・前作よりだいぶ短くなった分、読みやすくはなった。しかし、言葉の選択や文章の削ぎ方が甘く、前作を読んでいなければ理解しにくいと思える部分もある。
・もっとも重要な問題点はプロットの弱さである。
「私」の感情と(貧しい)体験を吐露することのみが主体になっていて、小説としてのヤマ(ドラマ性)や終結が物足りない。
ヤマを母親の自殺(それにいたる彼女の変化とその後の主人公の心のあり方)において、父親との関係をそれに絡ませてもっと深く書いては?そのためには、「私」形式ではなく、三人称で書き直したほうが客観的に表現できるのではないかとも思う。
以上のような書評をもらったのですが、最初の点は自分でも思っているのでよしとするけれど、最後のだんらくで「ふむ」、最後の「三人称」で「????????」となった。
もしかして「斜め読み????」
そこまで考えていなかったわけではないのだが、どうしてこうしているのかの意図をまったく読み取っておらず、仕掛けにも気がついておらず、「三人称にしたらどうなるのか」をまったく考えていないのだなと直感した。
今ある本筋が完全に崩壊することにすらも気がつかずにそれを書いてくるとは呆れた。
これは自分が書ききれてないか、あっちが読み取っていないかのどちらか。
三人称にしたら完全な「ブラックコメディー」になると気がつかないのだろうか。
確かにそれならばエンタメ系小説としてのヤマはどんどん出てきて面白いものになる。
馬鹿にしているのか、もしくは「投資の回収」にだけ重きを置いた発言なのか、後者なのだろうけどね。
とある賞に輝いた本の書評を読むにあたり、確実に本を読み込んできた古株の期待を裏切っている。
販売戦略の一環として本も利用され、賞も利用され、批判すらも話題性に変えて利益となることを見越して売る。
出版社が欲しいのは「うるさくて金を出し惜しみする古株」ではなく、「何も考えずにすっと受け取ったまま肯定してくれる素直でよく金を落とす若い客」だ。
古いのは放っておいても滅びる。
それよりも年齢の若い層を捕まえておいたほうが、後々出版社の将来的な利益を開拓することにも繋がる。
まるで電化製品のように顧客の買い替えが行われる。
大事なのは金。
金、金、金。
気の毒で見ていられないよ。
金使わないならいらないよ。
金稼げないならいらないよ。
作家諸君、気をつけろ、君たちは踊らされている。
疲れ果てるまで踊らされ続けるだろう。
踊れなくなったら、見放されるだけ。
一過性でも莫大な利益を上げられるものを会社は望んでいる。
文学であるかどうかなんて関係ないのだよ。
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