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あさかぜさんは見た

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06/21

Sat

2025

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09/03

Sat

2011

そういやいくつかバーで話していた内容を思い出しながら書こうかと思う。

「ラップとかやっている人がいて、それでそこそこのレベルなんだけど、結局俺には働くの似合わないし、みたいなこと言って、ラップやっている間は周囲の人からちやほさやされるから働いてもすぐやめたりとかして、いまだにフラフラしている友達とかいるんですよ」

という20代半ばの話を聞いていて、そういえば最近「才能」の話をしたなと思い出した。

才能っていうのは、ないものだと思えと。
自分は凡人だと思え。
自分は凡人で何も持っていないのだ。
その凡人が周囲から見られたら「あの人って才能あるよね」というレベルまで高めなければいけないのにどうしていかなければいけないのか。
テレビとか雑誌とか映画とかの影響で、ついつい「天才」を眺めて「俺もすぐに天才にまでいきつくことができる」という錯覚をしがちだが、そんなものなんてないんだと。
そういう凡人的自覚を常に持っていないといつか停滞する。
本当の力っていうのは、制御できないところまできて本物。
たとえば誰かに影響を与える。
影響を与えたやつは動き出す。
そいつがどうなるかなんてわからない。
そういうのが「力がある」っていう。
だから本当に力をつけると制御できなくなるものがたくさん出てくるんだ。
そういう力を、みんなは「才能」って呼んでるんじゃないのかな。
結局自分自身への客観的な視点を持って欠点や長所が見えてこないと補うべき部分も伸ばすべきものもわからない。
それって「好き」じゃないんだよ。
「嫌い」もあると思うの。
本当にやりこんだら自分の「好き」という範疇では収まらない複雑な感情が芽生えてくる。
「嫌い」の中にも「好き」が出てきて「好き」の中にも「嫌い」が芽生えてくる。
つまり影響力も自分を突き動かそうともしないのは進んでいるのではなく限りなく停滞しているのね。
停滞している力に依存しているにしかすぎないわけ。
そういうのは絶対自分で答えだせない。
環境の力に流されて、自分はこうなるはずではなかったと言うしかなくなる。
それってやっぱりそのことが「好き」じゃないんだ。
憧れているだけ。
憧れは「好き」ではないよ。
自分のものではないんだもの。

という話。

世の中には「凡人力」が足りないのじゃ。
うんうん。

自分は何も知らない。
何も持っていない。
そういう自覚があるからこそ誰かに対して長所を見出せるのではないかなと思う。
そして自分に持っていないものを学ぼうという気持ちが生まれる。
謙虚になれとか、そういう説教がましい話じゃないんだ。
きちんと物を見る目を養いましょう。
「好き」ができれば、「好き」が自分のものになったら、そこから世界は広がっていく。
そして新しい恩恵を受ける。
「嫌い」が多いと、それが壁になって結局得ることが難しくなってしまう。
「好き」は得する。
だから自分は何も持っていないという「凡人力」は「好き」を高めるのではないか、ということなのですよ。

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09/02

Fri

2011

「神聖かまってちゃん」っていうバンドがあるみたいで、NHKの特集を最近ようやく見たのですけど、その紹介されていたコメントで「何も響いてこないのはよっぽど幸せな人生歩んでいた人だよ」と書かれていたのを見て、響いてきた私は精神的には決して幸せばかりではなかったのだなと、いや別に不幸とか幸福とか関係なく作家になればすべてプラスになるので、だからこそ様々な感情を偽ることなく書き留めておくことが非常に大事なことになってくるのですが、結局私は彼と同じような作業をしていて、そして彼自身が充実してくることによって失われる、言葉を換えれば成長している部分もなんとなくわかって、しかも「どこまでいっても孤独」という部分にも頷いてしまうところが多く、何かと再発見がありました。

