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あさかぜさんは見た

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09/07

Mon

2015

禁酒の約束なんてするもんじゃなかった、と男は後悔した。
 男というのは「つまらないな」、と時折思うことがあったが、その理由は「見栄のために安請け合いするんだから」とのことだった。
「お酒は体に悪いし、飲みすぎだから少し禁酒しなよ。来週ぐらいはさ」
「わかったよ。それできたらやらせてくれる?」
「考えとく」
 男のスケベ心をみなぎらせ、冗談ともわからぬ言葉を投げかけひらりと女にかわされる。
 たとえやれなくとも、ちょっといいところを見せてやろうという思いがムクムクと湧き上がり、滅多に我慢などしない男が我慢を強いる生活を一週間続けようと決めさせたのだった。
 何故、酒を飲まなければいけないのか。
 飲まない人間には一切わからず、ただ合理的な意見しか出ない。
「タバコは体に悪いんだからやめればいい」
 という理屈は
「打席に立てばホームランを打てばいい」
 という理屈にも等しい。
 そしてその理屈を「言い訳」とし、冷たい目で見る。
 男はタバコは吸わなかったが、喫煙者の心苦しい事情が少しだけわかったような気がした。
 ようは「約束事」に追い込まれていくのだ。
 男にとって酒は「向精神薬」の役割を果たしている。
「肝臓壊して死んでいった患者さん何人か見てきたけど、ろくな苦しみ方しないよ。見てても地獄だから」
 看護師の女に言われたことを思い出したが「だからどうした」と苦々しく聞いたこともあった。
 心にこびりついた悲しみや苦しみはどうやったら拭い去ることができるのか。
 男にとっての問題はいつもそこだった。
 ふらふらと夜を徘徊し、騒がしい時間を逃れてようやく一人になれる。
 数多く入ってくる他人の意識から解放されて、自由になれる。
 だが終日男は脅えている。
 いつ、過去が心を襲ってくるのか。
 苦しみや悲しみの源泉は常に「若さ」の中にある。
 ゆえに男は「若さ」に苦しめられるのだ。
 掻き毟られる。ガリガリ、ガリガリと爪を立てられできかけの木版を削られるような苛立ちと憤怒に殴られ続ける。
 動悸が激しくなり、息が荒くなり、怒りの言葉を吐き出して右往左往する檻の中の獣となる。
 身悶えながら呻きながら皆このような苦しみを味わうのか、それとも俺だけなのかと、男は考えをめぐらせながらのた打ち回る。
 まるで発作のように、病的に襲ってくる精神作用に虚しさすら覚える。
「何故、生きている」
 その疑問を掻き消すために必死に車輪をこいでいるにすぎなかった。
 意味や意義を自分で探し、自己嫌悪の中で「好き」を見つけていく。
 あまりにも寂しき姿だった。
 昔は周期が激しすぎて脅えきっていた。それが来ると、一日中何かで気をそらして一日をやり過ごす。それしか手段はなかった。思考を麻痺させて人間的な営みを徹底的に排除する。何も考えない。何も感じない。誰も心の中に入れない。酒、酒、酒。
 数多くの嘔吐の果てに何が残ったのだろう。何か残ったのだろうか。
 か細く繋げた糸の先には希望らしきものも確かに存在する。
 男は日々満ち欠けしていく月を見上げ、夜を徘徊し、酔う。昼間から襲ってくれば昼間から酒を煽る。
 往生際の悪い抵抗をし、掴んだ心からベトリとした感触を得る。
 ヘドロのように粘っこく汚らしく得も知れぬ臭気を発しながら汁を垂らし続けるそれを見た時、直視できずともそれと付き合い続けなければならない虚しい性を叩きつけられる。
 景色などなかった。ただ荒野に立たされ、手に余るほどの恐ろしい広がりに気をしっかり保っていなければ自我など吹っ飛んでしまう。
 やがては道標すらも忘れ、荒野のど真ん中で呆けてしまわないように男は意識を保ち続ける。
 禁酒明けは酒を注いだコップをしばらく見つめ続けた。
 痛みを忘れるために飲んでいた安酒が、依存のようになっていくのも時間の問題ではないのか。
 気の持ちよう。気の持ちよう。
 まるで神事のように酒と男の間の静寂に様々な思いが交差する。
「こんな気分で飲まなくていい日が訪れるのはいつの日か」
 並々に注ぎきった酒のまずさを堪えながらぐっと一気に飲み干す。
 もうすぐ、今日の記憶も消えていく。
 能面のような顔つきで、男は沈んでいった。

