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あさかぜさんは見た

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06/18

Thu

2009

日本語が情報化時代に対応するには

http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20090314/1237015289

携帯小説の「恋空」をあげて、スリム化した日本語が成功するコミュニケーション空間が存在する現実と、莫大な情報時代に対応するための日本語の変化の行く先を考える必要性がある書いていた。
文学が目の前にある現実を無視しちゃいかんってことですね。

あ、上記のは平野啓一郎のブログです。

私のブログなんて口述式だから、文章そのものが肥満すぎていけないのだけれど、彼の書いていることを読んではっと気がつかされた。
それまで携帯小説なんて嫌悪の対象でしかなかったし、気がついたからと言って、そこに介入したいわけでもないのですが、売れている携帯小説を厳密に見るならば、

「今まさに彼、彼女らの欲しいシチュエーションしか存在しない」

という、合理化…これをスリムと言っていいのかどうかわからないが、いらないものはいらない、欲しいものだけ書く、そういう物語なんだということがわかる。

まさに「余分なものが排除された小説」であることがわかるし、考えなくても欲しい場面だけ思い浮かべればストーリーが頭の中で繋がっていくという、「忙しい人にはぴったり」の小説であったり、「学業で疲れたり人間関係で疲れてあれこれ自分のことで悩むことから解放される」小説でもあるわけだ。

なにかにつけて自分たちの理想空間や希望する作用を具現化してくれる情報が手っ取り早く欲しいところに、携帯小説なるものができてきた。
と、考えると、納得できるような気もする。
くどくど読んでいて、自分の好みのものが来るまで待ちきれないのですよ、若い読者は。

自分のことをこの際棚に上げるが、かの世代たちが書く、めちゃくちゃな日本語がそのまま文化として残さなければならないかと言ったら、「NO」に決まっている。
しかしひとつの示唆として、もう厚ぼったい日本語表現では情報化社会に対応できないし、情報化社会で育った人間が好まない日本語であることもまた事実だろう。

余計なものはいらない。
欲しい情報しか取り入れない。

これはウェブを使う人の当然の作用であって、またそこに存在する小説も、即効性があって、リズムの早いものが好まれる。
くどくどと余計なものを書く小説なんてウェブ空間では好まれるはずがない。

少なくとも情報化時代に対応するための新しい日本語体を開発するのも、また小説家の仕事のような気がしますが、言葉を削って情報すらも削れるようなら意味がない。

常々思うことなのだけれど、豊かな精神性というのは豊かな言語性にかかっている気がしているのだが、自然が破壊された、人工的なものがあふれている、自然性を放棄した人工的な感覚で日本語感覚を養う。

ここらへんの個人の精神性にまつまる言語性と情報化社会に対応するための言語性とは、一致を示せるのであろうか、という問題がありそうですけど、どうなんでしょうね?平野さん。

あ、情報処理と、国語で別々に教えればいい。
なるほどその通りですね。

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06/17

Wed

2009

鬱になると海馬が縮まる

リストカットをする知人や、虐待を受けた子供と話したりしている。
乖離症状、ようは記憶がぶっ飛んだり、記憶力が少々乏しかったりするのだけれど、科学的にも記憶する上で重要な器官である海馬が縮むことが証明されているらしい。

自分の経験談から言わせていただくと、辛いことにあまりにも合いすぎた時、忘れようとする。
一日中ぼんやりしたり、自分はゲームだったけれど、とにかく現実を忘れようとした。
何か頭を使うこと、例えば勉強だったり考え事をすると、辛いことが連鎖的に思い起こされて、イライラしてきて、そういう目にあっている時と同じような感情が何度も引き起こされて大変だった。
頭の中で何度も辛いことが反復されてきて、とてもじゃないけど勉強どころじゃなかった。

もし、それがエスカレートしていくと、記憶という過去を思い起こさせないためにも、いち早く過去を消そうとする、頭を使わなくさせる防衛反応が強く働いて、記憶することそのものが弱っていくのではないかと考えるわけです。

