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あさかぜさんは見た

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06/28

Sun

2009

 自分の中高生の頃には考えられなかった、いや、もしかしたら耳に入らないだけだったかもしれない。

 ここ数年で、ネットで知り合った何名かの現役女学生(中高生)から「学校で(同級生などに)レイプされた」という告白を受けた。
 いじめも最近は悪質化し、相当手が込んでいる。
 理科室にある薬品を(実験中に少量盗んで)給食に入れる、階段からいきなり突き落とす、リコーダーなどの持ち物をトイレの水につけて元に戻しておく、学校に来るなという内容での恐喝、細かなものをあげればきりがない。レイプされ、バスケットボールなどを入れる金属のかごに入れられてそのまま階段から突き落とされた、というのが一番新しい告白。
 三十路前後か、なる前の若い先生方の生徒へのあからさまな差別もあるそうだ。若輩浅学という問題以前の、高校生が先生になるような感じだろう。わかるような気がする。
 被害の総数は数パーセントの数値でしかないかもしれないが、現実に悪質な被害にあいながらも、誰にも話せず泣き寝入りしている子供たちがいることを知った。
 親も高圧的でひどい場合がある。特に親に名目がある場合、親が子供にとって暴力にも近い高圧的態度や行動に出ることが多々あり、エスカレートすることもある。その筆頭が「勉強」だ。広い範囲のくくりになるが、暴力を振るわれるきっかけになるのが「親の言うことを子供がきかない」ということ。
 勉強をしないことで暴力を振るう。特にそういう「半虐待」を受けている家庭は「対話」がない。一方的で押し付けがましい言葉が投げられ、子供の言い分は大人の圧力で叩き潰される。
 当然理不尽さを感じながらも子供は黙り込むか、ストレスを発散させるために突発的な行動に出るしかなくなる。
 非行に走り、夜の街に出入りするようになれば、セックスやドラッグは目の前にある。
 信じられないかもしれないが、夜の街に出歩くよくない人々と知り合いになれば、簡単に手に入るようになる。

 性だけではなく、様々な違法性を持つ薬物や行動などが低年齢化している。出会い系サイトにアクセスする中高生や、下手をすれば小学生も。
 出会い系じゃなくても、ネット環境があり、コミュニティー機能があるすべてのサイト、ゲームを含むプログラムには「出会い系」の機能が備わっていると考えていい。
 ネットをやっている人なら、当たり前だと思うだろうが、知らない人は本当にとんちんかんなことばかり言う。

 規制の動きが早まっている。
 本当に規制が大事なのかな?
 国会での答弁が浮世離れしすぎていて、生の声を知らないということがすぐわかる。
 利用する人がいて、犯罪が起こるから規制するというのは、少し発想として貧困だし、問題を隠蔽したいようにも見える。

 道具があっても、それを利用しない、犯罪行為にまで至ろうとしない、そういう気持ちがあったら、規制なんて必要ないのでは?
 なぜ事実をありのままに伝えようとしない?
 そして、そこまでに至りたくないという気持ちを作るには大人はどうすればいい?
 規制規制というのは、高圧的で対話のない大人のやることなのではないのか。

 若者は正しく時代を反映する。本田宗一郎もそう本に書いた。
 私もそう思っている。
 子供は大人の鏡だ。
 もし子供を非難するような声があるのなら、それは大人が腐っているからに他ならない。
 大人がガキだから、子供はそれ以下になる。

 少なくとも社会を構成する大人、すなわち社会が悪いと言われて、そこに対する考察も反省もなく、ただ激しい反論をくわえるのは、馬鹿の極みなのでは?
 そう思えないから平気で悪化していくのでは?

