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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

2024

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06/27

Mon

2011

Googleの検索でランキングに出ていた。
何かなと思ったら映画の宣伝のようだ。
「2ちゃんねるの呪い」という映画シリーズらしいのだが、それで「鮫島事件」を扱うらしい。
予告編を見たら「赤い部屋」をネタにしていた。
というか、貞子じゃないの?
元々検索でヒットした時しか2chを見たりしない。
私はああいう安易な気持ちで人を口汚く罵るような空間があまり好きではないので好んでは見ないのだ。
私は2chに詳しくないし、前述の通り見もしないので「鮫島事件」のことも、一瞬なんのことだかわからなかった。

通常スレッドで「鮫島事件」のことを聞くとテンプレートのように「公安が」とか「この話に深入りするな」とかとにかく警告が発せられるらしい。
私も真相は知らないのだが、昔酒場で2chに出入りしていた人に昔の思い出話をされた時にちらっと出たことがある。
元々この話は2chだけの話ではなく他の掲示板から流れてきた避難所としての2chで起こったようなことは言っていた気がする。
「昔のアングラ時代の時は酷い事件もあったよ」と話を切り出してきたので「何それ」と聞くと少しだけ喋った。
「リンチ」で思い出した。

もう数年前の話なので断片的にしか覚えていないが、2chがまだ本当のアングラサイトでカオスのような酷い状態の時があったようだ。当然今よりも罵倒が酷かったという。
その時の事件なので「赤い部屋」が発表された年代とは合わない。
「鮫島事件」かどうかは忘れてしまったが、そこにあるスレッドが立てられて実況中継された。
加害者と被害者のことも喋っていた気がしたけど、それも忘れてしまいました。

その話した人もあまり詳しい話をしなかったけれど、スレッドは誰かを殺しに行くという内容だったという。
私もうろ覚えなので安易なことは書けない。
誰をやるか、というのは具体的には書かなくともヒントをチラつかせていたようだ。
当然文字だけだと本当にやるのか、ネタではないかと疑いもするし罵倒も酷かったらしいが、ある写真が公開されて皆本気にしだした。
そのリアリティーと生々しさからスレッドを追っていた人間たちは皆青ざめて今でもあまり口を開きたがらない。
少なくとも話し出した本人には突っ込んで聞いてはいけないような怖い感じがした。
「あれは本当にショックだった。今じゃ都市伝説だけどな。俺はリアルタイムで見てたからな」と言って話を打ち切った。

その人が喋ってくれた画像の内容は「指が切断された写真」というのは覚えている。
動画の話もしたような気がするが、これは忘れてしまった。
「駅」というキーワードもその時の加害者が予告も含め「どこでやっているか」ということを画像と一緒にアップしたことから由来していると思われる。
その実況中継の後被害者がどうなり加害者はどうなったのかは不明だが実況スレッドはすぐさま消され、画像もネット上から綺麗に消去されたため本当に一部の人間しか知らない都市伝説となっているということだ。
「今は微かに数枚残ってたと思うな」と話していた気がする。
何人リアルタイムで見た人間がいるかはわからないが、アングラ時代の出来事なので数えるほどしかいないのだろう。
それだけに知っている人間は喋る必要もないし喋りたがらない。
知らない人間だけがネタとして騒ぎ立てるという具合になっていると思われる。

推測するに当初の鮫島事件を模倣し、画像を用意してネタを小出しにしてリアリティーを出していくという手法が流行ったのかもしれない。
そしてそのうち完全にネタとして扱われるようになり現在に至る、という具合なのだろうなと思ったが、やはり真相は「藪の中」だ。

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06/25

Sat

2011

古武術 意識と動き



え?兄ちゃん、何がおこっとるん?
何か疑いたくなるような感じだけど、書いている感覚としては、わかるんだよな。
あれこれガチガチに考えて動くよりも、ぼんやりと捉えていたほうがするするできたりする。
今その効果を体感しているところです。
特に面白いのは「本当に肩のほこりを取ってください」というのと「ほこりを取りにくることを作ってやってください」はまったく違うということ。
この感覚は言葉だけで理解するのは難しいけれど感覚として理解すると爆発的に効果が出てくる。
だいたいあれこれ考える手順が多い人のほうが足の進め方が遅い。

「手をなんとかしようとすることで、力と力の勝負になりますから動きません。ほこりを取るということは本来の動きをするということで、本来の力を発揮するということになります」

