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あさかぜさんは見た

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06/21

Sat

2025

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09/17

Sat

2011

夢を叶えようと頑張る2タイプ

目標設定の仕方といいますか、大きく分けて2タイプの人がいる中で、通常世間では一方のほうが賞賛されます。
さて、その2タイプとは何かというと、

1、細かな目標設定をしてコツコツと地味に頑張る人。

2、いきなり途方もない目標設定をして夢を持って頑張る人。

それで2の場合は通常ほとんど消えていくため、というか日本ではそれほど世界的な夢を叶えた人物が少ないため、でかいことを言うと馬鹿にされ蔑まれるのがオチです。
1のタイプは一番客観的に、かつ視覚的によくわかるのですね。
だって目標がわかりやすくて実行可能だから他者にも伝わりやすいわけです。
人を集めやすいのは1の方で、2の側で人を集めるには相当腕に自信があり、かつ大きな夢を持続的に共有できる「親友」のような仲間が絶対必須です。

これは「箱庭」を先に設定するのか、「中の道具」から先に箱庭を設定するのかという、作り方の問題で非常に性格が出てきます。
どちらが正しいかどうかは一概には言えませんが、たいてい人は1の方を押し付けがちで、2を公言するには相当な勇気と精神力と図太さが必要になります。

だいたい歌とかは2のほうが多いですね。
大きな夢を持って頑張れば必ず叶うよ、とか言うんですね。
どれだけ周囲の圧力や自分の精神力の欠如に悩んでいくかって伝えずに。ある意味ちょっと卑怯です。
でもやればいいのです。夢があればどんどんやればいい。
苦労するのは本人で、その苦労こそが本当の宝になります。
その宝を見つけさせる前にけなす事は簡単ですよね。

しかし世間を上手く渡り歩くには2を秘して、1でコツコツやっているように見せるというのが賢いように思えます。
もしその中で「お前は本当は何をやりたい。最終目標があるのか」と誰かに問われたら、その人の目がどれほど真剣かを見抜いた上で本心を明かすのがよいかもしれません。

とにかく人の目は「型にはめる」というのが大好きです。
「第一印象を覆すのは非常に難しいので第一印象を大事にしろ」というのと同じですね。
でもそれだけで付き合う人っていうのは「親友」にはなれない。
大きな夢を実現させるためにはどうしてもたくさんの「親友」が必要になります。
秘密を共有できて、本心から打ち明けることができ、そしてよく協力し合える「親友」が必要なのです。
これは上辺だけの言葉のやり取りや付き合いだけではできっこない。
ぶつかり合ってよく話し合える。これを何度も繰り返さなければいけない。

革新的な夢をかなえようとする時、少なからず時代の反逆に合うかもしれません。
時代が選ぶ、という特性は強いにしろ、時代の流れを変えるには、新しい価値観が古い価値観に常に刺激を与えていかなければいけない。
上から言われて「はいそうですね」なんて若者が言っているようでは何も変わらない。
それは時代の硬化ですから、少し不幸な気がします。

ほとんどの場合夢が破れて荒野しか残らない。
そして人の思い出の中で「昔ここにはね、こういうものがあったんだ」と語られる。
夢とは本来そんな儚いものなのかもしれませんが、それでも大きな視点で「滅び行くものなのに人が努力して生きていく価値なんてあるのか」とは考えず、人の一生はいかなるものかという「等身大の感覚」を維持しながら突き進んでいかなければいけない。

私は大きな夢を語られるのが好きです。
ロマンっていう、本当に本当に子供っぽくてバカらしくて、誰も見向きもしないようなものを熱く語る人っていうのが好きなんです。
そのロマンティシズムが何億分の1の可能性を叶えるかもしれない。
もしくは何億分の1以外になるかもしれない。

夢とは人生一つ賭けて叶うか叶わないかの一世一代の賭けだと、私はそう思っていますが、「夢」というものが「きらびやかで優雅なもの」だと思っている人には、ちょっと遠い世界かな、と考えたりします。
夢を持っている人、諦めないっていうことは凄い力です。
頑張ってくださいね。

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09/15

Thu

2011

心の脆さと言葉の脆さ

心が病んでいる、酷い脆さを持っている。
こういう類の人へ可能性や考え方を示唆する言葉、または励ましなども含め、非常に危険なことかもしれない、と思った。
言葉の解釈に関しては基本はその人次第だけれど、「相手の解釈の範疇」を含めていくと、まさに「発言者の責任を」と詰め寄られたらできるものではない。

