて、その2タイプとは何かというと、

1、細かな目標設定をしてコツコツと地味に頑張る人。

2、いきなり途方もない目標設定をして夢を持って頑張る人。

それで2の場合は通常ほとんど消えていくため、というか日本ではそれほど世界的な夢を叶えた人物が少ないため、でかいことを言うと馬鹿にされ蔑まれるのがオチです。
1のタイプは一番客観的に、かつ視覚的によくわかるのですね。
だって目標がわかりやすくて実行可能だから他者にも伝わりやすいわけです。
人を集めやすいのは1の方で、2の側で人を集めるには相当腕に自信があり、かつ大きな夢を持続的に共有できる「親友」のような仲間が絶対必須です。

これは「箱庭」を先に設定するのか、「中の道具」から先に箱庭を設定するのかという、作り方の問題で非常に性格が出てきます。
どちらが正しいかどうかは一概には言えませんが、たいてい人は1の方を押し付けがちで、2を公言するには相当な勇気と精神力と図太さが必要になります。

だいたい歌とかは2のほうが多いですね。
大きな夢を持って頑張れば必ず叶うよ、とか言うんですね。
どれだけ周囲の圧力や自分の精神力の欠如に悩んでいくかって伝えずに。ある意味ちょっと卑怯です。
でもやればいいのです。夢があればどんどんやればいい。
苦労するのは本人で、その苦労こそが本当の宝になります。
その宝を見つけさせる前にけなす事は簡単ですよね。

しかし世間を上手く渡り歩くには2を秘して、1でコツコツやっているように見せるというのが賢いように思えます。
もしその中で「お前は本当は何をやりたい。最終目標があるのか」と誰かに問われたら、その人の目がどれほど真剣かを見抜いた上で本心を明かすのがよいかもしれません。

とにかく人の目は「型にはめる」というのが大好きです。
「第一印象を覆すのは非常に難しいので第一印象を大事にしろ」というのと同じですね。
でもそれだけで付き合う人っていうのは「親友」にはなれない。
大きな夢を実現させるためにはどうしてもたくさんの「親友」が必要になります。
秘密を共有できて、本心から打ち明けることができ、そしてよく協力し合える「親友」が必要なのです。
これは上辺だけの言葉のやり取りや付き合いだけではできっこない。
ぶつかり合ってよく話し合える。これを何度も繰り返さなければいけない。

革新的な夢をかなえようとする時、少なからず時代の反逆に合うかもしれません。
時代が選ぶ、という特性は強いにしろ、時代の流れを変えるには、新しい価値観が古い価値観に常に刺激を与えていかなければいけない。
上から言われて「はいそうですね」なんて若者が言っているようでは何も変わらない。
それは時代の硬化ですから、少し不幸な気がします。

ほとんどの場合夢が破れて荒野しか残らない。
そして人の思い出の中で「昔ここにはね、こういうものがあったんだ」と語られる。
夢とは本来そんな儚いものなのかもしれませんが、それでも大きな視点で「滅び行くものなのに人が努力して生きていく価値なんてあるのか」とは考えず、人の一生はいかなるものかという「等身大の感覚」を維持しながら突き進んでいかなければいけない。

私は大きな夢を語られるのが好きです。
ロマンっていう、本当に本当に子供っぽくてバカらしくて、誰も見向きもしないようなものを熱く語る人っていうのが好きなんです。
そのロマンティシズムが何億分の1の可能性を叶えるかもしれない。
もしくは何億分の1以外になるかもしれない。

夢とは人生一つ賭けて叶うか叶わないかの一世一代の賭けだと、私はそう思っていますが、「夢」というものが「きらびやかで優雅なもの」だと思っている人には、ちょっと遠い世界かな、と考えたりします。
夢を持っている人、諦めないっていうことは凄い力です。
頑張ってくださいね。

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09/15

Thu

2011

心の脆さと言葉の脆さ

心が病んでいる、酷い脆さを持っている。
こういう類の人へ可能性や考え方を示唆する言葉、または励ましなども含め、非常に危険なことかもしれない、と思った。
言葉の解釈に関しては基本はその人次第だけれど、「相手の解釈の範疇」を含めていくと、まさに「発言者の責任を」と詰め寄られたらできるものではない。

時折こういうジレンマに悩まされるけれど、これからも幾度となく考える問題ではあるから、よく心に留めておこうと思う。
ただ「発言者の真意はどこにあるのか」と言葉の意味を限定されそうな時、限定してしまってはかえって伝わらないことがある。
限定することでカバーしていたところがなくなってしまい、どんどん曲解されていくということはよくあるからだ。

ここらへんは、意図するところを確実に伝えたり、誤魔化したりする政治家の言葉遣いとはまったく状況が違ってくるのですね。
小説家の言葉遣いとは何か、いやいや、今自分が使っている言葉の技術はいかなるものなのか、きちんと意識した上で使う必要がある。
さもなければ、自分の意図しないところで勝手に言葉が暴走し、本人が考えていたこととはまったく違ったものが返されるからだ。

しかしここに関しては投げかけてみないとわからない、という問題もあり、言葉を発しないものより発したものの方が、はるかに危ないし脆い。
きちんと相手が意図したものを発することのできる人間は、ほとんどいない。
そこは私も相手に「他意がない」ものを「深読み」するのでよくわかる。

