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あさかぜさんは見た

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Sun

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01/04

Wed

2012

おせち料理から「意味」が抜き取られる時代

御節料理
Wikipedia

御節料理は「縁起物」とよく聞きますし、テレビでも料理番組を見る人なら料理に込められた意味をちょろっと説明してくれます。
しかしちょっと待てよと。
料理を作らない人や、そもそも家庭で正月には御節料理を作ったり頼んだりする習慣がない家庭も、もしかして多くなってきたのではないかと、あるブログの記事を見て思ったわけです。

日本語には

忌み言葉

というものがありまして、言葉に対して非常に繊細な感覚と想像力を昔から持っています。
その逆もまたありまして、この御節料理に代表されるように「験を担ぐ=縁起を担ぐ」意味においても想像力ゆたかに「保存食」とも兼ね合わせて作ったわけです。

ただ「正月もの」とか「縁起物」だけであるわけではなく、一つ一つの料理に意味を込めて、その「意味を想像しながら食べた(祈った)」ことは容易く想像できます。
「縁起物」として「意味を食べる」過程でちょっとずつ今の形になったのでしょうね。

せっかく意味が込められているのだから、バクバク食べればいいってものではない。
一つ一つ噛み締めながら食べることでも「一年の心構えや気分を心に思い浮かべ血肉にする」ことができると思います。

このように意味を込めた料理は結構多くて今でも普通にテレビで行事の季節が来ると自然と流されますが、だんだんと形骸化しているのかな、とも感じるわけです。
味付けに関しては現代では高カロリー高血糖など、食べ物があふれているため昔通りでは多少きつい感じがしますが、そこはさじ加減。

それよりも「作るのが面倒くさい」「頼むと高い」「わざわざ食べるほどでもない」「おいしくない」「正月気分で」「ご馳走ならもっとおいしいものがある」など「意味が抜き取られている」ということに少し恐れを抱くわけです。
そもそもこの飽食の現代日本に、わざわざ古典的な、別に無理して食べる義務もなく、他の惣菜買えばもっと立派になるのに手間暇かけて作り、など食べる必要性すら感じなくなってきていますが、もっと根本的な生活感覚に立ち返れば、「節目に想像力を駆使する」ことが少なくなってきているのかな、と思うわけです。

「文化」とは何かなと考えると「形式」ではなく「想像力」なのかなと思うわけです。
言うなれば「創造性」とも言いますか。
一つ一つ意味や思いを心に描いてみる。
そんな感覚が「創造性」を後押ししているのだと感じることがよくあります。

だんだんと時代の流れなのか、あらゆるものが「形骸化」している。
「形式」だけ残って「意味が抜かれて」いっている。
現代の人は「想像力」がないと言われていますが、豊かな未来を描く想像力をぜひ各々思い描いていって欲しいなと願うわけです。
「意味」という「骨」が抜き取られれば、崩れ落ちるのは容易くなる。
これは色んなところにおいても言えることだと思います。
こんな時代だからこそ、他人の幸福、一年の実りある幸を心に浮かべることのできる創造性をもって欲しいと、御節料理に対する感覚を読みながら思った一日でありました。

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01/03

Tue

2012

目標は実感として、とにかく「感じ続け」なければ続かない。
「実感を意地すること」が大事。

いちいち傷ついていたけれどよく考えてみればものすごく小さな目標を持っていた。
特にトップを目指そうとするのなら文句を言っている暇などないし、ましてや何か他のものに嘆く必要もないのだ。
なぜなら、自分がやればいいのだから。

