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あさかぜさんは見た

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02/01

Wed

2012

創作は楽しめない

自分の欠点はよく気が散ることだ。
書くにしても一日千字から多いときは一万字まで書けるが安定的な字数は四千ぐらいだと把握している。
周囲が楽しそうにしている時に、もくもくと書いていかなければいけない。
寂しいというよりも、イライラする。
どうしてイライラするのか。

きっと注目して欲しいという感情がある。
誰かが楽しそうにしていると自分だけ取り残されているような虚無感。
あとは、ちびちびしか進めない状態・自分の能力にも苛立っている。

ちやほやされたいし、凄いと言われたいし、いや、よく考えたらお世辞はいらないわ。気分が悪くなる。
それよりも目の覚めるような体験・刺激を受けたいというのが本当の気持ちなのかもしれない。
それさえあれば、毎日ワクワクできるような天才たちに囲まれていれば本当に幸せな毎日がおくれる。
自分の感情を掘り返すのにわりと苦労するのにその点西村賢太さんは凄いもんですわ。

自分は自分の感情に嘘をつき取り繕って生きようとしているのがよくわかる。
こういう濁った感情では、いざ表現するとき非常に困るのですね。
変な状態で鬱屈した感情が文章にうっすらと乗る。
思うように文章が書けなく詰まる。
西村さんとは歴然とした差を感じるし、まだまだ純度が足りない。

西村さんに「理想の女性像は」と聞くと「そりゃもちろん、おっぱいが大きく、腰がくびれ、アソコが臭くない」と答えるぐらいなんですから、手も足もでないところにおわしまする。

夢とかロマンとかいいますが、こういうものは命一つ、人生一つ賭けないと掴み取ることはできない、というのが持論。
創作は辛いものだけど、出来上がったとき自分に得るものがあるんだよな。

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01/24

Tue

2012

田中慎弥氏の芥川賞会見について

西村賢太氏の時も非常に印象的だったが、今回の田中慎弥氏の会見では非常に学ぶものが多かった。
略歴を見れば田中氏が偏屈な感情を持つ理由もよくわかる。
私も作り手だから、本当に自信のある作品をいくつかすっ飛ばされて今回の受賞となったら、「何を今更。この節穴ども」と罵りたくなるだろう。

田中氏は長州人だから、江戸の人間に選ばれて「はい!本当にうれしいです!」だなんて爽やかに会見したんじゃ、長州人としての気質が疑われかねないと思っていたが、どうやらあの会見は素らしく、あとで折れたと聞いてちょっと残念に思った。

しかし何よりも今回の会見で大きな学びを得たことは、生意気でも小賢しくともふてぶてしく無礼にしたほうが、メディア露出が増えるということだ。
そして何より人の印象に残る。
作家なのだから作品で印象に残せよ、という意見もあるだろうが、そもそもあの賞は「商業的な賞」なわけであり、名誉とか実力とかよりも、文学的なお祭りとしての神輿担ぎであることは少しでも文学を噛んでいる人には言わずと知れたことなのである。

今回芥川賞は二人受賞しているが円城塔氏に比べれば田中氏のメディアでの騒がれようは圧倒的な差がある。
真面目に会見した方よりもふざけている方が騒がれているのだからバカらしいことこの上ない。
文学賞の中でもNHK、全国紙、メディアに堂々と流されるのは芥川賞と直木賞しかない。
ましてや芥川賞は「新人に」という趣きが強い賞である。
だいたい地位がある程度固まっている直木賞作家とは違い、「賞を取っても明日の命がわからない」のが「芥川賞」なのだ。

これらのことを考慮すると、手段を問わず強くキャラクターを印象づけた方が勝ちなのだと見ながら感じたのだ。
読者やファンというものはせいぜいいっても100人に1人の割合でしかつかない。
これがほぼ文学の最大値だとしたら、100人に出会うよりも千人。千人よりも百万人。百万人よりも一億人に出会う方が圧倒的に作家としては勝利なのだ。
その意味でもテレビに映ったのなら「江頭2:50」並のギリギリさで、派手なパフォーマンスをしたほうが株があがると私は見た。
嫌う人間は嫌えばいい。最初から人格で作品に入る人は、まず読まない、読み込めないと判断した方がいい。淡い期待を捨てて狡猾に、一度切りのお祭りを最高に演じてやったほうが、あの場面では勝利なのだ。
作家はテレビで勝負するものではなく作品で勝負するものなら、もう二度とテレビに出ずともよいという覚悟でいくらでもぶちかませばいいのだ。
あとは作家としての実力で勝負していけばいいだけの話。