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08/31

Mon

2015

「変わらない女」

家の鍵を回す手が重く感じる。
 デスクワークなのに、今日は一際厳しかったせいなのかな。
 心すら引きずりそうになりながら、ぐったりとした体が安堵の溜息を出す。
 左手の深夜スーパーで買ってきた袋の中にはお惣菜やレトルト食品が入っている。
 ドアを開けると明かりが既についていて、いつもは安心感を与えてくれるはずが、やけに二の足を踏ませる。
 そういえば彼氏が来ているんだった、と自分でメールの返信をしたにも関わらず今は逆の気分で重苦しかった。
 玄関の足元を見ると脱ぎ散らかされ、かかとの潰された汚らしい運動靴があった。
「いい加減にしてよ」
 といつもは気にも留めない光景に腹立たしさを覚え、散らかしこそしないまでも揃えない靴を今日に限ってきちんと揃えて上がっていく。
「おかえり」
 深夜番組を見ながら、スナック菓子をつまみにチューハイを飲んでいる彼氏を見て「遅くなった」とも「仕事が忙しくて」とも言わずに一言「ただいま」だけを伝える。
 スーパーの袋をガサゴソと音を立てて中のものを取り出すと案の定彼氏が「ダメじゃないか。レトルトのものばっかり買って。そういうものは添加物も沢山入っているし、体によくない。栄養を取るならちゃんと調理したものを食べないと健康へのリスクだって高まるんだぞ」とげんなりするような忠告をしてきた。
「あのね、いい加減にして。私今日とても疲れているしお腹も空いていてすぐにでもご飯食べたいの。私のお金で出して食べているものなんだからいいじゃない」
 お腹がすいていて仕事で疲れていてストレスが溜まっていて、外資にシェアを取られるかどうかの瀬戸際のやり取りが続き気が抜けない状態が明日も待っているというのに家の中でも誰かにあれこれ指図されたり、ましてや自分の家なのに誰かに説教なんてされたくない。
 実際深夜帯に開いているスーパーは、ほとんどの品揃えがレトルトや出来合いのものばかりで商品の方向性が徹底していた。つまり、疲れて帰ってきてこれ以上家事をしたくない社会人向け、と言ったらいいのだろうか。後は生活必需品が揃っていて「料理する人向け」ではない。
「結局病院に行くことにでもなったら、その治療費が高くつくじゃないか。いかに面倒でも、リスクという小さなコストを払い続けているんだから……」
「スナック菓子食べながら、安いアルコール浴びている男の言うセリフなの!? あなた、いつも人に偉そうに言うけど自分がそれを守った試しある!? 私のこと守るって言っておきながら私より稼ぎはないし、マザコンで自分の家族の方をいざって時優先させるし、今の環境を変えられなくてズルズル過ごしているだけなのに自分はこうするしかないみたいな言い訳ずっと続けて、いい年して恥ずかしくないの!? それとさ、前の彼女のこと話題に出すの本当にやめてくれる!? 気持ち悪くてイライラするし、切れた女の男のことで何か言うのって、どこまで湿っぽいの!? 私仕事してきたの。明日も物凄くピリピリした状況が続くってわかってるの。ここが束の間の休息の場所なんだから奪わないでくれる!?」
 一言堰を切ると止まらなくなっていた。普段思っていたことをだいたいはぶちまけて心から溜息が出た。
 彼氏になって二年。最初の半年はよかったけれど、徐々にお互いの弱さがわかるようになっていた。健康志向というわけではないけれど、それ以外にも色々彼氏は調べた知識で心配をしてくれている。そして自分の中の「正論」をやたらに押し付けてくるため、現場で働き日々微妙な調整や利害の関係で苦しめられている私にとっては正直何の役にも立たない理屈だった。
 私も寂しかったせいもあったんだろう。彼氏と別れて半年。同棲していた時の家の中のぬくもりが忘れられなくてバーで一人酔っ払っていた時に気が合った男とこうして付き合ってみれば、あちらも同じような事情を抱えていて、最初の頃は余計に分かり合えていると勘違いしていた。
 でも付き合っていくごとに違いを感じ、一番困ったのは、いちいち打たれ弱く一度言っただけで一週間は落ち込むことだった。体だけは大きいのに頼りがいがなく、とても不安になる。このことでも後になって彼の精神のケアをするのは私なのだ。それすらも腹立たしい。
 私は一度として前彼のことを話題に出したことはないのに、彼は寝取られた挙句、四ヶ月ほど気がつかなかったらしく、その間デートやプレゼントもしていたことを今でもグチグチと未練がましく言うことがあるのだ。寝取った男のこと、女に渡した多少の金品やプレゼントの食品が男に使われていたこと。最初の頃はさすがに同情して聞いていたけれど、さすがにねちっこ過ぎて気持ち悪いと思い出していた。
 一体あなた、今誰と付き合ってるの!? と声を荒げたくなる気持ちを抑えこむのもストレスで、今は冷たく「やめてくれる? しつこい」と突き放すだけだった。
