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あさかぜさんは見た

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11/03

Tue

2009

傷を覚える心 それでも信念は貫く

心の傷が癒える、というのはきっと嘘に違いない。

自分が高校生の時、後輩にPTSDを持った子がいた。
両親を事故でなくした女の子で、明るく活発だった。

よく知っている後輩で、家庭科の先生がもらしていたのは、
「あの子、ミシンの音ダメなのよ」
痙攣を起こして倒れる、ということらしかった。

引き金となる「条件」があり、心が反応する。

自分も今はその「条件」が揃うと、勝手に動悸がし、発汗し、全身の血の気が引いていく。
いくら頭で制御しようと体だけが暴走する。
色々恋では傷ついたが、昔似たようなことに出会った。
あの時も、歩くのに多少めまいを覚えるほどの衝撃を受けた。

心はどこかで傷を覚えている。
二度目、三度目と、であったからといって、深い傷に強くなれるわけではない。
強くなれないかわりに、その傷との向き合い方を学ぶ。
だから強くなっているようでも、意味は少し違う。

昔、精神的に辛い時期があった。
誰に話しても自分の状況を理解してもらえない。
焦りだけが募って、できない自分に自己嫌悪していた。
その時、たった一人だけ、助けてくれた人がいた。
赤の他人なのに、献身的に尽くしてくれた。
自分も辛い状況であるにも関らず、尽くしてくれた。

自分が辛い時こそ、人に本当の優しさを向ける。
人へきちんと目を背けず、手を貸す。
きっとこれからも自分はそうしていく。
その中で、ひとつ、またひとつと傷を背負う。
傷を背負うかもしれない、ではなく、必ず背負う。

「なぜ、見返りのないことをするのか」
「自分が助けられたから」

そして自分が誰かを助けた人で、またその人も同じように思ってくれたら、きっと少しずつ広がっていくと思っている。
傷と向き合うことをもっと覚えなければいけない。

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11/03

Tue

2009

愛情とはなんだろう。
言葉の定義なんてどうでもいいと感じる時がある。

自分で行動し、苦しみを味わい、そして体からにじみ出た時に愛を説けばいい。

自分は嫉妬深い人間だと知っている。
昔は自分を制御できなくて多くの人を傷つけた。
今でも、そう。

「どうして自分の気持ちをわかってくれないんだ」
「こいつは俺のことを愛しているんじゃないのか?」

愛に飢えた人間が、「裏切られた」と感じた時、狂犬のように噛み付いて傷つけているにすぎなかった。

昔、こんな女がいた。
「お前が勝手にやってるだけじゃん」
それは、自分の一方的な気持ちで相手に尽くしていっただけだったが、その人には外見上の好みから嫌われていた。
「私は私のしたいことをしているだけ。お前に迷惑かけているわけじゃない。お前が勝手に私にかまっているだけじゃん」
要約すれば、このようになる。

時々出会う。
自分をうまく認識していないせいで、視野が一方的に開け、自分が何をしているのかわからない人。
行動と結果、行動と因果、他者の苦しみと行く先。
自分の気持ちが先立ちすぎて、他者の思いをうまくくみとれない人。
思いに対して、真正面から受け止め切れない人。
自分がどんな思いに支えられてここにいるのか、自分がどうして人にそう思われなければいけないのか、それがわからない人は常にどこかで失敗しているし、失敗していく。

例えば、相手が「こんなこと誰でもわかるだろ」と呆れるような行為をしていく。
でも、自分がもしその人のことを好きになったら、「誰がこの人に教えてやれるのか」と思う。
「教えてやらねばならない」と。

しかし、激しい動悸がする。
嫉妬の感情に息切れと冷や汗まででる。
理性や考えとしてはわかっても、心が体が勝手に反応して抉れていくような痛みを覚える。
相手が幸せそうにしているのを感じるたびに心が激しく震えて血が流れる。
嘘をついてでも、守らなければならないものがあると、この痛みなんて、これから先のその人の幸せに比べれば、たいしたことはないのだと。
そういう思いがあっても条件反射のようにして体がいうことをきかない。