時折こういうジレンマに悩まされるけれど、これからも幾度となく考える問題ではあるから、よく心に留めておこうと思う。
ただ「発言者の真意はどこにあるのか」と言葉の意味を限定されそうな時、限定してしまってはかえって伝わらないことがある。
限定することでカバーしていたところがなくなってしまい、どんどん曲解されていくということはよくあるからだ。

ここらへんは、意図するところを確実に伝えたり、誤魔化したりする政治家の言葉遣いとはまったく状況が違ってくるのですね。
小説家の言葉遣いとは何か、いやいや、今自分が使っている言葉の技術はいかなるものなのか、きちんと意識した上で使う必要がある。
さもなければ、自分の意図しないところで勝手に言葉が暴走し、本人が考えていたこととはまったく違ったものが返されるからだ。

しかしここに関しては投げかけてみないとわからない、という問題もあり、言葉を発しないものより発したものの方が、はるかに危ないし脆い。
きちんと相手が意図したものを発することのできる人間は、ほとんどいない。
そこは私も相手に「他意がない」ものを「深読み」するのでよくわかる。

それはどうしても自分の中に深いネガティブな感情が眠っていて、それが勝手に刺激されることで相手の「なんでもない発言」も「わざと言ったんじゃないか」と勘ぐるようになってしまう。
しかし正直言って、ここまで来るとたいていは「不健全」なんですね。心が。
自分の中の負の渦巻きに知らず知らずのうちに集中していて、そこに落とし込まれ妙なものに変換される。
たとえば「頑張ってね」が「頑張ってるのに酷い」となり「頑張らなくていい」が「私なりに頑張ってるんだけど」となる。
簡単に言えばこうだけど、相手の環境性格心理的立ち居地すべて理解した上で発言するのは最も好ましいけれど、これは「カウンセラー」の役割であって、通常そこまで相手に耳を傾けひたすら話を聞くというのは、まず考えられない。
この手の接し方が必要な人がいるのもよくわかるし、昔は私も相当病んでいたので、話すよりもひたすら聞いて頷いてほしいというタイプであったので、心理状況はわからないまでもないが、今になってわかるけど、話しかけられて「こういうこともあんだよね」と言った時「え?何それ。それ私に言ったんだよね。プライベートなメッセージってもっと考えてからいいなよ。私のこと何も知らないのに」と言われるのは、自分のほうが礼を欠いている点はあるとはいえ、ちょっと辛い。
独り言にも近いことを言うことがあるのが、この「心に脆さを抱えた人」の特徴でもあると思う。
いやね、一通り自分が経験すると、どうしてなのかな、わかるけどミスをする。
自分がそこから少しずつ出てきて、出てきたノリで話す。
結局篭ってても「自分のノリで話す」し、そこから出てきても同じってことは成長してないのだろうけど、もっと言葉を選ぶ、言葉を熟慮してから放つ、ということを反省しながらやっていかないと、つまらないところで足元をすくわれたり、傷つけられたり、その逆もあるわけですね。

小説家はどうしても内面にすっと入っていくような言葉遣いをするし、精度が低ければただ掻き乱しておしまいという不毛なことにもなりかねない。
むしろ不毛にすることのほうが多いかもしれない。
そういうことを何度と繰り返しながら、はっとゼロ地点に立ち戻って、もう一度最初からやり直して、少しずつ言葉の使い方を知るのかもしれないな、と思った次第。

言葉は人の心を司る。
だからこそ大事にしていかなければいけないし、言葉がどのような心理的変化を与えるのか未知数なだけに言葉と心のことは、常に常に考えていかなければいけないことだなと思いました。
本当に、小説家として歩んでいくために大変なものを抱えていくのだなと改めて気が引き締まりました。

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09/14

Wed

2011

今日朝の番組で褒めると脳の回路が強化されるというのをやっていた。
脳卒中でのリハビリに一番効果のある行動は?という内容で「褒める」があったのですが、具体的に褒め、そしてタイミングよく褒めるというのが大事みたいです。
言うなれば今やった行動を具体的に褒める、後回しにしない。

