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あさかぜさんは見た

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11/01

Mon

2010

 むしゃくしゃしている若い男がいた。
人付き合いが苦しいな、お金が欲しいな、明日の生活もままならないし下手にお金を使って仕事解雇されたら大変だな。
 コンビニで買った一番安いおにぎりを外で食べる。歩く途中で見えた洒落たフレンチレストランでお昼から品のある客で中は占められていた。
 俺もああいうところでお金気にしないでたくさん食べたいな。俺働いてもお金ないし。それよりも、俺どうして働いているのかな。生きることに意味ってあるのかな。毎日の繰り返しだし、遊んで暮らしたいし、お金持っているやつはいいよな。トントン拍子で這い上がれるやつも運があっていい。俺魅力ないしな、女にもてない。世の中不公平そのものだよな。
 若者が周囲の雑踏を無気力に見つめる。自分以外はみんな幸せそうに見える。
「もしもし」
 歩いていると若者の横から声がする。見ると年老いた老人だ。服は綺麗だが、見た目が酷く疲れていて、しわも多く、肌の様子から服までくたびれて見えてくる奇妙さを醸し出している。少し薄気味悪い。
「なんですか?」
 道でも尋ねられるのだろうかと若者が答えると老人は「おお」と急に涙を流しだす。
「ど、どうしたんですか?」
 驚いた若者は老人に駆け寄る。手で顔をふさいで泣きじゃくる老人が落ち着いてくると、
「よかった。あんただけだ。わしと話してくれたのは。こんなに嬉しいことはない」
「はあ…」
 なんだか面倒な老人だなと若者は思った。早く立ち去りたい気分だ。
「おお、そうだ。あんた、この水鉄砲をやろう。受け取ってくれ」
「はあ?」
 若者は老人の妙な申し出に不信感を持った。見れば本当に水鉄砲だ。安そうなプラスチック製で透けている、どこにでもある拳銃サイズの水鉄砲。なんでこんなものくれるんだ、いらないよ、と思った。
「そうだ。五万円もやろう。な、わしにはいらないものだから、受け取って欲しい」
 五万円くれるだって?老人の財布の中には、たくさんのお金が入っていた。お金持ちのじいさんの道楽なのだろうか。いずれにせよ水鉄砲を受け取るだけで五万円。
 若者は水鉄砲と五万円を受け取った。
ラッキーだな。こんな幸運ってあるんだ。世の中捨てたもんじゃない。ありがとう神様。などと調子よく思っていた。
 若者は帰り際ポケットに入れていた水鉄砲を見た。こんなもの、何に使うんだと思っていたら目の前を猫がのそのそと歩いて公園に入っていくところだった。
 若者はすぐさま公園の水のみ場で水鉄砲に水を入れ、猫に当てていたずらしてやろうかと思った。
 そろりそろり、猫が面倒くさそうにこちらを見ているところに忍び寄り、水鉄砲の水をぴゅっと当てると見事に当たった。
 しかし、「あれ?」と若者は声をあげた。猫がいない。見通しの良い場所ですぐに隠れられる場所はない。猫が消えた。おかしい。
 若者は首をひねりながら水鉄砲を見つめる。今度は野良犬がいたら当ててやろうかと思って歩いていたらアパートの前に鎖に繋がれた飼い犬がいた。
 別に殺すわけじゃないしいいだろと水鉄砲を当てるとジャラリと鎖が音を立てて首輪が落ちた。犬が消えた。
 そうか、これは当てたものを消せるのかと胸が躍った若者は色々なものに当ててみた。どうやら物は消えないらしい。生き物だと消える。それじゃあ人間はどうなるんだ?
 若者は緊張でドキドキしながら深夜を待ち、近くのコンビニに行った。水鉄砲だし、別に当たっても死ぬわけじゃないしな、消えなくても無害だろ、と思ってコンビニの店員に撃つと服だけ残して見事に消えた。
 若者は逃げ帰るようにして一晩悩んだ。これは人も消せる水鉄砲なのか。でもこれを使えば好き勝手できるぞ。
 若者は決心して、それからは水鉄砲で人を消しまくった。どんどん人が消えていく。喧嘩を売っても水鉄砲で消せばいい。欲しいものがあれば水鉄砲一つで人を消せばなんでもできる。横取りもできる。ただの水でも中に補給して水鉄砲で撃つだけでどんどん気に入らない人が消えていく。
 若者は自由を味わった。お金もいらない。人間関係に煩わされることもないし、仕事もしないでいい。これはいい。
 そのうち街から若者の他に一人もいなくなった。そして何年もそこで暮らしていると無気力になった。張り合いがない。誰も話してくれない。独りよがりな自分に虚しさが募ってきてやりきれなくなった。結局生きる意味すら余計に見出せなかった。
 若者は水鉄砲を自分に当てて自殺した。
 目が覚めると人がたくさんいる。元の世界に戻れたのだと喜んだ。しかし話しかけても誰も答えてくれない。しかも目の前を横切ろうと殴ろうと自分の姿が相手にはわからないようだった。
 若者は悟った。この水鉄砲は脳の中から撃った人の存在を消し去る道具なんだ、と。
 若者は水鉄砲をくれた老人の姿を思い出した。しかしそれ以上は何もわからない。自分の名前すらも思い出せない。若者は腰から崩れ落ちた。