そこで重ね合わせながら思ったのは、自分に一番心配しているのは満たされることで変化してくるものが何なのか、というところです。
当然満たされないとできないものがあり、これから書こうと思っているテーマのほとんどはコンプレックスや欠乏、世への恨み、自分の非力さ、などを越えていかなければ到底書けるものではないので、なんとかしてのし上がって自分の本当に目指していたものをしっかりと残したい気持ちはあるのです。
それと同時に、出発点となっていて、かつ長年抱えてきた「幼稚で攻撃的で卑屈な感情群」が消えなければいいなとも思っているのです。
成長して人間的に成熟した作品というのは当然多くの人の共感を生むだろうし、それだけに売れる。
しかし私はほんの少数だけれど確かに存在している真実も無視してはいけないと考えているのです。
文学だからこそ、そういうニッチな作業もできるし、ほとんどの人には関係なくとも、その人にとっては救いを与えることになるかもしれないものだってできる。
私たちは生きるための希望、それも自分の人生にぴったりとフィットしてくるような希望が欲しいわけです。
明日を生きるための原動力が。
私はそういう原動力を与えるのは命を真正面から見つめようとする命のあたたかみだと思っています。

私は別に人間的に素晴らしい人間を目指したいわけでも何でもなく、もうこの「文学」という世界に本格的に入り込み、そして表現を通じて芸術というものを背負っていこう、人間の感情を背負っていこうと思っている身分なので、どう思われようといいわけです。
そういうものをひとつひとつ観察しながら自分の感情がどう揺れ動くのか知りたい。
きっと壊れてしまうかもしれないけれど、結局は背負った宿命なのかなとも思います。

最近書きおわったやつで題名が『ある「小説家」』というのができたのですが、面白いエピソードを入れておきました。
北日本文学賞に送ったのですがね、そのエピソードは扉なのですがくぐればくぐるほど扉がマトリョーシカのように小さくなり周囲の光が失われていくというものです。
後ろの光景はしっかりと見えるのに前方の光景だけは歪んで見える。
これは多くの人間が歩む道だと思っています。
そして最後までクリアに前方を見渡すためには、どうしていかなければいけないのかが、私が小説家として最後まで使命を全うするための課題だと思っています。

満たされる部分はあっても、飢えを残しておかなければいけない。
その「飢え」はコンプレックスであってはいけない。
解消されれば飢えが消え去るから。
じゃあそれにかわる「飢え」を見つけ、追い求めていかなければいけない。
私が見つめている世界が自分の価値観によって歪むようではいけない。
その歪みを矯正するために、日々どんなものでも吸収できる器を作っていかなければいけないなと、己の小ささを省みて思いました。

しかしまあ、先日も友達と話したのですが「俺汚い人間なんですよ。悪いとわかってて直せないんです」と言われたけど「俺も同じようなものだし」と苦笑しながら聞いていました。
私は短期的に負け続けても、最後には人生の勝利者になればいい、そのためには常に「克ち続けること」が大事なのだ、と思っています。
つまり自分を克服することなのですね。
そうやっていってこそ、新しい領域へとはいれるし、またその領域が大きな恩恵をもたらしてくれると信じています。

さて、今年よい結果が出せたらいいな。

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08/22

Mon

2011

トンボを見に行った

もうトンボが飛んでいるらしいとのことで、どれどれと近くの池のある公園まで行くと見当たらない。
少し慎重に周囲を見渡しながら行くと、アジサイの青い花の近くに飛んでいるのを偶然発見した。
今回はその一匹ぐらいしか見当たらなかった。
紅葉を始めている木も少しだけ見つけた。
風もお盆を過ぎてから少々冷たい。
もうそろそろ秋が来ているのだなと感じた。

ところで、その近くの公園は昔遊んだことのある場所だった。
今は違う場所に住んでいるのであまり頻繁に行くことはなくなってしまったが、ふと昔とよく比べてみると随分と柵が増えたなと感じた。
水路にも柵、池の周囲にもロープ、公園の入り口を出た車道の前にも鎖。「大変危険ですので渡らないでください」という内容。

前はそういうものは一切なかった。
この柵は水路に落ちるのを防いだり、池に落ちるのを防いだり、道路に出て車にひかれるのを防いだりする目的があるのはよくわかる。
つまり「リスク」というものを軽減させようと危険に対して未然にあらゆるものに対処しようということだろう。