私あんまり褒められたことがなく・・・というか褒められてもお世辞なんじゃないかって疑ったり、素直に信用できなかったり、はい、人間不信ですね。
まあそんなものを根底に持っていると、褒めてほしいやら、本当に大事なところで励まして欲しいやら、でもお世辞はいらないやら、この人の言葉はただのリップサービスなんじゃないかやらで、ひねくれまくりの人間ができあがるのですが、ひねくれまくりながらも自分で精神の上下をカバーするのに自分で褒めたり酒飲んで誤魔化したりしてます。
こういう生活してたら、正直死ぬかも、なんて思うのですが、この脆さが執筆にも役に立っているので、なかなか一般の人に単純明快に心理状況を説明するのは難しいと思っております。

そんなわけのわからない私でも「褒められて伸びる」は「ああ!」と膝を打つところがありまして、今でも時折怒号のような否定のようなものが脳の奥で勝手に聞こえてくることがあるのですが、実際褒められ慣れてないと「けなして落として、そこから這い上がってきたやつが本物」みたく勘違いする傾向がありまして、自分が辿ってきたような道を他人にも強制するのですな。
エジソンはひたすら母親に褒められてきたという逸話が残っているのは結構有名でして、やっぱり褒められてぐんぐん伸びるタイプもいれば、崖を這い上がり叩き上げでのし上がってきたみたいな人もいるわけで、どちらかといえば人に優しい伸ばし方は「タイミングよく褒める」方に明らかに軍配があがるのではないかと思うのです。

でもひとつ問題として「褒めるタイミングを間違える」とか「全然具体性がない」っていうのは、「勘違いの元」を生むところは注意が必要。
ということは、育てる側にも「育てるだけの技術・能力・見識」が必要になってくるのは言うに及ばず、よくできた上司とはけなして伸ばすのではなく、ここぞという時に褒めるのが上手い、という人間を指すのではないかと思うのです。

特に子育てに大事なことは、否定するよりも褒めることを増やすことだと思うのですよ。
褒めるというのは、肯定するということではありませんよね、もちろん。
肯定するというのはだめな所も認めちゃうことで、具体的に褒めるのはちょっとした注意も入れて「もっとやればいけるじゃない!」と励ましを与える意味でも、とっても重要になります。

だいたい大人になったら「大人の社会は厳しいから」という扱いを受け、その社会生活の経験を誰かまわず押し付けてしまいがちですが、良いところを見つけて褒めるという行為はまさに「ありがとうの輪」のごとく、よいものを広げていくんじゃないかと、とても綺麗な可能性を見つけた今日は、自分のこれまでの見方や姿勢を改めて反省する上でも、とても参考になりました。
ありがとう。よかった。

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09/13

Tue

2011

アタック粉で魚の目が取れる?

もう十何年くらい前から花王のアタック粉洗剤には青い粒々が入っていたのですが、なぜか小さな頃この粉洗剤に少しだけ水を入れて洗剤に魚の目をつけると、何故か一ヵ月後ぐらいには取れてくるという現象を発見し最近またできたのでやってみたら、やっぱり取れました。
これは例えば踏み固められた皮とかに対しては効果がなく、肉のついていないイボとか魚の目とかには効くのです。
で、やっぱり気になるじゃないですか。
これって自分だけの現象なのか、それとも他の人の魚の目にも効果を発揮するのか。

ちなみに方法は粉洗剤に少しだけ水を入れて洗剤残っているような濃い状態のところに足を5分くらい突っ込んで、後は綺麗に洗っておく。
一週間後ぐらいかさぶたみたくなってきたら念のためもう一度やってあとは放置。
気がついたら取れてました。

ああ、そう、それで思い切って花王に質問してみました。
まあ、当たり前といえば当たり前なのですが、以下のような回答来ました。

/////////////////////////

光野 朝風 様

いつも花王製品をご愛用いただきましてありがとうございます。
また、このたびは「アタック 高活性バイオEX」につきまして、
お問合せをいただきありがとうございます。

せっかくお問合せをいただきましたが、「アタック 高活性
バイオEX」は衣類用洗剤のため、魚の目に対する知見は
あいにくございません。お力になれず誠に申し訳ございません。

なお、「アタック 高活性バイオEX」が長時間お肌に触れた
状態になると、肌荒れの原因となる場合があるので、『使用後は
よく手を洗う』『荒れ性の方や長時間使う場合、また洗剤を
ブラシにつけて洗う時は炊事用手袋を使う』表示をしております。
魚の目などをアタック溶液に直接浸すと、お肌への影響がとても
心配ですので、おやめいただきますようお願い申し上げます。

このたびは、弊社にお問合せをいただき、ありがとうございました。
今後とも花王製品のご愛用をお願い申し上げますとともに、
製品に関してのご意見・ご感想をお待ちしております。