過去を思い起こす(頭を使う)=(頭を使うことによって)連鎖的に辛い記憶が蘇る

その繰り返しはしんどい。
なるべく考え事をしないためにも難しい記憶の蓄積はないほうが、脳の負担が少なくてすむ。
ようは脳の活動を萎縮させるまでさせないと、にっちもさっちもいかんわけです。

人を攻撃する暴力表現って広まっているなと感じるのですが、その中でも結構下劣な暴力表現だと感じるのが「ウザイ」「キモイ」です。
よく使われるのですけれど、最近はよいお年の熟年層まで使うようで、この言葉を熟年の方に吐かれたときに、正直辟易しました。
唖然とするばかりで、なんか言われたことよりも、その言葉を使ったことそのものに言葉を失いましたよ。
簡略化された言葉というのはとても使いやすいです。
短い分強烈だしね。
頭の中で何度も繰り返されるから相当意識に残ります。
私は思春期の大事な時期に人格否定を受け続けました。
それだけに、どのようにすれば人間の精神に効率的に攻撃を加えられるのか、よくわかり、ふっと暴力的な衝動が起こったりします。
受けた側の気持ちも、与える側の気持ちも、両方わかります。

しかし、言葉といえど、物理的な暴力よりも効力を発揮します。
外傷は癒えるけれど、心の傷は何かで埋め合わせをしないと治らないのです。
それなのに、なんで「ウザイ」なの「キモイ」なの暴力表現までカジュアル化されなければいけないのかがわからない。
社会を生きていると結構非難されることは多くても褒められることは少ない。
でも自分は褒めあいという妙な生ぬるい空気に耐えられないほうなので、いつも辛口でズバズバ言ってしまいます。
それが結構険悪な関係を生むことが多々あるのですが、批評、意見具申にも耐えられない人が多いのね。
暴力表現ではなく、あくまで批評の部類に入るような客観性を伴う発言を意識はしておりますが、時折誹謗と同じ扱いをされてしまう。
批評の範疇を越えて公私混同な発言をする人も多い。

メンタル的に弱い大人も増えて、すぐに暴言を吐く大人子供も増えてます。
すぐつむじ曲げるんだもん。
悪いことを悪いと正直に言っただけで、関係が悪化する。
これは最低。
年上の扱いに困るってどういうことなの?
年上の機嫌を取るために、若者が時代への労力を割くのは馬鹿らしい。
若者のわがままを認めるために年上がなだめなきゃいけないのは愚か。
間違っていることを間違っていると堂々と言える環境こそ望ましい。

鬱になるって、ストレスが溜まるからだと思いますが、暴力、表現も含めて簡単に他者に対して振るう人が増えています。
思いやりも想像力だと思うのです。
自分じゃないものを考えるときには常に「想像力」がなければいけません。
自分のことばかりの想像力のない大人が、想像力をはぐくめない社会を作り、自分の意見通りにならない状況に苛立ちを覚える。
苛立ってわがまま言うのは子供がやることでしょ。
苛立ちを覚える子供に対して、本当は大人が「こういう考え方や、こういう感じ方もあるのだよ」と諭していくのではないでしょうか。
それを「叩きゃ直る」みたいな、物扱いしたりするからおかしくなる。
無理やり暴力的な方法で強制しようとする。
傲慢は認めちゃいけない。
しかし、力で抑圧するのはもっといけない。
傲慢であるよりももっとおこがましい方法だから。
大企業でさえそれをやろうとしているところがある。
海馬が縮むってことは記憶を使う発想などもシャットアウトするってことだから、余計に逆効果ですよね。
考え事すらもぼんやりしてうまく蓄積できないのですもの。
想像力の乏しい大人が、余計に想像力の乏しい大人を量産する。
悪い循環だと思います。




