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あさかぜさんは見た

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06/25

Sat

2011

私は綺麗ごとだけ言う人と、悪口だけ言う人は信用しないことにしている。
悪口はわかりやすいけれど、綺麗事言う人は経験上かなりもろい。
いつもあの豹変振りに「なんでだろ?」って思うけれど、心理的耐性がないのはこの「綺麗事言うタイプ」なのです。
自分を自己暗示にかけているのだろうか、自己実現したいことを他人に押し付けて同意を得たいだけなんじゃないかと思わせるようなもろさ。
本当に強い人は綺麗事ばかりは言いません。
どうしてって人間は汚いし脆いし、自分もその脆さで裏切られたり裏切ったりしているだろうから。
そういうことに気がつかないっていうのは鈍感だし、これは直しようがない。
まあ人間が人間を思い通りにしようとするのが、そもそも傲慢なのだけれど。
だからこうしてあれこれ言っていることも、ひとつの思い上がりなのであります。

綺麗事言う人は「上辺だけの好意」を示すのも物凄く得意。
リップサービスだけで、その言葉に本気の度合いはあまりない。
「時間が空いたら、気が向いたらやろうか」程度。
優しさっていうのは残酷なものだとまったくわかってない。
途中でやめれば恨まれるし、最後までやり通せば疲れる。
優しさっていうのは覚悟しないといけないのです。
なのに言葉にすがりつく習性がある。
だから鵜呑みにできないことがある。
実がないだけに。

通常社会生活を健全に営んでいれば、人間不信になるまで痛い目にあわないことが多いかもしれないけれど、人間の本性って特に欲望にまみれた時ほど醜くなる。
精神壊れるんじゃないかってくらい畳み掛けてくるし、容赦ないよね。
そういうところから目をそらしたい人ほど綺麗事言うような気がするのだけど、どうだろう。

綺麗事言われると、人間の悪い面を煽り立てることもあるってことは少し理解しておいたほうがいいかも。
私がそのタイプだもの。
綺麗事だけ言われると憎しみが煽り立てられる。
理解できない心理だろうけど、心理的に鬱屈したものができると、それを浄化できずに持っているし、結局それを与えられたのが人間そのものだから、人間の希望をとことん説いていくような姿勢に反吐が出るのね。
そういう人種も中にはいるのですよ。
そういう経験して直せない人も中にはいるのですよ。
綺麗事だけ言えばよいことばかり起こるような信じ方をしているのかもしれないけれど、その逆の可能性も起こることを覚悟してやって欲しい。
そこまでやれているのなら、ようやく信じられるかな。

たとえば自殺はいけないって思う人はたくさんいる。
自殺は個人を殺す行為のみならず、その人を信じていた人も同時に殺す行為だからね。
でも、それでも悩んでいる人は主観的に辛いのだから他人なんか関係ない。
自殺という手段があるから安心できる人も中にはいる。
ロープ買おうかなとか、どこで死のうかなとか、あれこれ考えて想像の中で何度も死のうとする。
だんだんエスカレートしかねない危険な妄想だけど、そうやって精神のバランスを保つ時もあるんだよ。
ホント嘘じゃなくて。

報道で自殺を細かく流すと自殺率が増えるという結果があるよう。
その報道をする代わりに助けてくれる相談施設を紹介するらしい。
すると自殺率が下がるんだって。

大人はお世辞をいっぱい言うけれど、そのお世辞を全力で行動してきた人って、たかだか短い人生だけど数えるほどしかいなかった。
それだけ少ないし他はリップサービスでしかない。
悲しいかな。そういうのって。
だからあまり人の話本気にしなくなった。
その代わり自分ができることだけコツコツやるようになったかもしれない。
自分にできないことはそう簡単に口にするべきじゃないんだよね。
お世辞とか綺麗事とか特に。
やたらと褒めるくせに、相手のことあまり知らないとかさ、ちょっと傷つく。
テキストでも読んできてるんじゃないのって思ってしまう。

