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あさかぜさんは見た

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02/07

Tue

2012

ぱっといつもの癖で変換して確認しないで打とうとして「配車と駐車」という題名にしてしまいそうになりました。
いいえ、違います。
歯医者と注射で正しいのです。

そもそも、わたくしは一億年と二千年前からしつこいほど申し上げて、今回の記事で百万回くらいは記事で書いたと思うのですけれど、歯医者と注射が嫌いなのです。
そして歯医者は注射もするから余計に嫌いなのです。

そういえば前回いつ歯医者行ったんだろうと思ったら、2003年でした。
いつの時代でしょう。
きっと日本が戦争を追えて、ようやく立ち直ろうとした時だったような、そんな昔まで、うん、いかないね。

ということで、前歯の歯と歯の間のところに何か穴のようなものが見えはじめ、歯がしくしくとしてきたので、もう観念して行って参りました。
雪祭り会場を通ってきたのですけど、周囲の景色がとってもブルーに見えたよ。
限りなく透明に近いブルー。
あ、雪のせいか。

会場の楽しい雰囲気、世界各国の料理が屋台として出ていて実においしそうな匂いが立ちこめておりましたが、ああ、ぼくちんはどうして虫歯などになったのであろうと、色々思い返しておりました。
あ、歯をきちんと磨いてなかったからだ。
そういえば酒飲んで、そのまま寝ちゃったことも。
すいません、チョコレートとか和菓子洋菓子結構食べていたような気がします。
その後すぐ歯は磨いてなかっ、うわぁ! ダメじゃん!

かくしてなるべくして虫歯になったのです。

唯一の救いは歯医者さんは中年の方なのですが、その他のスタッフは皆かわいい女子。
心の救い。
地獄での天女。
絶望へと射し込む光。

そしてそんな女子たちを前に、いい男っぷりをアピールすることもできず、そもそも自分にはそんなアピールポイントがないことに気がつき、そんなことよりも歯医者でそんなアピールをしたら、あの麗しき天使達の目によって場が急速冷凍されることは目に見えており、大人しくスゴスゴと治療台の上に乗りました。

やっぱり緊張しますよね。
いい大人がソワソワ落ち着かず、まるで檻に入れられたばかりの小動物のように、あちらこちらと見てしまいます。
そして9年ぶりぐらいに再会した先生。
いや、同じ先生だったのですよ。
お互い生きててよかった! と感動の再会をするために熱い抱擁をしようと待ち構え大人しく座っていた私に大人の会釈。
職人は余計な口は聞かず、仕事で語るという硬派なスタイルを貫いていらっしゃる。

いざ歯を見てもらい、すぐさま麻酔。
なんかチクッともするのですが、ぐいっと押し込まれているようなしびれが来ます。
死ぬ。きっと死ぬ。このまま意識朦朧、疲労困憊、肥満間食、遺憾千万。
水がかからないための白いタオルをかぶせられて、いざ治療。
でも時折タオル効果ないし!
私口小さくて指三本縦に入れるのが精一杯。顎外れる。
そのくらい小さくて、大きく開けられないのです。
そいで時折漏れた水が鼻の中とか来て、むせそうになる。
そして漏れた水は左目に流れ出してくる。
ぎゃー! 必死に目をつむる。
麻酔の時から「楽にしてくださいね」なんて言われながら、強火で煮込みすぎたチャーシューみたいにガチガチに固まっているぼくちん。
まな板の上の鯉みたいに騒ぎ出したら、もう出入り禁止になるのではないかと、祈るような気持ちで黙っておりました。
偉い! 頑張ったね、私。
誰も褒めてなんてくれないので、幼稚と罵られようが、臆病と言われようが、小さいと言われようが、自分で自分のこと褒めてやらぁ!
しかし、最近の虫歯治療は早いのですね。
前歯の詰めも含め、ものの20分くらいで終わってしまいました。

治療が済んで、目にかかった水を拭こうと、眼鏡をとってハンカチで目頭を抑える。
ん? ちょっと待てよ?
部屋には歯科助手のかわいい子がまだいる。
後ろからハンカチで目を拭いているのを見ている。
これって、なんか大の大人が歯の治療されて泣いたみたく見えるんじゃないの!?
な、泣いてなんかないんだからね!?
治療の時に水が目に流れ込んで来ただけなんだからね!?
目から水が出たんじゃないんだからね!?
しかも鼻に少し入った水が残っているような、麻酔のしびれでよくわからないような感じで、帰り際に鼻の下押さえながら帰るというマネをしてしまい、かなりの歯科助手さんたちに見られたのですけど、泣きながら帰っているわけじゃないんだからね!?