恐れずに進むこと。
ある意味誰の声も聞かないことだ。
目標にまっすぐがむしゃらに進むこと。
誰かに理解を求めた時点で目標は小さく小さくなっていく。

毎日きちんと進むこと。
何よりも自分に対して妥協しないことが一番の近道。
余計なところにはもう力を使わない。
そしてそれができる精神的な準備も整いつつある。

さて、今年は辰年ですから。
昨年は兎でホップステップとピョンピョン飛んでましたが、今年は飛翔するぞ。

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12/31

Sat

2011

コネクト そして今年を振り返る

「人の好みにクチコミは効かない」──ハーヴァード大学チームの研究結果より

前の記事でも使った、この記事を読んでから、少し引っかかっていることがある。

ちょっとおさらいだけど、自分の考えも入るが、ネットにおけるコミュニケーションとして、

・人は自分の利益になることしか「価値」として認めていない。

・人のコミュニケーションは「自分の利益」となるものを通してでしか繋がりがない(いいとこ取りしかしない)。

・他人の興味はその他の人間の興味には影響しない。

・既に好きなもの同士で繋がっている集団から発せられる情報が同種の人間に繋がる。

・個人の「好き」という「自発性」が他者の「興味」に引っかかる。

とりあえず、ここらへんまで出して「おや?」と思う。
ネットのコミュニケーションと現実のコミュニケーションとは別物なのはよくわかるが、もっと具体的に指摘するならネットはコミュニケーションしているのではなく、「コネクト」しているだけなのではないのか。
と、考えてようやくインターネットの本分を思い出すのだ。
「ああ、ネットは発信と受信しかなく、この二つの間を結びつけるのがコネクトなのだ」と。

ネットにおいて「コネクト」を機能させるには、誰かの「興味」「利益」「欲望」を刺激する必要がある。
自分のことを考えるなら、どこから引き込めばいいだろうと考える。
たぶん「興味」「面白み」を一発で伝えるには・・・今のところは「デザイン」なのだけど。

ちょっと今回は「コネクト」ということをキーワードに来年の宿題にしようと思ってる。


今年はどんな年だったかな、と振り返ると、とにかく「節目のない年」だった。
年越しをしても節目なんか自分にはない。
送った文章は全滅したし、その衝撃で何か自分の価値観が変化した気がする。
かといってすべて出しきっているわけではなく、くじけなければまだ出せるものがあるだけに不思議な気持ち。
実りがあったかどうかも疑わしい。
しかし何かふわふわと浮かびつつあるものがあり、「ああ、これって金脈だ」と漠然と思ってても、それは深い谷を挟んで向こう側にあり、どうやって橋をかけようか、その橋をかける作業が一番の難作業なのだと色々と考えつつ、壊れたパソコンは資金不足で回復せず、結論から言えばただの努力不足で終わったといういつも通りの展開。
でも一番変化したのは心理的に楽になった。
妙な夢を見て朝から嫌な気分になることもなくなったし、心理的にも安定しているし、負の感情で一日中潰される日数が非常に少なくなった。
これは本当に幸福なことで、この負の感情に潰される日数が減っただけでも、活動できる日数が増え、物事を積み重ねられるチャンスが増えたということになる。

もし来年この状態を一年中続けられれば、今年の二・三倍のペースで動けることになる。
ようやく長い呪縛から逃れるための扉を開いた感触がする。
来年は抱負は言わない。
なんだか目標というものを宣言して叶ったためしがない。
だからもういいや。
やれることを増やし、やれることをこなす。
これの繰り返し。ただ繰り返し。
価値観に縛られず、ただ可能性を広げる作業をする。
それだけ。
たぶんこれを生涯繰り返す。
それだけです。

私自身の成功法は「期待」と「欲望」を捨て、とにかく現時点を厳密に見るということかな。
じゃないといちいちナイーブに傷ついて立ち止まってしまう。
立ち止まらないための成功法が何にも期待しないということ。

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12/13

Tue

2011

はやぶさ元プロジェクトマネージャー怒る

はやぶさ後継機に関する予算の状況について
http://www.hayabusa.isas.jaxa.jp/j/index.html

はやぶさ2の予算が大幅に縮小されることについて川口淳一郎さんが大きな憤りを持って、ふつふつとこみ上げる感情を抑え抑え書いているのがよくわかる。
前回のはプロトタイプで今回が初号機ということらしい。これからが本番というところで大きな障害を目の前にしている。

一番着目すべき点は、この国の製造が限界を見せることは明白であるから、創造を担う若手を育て、この国の体質をシフトさせなければいけないという点である。
今からでも遅いほどなのに、川口さんの危機感が受け入れられないとしたら、この国の先もどうなるかわからない。