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10/02

Fri

2009

「鳥が飛んでいるんだよ。孤独な鳥が」
 と彼女は言った。
「そっちも雨なんだね。一緒だと、なんだか嬉しい」
 自分で言うならなんて陳腐な形容なんだろうと思うことも、彼女の口から出ると切に響いて静かに広がる。
 天気が一緒ならどうして彼女は喜ぶのだろうと不思議な気持ちでいる自分には、女心を理解する機微すらもない。
 電話口から聞き取れる彼女の声はいつも小さく、耳を澄ましていないと聞き取れないことがある。
 窓から見える外の雨は音すらも聞こえない。
 マンションの三十階から見える雨雲は、次々と目の前を通り過ぎる雨を落としている。
 眼下に見える車も人も小さすぎて、まるで砂粒のようだった。
 砂粒を掬い取るには、遠すぎる距離で、自分はただの傍観者だった。
 彼女と話しながら冷蔵庫の中を見る。
 ブルーベリージャムと、食パン二切れ、生卵六個、絹豆腐一丁、ベーコン三切れ、ビール六缶、牛乳一パック、無糖の炭酸四本、豚肉のバラ肉も残っていた。
 ペットボトルの炭酸を取り出し、開ける。
 炭酸が一気に抜ける音が一瞬して、はじける音が少しだけ聞こえてくる。
 直接はできないキスを電話口ですると、彼女は泣き出した。泣いているとも、わからないほど小さな声で。でも、自分にはわかった。
 人の声が聞こえないほどの高く静かな場所から、彼女の声を聞いている。
 午後六時を過ぎて、外が薄暗くなり、ビルやマンションの明かりがつきはじめる。
 街灯もその下を通る小さな人々を照らしている。家路へと急ぐ人々の波。
 開けたままの炭酸に口をつけることもできず、少しずつ炭酸の泡が勢いを衰えさせ始めている。
 眼下を通る知らない人たち。
 ここから叫んでも、声すら届かないだろう。
 炭酸がすべて抜けきったころ、彼女との電話は終わった。
 部屋の電気すらもつけずに話していた自分は、街明かりにうっすらと照らされていた。
 雨脚が遅くなっている。
 味気のない炭酸をようやく片手に持ち、街の光の粒を眺める。
 まるで街の雨を押し返しているようにも見えた。
「鳥なんて、見えないよ」
 ふと漏れそうになった独り言を、必死の想いで飲み込んだ。
 もう一度、冷蔵庫から炭酸を取り出して開け、今度はグラスに入れた。
 飲むわけでもなく、ただ眺めるだけのために。