生身の人が見えないのは私はダメだ。

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06/23

Thu

2011

阪神淡路大震災の時、正直言って遠い大阪のことは他人事だった。
テレビで横倒しになった高速道路や焼け野原となった民家を上空から映している映像。
それぐらいしか印象に残っていないだろうか。
なにせ、中学生。
行ったこともない遠い地への支援の方法など思いもつかなかったし、こちらでは変わらぬ毎日が続いていたので実感がなかった。

今朝、結構揺れた。
札幌でも震度4ほどあったそうだ。
東北地方太平洋沖地震が起こった時、次々と爆発する原子力発電所の映像と政府の発表を見ながら、この国の情報に対する危機感が非常にひねくれているということがすぐにわかり、テレビの前で思わず叫んでいた。

「こいつ、嘘をついているか、騙されているかのどちらかしかないよね」

今3ヶ月が経ち、自分のやるべきことに戻ってきているが、やはり自分にはお金や肩書きが必要で、今年当初の目標どおり動こうとしている。
私にはそれが最短距離のような気がしているから。

テレビをつけると、口だけ威勢が良くて、何も動かない石ころどもが喋っているような印象を受ける。
私よりはるかにできるエリート集団が、3ヶ月もまごついて、今は辞めろ辞めないなの、子供の痴話喧嘩を堂々と被災者の人々に映像を通じてお伝えしている。
その裏では自分の仕事は脅かされないであろうと高を括っている多くのエリート集団が、自分たちの立ち位置を磐石にするための算段を常に練りこんでいる。
そしてあるものは真面目に働いているにもかかわらず、あるものは政治屋をそそのかして以前の蜜月状態に戻そうと画策している。
そういうことが、テレビのプロパガンダを見ていると思う。
一体どこへ誘導しようとしているのか。

西日本の人たちにとって、東北は身近だろうか。
当時の私のように少しずつ他人事になっている人たちもいるのではないだろうか。
報道は非常にロングランで報道を通して国民に情報を刷り込んでいく。
1ヶ月や2ヶ月の範囲ではない。
3年や5年という長い長い時間をかけて、徐々に情報を植えつけていく。
震災後、東北を助けようという国民が非常に多かった。
そしてその団結力は5年以上続くだろうか。
続かなければ、元の世界に戻る。
当然、東北の人たちは変わる。
だが、変わるだけでは、また中央からの巻き返しを食らうかもしれない。
震災前の状態に戻そうとする人たちと、震災後の新しい世界を作ろうとする人たち。
これからは必ずこの2つの勢力の見えない戦いになっていく。

この国は変わらなければいけないという意識。
少なくともこの中央の状態が続けば、私たちの地域だけでも中央に頼らない強いコミュニティーを形成しなければならないのだ、という意識はもっともっと高まってくることだろうと思う。
助けてもらった人たちに感謝の気持ちをもって、自分たちが生きていくということとは一体何なのかを強く意識して再生していくだろう。
これが、人情を持つ人間の心理だと思う。

それに対して、と言いたくなるところだが、そんなことはだんだん誰も期待しなくなるだろう。
日本人はあらゆる先入観を植え付けられてきた。
あらゆる専門化によって「こうすれば幸福になりますよ」と吹き込まれてきた。
おそらく東北の人たちは悟るだろう。
日本人が懸命に信じてきたことを、そこまで妄信しなくてはよいのではないか、と。

いまだ絶望的な気持ちで過ごしている人たちも中にはいるだろう。
しかしその反面、苦しい現実を背負い、死んだ人たちの分まで生きていかなければ、助けてもらった人たちに対して面目が経たない、という強い魂の震えをもって、これからの復興に臨んでいく人も少なくはないことだろうと思う。

人は無力ではない。
命の力は、東北の地で漁火のように燃えている。
その火が、どんな世界を呼んでくるのか、それは中央の人にはわからない。

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06/19

Sun

2011

新しいものを作っていくということ

経済っていうのは数字の感覚が大事だっていうことはわかる。
これは普通に生活している人なら生活する金より稼ぐ金が下回ってはいけない。
それは国家でも会社でも同じことがいえる。