ああ、歯医者で歯を削られても平然としている、クールな男でモテ男作戦が見事に瓦解したわけです。
はい。歯医者にそんな目的で行くなというよい教訓でした。

外に出ると昨日よりも暖かな風が吹き、景色が潤んで、いないってばっ!
また来週勇気を出して行ってきます。

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02/04

Sat

2012

占い 前世のカルマ

2、3年前くらいに、占星術か何かで知り合いが占ってくれたことがある。
その時随分と思い当たることが多かった。
まず前世からのカルマとして家族との間の大きな溝というのがあった。
十数年悩んでいたことだった。
どこかでずっと改善したいと思いつつもできなかった。
それよりも改善までいかなくとも、家族と関係を切りたいと思っていた。
もうこの家族とは一生関わらない。
そして自分も家族は一生持たない。
どのような事情になろうと子供は持たない。
自分で終わりにしよう。
同じ目に合わせることはない。
30になろうとしているのに、ろくに生きていけない、偏屈で鬱屈した精神を持つ人間を育てることはないのだと考えていた。
きっと自分は子供に当たる。自分のコピーを作る。立派に育てる、という名目で精神的な虐待をする。
子供な親は子供を育てることなどできないし、きっと子供の欠点を見つけて責め立てるような醜い気持ちを持った親になるだろうことは理解していた。
だからもう自分で終わらせる。
ずっとそう思っていた。
だから自分の命を軽視していたし、家族のことも軽視していた。
自分自身に価値を置けないと、他人のことを虫けらのように、何の価値も見出せなくなるのですよ。
精神が荒むというのは、これだけ酷い状態になる。
正しいことが恐ろしく、敵視する。
そんな気持ちは絶対に理解されない。
精神科医である親戚がいるが、話しても通じない。欠片すらも理解されない。
そりゃそうだろう。
余計に疎外感と人に対する憎しみは募った。
突然殺してやろうかと思うこともあった。
私の精神の奥には拭いきれない憎しみのようなものが沈んでいる。
約10年間、2時間頑張ればぐったりして一日中休みたくなるような精神力しか持ち合わせていなかった。
私は弱い人間の精神構造がわかる。
鬱屈した精神を持っている精神メカニズムが見える。
同族嫌悪とでもいうのだろうか。
見えるからこそ関わりたくないと思う。
いや、ストレスに耐えきれないので、底に沈んでいる泥をすくい上げられると一気に心が濁るのだ。
今でも「強者の理論」というやつが心底嫌いだ。
ずっと持っていたものの名残りは続いている。

私は長い時間をかけて、まず私が生きている間には覆らないかもしれなかったカルマの因果を覆した。
家族と少しずつ歩み寄れるようになったのは強い呪縛の鎖を解けるというよい兆候だ。
作家「光野朝風」の誕生にはいくつかの条件をクリアしなければいけなかった。
まず、家族とのカルマの支配権を握ること。
母親の生存。
父親の価値観の変革。
家族以外の「愛」を与えてくれる存在。
自らの立脚点の構築。

私は人より10年間も出遅れている。
それもまた、思い返せば宿命だったのかもしれない。
すべてが必要なことだった、などとふざけた言葉で片付けられるような内容ではないが、私が歩んできた「落ちこぼれ人生」は、自分がどこにいたかを忘れるなよ、という戒めなのかもしれない。
できない人間だったから、本当に多くの人間を傷つけたし苦しめてきた。
そのくらい、よくわかっているんだよ。言われなくたって。

10年出遅れたからといって、もっと早ければなどとは思わない。
人は過去に対して色々後悔を持ち、あの時ああすればよかった、とよく思うが、私はそれを思うとぞっとする。
あと5年早く動けていたら、私は最も大事なものを失い、一生罪悪感で苛まされたことだろう。
それは作品にも大きな影を落とし、作家としては完全に終わった形となり、自分の人生も大きく鬱屈したものになっただろう。

人生を評価することそのものが愚かなのかもしれない。
人には人の気持ちがあり、価値観があり、人生がある。
そういうものは、よくできた人間ではないと慮ってくれない。
ひとつの物差しで世界や人間を評価するようなことはできないのだ。

今日、なんとなく記したくなった。
改めて、どこを通ってきたのか確認したくなった。
いつの日か、私が死んだときにでも「こいつはどこを歩いてきたのか」という資料として、素直に記しておきたいと思った。
まだ饒舌に詳細に語る勇気がないのは、まだ私が這い上がる途中にいるからだ。

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02/04

Sat

2012

なんとなく、日本の行く末も見えてきたな。
絶望的ではないけれど、英語で仕事ができる、というのが必須になり、日本の組織内の独自ルールはこれで崩れる。

5年以内にはきちんと英語を扱えるようにしないといけない。
圧倒的な差が出てくるし、今の常識なんて全部なくなるわけだから、早く忘れた方がいい。
そして基礎的な教養をきちんと身につけておかないといけないし国境を越えてもきちんと発揮できる判断基準を持っていないといけない。
とにかく、日本はもう変わったのだね。

大きな、震災よりも大きな変化が訪れる。
もう、「経済大国」ではなくなるのだね。
最もその素質を持っていた国が教育と教養の乏しさによって世界に敗北したのだ。

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02/01

Wed

2012

創作は楽しめない

自分の欠点はよく気が散ることだ。
書くにしても一日千字から多いときは一万字まで書けるが安定的な字数は四千ぐらいだと把握している。
周囲が楽しそうにしている時に、もくもくと書いていかなければいけない。
寂しいというよりも、イライラする。
どうしてイライラするのか。