/////////////////////////


つまり、やめてくれと。
変なうわさ流れてクレームきたらどないすんねんと。
わかりますわかります。
私は皮膚の異常は何もないのですけど基本はやめてください。
肌荒れとか起こしそうだものね。
でも誰か研究してくれないかな。
あの青い粒々が効くと思うんですけど、他の洗剤じゃ効果なかったんです。
花王のアタックの粉の青い粒々入っているやつしかダメだったんです。
商品化できたら魚の目取れる絆創膏とか作れるじゃないですか。
って、思ってるんですけどダメですか。

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09/08

Thu

2011

ルース・ベネディクトの「菊と刀」を読んだとき、非常にイライラして、様々な過去の出来事を思い出して一応はすべて読んだがひとつも覚えていない。
いわゆる「典型的な日本人像」というか、負の側面に私はずっとやられてきていて、約10年以上もそのことで苦しんだことから非常に強いアレルギー反応を持っているということがわかった。

このことは非常に強いコンプレックスを引き起こし、非常に強い偏見を引き起こし、非常に強い偏屈さを引き起こし、非常に強い攻撃性を引き起こしている。
そして、克服できない弱さが非常に強い幼稚さを引き出している。
極めつけには皮肉屋ときているから、嫌われ度満点だ。

私は自分自身のやつもそうだが、すぐ他人の感情に影響されやすい。
ふとフォーカスしてしまうと危ない時がある。
ふっと「死んだほうがいい」と思ったり、すべて捨てたくなったり、非常に不安定になったりする。
一瞬にして世界が変わる。
酒を飲んで忘れようとする。
切り替えをしないと何日でもその感情に浸り、感情の動き方を探っている。
つまりどっぷりと体験しているのだ。
これは綺麗な言葉を使ったからと言って改善されない。
完全に一度抜く必要がある。
より底辺に位置している感情だからだ。
そして美しいものは上位に位置していて、これは下地がしっかりしていないとなかなか感じられるものではない。
例を出せば憎しみや怒りは感じるが、絵画を理解するにはそれだけでは足りない、といったところだろうか。
何でもいい、優れた絵を見て深い情緒や思想や美を見ていくには、自分が負の感情に犯されていない必要がある。

私は時折思うことがある。
自分を友達としたいか。
いいや、どちらかというと嫌だろう。
非常に苦手意識が出る。一緒にいたくないなと。

偏見や思想は多少なりとも移っていく。
伝染していく。
たとえばすぐに他人を見下すような集団に長く属していれば自然と他人の粗を探すようになるし、ひたすらある一定の基準だけで物事の優劣を決める環境にいたら、自然とその上下で人を判断するようになる。
弱者は死ねという思想の中に5年以上いて、正常な感覚を養い続けるにはいささか難がある。

このように人は集団によって左右されるものだと私自身は考えている。
反発し、独立していく人間もいるが、残っていく人間は稀だろう。

私は長い間偏見の中にいた。
今よりも酷い偏屈さの中にいた。
正直吐き気がするほど歪んでいた。
もしここを読んで「こいつちょっと普通じゃないな」と思ったなら、その10倍は酷いと考えてもらっていい。
なぜそうなってしまったのかは、心当たりはあるがやめておくが、アレルギーというのは一度反応が出てしまうとほとんど一生ものとなる。
最近は徐々に体を慣らしていって、耐性を作るという方法もなきにしもあらずらしいのだが、心のアレルギー反応を取り去るには、非常に長い時間がかかる。
長い時間をかけて徐々に鳴らしていかないといけない。

この自分のコンプレックスとどう上手く付き合うのか、まったくわからないでいる。
対処法もなく、じりじりと腐るままにしておいている。
だから今の私には「大人になる」とか「大人の考え」とかがまったくわからない。
それが幼稚さをいまだに残している原因であり、成長できない自分の最も大きな欠点でもある。
それをうまく生かせないだろうかと小説を書いているが、10月末程度までに結果が出なければ一度書くことを凍結しようとも考えている。
いよいよ、ぎりぎりのところまで来た。
これ以上の事をするには、結果が出なければ継続できない。
そこまで来た。

死ぬのは簡単だが、少し生きていようと思う。
死んだ後人が悲しむのはどうでもいいことだが、困る人がいる。
それは私の能力を欲している人であり、理解してくれる人でもある。
変なことを考え出した時、その人たちの事を考える。

アレルギーやコンプレックスとどう付き合っていくか。
大きな課題になっている。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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