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09/18

Fri

2009

 その日は雨が降り続いていた。
 アスファルトを打ち付ける雨は、重みを帯びて、黒く染み付いていくようだった。
 少年は瞳を上げた。
 雨に濡れた体を気にすることはなかった。
 雨は止む気配がなく、さらに密度を増していた。
 雨の音が壁となり、他の音を遮断していた。
 ぽつりと取り残されたように少年は立っている。
 空は濃い鉛色をしたまま、色あせることはなかった。
 激しい雨が木の葉を打ち付けて、パラパラと鳴らし、アスファルトでは水玉が死に絶えていた。
 雨が花を打ちつけ、叩かれてうなだれるようにして、今にも地にひれ伏しそうだった。
 目も開けられないような雨の中、少年は空を見ようとしていた。
 コンクリートの建物を伝い、ガラス戸を伝い、雨は流れ込み濁流となっていきそうなほどだった。
 街はうねり、轟音を立てているようだった。
 少女が傘を持ち、足元はびしょ濡れで、少年に近づいた。
 傍に寄った少女は傘を少年にさしてあげて何かを言った。
 少年は少女の傘を振り払い、悲しそうにきつく顔を背けた。
 少女はびしょ濡れになり、しばらくうつむいていたが、傘を拾わずにびしょ濡れのまま少年から去っていった。
 少年は打ちひしがれたように、地に突っ伏して、拳をアスファルトに叩きつけた。
 拳が砕けそうなくらい、少年はアスファルトを殴り続けた。
 悔しそうに、恨んでいるかのように、憎んでいるかのように、怒っているかのように。
 激しい雨に少年が泣いているのかも、血を流しているのかもわからない。
 誰一人として、激しい雨の中で少年の気持ちに気を止めるものもいない。
 人が通りかかろうなら、自分の身を案じて、家に帰りたいと一心に思って足を運ばせている。
 ある大人が少年の傍へと寄っていった。
 大人は少年に何かを告げた。
 少年は苦痛にまみれた雄たけびのような叫びを張り上げて、両手でアスファルトを打ち、そのまま黙り込んだ。
 少年が立ち上がるまで大人はずっと傍に立っていた。
 大人は傘を少年に渡すことなく立ち去っていった。
 雨は止む気配がない。
 ますます水かさを増して、街は激流に飲み込まれようとしている。
 花も流され、少年は空を見上げた。
 雷鳴が轟いている。
 かろうじて近くの木に引っかかって残っていた少女の傘を少年は拾い、きちんとたたんだ。
 少年は雨の中を掻き分けるようにして歩き出した。
 少女が立ち去った方へと。

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08/01

Sat

2009

バーにプレゼントしたその3

「ナイフの矛先」

 則光は二日続けて妙な夢を見た。
 一日目の夢はナイフを逆手に持ち、左手を突き刺していた夢。
 二日目の夢は目の前の男がナイフを持って、今にも刺そうと殺気立っている夢だった。
 夢の中では痛みは感じない。起き上がっても、自分の部屋だということがわかって、冷静でいられたが、さすがに二日続けてはいい感じがしない。
 クラブの仕事を終えて、ノワールに深夜二時ごろ着く。
「ノリさん昨日どうだったんですか?」
 色々なことに鎌をかけて聞いてくる今城を軽くいなしながら厨房に入り、左手を見つめ、それから右手を見つめる。
「ノリさん何やってるんすか?」