見ていると「えーうっそーん」って言ってしまいそうになるけれど、凄く参考になる。
「物体に反応して合わせるのではなく感覚で動くこと」
「本来の動きを作らないで自然にやること」
「ぼんやりと視野を作り動くものに素直に反応すること」
これを局所的に見たり、作ったりしてしまうと力が半減する。
身体反応や身体感覚本来の姿を実践するということ。

こういうことは特にクリエーションするにはとても重要な感覚。
物事を進めるというのも、意外にこの感覚が必要なんじゃないだろうか。

この動画見つけたのも偶然で日本文芸家クラブのHPに「09/09/03新規会員を更新しました。【北都 凛(ほくと りん)作家】」とあって、そのリンクをクリックしたら

「初見 良昭

はつみ よしあき

七変化」

とある。
他は作家とか画家とかコラムニストとか書いてあるのに「七変化」って肩書きはどう見てもわからないじゃないですか。
「七変化」なんて肩書きは見たことがなかったから調べると戸隠流忍術34代目継承者とありまして、さらにびっくり。
古武術など武術家なのですな。
それで古武道の動画に行き着いたと。

日本文芸化クラブ、ぜひ入ってみたいものですな。
古武術学んでみたいな。
色々書くために必要な技術がごっそり詰まっていそう。

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06/25

Sat

2011

私は綺麗ごとだけ言う人と、悪口だけ言う人は信用しないことにしている。
悪口はわかりやすいけれど、綺麗事言う人は経験上かなりもろい。
いつもあの豹変振りに「なんでだろ?」って思うけれど、心理的耐性がないのはこの「綺麗事言うタイプ」なのです。
自分を自己暗示にかけているのだろうか、自己実現したいことを他人に押し付けて同意を得たいだけなんじゃないかと思わせるようなもろさ。
本当に強い人は綺麗事ばかりは言いません。
どうしてって人間は汚いし脆いし、自分もその脆さで裏切られたり裏切ったりしているだろうから。
そういうことに気がつかないっていうのは鈍感だし、これは直しようがない。
まあ人間が人間を思い通りにしようとするのが、そもそも傲慢なのだけれど。
だからこうしてあれこれ言っていることも、ひとつの思い上がりなのであります。

綺麗事言う人は「上辺だけの好意」を示すのも物凄く得意。
リップサービスだけで、その言葉に本気の度合いはあまりない。
「時間が空いたら、気が向いたらやろうか」程度。
優しさっていうのは残酷なものだとまったくわかってない。
途中でやめれば恨まれるし、最後までやり通せば疲れる。
優しさっていうのは覚悟しないといけないのです。
なのに言葉にすがりつく習性がある。
だから鵜呑みにできないことがある。
実がないだけに。

通常社会生活を健全に営んでいれば、人間不信になるまで痛い目にあわないことが多いかもしれないけれど、人間の本性って特に欲望にまみれた時ほど醜くなる。
精神壊れるんじゃないかってくらい畳み掛けてくるし、容赦ないよね。
そういうところから目をそらしたい人ほど綺麗事言うような気がするのだけど、どうだろう。

綺麗事言われると、人間の悪い面を煽り立てることもあるってことは少し理解しておいたほうがいいかも。
私がそのタイプだもの。
綺麗事だけ言われると憎しみが煽り立てられる。
理解できない心理だろうけど、心理的に鬱屈したものができると、それを浄化できずに持っているし、結局それを与えられたのが人間そのものだから、人間の希望をとことん説いていくような姿勢に反吐が出るのね。
そういう人種も中にはいるのですよ。
そういう経験して直せない人も中にはいるのですよ。
綺麗事だけ言えばよいことばかり起こるような信じ方をしているのかもしれないけれど、その逆の可能性も起こることを覚悟してやって欲しい。
そこまでやれているのなら、ようやく信じられるかな。

たとえば自殺はいけないって思う人はたくさんいる。
自殺は個人を殺す行為のみならず、その人を信じていた人も同時に殺す行為だからね。
でも、それでも悩んでいる人は主観的に辛いのだから他人なんか関係ない。
自殺という手段があるから安心できる人も中にはいる。
ロープ買おうかなとか、どこで死のうかなとか、あれこれ考えて想像の中で何度も死のうとする。
だんだんエスカレートしかねない危険な妄想だけど、そうやって精神のバランスを保つ時もあるんだよ。
ホント嘘じゃなくて。