追記すると、記憶力が落ちるぼんやりした状態というのは、
例えば1~10までの箱(例えば文章)があって、
それが記憶だとしたら、

4まで行ったところで、もう1,2がぼやけ始めている。
5まで行ったら、1がなんだったっけ?となって、読み返したりする。
6まで行ったら、2が欠損していて、3も1もぼやけている。
そんな調子でばらばらになった記憶が整理できなくなったりして、
自分で考えるのが嫌になる。
頭の中が大混乱して、いち早く忘れようとする。
ついでに少々の苛立ちが、過去のストレスを思い起こさせて、
だんだん収まりがつかなくなる。

そういう状態です。

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06/17

Wed

2009

現在児童ポルノ規制法のせめぎ合いがあるようですが、規制の範囲があまりにも広すぎ、単に性欲を誘うようなもののみに限らず、芸術的な表現方法にまでも規制が及んだり、所持しただけで罰則に入るとのことで、何かと問題視されているようです。

それよりも現在急速に進んでいるのはエロゲーと呼ばれる18禁ゲームの性的表現に関するほとんどを規制する方向で動いているようです。
陵辱系はもちろんのこと、結婚していないカップルものの妊娠、不倫、学園物、学校内での性描写、殺人描写、下着もアウトになりそうな方向だそうです。

当然ゲームの後は、漫画、アニメ、そして雑誌・小説における表現まで規制が及ぶかと思いますが、もしそうなれば表現の自由うんぬんよりも、もっと危うい事態が起こるかと思います。

もし性産業がアンダーグラウンドにもぐるまでになったとしたら、もうそこは無法地帯になっていくでしょうし、表現も規制されるとなると、事実すらも書けなくなるわけです。
つまり実態があっても、小説やその他の創作的表現方法でアンチテーゼや示唆を出すことができなくなりますし、警告すらも規制されてアンダーグラウンド市場はますます広がるという事態を生むのではないでしょうか。

そもそも、食欲睡眠欲と同じくらいの原始的な欲求である性欲に関する産業を厳しく規制するとろくなことが起こりません。
食欲が満たされない民衆が暴動を起こすのと似たようなことがアンダーグラウンドで起こってくるのではないでしょうか。
非現実空間と現実空間を同一視していっせいに規制するとなると、少々おかしいのでは?と思うのですが、外国からの圧力もあり(海外で出回っているアダルトゲーム、アダルト漫画のほとんどは日本製)、日本の議員たちは躍起になって面体を保とうとしているようで、とにかく規制して実績を出せば、わが国の性風俗における何々実績はこうですと数字で明示できるわけです。
鼻高々でしょう。
分別のなさを感じさせます。

犯罪白書によると、
http://www.moj.go.jp/HOUSO/2008/index.html
2004年あたりから犯罪は減少傾向にあるわけですが、エロゲーが原因で犯罪が増えているという実態でもあるのでしょうか?
そもそも諸外国や日本におけるポルノと犯罪の関連性とはなんでしょう?
それに何故アダルトビデオじゃなくて、非現実であるお話や絵がほとんどのエロゲーから規制するのでしょう?
やりやすいからでしょうか。

一番心配なのは、エロゲーと呼ばれる性産業(ゆくゆくは性表現)を根絶して、その需要層がどこに流れるかということです。
規制しました。性産業なくなります。安全です。
どこの子供の発想でしょうか。
需要があって、購買層がいたのなら、その購買層が死ぬわけではないのですよ?
次の目的地を目指して購買層が様々な方向に流れ出すのです。
彼らの溜まったフラストレーションが現実空間に流れ出さなければよいのですけれどね。
泳がせておくのも大事だと思います。
集合地点があって、そこに人が集まっていたのなら、その集合地点を崩すこと自体危険な予感がしますけどね。
今度は細分化されたものをしらみつぶしにかからなければならなくなります。