 今城が不思議そうな顔をして聞いてくるが、自分でも何をしているんだろうと則光は感じ、心の中に落ちている妙な意識を振り払って言う。
「今日はビールでも飲みたいな」
「いや、それいつもっすから」
 そう言って、へっへっへ、と今城が笑う。
 グラスにビールをついで、お客のいない店内でカウンターに座り、ビールを飲む。
 二日目の夢の男の瞳が頭をよぎり、則光は頭の後ろを左手で二度叩く。
 そういえば、夢の中の男が言っていた。
「てめえ!かっさばいてやる!」
 魚じゃねえんだよ、と則光は思ってビールにまた口をつけた。
 夢の中の男の目が忘れられない。妙な親近感があった。昔、あんな目をしていたような気がする、と感じた。
 さばく。夢の中の男が言ったのも、則光が料理人として素材をさばくことも、どちらも命を扱う。
「ルビーの指輪聞きてえな」
 則光が言うと、「好きっすね」と今城がかける。
 曲が流れ、寺尾聰の声で歌詞が流れてくる。
「これ、ホントかっこいいよな」
 歌詞を聴きながら則光は昔のことを思い出していた。
 腕を思う存分ふるいたい。ふるえる環境にいたい。常に則光の心にはその衝動が渦巻いている。
 エレベーターの音が鳴り、客が入ってくる。
 いつもの女性の常連客だった。
「いらっしゃい」
 則光が気がついて声をかける。
 女性客は袋の中からパイナップルを出してきて、「もらいものだけど、一人で食べきれないからあげる」とカウンターに置いた。
「これうまくカッティングしてやるか?」
 パイナップルを見て、体がうずいてきた則光は、思わず言った。料理人としての仕事をしたい。
「うん。お願い」
 女性客の言葉に「まかしとけ」とパイナップルを持って厨房に入る。
 ナイフを手に持ったとき、いつもは感じない妙な感触が走る。夢の中の男の目を思い出す。嫌な夢を見たものだと思った。
 パイナップルを、さばく。ナイフの使い方ひとつで、人を喜ばせることができる。ナイフをパイナップルに巧みに入れていく。果肉を彫刻でも彫るようにして切り分け、形を整える。水がうねるような感じをイメージして皮を細長く伸ばして軽く巻きながら皿の周りをセッティングする。果肉は細長く切ったものと長方形に切ったものを飾っていく。花火のように、水のしぶきのように。巻いた皮の中から細長い果肉が出ていたり、皮の周りに長方形に切ったものをしぶきをイメージして重ねていく。
 ようやく完成したものを女性客に出す。
 女性客よりも先に今城が叫ぶ。
「うお!ノリさんすげー!これどうやったんすか?」
 女性客も「すごーい」と感動している。
「簡単だってこんなの」
 目の前で喜んで褒めてくれると、則光も少し恥ずかしくなってきて「ビール飲むわ」とグラスに注いで飲んだ。必死の照れ隠しだ。
 ビールを口にしながらふと左手を見る。もちろんなんともない。今度は妙な違和感があった右手を見る。両手とも人を喜ばすためにある手だ。大事に使わなければいけない。
 夢の中の男を則光は思った。
 孤独な目をしていた。もう一度会ったらなんて言うんだ。「お腹すいてないか?なんかおいしいもん作っちゃる」なんて言うのだろうか。ガラじゃねえな、と則光は思っていた。
「ノリさんってちゃんと料理人だったんだね」
 女性客の突っ込みに「最初からそうだっての」とおどけて答える則光は笑みを少し隠しながらビールを飲んだ。
 腕を見せる。喜んでもらう。張り合いがなくちゃあな。
 そう思う則光が握るナイフの矛先には、いつも幸せがある。

