忍者ブログ

あさかぜさんは見た

日記

04/08

Wed

2009

一昨日、地元の出版社に「新・人間失格」の三つに構成されたうち、最後の「晩年」の部分を中編として仕上げたものを持っていった。
自分ではここ数年の芥川賞のレベルなら、これで取れると言って来たが、当然担当者は信じてくれない。
怪訝そうな顔をしながら、「どうしてこんなたわごとに付き合わないといけないのか」とでも言わんばかりの目だった。
なんとしても五月中までには出して欲しいとの要望を申し上げてきたけれど、「最終的には上が売れるか売れないかで判断するので厳しい。文芸春秋だって当然利益を見越して賞を選ぶのだろう。よほど非の打ち所のないものでないと」と言われた。
正直、新人にありがちな、「自分の作品は一番」というものではなく、客観視して言っています、ということを申し上げた。
「来週までにはお答えいたします」とのことで、本来なら一ヶ月かかるところを、考慮してくれて最大限できることで対応してくれた。
自分たちのできる権限での限度、精一杯の努力がそれにあたるのだろうと思う。
帰る途中、編集者が自信を持って上に物を言えない出版社なんて、編集者がいる必要があるのだろうか、と妙なことを考えてしまい、「もしかしたらダメかもしれないな」という考えが頭をよぎった。
本を読み込んでいる中年のおじさんが知り合いにいるのだが、滅多に本を褒めない人で、「こういう心理の葛藤はなかなか書けるようで書けないよ」と評価してくれた。
自信になった。
その人に電話して「今置いてきました。編集者に自分の一存じゃ断言はできないと言われました」との内容を伝えると、「本を買って来いと言われて、はい売ってませんでしたで帰って来るのはただのガキの使い。大人なら売っているところを探して買ってこないといけない。買えるまで求めるのが大人だ。がんばれ。できることはなんでもやれ」と言われた。

悲観的な考えが頭をよぎっている中、昨日友達に電話をすると「大丈夫だって。ちゃんとできるって」と何も読んでもいないのに言われ最初は「なんでそんなこと言うんだろ。何も知らないのに」と思ったけれど、ふと自分の考えが間違いだということに気がついた。
自分の書いた話は「言われて、それを当然だと肯定していった男」の話だ。
つまり、ネガティブなものも「そうに違いない」と信じきって死んでいった。
これを一種のアンチテーゼとして掘り下げていったものなのだから、自分が「ネガティブの壁」を作ってどうするのだ、と思った。
「大丈夫だ」と言ってくれた人のほうが正しい。おっさんも正しい。悲観的になっている余裕なんてないのだ。何のために半年近くもやってきたのだ。そう思った。
今までの自分はやれると信じても自分のことを疑っていた。きっとダメに違いない。きっとダメな方向に傾くのだというイメージばかりが先行していて、自分の成功のイメージをのびのびと想像することができなかった。
否定され、けなされ、「ああそうなんだ」と信じ込んでは自分を追い込んだ。

だが違うのだ。
信じること、イメージすること、必ず、いや、もう成功は掴んでいる。
その出現のために最大限の努力をするだけだ。
今までは文章との戦い。
これからは最後の自分の作り出していたネガティブの壁をぶっ壊すために、努力する。

拍手[0回]

PR

04/06

Mon

2009

本が売れなくなった理由

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0904/06/news005.html

くだらなさ過ぎるから。
それを量産しているから。
読者が思い描いているのよりも、はるかに下のレベルを本が疾走しているから。

いいかげん、見放されると思う。

愛情を失ったものには、育成は無理だと思う。
何も育たない。
作家は会社の道具じゃねえし、
読者は会社の食い扶持じゃねえ。

~~~~~~

 言い方が適切かは分からないが、もうお好み食堂の一角でラーメンを出しているような感覚で、文庫・新書を出版しても通用しなくなりつつある。ラーメンは繁盛している専門店で食べたほうがうまい。

 文庫・新書も、専門出版社が専門の味を出した出版を行う時代に、突入したのである。
~~~~~~


馬鹿だな、と思った。
利益主義の弊害なのにさ。
愛情のないものはどんなものでも味気ないと思う。
そこそこ食える味だったら笑顔溢れる近所の食堂のほうが、
ずっと気持ちよく食えると思うよ。
大事なもの忘れちゃったんだなって思う。
作家に対しての愛情。
読者に対しての愛情。

寂しいだけなのにさ、
舌に残る味は確かにうまいものかもしれないけど、
胸に残る味はうまいだけじゃダメなんだよ。

そういうものを残せているかと言ったら、どうもそうは感じられない。
うまいだけだよね。

拍手[0回]

04/05

Sun

2009

現代における「作家」の定義は、もう崩壊している。
埋もれるほどの話。
無駄ともいえる文字の山。

なんのために話を書くのか。
人の作品を見て、莫大な数の中に量産される、どこかで見たような、聞いたような話。
なぜ、小説を書こうとする?

愚問だ。
なぜ生きているのですかと質問するぐらい愚問だ。
ほとんどの人間は衝動的に書いている。
その衝動に理由や目的を求めない。
だから、「書きたかったから書きました」程度なのだろう。
決してそれは「書かなくてはならなかった」ものではなく、ただ単に「書きたかっただけ」なのだろう。

理解されないのではない。
己の着眼点と切り取り方が悪いのだ。
何もかも色を詰め込みすぎて、黒一色で書かれている絵のように、わけがわからないだけなのだ。
もしくは、読ませるだけの力が足りないか。

拍手[0回]

04/02

Thu

2009

芥川賞について文芸春秋に質問してみた

芥川龍之介の名を記念して、直木賞と同時に昭和10年に制定された。各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)に発表された純文学短編作品中最も優秀なるものに呈する賞(応募方式ではない)。主に無名もしくは新進作家が対象となる。正賞は懐中時計、副賞は100万円。授賞は年2回。上半期(12月1日~5月31日までに公表されたもの)の選考会は7月中旬、贈呈式は8月中旬。「文藝春秋」9月号に掲載。下半期(6月1日~11月30日までに公表されたもの)の選考会は翌年1月中旬、贈呈式は同2月中旬。


で、赤字の部分、どの程度のものをさしているのか。
発行実績のあるものをさすのか、もしくは極端に言えば大学の文芸部などで出している同人雑誌も含むのかと質問したら、
「(後者の同人雑誌も)含まれていないことはないと思います」
と、非情にあいまいながらも、答えをいただきましたので、作戦は固まりました。
さて、狙っていきますか。

拍手[0回]

03/30

Mon

2009




本物の才能って言うのは、圧倒的に他者を凌駕しているわ。
あ~すげぇ。
凄すぎる。
誰に強制されなくても笑っちゃうくらい手の届かないところにいるんだぞというレベルをまざまざと見せ付けられるのが才能なんだ。

もう一回「アマデウス」見ようかな。

今の自分には、こういうレベルまで到達するには、材料が足りない。
何をどうすればよいのかもわからない。
一秒にもならない間を掻き切って重厚さすらも醸しだすものを。
いや、できるはず。
自分にならできるはず。

拍手[0回]

フリーエリア

ブログランキング・にほんブログ村へ

バーコード

プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

最新コメント

(07/27)
(02/23)
(03/05)
(03/02)
(01/24)
(07/29)
(01/21)
(08/16)
(04/28)
(04/20)

ブログ内検索

カレンダー

09 2025/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

忍者アド

Copyright © あさかぜさんは見た : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]