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あさかぜさんは見た

日記

05/09

Sat

2009

http://www.vagrancy.jp/

ふと流れているのを聞き、音が「あ、俺の好みだ」と感じ、聞いてみると、デジャブーが。
…はて?どこかで聞いた声。
どこで?
この癖のある歌い方…どっかで聞いたんだよなぁ…

ああ!思い出した!

と、検索してみると、やはり昔HP作るときにお世話になった音楽素材サイト。

「お、おお!あの女!ついにここまで来ちまったか!」

あの女呼ばわりするほど親しいわけでもなんでもなく、単純に驚いたのですよ。
だってだって人気はあった音楽素材サイトだったけれど、あれから何年たつんだろ…5年くらいかな?

ああ、埋もれていた人がついにメジャーデビューですか。
彼女の音楽の世界観は壮大チックで大好きです。
なんというか、森の神殿?神話の世界?なんかシャーマンチック?とにかく幻想的で壮大な音楽観がツボです。
こういう音楽を作れるまでに腕があがったんだなぁと、色々感慨深いです。
HP素材探していたころは、ダウンロードして何度も聞いたものです。

あ~!ちくしょ~!悔しいな。
自分もこういう音楽の世界観をはるかに超えるようなものを描きたいなぁ。

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05/07

Thu

2009

きちんと目を見開いているはずの人間が、妄想だけで物を言うことに大変嫌悪感を覚え、時として怒りすらも湧き上がる。
私はそういう人間が心底大嫌いです。

たとえば、中国人はこうだよね。
と、傾向を述べるまではよいのですが、一遍の事実だけでその人種のすべてをくくって決め付けるとか、自分で見も調べもしないのにうわさだけで断言するというのが許せない。

アメリカ人が戦争を起こしたからって、やつら全員が好戦的ではないのは当たり前のこと。
イラクで戦争起こした時だって、嘆いていた友達はたくさんいたし、低所得者層のひとたちは余計に生活が苦しくなってきたということを怒りを交えて言っていた。

いわゆる一言で言うところの「先入観だけでしか物事を言わない人」が嫌いなのです。

自分の意見を述べることはいいですよ。
大変よろしいことだと思いますが、自分の意見という範疇を超えて、お前もこうせよと言い、なおかつそうしないのはおかしいとわめきたて、従うまで陰湿な手段でやり続けるのは、傲慢にもほどがある。
そういう種類の人間を下衆というのです。

と、きついことを書いているのですが、感情に流されるのが人間。
理性的なようで人間はほとんど本能に近いもので動き、それを「理性」「理屈」というごまかしをもって、生きているに過ぎません。
自分を疑えない弱さがステレオタイプになる。

だが自分を弱者だと思い込むのは間違っている。
誰かのために、何かのために、たったひとつでもできることはあるはず。
その時初めて自分の殻をやぶれるんじゃないのか?
と思っている。

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05/06

Wed

2009

あとがきのひとつ

我々という大木の下にある土を忘れては大木は枯れる。
栄養や根のことを忘れ去った時、私もあなたも共に滅ぶ。
一生忘れることのないよう、未来の君にこれを記す。

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05/03

Sun

2009

作家としての使命感

おこがましいことだけれど、人の未来を創造したい。
それも、よい未来を。

好奇心は永遠の叡智。
無知であることを悟ることは叡智への鍵。
人は常に未来に向かっている。
他人より低い視点で物を見たい。
花には花にしか見られない景色がある。
誰よりも苦悩を背負うこと。
誰よりも傷つくこと。
希望を見失わないこと。

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05/01

Fri

2009

吐き気がする。

そりゃ飲みたくもなるよ。

「説教は聞きたくない」だとさ。



女の人は説教がましいことを望まない。

自分の思いが発散されればいい。

男は解決策を見出そうとする。

両者の脳の違いが喧嘩を生む。



だけどさ、ひとつだけ言わせてくれ。



成長しない人間は同じ過ちを二度も三度も犯す。

なあ、高いツボに全財産使って、生活費が足りないと嘆く男が、

再度高給布団に全財産使って、もう破産するしかないと言う男を、

お前たちは同情するのか?

見ていて腹が立たないのか?

これと似たようなことが「恋愛」において繰り返されていたら、

たちまち弁解じみた言葉がたくさん出てくるのかい。



教えてくれ。

女性たちよ。





追記:
私は人間には痛みが必要だと思う。
痛みを知らない人間は、必ず暴力の加減を知らない。
自己中心的という感覚は、自分の感覚に固執しすぎて、それを捨てられない人間のことを言う。
極端だが、他人に尽くしすぎて損をしてしまう人間も、実は自己中心的と言える。
なぜならば、結局「自分の傷みの感覚だけ」で、他者を判断し、痛み入るからだ。
両極の中心はどこにあるかということを言葉で定義することは難しい。
しかし、「自分の感覚をぶっ壊してくれる思いやりに溢れた何か」の存在はとても重要で、何百何千の人間よりも、そのたった一人が啓示を与え、人生の転機をもたらすことは多々ある。
しかしこのチャンスさえも、本人の判断基準が隔たっていれば過ぎ去ってしまう。
それは「愚か」ではない。
客観的に見て、人生を長い目で見れば、結果的に「愚か」だと判断できるかもしれないが、それは常に「神の目」であって、「人間の目」ではない。
我々は常に主観的に生きている。
自分が正しいと思っている。
あいつは間違っていると思うこともたくさんある。
でも我々は、それでも他人への優しさを忘れてはいけないのではないのか?
最後の救いを残しておいて、常に破滅か救いかを選ばせる心の余裕がなくてはいけない、と私は思っている。
大事なのは常に「自分を律すること」だ。
「他人を律すること」ではない。

いつも自分勝手なことを言っているが、
今日は最後にひとつ自分勝手なことを言わせてくれ。
酔っ払いのたわごとだ。

「なぜ、人は悲しみを与え合わなければならないのか」

わかっているけれど、思わず立ち止まってしまう。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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