 彼は痛いところを突かれると、いつも黙り込んで落ち込んでやり過ごして、また元に戻る。この繰り返しだった。
 テーブルの上に散らかった即席ご飯のパックとレトルトの中華丼、そしてサラダと肉じゃがが虚しそうに転がっている。
 私、中華丼結構好きだったんだけどな……。
 全部は食べきれないからご飯と中華丼は半分ずつ食べて朝に回すことにしていたのに、今はお酒だけ飲みたい気分。
 私、一体誰を大事にしたいんだろう。そして彼も、誰の心を大事にしたいの……?
 そうやって他人のことを心配しながら結局自分の気持ちを一番大事にしているから、その自己中心的な気持ちが相手に伝わってふられたんじゃないの……?
 と、考えると我が身のことのようにも思えてきて、余計に疲れてしまった。何かを言う気持ちにもならない。
「ごめん。俺、お前のこと真剣に考えてるから、つい……」
 彼の暗い声に反応する気にもならず、会話すら拒絶しようとしていた。どうせ学ばない。どうせ変わらない。
 私だって今の状況で変わることはできない。なんやかんや、この仕事が好きだから。
 会社の上司のほとんどは旧体質の頭をしていて「君、結婚は考えているのかね?」など、さり気無くセクハラにも近い言い方を時折されるのだから、この仕事が失敗に終わったら「だから女は」と言われるに決まってる。
 それなのに彼氏ときたら、そんなこともわからないんだ。男なのに、ちゃんと真剣に自分の人生を見つめていないんだ。真剣じゃないから職場で起こる緊迫感も事情も汲めないんだ。だから私より稼ぎが断然少なく、いつまでも自分を変えようとしないんだ。
 ……あっ……私、この人のこと見下してる……。
「うっふふふふふ。ははははははは」
 寂しい笑いが乾いた胸の奥から吹き上がってくる。
 何が起こったのかもわからず、きょとんと私を見つめる彼氏。
「ねえ、別れようよ。もうやっていけない。疲れちゃったよ。明日の朝まで居ていいから、合鍵は置いていって」
 諦めなのか、勢いなのか、溜息を出すように告げていた。
「わかった。俺も頭を冷やすよ。だから君も冷静になったら、お互い話し合いを……」
「そういうところが大嫌いなの!!」
 彼氏にとっては理不尽なんだろう。私には理由を説明するのが面倒なくらい当たり前な事なのに。
 そして最も理不尽なのは快く家に来ることをメールで返信されておきながら、職場の苛立ちをぶちまけられた挙句別れの言葉を聞かされることだろう。
 そうだよね。わからないことだらけだよね。
 でもね、それくらいわかって欲しいの。わかって欲しかったの。自分のこと並べ立てる前に、もっと。
 彼氏があからさまに後ろ髪引かれながら出て行ってから、私はドアの鍵をかけ、散らかったお惣菜をそのままにテーブルに突っ伏して号泣した。
 何が悲しいのだろう。明日目が腫れて仕事に影響出ないかな。
 どうしてわかりあえないんだろう。どうしてわかってくれないんだろう。
 そういえば私、前の彼氏とどうして別れたんだっけ……。
 今は「前の前の彼氏」か……。
 朝まで居ていいって言ったのに、すぐに出ていっちゃった。引き止めようとも寂しいとも思わなかった。私はただ安らぎたかった。その時間が欲しいばかりに、これ幸いにと彼氏を捨てたんだ。
 きっとまたどこかで寂しいと思って、男と付き合い出しちゃうのかな。
 この三年間忙しすぎて恋愛をする気にもならなかったし、別れたショックも一切引きずることはなかった。そしてこれからもそうだろう。
 なのに、私は、どうして、泣いたのだろう。
 居間のミニテーブルの上に置かれた飲みかけのチューハイを流しに全部捨て力の限り握りつぶして分別用ゴミ袋に、スナック菓子はゴミ箱に振りかぶって投げ捨てた。
 そして部屋中に消臭剤をかけ、ベッドと玄関には念入りにかけ、シーツは剥がして全て新しいものに取り替えた。
 時計は一時に近かった。余計な事に時間を使いすぎた。睡眠時間は二時に寝たとしても四時間少し。飲めるお酒の量はシードルだったら小さいやつが一本。それ以上は明日に影響が出るかもしれないから飲めない。
 計画的で、計算的生活。
 もう少し、かわいい女になりたかったな。
 棚の上に飾られた集めているキャラクターもののコレクションたちが私にいつも笑いかけてきてくれる。
 その中にコップの淵にかけられるものがあり、薄くピンクがかったガラスのコップにシードルを入れて淵を飾る。
「また、お前と私だけになっちゃったね」
 きっと、こんな辛気臭いところがかわいくないんだろうな、ともう一人の私が見下ろしていた。
 明日がある。シャワーを浴びて全て忘れて寝よう。私には大事な日が待っている。
 タイミングが悪かった、という話ではなかった。
 ただあの人は、私の変化に一切気がつかなかった、というだけの話なのだ。
 シードルを飲み干した後、シャワーを浴びるために浴室でブラジャーを取ると左乳房の脇に五日前彼がつけたキスマークがぼやけて消えそうな勢いで残っているのを鏡で見た。
 いつもと、変わらない女がそこには居た。