報道で自殺を細かく流すと自殺率が増えるという結果があるよう。
その報道をする代わりに助けてくれる相談施設を紹介するらしい。
すると自殺率が下がるんだって。

大人はお世辞をいっぱい言うけれど、そのお世辞を全力で行動してきた人って、たかだか短い人生だけど数えるほどしかいなかった。
それだけ少ないし他はリップサービスでしかない。
悲しいかな。そういうのって。
だからあまり人の話本気にしなくなった。
その代わり自分ができることだけコツコツやるようになったかもしれない。
自分にできないことはそう簡単に口にするべきじゃないんだよね。
お世辞とか綺麗事とか特に。
やたらと褒めるくせに、相手のことあまり知らないとかさ、ちょっと傷つく。
テキストでも読んできてるんじゃないのって思ってしまう。

生身の人が見えないのは私はダメだ。

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06/23

Thu

2011

阪神淡路大震災の時、正直言って遠い大阪のことは他人事だった。
テレビで横倒しになった高速道路や焼け野原となった民家を上空から映している映像。
それぐらいしか印象に残っていないだろうか。
なにせ、中学生。
行ったこともない遠い地への支援の方法など思いもつかなかったし、こちらでは変わらぬ毎日が続いていたので実感がなかった。

今朝、結構揺れた。
札幌でも震度4ほどあったそうだ。
東北地方太平洋沖地震が起こった時、次々と爆発する原子力発電所の映像と政府の発表を見ながら、この国の情報に対する危機感が非常にひねくれているということがすぐにわかり、テレビの前で思わず叫んでいた。

「こいつ、嘘をついているか、騙されているかのどちらかしかないよね」

今3ヶ月が経ち、自分のやるべきことに戻ってきているが、やはり自分にはお金や肩書きが必要で、今年当初の目標どおり動こうとしている。
私にはそれが最短距離のような気がしているから。

テレビをつけると、口だけ威勢が良くて、何も動かない石ころどもが喋っているような印象を受ける。
私よりはるかにできるエリート集団が、3ヶ月もまごついて、今は辞めろ辞めないなの、子供の痴話喧嘩を堂々と被災者の人々に映像を通じてお伝えしている。
その裏では自分の仕事は脅かされないであろうと高を括っている多くのエリート集団が、自分たちの立ち位置を磐石にするための算段を常に練りこんでいる。
そしてあるものは真面目に働いているにもかかわらず、あるものは政治屋をそそのかして以前の蜜月状態に戻そうと画策している。
そういうことが、テレビのプロパガンダを見ていると思う。
一体どこへ誘導しようとしているのか。

西日本の人たちにとって、東北は身近だろうか。
当時の私のように少しずつ他人事になっている人たちもいるのではないだろうか。
報道は非常にロングランで報道を通して国民に情報を刷り込んでいく。
1ヶ月や2ヶ月の範囲ではない。
3年や5年という長い長い時間をかけて、徐々に情報を植えつけていく。
震災後、東北を助けようという国民が非常に多かった。
そしてその団結力は5年以上続くだろうか。
続かなければ、元の世界に戻る。
当然、東北の人たちは変わる。
だが、変わるだけでは、また中央からの巻き返しを食らうかもしれない。
震災前の状態に戻そうとする人たちと、震災後の新しい世界を作ろうとする人たち。
これからは必ずこの2つの勢力の見えない戦いになっていく。

この国は変わらなければいけないという意識。
少なくともこの中央の状態が続けば、私たちの地域だけでも中央に頼らない強いコミュニティーを形成しなければならないのだ、という意識はもっともっと高まってくることだろうと思う。
助けてもらった人たちに感謝の気持ちをもって、自分たちが生きていくということとは一体何なのかを強く意識して再生していくだろう。
これが、人情を持つ人間の心理だと思う。

それに対して、と言いたくなるところだが、そんなことはだんだん誰も期待しなくなるだろう。
日本人はあらゆる先入観を植え付けられてきた。
あらゆる専門化によって「こうすれば幸福になりますよ」と吹き込まれてきた。
おそらく東北の人たちは悟るだろう。
日本人が懸命に信じてきたことを、そこまで妄信しなくてはよいのではないか、と。