作家の価値をあげる最初の砦は「入り口の大さや広さをいかに確保するか」にかかっている。
これは自分で展開していてよくわかってくることだ。
まず興味を持ってもらって読んでもらうまで引き込まなければいけない。
そのためには色んな意味で露出を多くしなければいけない。
この最初の段階を効果的に展開するには最も大事な席でテレビに映ってふざけたように振る舞い印象づけた方がいいに決まっている。

そんなこんなで、万が一にもあの場所に立つ日が来たのなら、せいぜい派手に振る舞ってやろうと心に誓ったのである。
「ああ、もらってやるよ」ぐらいの勢いでなっ。

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01/23

Mon

2012

無意味なジョブズ論

死後畳み掛けるようにアップル創業者のスティーブ・ジョブズに関する本やあちこちでの論考が出ているのですが、そもそもおかしいなと感じるのは結果だけ見て、どう学ぶかという姿勢は何か違和感を感じるわけです。
ジョブズは誰かの手のひらに収まるような人間ではなかったからこそ、これだけ世界に対して影響力を持ったのです。
つまりですよ、今の日本企業の体質や考え方や組織構造、人間に対する扱い、すべてが「第二のジョブズ」の誕生を拒んでいるわけです。

そうは思いませんかね。
私世界屈指の芸術都市を作ろうと思ってますけれど、「何こいつ」というぐらいのレベルなんですよ。一番初めって。
ほとんどの人間が夢を叶えずに挫折して消えていく中、その夢破れた人間達が考える夢のような発想をさらに上回るバカさ加減で思い描いているのですよ。
そういう人間を迎合できますか?せいぜいバカにするのがオチでしょう。

すべてのものが個人の手の平に収まるような考え方に集約され、ものの見事に「名前を借りた一般的文言」に成り下がっている。
イノベーションというのは今の発想をぶち破るってことじゃないでしょうかね。

日本で例えるなら日本を五つの小国家に分けて連邦制にする。
これぐらいの発想がイノベーションというのですよ。

そもそも何を論じても現在の保守的かつ閉鎖的で「常識的」な考え方では、いくらジョブズから学んでもジョブズのような人間は生まれないし、ジョブズのような仕事もできないのです。
そう思いますけど、何をしたいのでしょう。
天才的な仕事をしたいのなら、今ある常識をことごとく無視して、一ミリでも進んだ感動を提供しなければいけない。

発想そのものが夢にあふれているってことは、まずは採算度外視じゃないといけないのですよ。
というより最初から金との折り合いを考えながら発想するものに、ろくなものはないってことですよ。
「無理だ」「不可能だ」「バカらしい」を実現させるための突拍子もない発想をしていくのがイノベーションだと思うのですけれどね。

腹が立つのですよ。正直言って。
結局ジョブズを研究しても目の前のジョブズの卵はきっと無視する。
今の発想をすべて自分で否定できない人間にジョブズのような考え方はできないし、ジョブズの卵を見出すことはできないし、ましてやジョブズになれるはずもないのです。

私はね、将来人類はミステリー小説を書けなくなると思いますね。
なぜならすべてコンピューターが組み立てて人間よりもおもしろいミステリーをシミュレートして作り上げるから。
あと私は将来のビジネスはバーチャル空間上での商談を含め、わざわざ出張などしなくてよいところまで行くと思いますし、薬品開発はスーパーコンピューターがしてくれるし、ナノマシンは細胞のテロメアを修復するし、テロと呼ばれるものはナノレベルで発生して人体に影響を及ぼし、神はより脳神経へと直接届くようにヘッドギアをつけてスコープで覗けるバーチャル体験型になりプログラム上で聖戦が繰り返されるだろうし、戦争は人工を減らし経済を支えるマネーゲームをするための手段となり、人間の幸福は通話内容履歴・ネット文章・公文書などなどから計算された言論空間で完璧に制御されていくだろうし。
想像できます?こういう世界。
これが私たちの生きている間に実現可能になると想像できます?
そしてこれにすぐに着手しましょうか、と考えるのがイノベーションなのですよ?
まあ、犯罪レベルのものも入ってしまいましたが、金を稼ごうという発想じゃこんなこと考えられない。
俺が人間の生活や価値観を変えてやるんだ。お前たちのスタンダードは俺の発想でもっと幸せで素敵なものに変わるはずだ、と毎日わくわくしてなきゃいけませんよ。

できますか?

