心にも筋力なるものがあるのだなと、最近ダンベル運動をしながら思うわけですが、体の実感が心の動きを捉えることもあるもので、体を動かすことはとても大事だなと思い室内運動で日々終わっている今日この頃でございます。
今年は珍しく雪も多く「雪祭りは大丈夫かな」と温暖化への心配もなんのその、雪に埋まって救助される地域も出てくるほどで、本当に地球はよくわからないものです。
ところで今回は「心に筋力を」ということなのですが、ちょっとしたうつ状態というのも体験したしうつ病患者にも長く接していたこともあり、「心がダメな時はどんな強い言葉も無理なのだ」と常々申し上げても、多少正常な思考回路が残っていれば、周囲から「甘えだ」なんだと言われるのがだいたい皆様が経験する状況なのではないでしょうか。
実際他人には、それが甘えなのか、もしくはうつの初期症状なのかはわからないわけです。
下手な言葉で強いコンプレックスや抑圧されたストレスを爆発させるようなことになり、最悪のケースを招くことがあります。
「招くことがあります」という「可能性」だからこそ、普通の発想力のある人は「だったら逆の可能性もあるんじゃないの?」とやたらと「励ます」という行為をしたがり、歩けないのに背中を押すという一種の拷問をしがちです。
こういう自分も少しずつ心のバネがついてきたなと実感しているところでありますが、やはり心の筋力の弱いころは、何をしてもダメというか、歩いても筋肉痛になってしまうように、いきなり走ることなど不可能なことだったのです。
歩いて筋肉痛になり休んで、何日か経ってまた歩き出して筋肉痛。
こんなことを繰り替えしていたわけですね。
だいたい心のバランスを崩す人は、本来自分が持っているペース配分を大きく乱されている状況にあると思うのです。
そしてその乱れたペースが埋め込まれてしまい、一種の自浄能力を失い、病んでいくのですね。
現代日本は他人の心の富を大事にできなくなってしまいました。
軽々しく奪っていきますし、そもそもその手の人間は心に非常に暴力的なものを抱えていたりします。
そんな暴力性が他者へと伝染しているのですね。
はい。私も気をつけなければいけないことなのですけれど。
まったくの他人が個人の心に干渉していくには、相当の観察力が必要になり、かつ相手のデリケートな内容を最大限尊重するようなデリケートさが求められます。
たいていできませんがね。
よくいらっしゃいますが、私はこう思うが君はどう思うと聞きながらも、最後に「だから君は〜」と結局自分の意見を強く押し付ける方がいらっしゃいますが、そんな行為をするなら対話など必要ないわけです。
意見を仰っていただいて「はいそうですか。さようなら」でおしまいでいいわけです。
心を完璧に大事にすることは正直言って不可能ですが、できる限りの配慮は可能です。
それでも人に嫌われたりするのですから、しょうがないといえばしょうがないことがいくつも起きるのが人生なのですが。
個人が心の筋力をつけるためにはどうしても「もう一歩だけ頑張り、本当にしんどい時は休む」ということを気をつけなければいけません。
そしてこのペース配分は他人から押し付けられたものではなく、自発的に組み立てたものである必要があります。
じゃなければ、また他人に乱されてしまうので。
人生は言い換えれば自分自身に対する実験の繰り返しなのかもしれません。
自分のペースで挑戦し、失敗を繰り替えしながら、自分なりの法則を見つけていく。
どんなに環境が変わろうと心の自由だけは奪うことができないというのは「ショーシャンクの空に」のアンディーが言った教訓であります。
いつの間にか自由でいるつもりが様々なものに執着してしまい、振り回されるだけで心の自由などないというのは個人的な経験から結構しんどいものです。
時間はあっても全然自由じゃないわけですね。
心の自由や本当の富を得るには、誰もが豊かな感情を感性をとは言いますが、いったい何のことやらさっぱりです。
人によっては音楽だったり、創作活動だったり、スポーツだったり様々ですが、共通していることは「よいものを探す癖をつける」「よいことを実行する」ことだと最近思うわけです。
悪いものばかり見て文句をつけていたりすると、あらゆるものを「欠点から眺める」ようになるのですね。不思議なもので。
そんな負の言葉に囲まれて常日頃身につけていると本当に腐ってきます。
その腐った状態が日常の自分になるので、どれだけ酷い状態かわからなくなるわけですね。
こうなるともう直すのに相当な時間を必要としてしまいます。
腐る前に腐らない癖をつけるという意味でも「よいものを探しよく褒め長所を感じれるようになる」ということは心を豊にするためにも必要なことであると実感しています。
自分のペースで踏ん張る癖をつけると、少しずつではありますが成長してくるものです。
その「少しずつ」は数ヶ月という範囲ではなく年単位になるかもしれませんが、それは個々人によって違うので他人が押し付けることではありません。
なので自分のペースを守って欲しいとは思いますが、年月の長さに逆に失望することなく、目の前のことをちょこちょことこなしていって欲しいなと思います。
一日一歩でもだいぶ進んでいるものですからね。
まずはお腹に力を入れる練習からやってみるのもよいかもしれませんよ。
[0回]