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08/01

Sat

2009

バーにプレゼントしたその2

「想い出の色」

「いらっしゃいませ!」
 今城とは違ったシャキリとした元気のよい声がノワールの店内に響く。
 常連の男性客は「新しく入った子か」と声をかけると「桜庭って言うんです。ラバって呼んでください。よろしくお願いします」と返す。
 長髪をピタリと分けて後ろで止め、あごひげを生やしているその風貌は、いつも実年齢よりも上に見られるが、若々しい目はいつも輝いているようだ。
「お兄さんいくつなの?」
「当ててみてください」
 初めて相手するお客でもしり込みせずに明るく話し込める好印象の青年は、入店間もないにも関らずハキハキと動く。
「使える男ですよ」
 今城はとある客に耳打ちしていた。
 まだシェイカーは満足に振れないにしろ、すぐに慣れるだろう。
 店内が深夜帯になると、すっとにぎわいを潜ませる。
 今日はこれから暇になるかな、と今城が思い始めた頃、エレベーターから足をもつれさせながら女性客が入ってきた。
 黒のドレスにバッグを提げただけの服装で、だいぶ酔っ払っているようだった。
「ああ、こういうみせなんだねー、あー、ねー、ウィスキーある?ヘネシーちょうだーい」
 頼みながらもカウンターに倒れこむようにして突っ伏す。
 ヘネシーはブランデーだ。出していいのだろうかと、今城は確認する。
「ヘネシーでいいですか?」
「うーん。はやくー」
 ここまで深酔いしている客が入ってくるのも珍しい。桜庭はカウンターに倒れこんでいる女性客にそっと水を置いておいた。
「あっ」と、女性客が突っ伏したまま言う。
「あれ、ゼリービーンズでしょ。あれ食べたいな」
 ガラス瓶の中に入っているカラフルな豆状のゼリーを指差した。いつもは店内に置いていないが、お客が「もらったけど、食べないから」ということで持ってきたものを瓶に入れていた。
「犬飼ってたんだー。あそこの看板のやつ。黒ラブラドールでしょ」
「そうです。前の相方が飼ってた犬なんですよね」
 今城が答えると「ふーん」と見向きもせずに言った。このままいったら吐くか寝るかのどちらかではないのかと思った。
 桜庭は心配そうに女性客を見守っている。
 今城がゼリービーンズをカクテルグラスに入れて出すと、女性客は黄色だけを選んで二三個口へと運んだ。
 出されたヘネシーは手付かずで、水をちびりちびり飲んでいる。水を一杯飲みきったところで水のおかわりを要求した。
 桜庭がよく冷えた水をもう一度出すと、女性客がふらりふらりとゆれながら桜庭をじっと見てくる。
 何かあるのだろうか、話しかけなければいけないだろうなと思った矢先、「どっかで…」と女性が口走った。
「はい?」
 予期しなかった言葉に、少々桜庭は戸惑った。女性はより見つめてくる。桜庭はニコリとするのが精一杯だ。
「あ、わかった!桜庭くんだ!」
 言われた桜庭は「え?」と驚く。タバコに火をつけようとしていた今城は二人を交互に見る。
「あー、わかんないよね。クラス三つ離れてたし。うわー、老けたよねーって、ひげと髪型のせいか」
 「もしかして」と桜庭が通っていた中学の名前を告げると「そうだよ。懐かしいね。こんなところで会うとは思わなかった」と言ったが、桜庭はまったく誰かわからなかった。
「私のこと誰だかわからないよね。一度も話したことないしさー。会いたかったけど、卒業しちゃったら会えないもんねー。十年越しの恋だよー。あ、そんなに経ってないか。キャハハ、言っちゃった。片思いだしさー」
 こういうことってあるんだなと桜庭は思っていた。まくしたてるようにあの頃の様子をしゃべる目の前の女性に桜庭は驚くばかりだった。
「う、気持ち悪い。ちょっと桜庭くんついてきて」
 「あ、はい」と答える桜庭を今城はニヤニヤしながら見送る。
 奥のトイレにつくなり、洗面台に思いっきり女性は吐き出した。
 洗面台にやっちゃったよ、と思いながらも女性の背中をさする。
「今日は最低最悪の日だと思ってたけど、でも悪いことあるといいこともあるんだね。桜庭くんに会えたから。…ごめんね」
 何に対する謝罪なのだろう。吐いたことだろうか、酔って迷惑をかけたことだろうか、考えれば色々ある。しかし、桜庭は細かいことは気にしない。
「ちゃんと帰れる?大丈夫?今日はこれ以上飲まないで帰ったほうがいいよ」
 桜庭の精一杯の優しさだった。それ以上はどうしていいかもわからない。初めて出会った子に過去の恋の告白をされても戸惑うだけだ。
 トイレから肩を抱きながら出る。女性は桜庭にもたれるようにしていた。
「どうなるかなんてわからなかったよね。あの頃。こんな仕事しているなんて思わなかったしさ。これからどうなっちゃうんだろ」
 桜庭は黙っていた。しゃべりたかったが、酔っ払っているとはいえ、変な言葉が相手を傷つけるのが怖かった。
「楽しかったよ。一途な気持ちで純粋に悩んでた。そんなの、もう無理だもんね」
 結局頼んだヘネシーを一口飲んだだけで勘定を払った。
「タクシー下で呼んできてあげな」
 今城も気を利かせて、桜庭に言う。
 桜庭はもう満足に立っていることもできない女性客の肩を抱きながら下まで連れ添う。
「ちょっと、待っててね」
 桜庭は階段に女性を座らせてタクシーを呼びに行く。
 一人残された女性は誰にいうともなく「帰りたい…」とこぼした。
 帰る場所に、帰りたい。
それは安心できる家のような。女性は中学の頃の自分を思い出しながら口走ったのだった。
 桜庭が呼んできたタクシーに押し込むようにして女性を乗せようとする。その時「ありがとう」と女性は耳元で小さく言葉をもらした。
 桜庭は遠くなっていくタクシーの赤いテールライトを最後まで見守り、店へと戻った。
「なになにー!だれよー?片思い?いやーいいねー」
 店に戻ると今城が満面の笑みで話しかけてくる。この手の話は一度探りを入れないと気がすまない男だ。
「いや、本当に知らないんですよ。一度も話したことないし」
 とは言ったが、思い出せないだけかもしれないと桜庭は思っていた。
 カウンターを見ると、女性が残していったゼリービーンズがあった。
「これ、一個食べていいですか?」
 と聞いて、桜庭は赤いゼリービーンズを口に入れて噛んだ。
 素朴な甘さが口の中に広がる。
 懐かしい味、とでも言うのだろうか。懐かしみのある味。桜庭は何度も噛み締めながら飲み込んだ。
 カウンターの瓶から想い出の粒のような彩りでゼリービーンズが桜庭を見つめていた。あの頃は、いつも遠くて近い。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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