それはどうしても自分の中に深いネガティブな感情が眠っていて、それが勝手に刺激されることで相手の「なんでもない発言」も「わざと言ったんじゃないか」と勘ぐるようになってしまう。
しかし正直言って、ここまで来るとたいていは「不健全」なんですね。心が。
自分の中の負の渦巻きに知らず知らずのうちに集中していて、そこに落とし込まれ妙なものに変換される。
たとえば「頑張ってね」が「頑張ってるのに酷い」となり「頑張らなくていい」が「私なりに頑張ってるんだけど」となる。
簡単に言えばこうだけど、相手の環境性格心理的立ち居地すべて理解した上で発言するのは最も好ましいけれど、これは「カウンセラー」の役割であって、通常そこまで相手に耳を傾けひたすら話を聞くというのは、まず考えられない。
この手の接し方が必要な人がいるのもよくわかるし、昔は私も相当病んでいたので、話すよりもひたすら聞いて頷いてほしいというタイプであったので、心理状況はわからないまでもないが、今になってわかるけど、話しかけられて「こういうこともあんだよね」と言った時「え?何それ。それ私に言ったんだよね。プライベートなメッセージってもっと考えてからいいなよ。私のこと何も知らないのに」と言われるのは、自分のほうが礼を欠いている点はあるとはいえ、ちょっと辛い。
独り言にも近いことを言うことがあるのが、この「心に脆さを抱えた人」の特徴でもあると思う。
いやね、一通り自分が経験すると、どうしてなのかな、わかるけどミスをする。
自分がそこから少しずつ出てきて、出てきたノリで話す。
結局篭ってても「自分のノリで話す」し、そこから出てきても同じってことは成長してないのだろうけど、もっと言葉を選ぶ、言葉を熟慮してから放つ、ということを反省しながらやっていかないと、つまらないところで足元をすくわれたり、傷つけられたり、その逆もあるわけですね。

小説家はどうしても内面にすっと入っていくような言葉遣いをするし、精度が低ければただ掻き乱しておしまいという不毛なことにもなりかねない。
むしろ不毛にすることのほうが多いかもしれない。
そういうことを何度と繰り返しながら、はっとゼロ地点に立ち戻って、もう一度最初からやり直して、少しずつ言葉の使い方を知るのかもしれないな、と思った次第。

言葉は人の心を司る。
だからこそ大事にしていかなければいけないし、言葉がどのような心理的変化を与えるのか未知数なだけに言葉と心のことは、常に常に考えていかなければいけないことだなと思いました。
本当に、小説家として歩んでいくために大変なものを抱えていくのだなと改めて気が引き締まりました。

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09/14

Wed

2011

今日朝の番組で褒めると脳の回路が強化されるというのをやっていた。
脳卒中でのリハビリに一番効果のある行動は?という内容で「褒める」があったのですが、具体的に褒め、そしてタイミングよく褒めるというのが大事みたいです。
言うなれば今やった行動を具体的に褒める、後回しにしない。

私あんまり褒められたことがなく・・・というか褒められてもお世辞なんじゃないかって疑ったり、素直に信用できなかったり、はい、人間不信ですね。
まあそんなものを根底に持っていると、褒めてほしいやら、本当に大事なところで励まして欲しいやら、でもお世辞はいらないやら、この人の言葉はただのリップサービスなんじゃないかやらで、ひねくれまくりの人間ができあがるのですが、ひねくれまくりながらも自分で精神の上下をカバーするのに自分で褒めたり酒飲んで誤魔化したりしてます。
こういう生活してたら、正直死ぬかも、なんて思うのですが、この脆さが執筆にも役に立っているので、なかなか一般の人に単純明快に心理状況を説明するのは難しいと思っております。

そんなわけのわからない私でも「褒められて伸びる」は「ああ!」と膝を打つところがありまして、今でも時折怒号のような否定のようなものが脳の奥で勝手に聞こえてくることがあるのですが、実際褒められ慣れてないと「けなして落として、そこから這い上がってきたやつが本物」みたく勘違いする傾向がありまして、自分が辿ってきたような道を他人にも強制するのですな。
エジソンはひたすら母親に褒められてきたという逸話が残っているのは結構有名でして、やっぱり褒められてぐんぐん伸びるタイプもいれば、崖を這い上がり叩き上げでのし上がってきたみたいな人もいるわけで、どちらかといえば人に優しい伸ばし方は「タイミングよく褒める」方に明らかに軍配があがるのではないかと思うのです。

でもひとつ問題として「褒めるタイミングを間違える」とか「全然具体性がない」っていうのは、「勘違いの元」を生むところは注意が必要。
ということは、育てる側にも「育てるだけの技術・能力・見識」が必要になってくるのは言うに及ばず、よくできた上司とはけなして伸ばすのではなく、ここぞという時に褒めるのが上手い、という人間を指すのではないかと思うのです。

特に子育てに大事なことは、否定するよりも褒めることを増やすことだと思うのですよ。
褒めるというのは、肯定するということではありませんよね、もちろん。
肯定するというのはだめな所も認めちゃうことで、具体的に褒めるのはちょっとした注意も入れて「もっとやればいけるじゃない!」と励ましを与える意味でも、とっても重要になります。

だいたい大人になったら「大人の社会は厳しいから」という扱いを受け、その社会生活の経験を誰かまわず押し付けてしまいがちですが、良いところを見つけて褒めるという行為はまさに「ありがとうの輪」のごとく、よいものを広げていくんじゃないかと、とても綺麗な可能性を見つけた今日は、自分のこれまでの見方や姿勢を改めて反省する上でも、とても参考になりました。
ありがとう。よかった。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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