 我々はどういう社会を作りたいのだろう。
 個々人は自由ということはよく聞くことはできるが、この先どういう社会になればいいかということはあまり聞かない。
 傲慢の上に成り立った社会や国家は長い歴史の中で崩壊している。
 子供の心が平気で劣悪化していく心の貧困化した社会を作って、経済大国を自負して、やがて徐々に内部から国家を滅ぼすつもりだろうか。

 他人の子供だから関係ない?
 本当に他人事なのだろうか。
 育った子供に将来被害にあわされても他人事だろうか。
 育った子供たちが徐々に地域を劣悪化させて、犯罪を多発させるようになっても他人事だろうか。
 この発想は極端でもなんでもなく、長い目を見れば何世代かを通じて確実になっていること。
 誰もが20年40年後の未来に生きて、「生きづらい時代になったね」とぼやき、自分は関っていないと思うのならば、その人間は大罪を背負っている。

 我々はどういう未来を創造したいのだろう。
 その未来を、子供に聞かせられる大人はこの国家にいかほどいるのだろう。

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06/23

Tue

2009

やりたい気持ちはよくわかるよ。
私なんてことあるごとに楽に死ねたらなって思うもの。
でもなんとなく未練がある。

なんでだろうね。

どうしようもない人生でも、誰かのことをちょっと考えてみると未練が残る。
そういうもんなんだろうね、人生って。

誰もいなくなったら、気兼ねなく死ねるのにねって。

命はもろい。
毎日消費している分すらも還元できていない。
命を食らって命をながらえている。

奪ってきた分の何かができているのだろうか。

退場するには遣り残したことがたくさんある。
まだ死ねないな。

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06/20

Sat

2009

私は優秀な技術者や優れた才能を持った人なら積極的に国内に来ていただくことは賛成ですが、「人類皆兄弟」のような思想で国家というものを考えるのは頭のネジが多弾頭ミサイルのように飛びまくっているとしか考えられないのです。
そういう人に限って貧乏人に施しをしないのも大いなる疑問ですしね。

そもそも簡単な基準をクリアしただけで日本国民となれるってことは、日本の歴史の中で対処もしたことのない問題が数多く出てくるということです。

例えば、移民で帰化した人たちが日本の政権を握って、元々大陸に住んでいた日本人たちに対して厳しい法律を作った場合、それでも納得できるの?この国の人たちは。

まあ、そんなのは極端だけれど、知識も何もない人たちを無条件で受け入れて、どう雇用を捻出するの?
正体不明の隣人が増えて、コミュニケーションもできない人たちが増えて、何も不安に思えないの?
もちろんコミュニケーションできなかったら、こじれていくのが人間なんじゃないの?

いい人ばっかり入ってくるという、その宗教チックなおめでたい頭を何とかして欲しい。
人間善人だって信じていれば皆善人になるわけがない。
おいしい話があれば、悪人だってバンバン入ってくるでしょう。
こう見えても諸外国に比べて日本って経済国なんだから。
その上で治安が荒れたら、現在の警察力じゃ地域が維持できなくなって、放置しなければならない地帯だって出てくる。
もしそういう地域を作ってしまったら、悪の巣窟になるじゃん。
どうするの?治外法権地域ができたら。この狭い国でよ?
悪い金が流れるようになってきたら経済だって崩壊するよ?

最初から悪いこと考えていたら何もうまくいかないとおっしゃる人もいるけれど、物事を起こす上でリスクへの対処を考えない人って、必ずどこかでドジ踏むよね。
実際ほとんど例外なく踏んでいるようだし。
そういう「ドジ踏みそうだよなこの人」って思われている人は信用されないように、「いや、危なそうだよ。これ」って思うことには誰も賛成しないって。
移民に関しては国外の例だってあるし、必ずもめている。
日本人はそこまで柔軟な思想やシステムを持っているのかい?
英語だって満足に話せないんだよ?この国の人たちは。
日本史だって世界史だって満足に言えないでしょ。私もだけど。
宗教や思想に対して深い理解があって、それに対処できる政策が打ち出せるの?
自国民も大事にできない国が、日本国の問題だけでもうまい手を出せないこの国が、複雑な民族構成である移民国家になったら崩壊するに決まってるじゃないの。
そう思えないのかな?