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01/23

Mon

2012

心に筋力を 緊急指令「心の富を手に入れろ!」

心にも筋力なるものがあるのだなと、最近ダンベル運動をしながら思うわけですが、体の実感が心の動きを捉えることもあるもので、体を動かすことはとても大事だなと思い室内運動で日々終わっている今日この頃でございます。

今年は珍しく雪も多く「雪祭りは大丈夫かな」と温暖化への心配もなんのその、雪に埋まって救助される地域も出てくるほどで、本当に地球はよくわからないものです。

ところで今回は「心に筋力を」ということなのですが、ちょっとしたうつ状態というのも体験したしうつ病患者にも長く接していたこともあり、「心がダメな時はどんな強い言葉も無理なのだ」と常々申し上げても、多少正常な思考回路が残っていれば、周囲から「甘えだ」なんだと言われるのがだいたい皆様が経験する状況なのではないでしょうか。

実際他人には、それが甘えなのか、もしくはうつの初期症状なのかはわからないわけです。
下手な言葉で強いコンプレックスや抑圧されたストレスを爆発させるようなことになり、最悪のケースを招くことがあります。
「招くことがあります」という「可能性」だからこそ、普通の発想力のある人は「だったら逆の可能性もあるんじゃないの?」とやたらと「励ます」という行為をしたがり、歩けないのに背中を押すという一種の拷問をしがちです。

こういう自分も少しずつ心のバネがついてきたなと実感しているところでありますが、やはり心の筋力の弱いころは、何をしてもダメというか、歩いても筋肉痛になってしまうように、いきなり走ることなど不可能なことだったのです。
歩いて筋肉痛になり休んで、何日か経ってまた歩き出して筋肉痛。
こんなことを繰り替えしていたわけですね。

だいたい心のバランスを崩す人は、本来自分が持っているペース配分を大きく乱されている状況にあると思うのです。
そしてその乱れたペースが埋め込まれてしまい、一種の自浄能力を失い、病んでいくのですね。
現代日本は他人の心の富を大事にできなくなってしまいました。
軽々しく奪っていきますし、そもそもその手の人間は心に非常に暴力的なものを抱えていたりします。
そんな暴力性が他者へと伝染しているのですね。
はい。私も気をつけなければいけないことなのですけれど。

まったくの他人が個人の心に干渉していくには、相当の観察力が必要になり、かつ相手のデリケートな内容を最大限尊重するようなデリケートさが求められます。
たいていできませんがね。
よくいらっしゃいますが、私はこう思うが君はどう思うと聞きながらも、最後に「だから君は〜」と結局自分の意見を強く押し付ける方がいらっしゃいますが、そんな行為をするなら対話など必要ないわけです。
意見を仰っていただいて「はいそうですか。さようなら」でおしまいでいいわけです。
心を完璧に大事にすることは正直言って不可能ですが、できる限りの配慮は可能です。
それでも人に嫌われたりするのですから、しょうがないといえばしょうがないことがいくつも起きるのが人生なのですが。

個人が心の筋力をつけるためにはどうしても「もう一歩だけ頑張り、本当にしんどい時は休む」ということを気をつけなければいけません。
そしてこのペース配分は他人から押し付けられたものではなく、自発的に組み立てたものである必要があります。
じゃなければ、また他人に乱されてしまうので。
人生は言い換えれば自分自身に対する実験の繰り返しなのかもしれません。
自分のペースで挑戦し、失敗を繰り替えしながら、自分なりの法則を見つけていく。
どんなに環境が変わろうと心の自由だけは奪うことができないというのは「ショーシャンクの空に」のアンディーが言った教訓であります。
いつの間にか自由でいるつもりが様々なものに執着してしまい、振り回されるだけで心の自由などないというのは個人的な経験から結構しんどいものです。
時間はあっても全然自由じゃないわけですね。