いまだ絶望的な気持ちで過ごしている人たちも中にはいるだろう。
しかしその反面、苦しい現実を背負い、死んだ人たちの分まで生きていかなければ、助けてもらった人たちに対して面目が経たない、という強い魂の震えをもって、これからの復興に臨んでいく人も少なくはないことだろうと思う。

人は無力ではない。
命の力は、東北の地で漁火のように燃えている。
その火が、どんな世界を呼んでくるのか、それは中央の人にはわからない。

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06/19

Sun

2011

新しいものを作っていくということ

経済っていうのは数字の感覚が大事だっていうことはわかる。
これは普通に生活している人なら生活する金より稼ぐ金が下回ってはいけない。
それは国家でも会社でも同じことがいえる。

自分のような技術を取り扱うことをやっていると、ある程度身につくまで金も時間もかかることが切実にわかる。
芸をゼロから仕込んでものになるまで何とかするということを「事業」として捉えれば、恐ろしいほどバカな話だ。
採算度外視だし、100万人いたら1万人も残らず、そして1000人しか食えず、その上位100人ほどしか残っていけず、さらにその中の1人しか裕福になれない。
こういうバカな世界に初期投資からすると言ったら「頭でもおかしいのか」と常識的には考えるだろう。

基本的に「新しいものを作る」ことは、それだけ労力がかかるということだ。
そして事業として成功する保証がないものを積み重ねていかないといけない。

金回りが悪くなると、育てるほうに金をかけるよりも生き残るほうや生活をしていくほうに重点が置かれる。
しかし「新しいもの」を少しでも作っていくよう労力を割かないと、いずれ選択肢が限りなく少なくなり、最後には何かの拍子になくなってしまう。
確証のあるものは過去にしかないが、過去にあるものが未来の確証になるかといったらそうではない。
だから過去にだけ頼っていては未来の選択肢が少なくなる。

物を作るということは、山ほどの無駄の積み重ねでもある。
その中からようやく使えるような芽が出てきて、さらにそれを懸命に育てると、ようやく「良い」ものになる機会を得る。
物づくりは数字で見れば青ざめるほどくだらないことである。
数字的に見れば、やる「価値」すらないものである。
だから物を創ろうとする人間と、そうでない人間との間には分かり合えない絶対的な溝がある。
採算の取れないものを山ほどやるという行為に軽蔑と嘲笑のまなざしすら覚えるだろう。
それは「数字」を見ていればよくわかることだ。
そして自分で「数字」を扱えばよくわかることだ。

当然余力がなくては新しいものを作っていくことはできない。
しかし悲しいかな。
金で潤っている時ほど欲望のために使いたくなる。
欲望の代償は「ただちには」請求されない。
忘れた頃にやってくるものだ。

小説を書いていてよく思う。
状態を表すだけだったら、これほど多様な表現は必要ないだろう。
結果だけにこだわるなら、あれほど長い枚数を重ねる必要がないだろう。
しかし人は多種多様な表現の中で自分の好みのものを探し出し愛読する。
なぜなのだろうな、と考える。
それは「言葉」という「道具」が、いかに「自分の精神を満足させるか」という点に比重が置かれているからだと思う。
小説を結末だけ読む人はいない。
過程がいかなるものかを楽しんでいる。
結末だけ読むのなら、状況描写だけでいい。

同じように結果だけにこだわるのなら、その結果を生み出すものは何でもいい。
当然最短で出せてコストがかからなくて、利益の高いものがいい。
機械みたいに動いていけばいいだけの話だ。

新しいものを作っていくということは、無駄の中から経験を積み重ねるということでもある。
その経験の中から塵のような次に繋がるものを拾い上げて生かしていく。
そんな途方もないことの積み重ねだ。

ところで「無駄」とは何であろうか。
金にならないことは「無駄」なのであろうか。
役に立たないことは「無駄」なのであろうか。
だから毎年3万人もの「無駄」が、この国から排除されているのだろう。
少なくとも自分が「有益だ」と思っていたら、生き残っていると私は思うのだが。
新しいものを作るということは、未来の可能性を広げるということだ。
たとえそれが結果的に使えないものであったとしても、作ること自体はやめない。
希望があると信じているからだ。
「数字上の無駄」を指摘する人間は、そこだけにこだわっていればいい。

私は今「茹で蛙」のことを考えるよりも「茹で蛙の料理」のことを少しずつ考え出している。
小説も、そのほうが売れるだろうから。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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