ふと思うのだが、よく引き抜かれないなと頭が下がる。
私が海外のエージェントだったら関係者お金で引き抜き、宇宙開発事業を充実させるべく動く。
国の技術を売るという意識があれば、とても海外にいけたものではないが、やはりそういう話があったとしてもこの国を見限ることなく、こうして辛抱強く訴えかけているのだろう。
これからの宇宙開発事業や技術というのはソ連やアメリカが国家プロジェクトとして、躍起になっていたように、国家の威信をかけた問題ではなく、軍事や民間に応用し世界経済への影響力を持つためにあれだけの競争を重ねているのに、日本は「すぐ儲かるもの」にしか目がいっていない。
既にインターネット社会、コンピューター社会、こんなことは言わなくてもこうしてネットでブログを読んでいるのだから実生活にまで当たり前のごとく浸透しているが、それが宇宙とどう関係してくるのか、という想像力が一切生まれてこないのが不思議だ。

軍事や民間に応用できる技術を持つということは、世界への暴力の抑止にもなるし、国家としての発言権を増せるし、例えば夢のような技術、宇宙からエネルギーを地上に送るとか、未知の物質を調べて新しい発見により、新たな物質を生成できるようになるとか、医療通信製造エネルギーあらゆる生活に関わる技術、とにかくSF小説で書かれているようなことが、当然のように実現可能になり、30年前は考えられなかった今のこのネット社会のようになっていくということになる。

言い換えれば「特許ビジネス」を展開している世界に対して影響力を持てることになるし、何よりも「2番」ではいけないのは、その莫大な特許料を払ってビジネスをするのか、莫大な特許料をもらって技術を与えるのかでは天と地ほどの違いがあるからに決まっているからなのだ。
だから海外の生産力の波に飲まれる日本は創造にシフトしないと製造でも必ず敗北すると危機感を持って言っているのです。

常々繰り替えされることだが国家の未来は若者にある。
若者の柔軟な発想や知識がやがて日本の未来を創造することになる。
人材を育てるにはタダではできない。失敗を何度も繰り返すし、人間として挫折や敗北を経験しながら大きくなっていくだろう。無駄だと思われる、つまり経済的感覚から言えば「投資の回収がダイレクトにできない」状態が何年も続くことになる。
それでも他の国より技術的に一歩先に出るということは、国家として大きな前進であるし、やがては自分たちの生活そのものへダイレクトに反映されてくる。
単純な話として、もしこのインターネットを世界中に展開させたのがビル・ゲイツではなく日本人だったとしたらどうだろう。国家プロジェクトだったとしたらどうだろう。
4兆円もの個人資産を持った人間が日本にいるということになる。これが国家技術だとしたら5兆以上の技術を持っていることになる。
もし5兆以上の資産があり、それで次世代を育成できたとしたら、この国はどうなるだろう。
もしビル・ゲイツではなくスティーブ・ジョブズだったら?アップルが日本生まれだったら?
26兆以上の資産を持つ会社が国内にできている。
未来への技術というのは夢物語ではない。挑戦なのだ。
挑戦というと綺麗事に聞こえるかもしれないが、これがかなり泥臭い作業なのだ。テレビで編集され美談化されているようなものは一部・最後の達成感に集約されることであり、それ以外の作業は地味で長くて時として汚らしく、屈辱にまみれる。それくらい泥臭い。
しかし「夢」を追って、そしてその「夢」こそ、「国家の未来」そのものに関わってくるのだという使命感を捨てずに頑張っている。
その気持ちを、無駄にするようではこの国には未来はない。

国家が与えないのであれば、国民が寄付するしかない。
はやぶさの映画を見に行くくらいなら2000円を募金すれば、少しの間はしのげる。
映画を見たってはやぶさ技術へ何の影響力も持たない。私が開発者なら映画がはやっても予算がこのような状況ではヤケ酒でも飲みたくなる。そんなボヤキは書けないだろうから、ああして要点だけ書いても、大いに腹が立っていることがわかるのだから、よほどの感情であろう。
今生活が苦しい人がたくさんいるのはわかる。
だったら1円でいいじゃないか。はやぶさの映画を見に行く、レンタルで借りるなどする人は、その分を寄付する。一人10円だったら十億集まる。100円だったら百億。
お金が嫌だったら国に大して発言するもよし、ブログで盛り上げるもよし、手段はいくらでもある。
初号機を飛ばそうではないか。みんなの力で。
日本のプライドを込めようではないか。

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11/28

Mon

2011

パソコン壊れるのも結果。
運も実力。

圧倒的に実力がないと叩きのめされた一年。
また文字書くのが怖くなってきたな。
手につかない。

ということで、出直してきます。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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