うまくやっていけるようなシステムや思想がいきわたっていないのなら、移民を受け入れるなんて発想はやめるべき。

国籍法も改正されて、八戸市の藤川ゆり議員みたいな人だけ来ればいいなんて冗談も言えなくなってきたし。

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06/18

Thu

2009

日本語が情報化時代に対応するには

http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20090314/1237015289

携帯小説の「恋空」をあげて、スリム化した日本語が成功するコミュニケーション空間が存在する現実と、莫大な情報時代に対応するための日本語の変化の行く先を考える必要性がある書いていた。
文学が目の前にある現実を無視しちゃいかんってことですね。

あ、上記のは平野啓一郎のブログです。

私のブログなんて口述式だから、文章そのものが肥満すぎていけないのだけれど、彼の書いていることを読んではっと気がつかされた。
それまで携帯小説なんて嫌悪の対象でしかなかったし、気がついたからと言って、そこに介入したいわけでもないのですが、売れている携帯小説を厳密に見るならば、

「今まさに彼、彼女らの欲しいシチュエーションしか存在しない」

という、合理化…これをスリムと言っていいのかどうかわからないが、いらないものはいらない、欲しいものだけ書く、そういう物語なんだということがわかる。

まさに「余分なものが排除された小説」であることがわかるし、考えなくても欲しい場面だけ思い浮かべればストーリーが頭の中で繋がっていくという、「忙しい人にはぴったり」の小説であったり、「学業で疲れたり人間関係で疲れてあれこれ自分のことで悩むことから解放される」小説でもあるわけだ。

なにかにつけて自分たちの理想空間や希望する作用を具現化してくれる情報が手っ取り早く欲しいところに、携帯小説なるものができてきた。
と、考えると、納得できるような気もする。
くどくど読んでいて、自分の好みのものが来るまで待ちきれないのですよ、若い読者は。

自分のことをこの際棚に上げるが、かの世代たちが書く、めちゃくちゃな日本語がそのまま文化として残さなければならないかと言ったら、「NO」に決まっている。
しかしひとつの示唆として、もう厚ぼったい日本語表現では情報化社会に対応できないし、情報化社会で育った人間が好まない日本語であることもまた事実だろう。

余計なものはいらない。
欲しい情報しか取り入れない。

これはウェブを使う人の当然の作用であって、またそこに存在する小説も、即効性があって、リズムの早いものが好まれる。
くどくどと余計なものを書く小説なんてウェブ空間では好まれるはずがない。

少なくとも情報化時代に対応するための新しい日本語体を開発するのも、また小説家の仕事のような気がしますが、言葉を削って情報すらも削れるようなら意味がない。

常々思うことなのだけれど、豊かな精神性というのは豊かな言語性にかかっている気がしているのだが、自然が破壊された、人工的なものがあふれている、自然性を放棄した人工的な感覚で日本語感覚を養う。

ここらへんの個人の精神性にまつまる言語性と情報化社会に対応するための言語性とは、一致を示せるのであろうか、という問題がありそうですけど、どうなんでしょうね?平野さん。

あ、情報処理と、国語で別々に教えればいい。
なるほどその通りですね。

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06/17

Wed

2009

鬱になると海馬が縮まる

リストカットをする知人や、虐待を受けた子供と話したりしている。
乖離症状、ようは記憶がぶっ飛んだり、記憶力が少々乏しかったりするのだけれど、科学的にも記憶する上で重要な器官である海馬が縮むことが証明されているらしい。

自分の経験談から言わせていただくと、辛いことにあまりにも合いすぎた時、忘れようとする。
一日中ぼんやりしたり、自分はゲームだったけれど、とにかく現実を忘れようとした。
何か頭を使うこと、例えば勉強だったり考え事をすると、辛いことが連鎖的に思い起こされて、イライラしてきて、そういう目にあっている時と同じような感情が何度も引き起こされて大変だった。
頭の中で何度も辛いことが反復されてきて、とてもじゃないけど勉強どころじゃなかった。

もし、それがエスカレートしていくと、記憶という過去を思い起こさせないためにも、いち早く過去を消そうとする、頭を使わなくさせる防衛反応が強く働いて、記憶することそのものが弱っていくのではないかと考えるわけです。

過去を思い起こす(頭を使う)=(頭を使うことによって)連鎖的に辛い記憶が蘇る

その繰り返しはしんどい。
なるべく考え事をしないためにも難しい記憶の蓄積はないほうが、脳の負担が少なくてすむ。
ようは脳の活動を萎縮させるまでさせないと、にっちもさっちもいかんわけです。