自分のような技術を取り扱うことをやっていると、ある程度身につくまで金も時間もかかることが切実にわかる。
芸をゼロから仕込んでものになるまで何とかするということを「事業」として捉えれば、恐ろしいほどバカな話だ。
採算度外視だし、100万人いたら1万人も残らず、そして1000人しか食えず、その上位100人ほどしか残っていけず、さらにその中の1人しか裕福になれない。
こういうバカな世界に初期投資からすると言ったら「頭でもおかしいのか」と常識的には考えるだろう。

基本的に「新しいものを作る」ことは、それだけ労力がかかるということだ。
そして事業として成功する保証がないものを積み重ねていかないといけない。

金回りが悪くなると、育てるほうに金をかけるよりも生き残るほうや生活をしていくほうに重点が置かれる。
しかし「新しいもの」を少しでも作っていくよう労力を割かないと、いずれ選択肢が限りなく少なくなり、最後には何かの拍子になくなってしまう。
確証のあるものは過去にしかないが、過去にあるものが未来の確証になるかといったらそうではない。
だから過去にだけ頼っていては未来の選択肢が少なくなる。

物を作るということは、山ほどの無駄の積み重ねでもある。
その中からようやく使えるような芽が出てきて、さらにそれを懸命に育てると、ようやく「良い」ものになる機会を得る。
物づくりは数字で見れば青ざめるほどくだらないことである。
数字的に見れば、やる「価値」すらないものである。
だから物を創ろうとする人間と、そうでない人間との間には分かり合えない絶対的な溝がある。
採算の取れないものを山ほどやるという行為に軽蔑と嘲笑のまなざしすら覚えるだろう。
それは「数字」を見ていればよくわかることだ。
そして自分で「数字」を扱えばよくわかることだ。

当然余力がなくては新しいものを作っていくことはできない。
しかし悲しいかな。
金で潤っている時ほど欲望のために使いたくなる。
欲望の代償は「ただちには」請求されない。
忘れた頃にやってくるものだ。

小説を書いていてよく思う。
状態を表すだけだったら、これほど多様な表現は必要ないだろう。
結果だけにこだわるなら、あれほど長い枚数を重ねる必要がないだろう。
しかし人は多種多様な表現の中で自分の好みのものを探し出し愛読する。
なぜなのだろうな、と考える。
それは「言葉」という「道具」が、いかに「自分の精神を満足させるか」という点に比重が置かれているからだと思う。
小説を結末だけ読む人はいない。
過程がいかなるものかを楽しんでいる。
結末だけ読むのなら、状況描写だけでいい。

同じように結果だけにこだわるのなら、その結果を生み出すものは何でもいい。
当然最短で出せてコストがかからなくて、利益の高いものがいい。
機械みたいに動いていけばいいだけの話だ。

新しいものを作っていくということは、無駄の中から経験を積み重ねるということでもある。
その経験の中から塵のような次に繋がるものを拾い上げて生かしていく。
そんな途方もないことの積み重ねだ。

ところで「無駄」とは何であろうか。
金にならないことは「無駄」なのであろうか。
役に立たないことは「無駄」なのであろうか。
だから毎年3万人もの「無駄」が、この国から排除されているのだろう。
少なくとも自分が「有益だ」と思っていたら、生き残っていると私は思うのだが。
新しいものを作るということは、未来の可能性を広げるということだ。
たとえそれが結果的に使えないものであったとしても、作ること自体はやめない。
希望があると信じているからだ。
「数字上の無駄」を指摘する人間は、そこだけにこだわっていればいい。

私は今「茹で蛙」のことを考えるよりも「茹で蛙の料理」のことを少しずつ考え出している。
小説も、そのほうが売れるだろうから。

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06/19

Sun

2011

日本人はおかしい?