ああ、人間って危険があると、こうして自らの環境を整理し、柵で囲い、境界線というものを増やしながら自分たちの生活に対して自縄自縛をするのかもしれないなと一瞬感じた。
そうやって柵をたくさん作り、中へ中へと小さな範囲に向かって整理していくような生き物なのかもしれない。
きっと黙っていたら、危険に対しての柔軟性がなければ、柵の外に出ることもできずに囲われてずっと生きていくのだ。

そんな、いや、きっと、未来の人間の日常は巧妙な柵に囲まれた都市の中に存在していくに違いない。

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08/07

Sun

2011

既に半世紀の未来は3月11日に決定した。
後は今脱原発なの原発推進なの、様々な角度から検証しようと結局10年20年先には脱原発になる。
それはもう歴史が証明したことだし、たとえば一世代まるまる賠償し続ける膨大な予算もつけられなくなりベラルーシは補助金を打ち切っている。
結局しわ寄せは最後に国民に来る。
それまでにいかに「経済」というやつを活発化させて「金を確保しておくか」を考えるのだろうが、今までの経済の価値感覚で社会を創造していくと当然矛盾を抱える。
つまり今までの通り何かを犠牲にしてその歪を必死に隠しながら社会を推し進めるか、今までの社会の犠牲者を捨てて新しい社会へとシフトするか、ということになり、経済市場主義では社会転換できず、社会転換しても過去の犠牲者を守ることができない、ということになるのですな。
これからは、今年起こってようやく未来に出てきた「被害」を目の当たりにして人間の感情として「もうこれ以上はこういう人たちは絶対に出さない」という意識に傾くのは当然で、その意識は半世紀は続くだろうけれど、そこから先はわからない。
新しい技術次第だけれど、その「新技術」に対しての金がどれだけ割かれるかに未来の行く末はかかっているような気がする。
当然こんな風に社会(都市の利便性を追求し、個人の欲望を節操なく追求する社会)を作り上げていったら、都市化の中で個々人が分断されコミュニティーも細分化されていくのだから、よほど地域で気をつけて「ふれあいの関係」を熱心に創造していかないと、一世紀後には元に戻る可能性だってある。
しかし飽食・強欲の時代なんて長くは続かなかったし、日本人の人口は少なくなっても世界の人口は増えるから食糧難となり、自前で食糧自給をしていく必要性に迫られることから、やはり「自然」に反する技術は特化したモデル都市で行われる、ということも考えられる。
逆に数字に固執ばかりしていたら移民を入れるなの、労働力を外国からとか、おかしなことを考え始めるだろうけれど。
科学だって、これからは生活にもっと密着していかなければならないだろうし、国民だって新しい技術の情報をたくさん経て、どこにお金を投資しようかと考える社会が必然的になるのではないかなと想像する。
もし今のまま社会体制がシビリアンコントロールを目的とし、搾取社会、統制的な社会を維持しようとし、国民が新聞では報道されない重要な法案に気がつかず、中央の巨大帝国ネットワークを崩すことができなければ、日本という国家は技術革新とともに徐々に顕著な統制社会となっていくに違いないと考えている。
国民はどうするべきかというと、自立が必要になってくる。
この「自立」というのは「経済的に」という意味合いではなく「精神的に」となる。
精神的に自立するということは、よく考え、よく聴き、よく尊重しあう、という理念が必要になる。
よく考えることは、他人の言葉を鵜呑みにせずに自主的に賢くなることであり、よく聴くということは、他人の言葉にむやみやたらに自らの主張を押し付けないということであり、よく尊重しあうということは、誰かを大事に思い助け合うということに繋がっていく。
これらのことは決して不可能な話ではない。
人を育てるのは「土」である、という古来の考え方に戻るということだ。
その上で歴史も再考されるのではないかなとも思っている。
自分で意志を持つということは、なかなか辛いことだし、賢くなるというのも簡単にはできない。
本来「痛み」というのは前進・一時停滞にのみされるべきであり、後退に痛みを伴ってはいけない。
各々の価値基準の中に厳密に当てはめ「それは後退だ」「これは前進だ」と喧々囂々と議論していくだろうが、どの範囲で物事を主張し、どの範囲を括っていないのかを厳密に見極めないと、社会はいつでも道を誤るだろうと考えている。
その「範囲の見極め」ができるようにならないと、いわゆる「偉い存在」にいつまでたっても騙されるだけだ。
将来原発に代わる別の危険なエネルギーだって出現する可能性があるのだからね。