人を攻撃する暴力表現って広まっているなと感じるのですが、その中でも結構下劣な暴力表現だと感じるのが「ウザイ」「キモイ」です。
よく使われるのですけれど、最近はよいお年の熟年層まで使うようで、この言葉を熟年の方に吐かれたときに、正直辟易しました。
唖然とするばかりで、なんか言われたことよりも、その言葉を使ったことそのものに言葉を失いましたよ。
簡略化された言葉というのはとても使いやすいです。
短い分強烈だしね。
頭の中で何度も繰り返されるから相当意識に残ります。
私は思春期の大事な時期に人格否定を受け続けました。
それだけに、どのようにすれば人間の精神に効率的に攻撃を加えられるのか、よくわかり、ふっと暴力的な衝動が起こったりします。
受けた側の気持ちも、与える側の気持ちも、両方わかります。

しかし、言葉といえど、物理的な暴力よりも効力を発揮します。
外傷は癒えるけれど、心の傷は何かで埋め合わせをしないと治らないのです。
それなのに、なんで「ウザイ」なの「キモイ」なの暴力表現までカジュアル化されなければいけないのかがわからない。
社会を生きていると結構非難されることは多くても褒められることは少ない。
でも自分は褒めあいという妙な生ぬるい空気に耐えられないほうなので、いつも辛口でズバズバ言ってしまいます。
それが結構険悪な関係を生むことが多々あるのですが、批評、意見具申にも耐えられない人が多いのね。
暴力表現ではなく、あくまで批評の部類に入るような客観性を伴う発言を意識はしておりますが、時折誹謗と同じ扱いをされてしまう。
批評の範疇を越えて公私混同な発言をする人も多い。

メンタル的に弱い大人も増えて、すぐに暴言を吐く大人子供も増えてます。
すぐつむじ曲げるんだもん。
悪いことを悪いと正直に言っただけで、関係が悪化する。
これは最低。
年上の扱いに困るってどういうことなの?
年上の機嫌を取るために、若者が時代への労力を割くのは馬鹿らしい。
若者のわがままを認めるために年上がなだめなきゃいけないのは愚か。
間違っていることを間違っていると堂々と言える環境こそ望ましい。

鬱になるって、ストレスが溜まるからだと思いますが、暴力、表現も含めて簡単に他者に対して振るう人が増えています。
思いやりも想像力だと思うのです。
自分じゃないものを考えるときには常に「想像力」がなければいけません。
自分のことばかりの想像力のない大人が、想像力をはぐくめない社会を作り、自分の意見通りにならない状況に苛立ちを覚える。
苛立ってわがまま言うのは子供がやることでしょ。
苛立ちを覚える子供に対して、本当は大人が「こういう考え方や、こういう感じ方もあるのだよ」と諭していくのではないでしょうか。
それを「叩きゃ直る」みたいな、物扱いしたりするからおかしくなる。
無理やり暴力的な方法で強制しようとする。
傲慢は認めちゃいけない。
しかし、力で抑圧するのはもっといけない。
傲慢であるよりももっとおこがましい方法だから。
大企業でさえそれをやろうとしているところがある。
海馬が縮むってことは記憶を使う発想などもシャットアウトするってことだから、余計に逆効果ですよね。
考え事すらもぼんやりしてうまく蓄積できないのですもの。
想像力の乏しい大人が、余計に想像力の乏しい大人を量産する。
悪い循環だと思います。




追記すると、記憶力が落ちるぼんやりした状態というのは、
例えば1~10までの箱(例えば文章)があって、
それが記憶だとしたら、

4まで行ったところで、もう1,2がぼやけ始めている。
5まで行ったら、1がなんだったっけ?となって、読み返したりする。
6まで行ったら、2が欠損していて、3も1もぼやけている。
そんな調子でばらばらになった記憶が整理できなくなったりして、
自分で考えるのが嫌になる。
頭の中が大混乱して、いち早く忘れようとする。
ついでに少々の苛立ちが、過去のストレスを思い起こさせて、
だんだん収まりがつかなくなる。

そういう状態です。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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