きっと注目して欲しいという感情がある。
誰かが楽しそうにしていると自分だけ取り残されているような虚無感。
あとは、ちびちびしか進めない状態・自分の能力にも苛立っている。

ちやほやされたいし、凄いと言われたいし、いや、よく考えたらお世辞はいらないわ。気分が悪くなる。
それよりも目の覚めるような体験・刺激を受けたいというのが本当の気持ちなのかもしれない。
それさえあれば、毎日ワクワクできるような天才たちに囲まれていれば本当に幸せな毎日がおくれる。
自分の感情を掘り返すのにわりと苦労するのにその点西村賢太さんは凄いもんですわ。

自分は自分の感情に嘘をつき取り繕って生きようとしているのがよくわかる。
こういう濁った感情では、いざ表現するとき非常に困るのですね。
変な状態で鬱屈した感情が文章にうっすらと乗る。
思うように文章が書けなく詰まる。
西村さんとは歴然とした差を感じるし、まだまだ純度が足りない。

西村さんに「理想の女性像は」と聞くと「そりゃもちろん、おっぱいが大きく、腰がくびれ、アソコが臭くない」と答えるぐらいなんですから、手も足もでないところにおわしまする。

夢とかロマンとかいいますが、こういうものは命一つ、人生一つ賭けないと掴み取ることはできない、というのが持論。
創作は辛いものだけど、出来上がったとき自分に得るものがあるんだよな。

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01/24

Tue

2012

田中慎弥氏の芥川賞会見について

西村賢太氏の時も非常に印象的だったが、今回の田中慎弥氏の会見では非常に学ぶものが多かった。
略歴を見れば田中氏が偏屈な感情を持つ理由もよくわかる。
私も作り手だから、本当に自信のある作品をいくつかすっ飛ばされて今回の受賞となったら、「何を今更。この節穴ども」と罵りたくなるだろう。

田中氏は長州人だから、江戸の人間に選ばれて「はい!本当にうれしいです!」だなんて爽やかに会見したんじゃ、長州人としての気質が疑われかねないと思っていたが、どうやらあの会見は素らしく、あとで折れたと聞いてちょっと残念に思った。

しかし何よりも今回の会見で大きな学びを得たことは、生意気でも小賢しくともふてぶてしく無礼にしたほうが、メディア露出が増えるということだ。
そして何より人の印象に残る。
作家なのだから作品で印象に残せよ、という意見もあるだろうが、そもそもあの賞は「商業的な賞」なわけであり、名誉とか実力とかよりも、文学的なお祭りとしての神輿担ぎであることは少しでも文学を噛んでいる人には言わずと知れたことなのである。

今回芥川賞は二人受賞しているが円城塔氏に比べれば田中氏のメディアでの騒がれようは圧倒的な差がある。
真面目に会見した方よりもふざけている方が騒がれているのだからバカらしいことこの上ない。
文学賞の中でもNHK、全国紙、メディアに堂々と流されるのは芥川賞と直木賞しかない。
ましてや芥川賞は「新人に」という趣きが強い賞である。
だいたい地位がある程度固まっている直木賞作家とは違い、「賞を取っても明日の命がわからない」のが「芥川賞」なのだ。

これらのことを考慮すると、手段を問わず強くキャラクターを印象づけた方が勝ちなのだと見ながら感じたのだ。
読者やファンというものはせいぜいいっても100人に1人の割合でしかつかない。
これがほぼ文学の最大値だとしたら、100人に出会うよりも千人。千人よりも百万人。百万人よりも一億人に出会う方が圧倒的に作家としては勝利なのだ。
その意味でもテレビに映ったのなら「江頭2:50」並のギリギリさで、派手なパフォーマンスをしたほうが株があがると私は見た。
嫌う人間は嫌えばいい。最初から人格で作品に入る人は、まず読まない、読み込めないと判断した方がいい。淡い期待を捨てて狡猾に、一度切りのお祭りを最高に演じてやったほうが、あの場面では勝利なのだ。
作家はテレビで勝負するものではなく作品で勝負するものなら、もう二度とテレビに出ずともよいという覚悟でいくらでもぶちかませばいいのだ。
あとは作家としての実力で勝負していけばいいだけの話。

作家の価値をあげる最初の砦は「入り口の大さや広さをいかに確保するか」にかかっている。
これは自分で展開していてよくわかってくることだ。
まず興味を持ってもらって読んでもらうまで引き込まなければいけない。
そのためには色んな意味で露出を多くしなければいけない。
この最初の段階を効果的に展開するには最も大事な席でテレビに映ってふざけたように振る舞い印象づけた方がいいに決まっている。

そんなこんなで、万が一にもあの場所に立つ日が来たのなら、せいぜい派手に振る舞ってやろうと心に誓ったのである。
「ああ、もらってやるよ」ぐらいの勢いでなっ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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