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08/03

Wed

2011

とある芸術家の末路

「末路」と呼ぶには難があるかもしれない。
ただ、ネット上で少し知り合った程度で、その人の消息を知る術がもうなくなってしまったというだけの話かもしれない。

とある漫画家がいた。
文章も独特。
古風で弁当箱にぎっしりと定番のおかずとご飯が詰め込まれているような窮屈な文章。
海外で賞を取っているらしく、絵も一風劇画のようで、色使いが艶やかで斬新。
イラストそのものは時折、少々難いところもある不思議な感じだった。
下手なのかうまいのか、私には判別しかねた。
岩波新書のとある本の中にイラストも描いたということだから、出版社とも繋がりがなかったわけではないのだろう。
最近ふと名前だけ思い出し検索するとブログが去年で途切れていた。
年は生きていたら50を過ぎている。
鍼灸師の仕事もできるそうだから、手に職がついているはずだった。
しかし最後になるにつれて生活は極貧、家でネットができる環境がないのか他の場所からアクセス、売る本がなくなった、仕事もない、もう何もない、もうすぐ死ぬだろう、誰か助けてくれ、と英語で書かれていた。
途中には紙の出版は「売れない」ということから取り合ってくれないと書いてあった。
鍼灸の仕事は体力が続かず人と話すのも神経的に磨り減るらしく辞めていた。
漫画に没頭しても売れない。
海外の人から声をかけられても日本人のほとんどはこの人を知らない。

私はこの人の様子をブログで読みながら、多くの芸術家が辿るであろう末路を見ていた。
芸一本で食っていく。
その難しさ。
年をとるごとに感性が磨かれていくという保証はどこにもない。
花が咲いたとしても、永遠に咲き乱れる花はなく、咲いた限りはどこかで散り、そして散った限りは、新しく咲かせなければいけない。
同じ植物から咲いた花でも、それはもう同じ花ではない。
芸術家の宿命とは、例え咲いたとしても、咲かせた花は散っていくということ。
この分野に携わる人間は、このことを覚悟しておかなければいけない。
仕事もなく、ホームレスとなり、無一文で最後は外か、部屋かで孤独死。
ありえない状況ではまったくない。
その年にたとえミリオンセラーを飛ばしたとしても、次の年にはどうなるかわからない。
華のある職業は、それだけリスクが高いということだ。
とてもじゃないが、まともな神経ではやっていられないだろう。
好きでなくちゃいけない。
飽きずにできる行動力、興味を尽かさず持ち続けなければならない。
ちょっとやそっと罵倒されても続けられるような根気がなくてはいけない。
「実力」を磨いていき、常に時間の進み具合とともに己の技術を更新し続けなければいけない。
立ち止まることは許されない。
さもなければたちまち他人をダシに使うようになる。
そうなったらチンピラよりたちが悪い。
人間としてはクズに成り下がる。
そうなったら転落は早くどこまでも落ちていく。
恥も外聞もなく、生き延びるためにどんなことでもやるようになるだろう。
生活に困窮すれば、人間の心理なんぞどう変化するかわからないものなのだ。

芸の分野に携わる人間は常に危うい。
文字通り人生そのものを博打のように賭けていかなければ、到底成せるものではない。
だからまともな考えの人は「保険」をつける。
二足のわらじで、最低限生きていけるよう仕事をして、片手間で余裕を作っては芸に打ち込んでいく。
孤独死をしてもいいか、誰にも認められなくとも続けていける自信があるか、それを捨てたら人生の楽しみの半分以上を失われ生気がなくなるか。
最低の事ばかり考えてもしょうがないが、一度でも考えて、自分に問うて、そして覚悟しなければいけない。
「大丈夫」なんて言っているのは自分だけで周囲は何一つ補償してくれない。
時代は常に進む。
先見性がないと時代に取り残され、追うだけで精一杯になる。
華のある世界は、それだけ危うい。
芸の世界に入れば何者かから保証されることはない。
自分が自らの実力を補償し続けなければいけない。

それが「芸」の世界だ。
だからこそ、自分にも他人にも言える。
「夢を追う者よ。命の重みを背負えるか」と。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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