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08/24

Mon

2015

墓参りが終わると夏の風は影を潜めていた。
 日差しは夏のままだったが、肌に優しい冷たい風が夜には流れるようになった。
 サヨリは少し出てきたお腹の肉をつまみながら「そんなことないよー。全然痩せてるってー。サヨリがデブだったらほぼほぼみんなデブになっちゃうんだから、やめてよねー」と言っていた友人を思い出しながら、横になっていた体をアイナに重ねた。
「暑いよー」と体をよじらせるアイナに「私ってそんなにむさ苦しい?」と冷たく聞くと「今日どうしたの? 様子おかしいよ」といつものように微笑をむけた。
 いつもアイナは優しい。怒ったところを見たことがないし、正直本心は何を抱えているのかわからない。
 それでも最初の理解者はアイナだったし、サヨリが男を愛せないことを受け入れてくれた。
 黒い墓石は鏡のように晴天に浮かんだサヨリの肌を映しこんだ。
 サヨリはその日、背中からアイナが優しく包み込んでくれる姿を墓石の中に陽炎のように見た。
 手を伸ばそうとした時アイナの姿は消えていた。
 ただ、もどかしい。
 線香臭い部屋。若くして死んだサヨリの母が仏壇から同じく微笑んでいた。
 アイナはスカートから伸びる足をうっすらと開き、窓から吹き付ける柔らかな風を受けていた。
 少し汗ばみベトリとしているのを、サヨリは指で這うように確認していた。
「くすぐったいよ。サヨリ。ねえ、くすぐったいってば」
 畳の上で足を泳がせるアイナの上に覆いかぶさったので少しだけ自由を束縛しているような気持ちを覚えた。
 そのまま、すっと手を太股へと上げていくと余計に汗ばんだ肉の感触が手にへばりついてくる。
「サヨリ、私、怖いよ」
「え?」
 二人の関係が進むことになのか、それともサヨリの存在が怖いのか、聞いてしまったら全てが壊れてしまいそうで口を閉ざしてしまう。
 サヨリは母の生前の衝撃的な告白を思い出した。
「私ね、あなたが欲しかっただけなの。だからお父さんと、どう接していいか、いまだにわからない。感謝はしてるけど、私にとっては難しいことだから」
 十三年前の当時、中学三年生だったサヨリには理解できない言葉たちだった。
 アイナとは、危うく、成り立っている。
 その危うさの正体もわからず無性に悲しくなってアイナの唇を噛むと母の香りが一瞬し、ぞっとした。
 アイナの唇からは血が出ていたが微笑んだまま憂いを帯びた目で白い肌が近づき頬に唇の血を塗りつけた。