心の自由や本当の富を得るには、誰もが豊かな感情を感性をとは言いますが、いったい何のことやらさっぱりです。
人によっては音楽だったり、創作活動だったり、スポーツだったり様々ですが、共通していることは「よいものを探す癖をつける」「よいことを実行する」ことだと最近思うわけです。
悪いものばかり見て文句をつけていたりすると、あらゆるものを「欠点から眺める」ようになるのですね。不思議なもので。
そんな負の言葉に囲まれて常日頃身につけていると本当に腐ってきます。
その腐った状態が日常の自分になるので、どれだけ酷い状態かわからなくなるわけですね。
こうなるともう直すのに相当な時間を必要としてしまいます。
腐る前に腐らない癖をつけるという意味でも「よいものを探しよく褒め長所を感じれるようになる」ということは心を豊にするためにも必要なことであると実感しています。

自分のペースで踏ん張る癖をつけると、少しずつではありますが成長してくるものです。
その「少しずつ」は数ヶ月という範囲ではなく年単位になるかもしれませんが、それは個々人によって違うので他人が押し付けることではありません。
なので自分のペースを守って欲しいとは思いますが、年月の長さに逆に失望することなく、目の前のことをちょこちょことこなしていって欲しいなと思います。
一日一歩でもだいぶ進んでいるものですからね。
まずはお腹に力を入れる練習からやってみるのもよいかもしれませんよ。

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01/17

Tue

2012

この気持ちはもしかしたら今の状況だから感じられることかもしれないので記しておく。

「功を焦る」という気持ちがあるが、自分の場合たいした努力もしないのに、いちいち大きなリアクションを期待する。
お世辞で囲まれたいわけではなく、どこにいるか実感として得たいのかもしれないし、自分の労力に対する価値を得たいのかもしれないし、怠け癖が出ているのかもしれない。
ただ、本当にこの「功」というものへの憧れというか、執着のようなものがあり、引きずり込まれて成すべきことが歪められてしまう。
何をしなければいけないのか、そんなちょっとやそっとでは「功」など得られるはずもないのに、すぐに何かの形で目の前に現れて欲しいと、手を伸ばす思いで切に願っているのだ。

いくつになったら「功を焦る」気持ちが抜けて、落ち着けるのか。
集中力がなくて、気が散りまくり、自分の労力以上の成果をいつも期待し、「理想」がいつの間にか「自分の評価されるべき状態」となっている。
やるべきことはわかっているし、目標も道筋も見えているというのに途中の歩みに思っていたものとは違う焦りや体力のなさや集中力のなさを感じて、刻々と過ぎる日にちに「ああ、自分は何をしているのだろう」と考えたりしてしまうのだ。

これが「目的論」みたいなものから言えば愚かしいことはわかっていても、つくづく弱い感情が歩みを止まらせ、考え事を多くさせ、目の前の道のことを考えてただ歩いていけばいいものを、今来た道やこれからの道のことや歩いてきた道はいかにあらねばならぬと小賢しくまったく自分にとっては意味を成さない作業をしている。
そもそも他人がする「評価」などいちいち気にしていては「オリジナリティー」を出さなければいけない場所では最初の段階ではほとんど無意味であり無価値であり、方法論技術論などにおいて効果を発揮する「アドバイス」も「評価」においては、「主観の集合体」になることはわかっているはずなのに、また見失ってしまいそうになる。

なんてったって、こんな日記を書く時間があれば、あんた読書したり作品作ったりしなきゃいけないでしょうが、ともう一人の自分が言うわけですが、どうにも「分析屋」になると、「この日本が」とか「読者の環境が」とか「社会が」などとろくでもないことを言いがちになり、文句があるなら実力で変えなければいけないものをグダグダと文句だけ言い、つくづく怠惰になり、煎餅を食いながらテレビに向かって意見を言うような存在になってしまいがちになる。

それで今回も誰の役にも立たない日記を書いてしまったのですが、「功を焦る」という感情について、何度も実感して「遠目に山頂が見えてからが、はてしなく道のりが長い」とわかっているはずなのに、改めてうじうじと「功」についての執着心と執着心による視野の狭まりに、意識を向けて戒めをする本日なのでありました。

遠目に山頂が見えてからが、はてしなく道のりが長い。頂きにたどり着くためには、遠回りに歩いて進んでいかなければいけない。目標地点が高くなればなるほど、技術と経験が必要になり、危険を察知する感覚に素直に従える潔さ大事になってくる。「あともう少しで」の欲が命を狙って取りにくる。

「過去を定義できる人はいても、未来を定義できる人はいない」。だったら君、文句を言う前にやるべきじゃないのかね。
結局これなんだよね。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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