テレビを見ていて首をかしげることがたくさんある。
日本人がおかしいのか、それとも私のほうがおかしいのか。

例えばJR北海道がトンネル事故を起こした。
今日やったニュースはマニュアルにしたがっていたので事故対応に遅れたのではないかと、マニュアル改善命令を出したという。
唖然とした。
あのさ、会社員ってマニュアル無視したら罰でもあるの?
そもそも煙が見えた時点で機転利かせて指示待ってないで乗客誘導すればよいだけの話じゃないのかな。
それはマニュアルを熟知とかじゃなくて正義感があればできることです。

それと原発の話も相変わらず。
原発なくしたら電力がなくなる。
経済と電力は密接な関係にあるため、単に原発反対する人間は関係がわかっていないのでは?という声がちらほら。
前にもこのことには少し触れたけれど、相変わらず「?」です。
ねえねえ、「電力」というものも「民意」に任せればいいだけの話じゃん。
つまり電力自由化して、他の電力会社の設立を法的に許し、使う側が電力の種類を選べるようにすればいいだけの話じゃないの。
いわゆる巨大な利権スクラムががっちり組まれていて崩したくないからプロパガンダを流し続けているだけでしょう。
戦中戦後から一つも変わらない情報体質で。

静岡のお茶がフランスにつき返されて「薄めれば問題ない」って言い張るのもおかしいよね。
薄める前の段階から問題があるからつき返されたんじゃない。
逆の立場だったら今までの日本人は絶対拒否していると思うけど。
まるで国全体が言葉遊びをしているみたい。
日本人の行動は言葉に準拠しなければならないの?
言葉に違反したものは社会的におかしい存在なのかな?

わからないなあ。
これはゲーム?

何度も繰り返すけど、日本人って馬鹿なの?
それともやっぱり私が変?
一部の目立つ人間に限って馬鹿が見えるだけで、適所で声を出す人は、それほど愚かだとは思わないのだけど。
そもそも発想として「与えられたものの中でしか物事を組み立てられない」というのは、未来の可能性を一切排除した愚考です。
そこには「アイディア」も「クリエーション」もないよね。
創造っていうのは「なかったものを作り出す行動力」のことを言います。
組織のトップは創造する力がもうないわけ?
だから下のものが創造することを放棄しているわけ?

それとも報道が隔たった編集をしているだけ?

私はテレビの向こう側で次々と出てくる日本のお偉いさんが、だんだん現実にいる人だとは思えなくなってきた。
まずいよね、こういう感覚って。
若者は東京離れて地方に戻って、いかにすれば中央から独立できるのか決起していけばいい。
そのくらいの覇気は未来のために欲しいところです。
だって、何度考えても私にとってはおかしい(ストレンジ)な体質なんだもの。

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06/11

Sat

2011

某経済学者の一連のツイートを見ている。
データをあげながらもっともらしいことを言っているように見えるが典型的な思考停止だと思うけれどね。
原発デモ→原発停止→電力不足→企業流出→若年雇用激減。
という図式みたいだけど、理屈では尤もらしく見えるし、その方向性で動いていく可能性は高い。
でもさ、そもそも日本人って黙ってこういう状態になるまでボケらっとしているほど馬鹿なの?
彼の考え方って「経済的影響力のないものは文字通り無力」という前提に立たないと成り立たないと思うのだけど。
そういうふざけた考え方ってあるわけ?

金がない人間はたとえ危険なものでも従属しなければ生活は危うく、人間の尊厳を主張することは経済的影響力上憚られなければいけない。
そんな侮蔑的な状態とは決別しなければいけないのではないかな。
そこまで馬鹿にされてボンヤリしているような民族なら本当に救われないよね、確かに。
だって生きていくための尊厳を主張しない民族なんて民族性の欠片すらないもの。
そこまで日本人は堕ちたのか?
この国に日本人はもういないのかい?

その前に中央がもう危うい臭いを晒しているけれど、こういう人を馬鹿にしたような人間の予想した通りになるのは酷く癪に障るよね。
人間の行動っていうのは何かを主張するだけじゃ足りないんだ。
作らないといけない。
創造するってこと。
それは大きくなくてもいい。
経済的な各国比較で落ち込んだっていい。
その小さな創造をひとつひとつ積み重ねて他人を幸福だと思わせられれば、幸福だと思える人間が増えていけば、それは国家として素晴らしいんじゃないのかい?
積みあがったものを分かち合える環境こそ素晴らしいのではないのかい?
経済力や富の数値が高くなければ人々は国家は不幸そのものになる、という考え方に、どんな創造性があるんだ。
私にはわからないな。

私は素人だからわからない。
だからひとつ聞きたいんだ。
このような経済学者の考え方は日本を幸福にしてきたと言えるのだろうか。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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