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08/24

Mon

2015

真夜中の街路樹を傘にして走っていた。
 小清水には走る習慣などなかったが体調不良の検査結果を医者に「運動不足も影響していると充分考えられます」と言われてから、どのような悪天候でも走るよう心がけ一ヶ月が経っていた。
 まだ本降りにはなっていなかったが「いつ本格的に崩れてくるかわからないな」と小清水は思った。
 走るコースは決めていて、毎日同じコースを走っていた。
 その日は霧雨が熱くなりかけた顔にも降り注いでいて、自然のシャワーを浴び冷却材代わりにもなっていた。
 まだ日の照っている頃は人通りも多いが夜になると人の姿がまったく見えなくなる。また、メインの道路から一本逸れているため車通りも少ない。
 そこで小清水は途中で妙な影を見つけた。
 うずくまり、波打つように背中を震わせている女性らしき影だ。
 最初は酔客が家路の途中で嘔吐でも繰り返しているのかと考えたが、姿だけ見ると咽び泣いているようにも見える。
 通常の酔っ払いは支離滅裂で前後不覚な装いだが、それとも違う。
 具合が悪そうだ、介抱してやらなければ、と考えた小清水は一瞬周囲を見て誰もいないことを確認してから声をかけた。
「優しいんですね。私なんかに声をかけてくれて」
 女のしっとりとした声に謙遜しながらも小清水は鼻腔を思い切り開いて臭いを嗅いでいた。
 汗のせいか、少し生臭くも感じる。
 ただその臭いが、今薄暗い中でも街灯に照らされうっすら光るように映えるうなじの汗から香るものだと思うと小清水は興奮を覚えざるを得なかった。
 それも若い女だ。
 心配を装いながら体に手をかける。
 ぬめっとした感触が手に広がった。
 汗? いや、もっと粘り気のある汁。
 濡れたアスファルトにところどころ水溜りが出来つつある。
 木々の葉にたまっていた雫が少しずつ垂れて時折小清水の頬を打った。
「タ、タスケ、テ、ク、ク、クレ、マ、スカ?」
 ほとんど聞き取れないようなか細い声で女に話しかけられる。
 白い手がすっと首元に絡みつき、女の開けた胸元が瞳に飛び込んでくる。
 透き通りすぎている。
 葛餅のように透けて血管が見えている。
 これが若い女の肌か、と長年見てこなかった光景に妄想を膨らませ疑問を持たなかった。
 突然の女の口付けの後、ぬめりとした体に覆われ、男は少しずつ意識を失っていった。
 倒れた瞳を横に向けると、濡れて広がる水溜りの向こう側から無数のナメクジが向かってきていた。