尊厳に上下があるとしたら、それはもう尊厳ではありません。
女性の尊厳を重要視するなら妄想産業ぐらい許せないのでしょうかね?
妄想まで厳しく規制するの?
人権というけれど、絵は人じゃないし。
男性嫌いのコミュニティーやひどく虐待を受けた人たちの発言を読むと、大変隔たっていて、「アメリカ人にひどい目にあったからアメリカは悪い国だ」というような発言が目立ちます。
女性の絵が犯されているのを見て自分たちの尊厳が踏みにじられていると感じるのは、それはもう病気です。
現実と妄想の区別もつかなくなっているのでしょう。
そのような短慮では困ります。

まあ、外堀から埋めようということでしょうね。
いずれは性に関する規制を全面的に展開するための布石でしょう。



うさんくさいったらありゃしない。
野田聖子議員も焚きつけられているだけなのでは?
性に関する表現を審査する機構が一本化されれば、そこに莫大な利益が落ちるからね。

以下ウィキペディア

NPOジュベネイル・ガイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89

アダルトゲームと表現の規制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%A8%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%A6%8F%E5%88%B6

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06/10

Wed

2009

第七師団創設記念行事

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/index.html

国内唯一の機甲師団として北海道内にある…軍隊ですね、これ。
どう偽っても軍隊です。間違いないです。

90式戦車

戦車行進

戦車行進2

戦車行進3

戦車行進4

戦車行進5

戦車行進6

戦車行進7

戦車行進8

戦車行進9

戦車行進10



6月7日、日曜日に行われたのですが、あいにくというか、幸運にもというか、雨でして、地面がぬかるみ水溜りができていて、余計に迫力があった。
模擬戦も空砲を使ってやりましたが、爆音に傘がぶるぶると揺れるほどの衝撃。
国内最新の90式戦車などが更新するときは地面が揺れる。
それだけ迫力がありました。
普通に空砲の爆音と小銃のバラバラという音を聞いているだけでも、「これが戦争だったらな」と思って少々震えてしまいました。

高射砲

模擬戦2

模擬戦

模擬戦3

模擬戦4

模擬戦6



自分がきっと戦場に行ったら、たぶん涙が止まらないと思うな。
私は国家が自営のための軍備力を整えることには賛成です。
戦争というのはいつも最後の手段だけれど、弾が飛んできたら、どんな弁舌も経済的な手法や外交の手段もなく、無力化されてしまうので、生身で銃口にさらされるような、そういう不安は抱えたくない。

やっぱりこの中に友達がいたらとか思うと、戦争なんか起こして欲しくない。
だから、平和のためにできるあらゆることに全力を尽くさなければいけない。

しかし、日本の兵器って、とても優秀だということがよくわかりました。
戦車が生き物みたいに動く様子を動かしながら見せてもらったときにはびっくり。
あのごっつい見た目からは想像できないくらい細かな動きができていました。
キャタピラの細かな動き、砲身の固定など、きっと数ミリ単位で動くのが中に乗ったらわかるような気がする。

平和に対しての努力を怠れば、我々は戦争をすることになる。
よくよく日本国家というものを考えた一日でした。

模擬戦5

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06/07

Sun

2009

JR荒川駅9人殺傷事件

●「人を殺すのは蚊を殺すのと同じ」



 なぜこんな男に命を奪われなければならなかったのか――。茨城県土浦市のJR荒川沖駅などで9人を殺傷して殺人罪などに問われた金川真大被告(25)の第3回公判が3日、水戸地裁で開かれ、被告人質問に立った金川は「(人を殺すことは)蚊を殺すことと同じだ」と言い放った。



 黒いシャツにジャージー姿で入廷した金川の証言は最初から“異常者”だった。弁護人から「罪の意識は感じるか」と聞かれ、「感じない。ライオンがシマウマを食べる時、悪いと感じるのか」と平然と言ってのけたのだ。