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08/12

Wed

2015

「番犬と野良犬」

「だからよぉ、いつも言ってんだろー? ほら、ここ。もっと削れるだろ。こんな甘い見積もりじゃ他のところに仕事もっていかれんだろぉ?」
 いかにも嫌味そうに不精ひげを左手で撫で、トントンと右人差し指を強めに叩きながら指摘する中園を見て、ここから三十分以上は説教にも満たない小言が続けられると思うと、うんざりを通り越し既に脱力感に苛まされそうだった。
「いつも俺が言ってるのに、守ってくれねぇんだもんなぁ。俺そんな難しいこと言ってるかな? 簡単なことだろうがよ。経費削減しないと利益出ないだろ? 子供でもわかるぞ」
 しかし最低限という言葉がある。それ以下原価を割ると、もはや品質そのものが低下していくという限度。
 牧島は既に「品質劣化」を見抜かれ、少しずつ顧客が遠のいていっている現状を見ているだけに無力感があり、デスクで永遠とそれらしい指示を出して知ったようなことを並べ立てている中園に怒気すらも無意味であることを悟っていた。
「お前みたいにミスばっかり重ねて、こうして俺のところに来るから俺が寝ずに会社に残って必死に仕事しなきゃいけないだろ? 俺今日三時間しか寝てないから。昨日残って仕事してたからさ」
 社長でもない中間管理職の中園はワンマン社長の指令を受けた部長から細かく仕事の内容を指摘され、そのことでも苛立ち愚痴を一日中言う始末だし、それだけならまだしも奥さんとセックスレスで家庭内で邪険にされていることさえも会社に持ち込んで当り散らすことがあるものだから、部下たちはたまったものではない。
「もう少し休みとれとか、家族や子供のことちゃんとかまってとか、俺仕事沢山あってどうにもならないのにさ」
 いつかの愚痴で言っていた。
「小遣いないしさー。全部取られちゃうんだもんなー。お前は結婚してないからわからんよなー。結婚生活の苦労なんてよぉ。家族サービスもしなきゃいけないし、俺休まる場所ないよ」
「自分の時間をもう少し持てるよう、奥様に相談なさってはいかがでしょうか」
 と牧島が告げたことがあるが、
「これが結婚生活なんだよ! 結婚するってこういうことなんだよ! お前もなぁ、早く結婚しろ。よくわかるからよぉ」
 と多少血相を変えられ、いかにも諭すように肩を叩かれた事があった。
「家庭内のことなんて知らないよね。奥さんだって旦那の仕事内容わかっているなら少しは言うべきところ抑えればいいのに」
 女性社員たちが給湯室で刺々しい声で話しているのを、お茶を飲むついでにじっくり聞いてきたが、ろくな評価にならないのは目に見えている。
 また女性社員が多い職場なので男性が多いところよりも雰囲気が違う。人のいい人たちが集まっているせいか、ほんわかしているというのだろうか、普段はピリピリしていない。
 中園は不思議な会話をする人間で、すべて自分に置き換えて話をする。
 例えば自分の悩んでいることを話すと「いやー、俺はそうは思わない。なんでこうしないのか」と言ってくるし、飲み会の席でも「俺、こういう味付け好きだからさー」と、人の味覚にも口を出す。
 当然、飲み会は密かに計画されることになり、集まりは他言無用となる。
 そして、仕事上重大なことのみ報告され、小さなことは下だけに共有され揉み消される。長い小言を避けるためだ。
 部下たちは余計な事はせず、最低限の仕事しかしない。それさえもバカらしいと思う人は辞めていくのだが。
 牧島も流れてくる言葉を既に「意味」として認識していない。ほとんどが「音」と化していた。
「牧島さん、よく耐えられますね」
 と説教直後に小声で言われた時、切り替えができず条件反射的に頷くだけだったことがあった。
 牧島の場合、既に「型」が出来ている。
 神妙そうな顔をし、「はい」とハッキリ過ぎずきちんと聞こえるトーンで返事をし、最後には「申し訳ございません。反省して次からはきちんとやります」と締める。
 それでも顧客のことを考えると「もっとこうしたほうが」と、あくまで「ミス」程度の小さな反逆を試みるが、その度に中園の前で時間を浪費させられることになる。
 中園は仕事を懸命にやっているはずなのに、周囲との連携が上手くいかない。噛みあわない歯車が全力で風を切り音を鳴らして回り続けているようで周囲も落ち着かない。また、せっかちな部分もあって、やたらと催促する。
 そして「この職場の中で自分が一番努力している」と思い込んでいるし、それゆえに細かい指摘を受けると「俺の努力が否定された」とふてくされ、三日以上は同じ愚痴を繰り返し言いまくっている。
 特に部長の言い方がきついわけではない。業務上押さえておきたいことを指摘している範疇だったが、それが「懸命さへの否定」と取れるらしい。
 相手をするほうはたまったものではない。仕事以外のことで倍以上もストレスを抱えることになるため、部下たちは各々のストレス発散方法で明日も出勤してくるのだろう。
 中園のせいか、牧島も昔やっていた水泳を改めて再開することになったし、何かしていないと職場のことを思い出し恋人にも当たってしまう始末に正直ぞっとして、慣れない絵なども始めたのだった。
 水の中は音が地上と違って伝わってくる。水の音、水の感触、掻き分けて進んでいく体。クロールの途中で目をつむって水の中の暗闇を感じてみる。ただ無心になれる。プールから上がるとき、別の人間になった気がして地上の疲れとは違った全身に満遍なく広がる疲労が心地いい。
 絵もやってみると、当然下手だったが模写も飽きて外に出たくなってくる。今度デートがてら、自然の多い場所にでも出かけようか。恋人が同意してくれるか。行くとしたらどこがいいのか、調べもしなかった場所を調べ、名前も知らなかった雑草が少しずつ性格を持った花や草となっていくことに喜びを覚えていった。
 牧島は恋人の家で共に酒を飲み、互いの愚痴を交換し合っている時にふと思った。
 中園の存在も、別に悪いものではないな、と。
 少なくとも家庭のことを職場に持ち込んで愚痴を言うような人間にはなりたくないし、こうはなりたくないという例を沢山目の前で見ているのだから、自分が気をつければいい話なのだ。
 だが家庭を持つんだったら、転職を考えなければいけない、と牧島は強く確信していた。
 会社の構造として、一番望ましい人材は「馬車馬」なのだから。
 俺は、そうはなれない。だからこそ出て行かなければいけない。
 牧島は恋人の名前を呼んだ。
 ほろ酔い加減で返事をする恋人を抱き寄せ、耳元で力強く宣言した。
「俺、荒野で戦える人間になる」
 何それ、とケラケラ笑っていた恋人が牧島の目を見て笑うのをやめた。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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