 その後も「(殺そうと思ったのは)10人ぐらい。数の根拠は特にない」「適当にふらふら歩いていたら家が見えた。(殺したのは)たまたまだ」「(連続殺傷時の心境は)うまく刺せん、切れんと思っていた」などと淡々と話し、被害者や遺族に対する罪悪感や反省の様子は一切ナシ。動機についても、ひたすら「死刑のため」と強調し、「なぜ自殺を考えないのか」との質問には「痛いから。失敗すれば苦しむから」と身勝手極まりない理屈を並べ続けた。



 一方で、「魔法を使いたい。冒険に行きたい」「(ゲームやファンタジーの世界が)好きだし、直接、味わいたい」と現実逃避する発言も度々あり、弁護人が責任能力を確認する場面もあった。金川は一体何を考えているのか。



 新潟青陵大の碓井真史教授(犯罪心理学)はこう分析する。



「欧米の銃乱射殺人でも見られるように、最近の大量殺人者に共通するのは『自分を認めてほしい。愛してほしい』という欲求です。疎外感が強く、『いつかデカイことをして一発逆転だ』と殺人に走るのです。犯人の多くはその後、自殺しますが、今回は踏み切れなかったのではないか。公判の言動から、初めて注目される身を楽しんでいるかのようです。反省の弁がないのも『自分の非を認めたら負け』とでも思っているのではないでしょうか」



 遺族はやり切れない。



(日刊ゲンダイ2009年6月4日掲載)




引用しちゃったけど、この被告って、すべて「物」だと思っているんじゃないのかな?
人すらも自分の目的を達成するための「手段」でしかなくて、ひたすら「目的に向かって手段を講じた」だけなのでは?
自分なりの理屈で。
それ以上でもそれ以下でもないと思う。
いらない物に対して感情をかけることもないだろうし、物なんだから空き缶道端に落ちてて踏んだとしても、それのどこが悪いの?という感覚に近いのでは?
他人の感情なんて関係ないし、慮るような心なんてないんだよ。

愛して欲しい認めて欲しいという感覚は成長過程においてあったかもしれないけれど、もうこの人間に限ってはないと思うよ。
すでに目的ができて頭がそれにセットされた。
あとは目的を完遂させるためにどのような手段を使うか。

RPGっていうのは、モンスターを倒して経験値をため、レベルアップし、より強い敵を倒しながらゲームクリアを目指すものでしょう。
強くなればなるほど雑魚敵が増えるものね。
彼の言うことを鵜呑みにするのならば、レベルアップしている自分、簡単に殺人をできる自分は強者で、殺されるほうは弱者、という構図もわかるような気がする。

教授の分析って今回に限っては外れている気がする。
何か外に対する感情なんてないもの。
ひたすら内に向いていて、鋼鉄のように固まっていて、感情や思慮が常にその中で巡回しているよね。
鋼鉄の壁をやぶる意思なんてないし、外からの提言も言葉も届くはずがない。
言葉を交わすのは義務的なコミュニケーション。
本人は「それって死刑になるのに何か関係あるんですか?」っていう感覚だと思う。
自殺する意思はない。
ゲームなのだから、常に自分の行動の先にはリアクションがあるわけでしょ。
死刑になってゲームエンド。
この人にとってのゲームクリアでしょ。
自分の非なんて考えてないし、自分が間違っているとはこれっぽっちも思ってないよ彼は。
そういう質問を繰り返して「人間的な良心の存在」を探そうと思っても彼からしてみれば「はい?どうして悪いのかわからないですね」程度だと思うけれど。
とことん機械的。
感情も思考も。
幼稚も大人もない。
目的があるからそれを達成するだけ。それだけです。
そういうことでしょ。

この人の生い立ちがわからないから、「なぜこのような思考回路になったのか」がわからないけど、この人は早く殺してあげたほうがいいと思う。
出所したらまたやるだろうしね。
刑務所内でも機会を狙うと思う。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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