本当に苦しい。
本当に苦しい。
正直助けてほしいと思う。
しかしやらなきゃいけないと思う。
たった一人だけでも、自分の感情や心の作用に負けて痛めつけなかったのだと、幸せを大事に見守れたのだと、自分に言いたいから。

それが全部終わったら、もうその人に対する気力をすべて使いきった状態になるだろう。
全力でやったと、やれたと、もう、きっと思い残すことはなくなるだろう。
それまでは、私がかつて「家族ではない他人」から「本気で愛された」ように、私もその人を愛していこうと思う。





PS

あなたは「相手の思いを受け止める」と、そのうえで「みんなに迷惑がかかるのなら、辞めます」と言いました。
でも、それは「あなたがそこにいるから平気で言えたこと」なのです。
私はそのようなことを考えてはいけない立場なのです。
どうして自分が平気でそのようなことを考えられたのか、よく考えてほしい。

人の思いをすべて余さず受け止めることは難しい。
いえ、不可能です。

「思いをくみとること」と
「思いを理解すること」は違います。

思いを理解なんてしなくていいのです。
理解なんてできるわけないのだから。

でもせめて、思いをくみとってほしい。
「人の思いをくみとる」とは、人の思い通りになること、人の気持ちを発散させることとは次元が違います。
だからこそ相互の意思疎通が不可能になったり喧嘩になったりするのですが、「思いをくみとろうとする」という苦しみが、どうしても足りず、他人に見えず、自分本位に見えがちな欠点があります。
あなたには、それが少しわかっていないようです。

あなたは自分と同じ目線や立場で物事を見ます。
そして、一生懸命悩みます。
最初はそれでいいでしょう。
しかし、いつまでもそれではいけません。

「人の思いをくみとる」には、立場も考え方も価値観もまったく違う人のことを一生懸命想像しなければいけません。

例えば、私は健康です。
あなたは、体に疾患を抱えている。
幸せになりたいと思っているし、楽しみや喜びを感じて体を追い詰めることは避けたいと思っているはずです。

私はあなたの痛みを理解することはできません。
体験すらもおそらくできないでしょう。
しかし私には私の立場の今の苦しみがある。
あなたに私の苦しみを打ち明けた時、あなたは崩れましたね。
私はあなたの苦しみを一生懸命くみとりたいと思っています。
泉の水を手ですくうように、すべてをくみとるには難があります。
でも、何度も何度も水をすくっていきたいと思っています。

こんな二人が「気持ちをくみあう」にはどうすればよいのか。
あなたはもう少しだけ、このことをよく考える必要があります。
そして得たものを、生かしていってほしい。
もっともっと幸せを掴んでほしいと思います。

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10/28

Wed

2009

「人生は楽しければいい」

それは間違いない。

「人は言葉よりも、言葉で受けた感覚を覚えている」

それも間違いない。

私は最近嫉妬という感情を抱いて、嫉妬をぶつけ、気持ちをぶつけた。
価値観や生き方の違いが、一つの物事への温度差を生み、相手を苦しめ潰れさせた。
相手は吐き気をもよおすようになり、気持ちがついていきたくても、体そのものが拒否反応を示すようになった。
そこまで相手を追い詰めてしまった。

人と人を比べてその「差」を責める。
責めていなくても、言っただけで相手は責められていると感じる。
どうしようもない悪循環のスパイラルだった。

人には各々の向き合い方がある。
その向き合い方ひとつで、とんでもない勘違いを生んでいたり、誰かを苦しめていたりする。
きちんと正面同士で向き合うことを一度でもしていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないと他人のケースを見ていて思うことがある。

「向き合う」ってどういうことだろう。
相手がどういう考え方をして、どういう行動をして、どんなことが嫌で、どんなことが好きで、どういう息遣いをして。
そんなことをひとつひとつ知っていくことだと思う。

自分には、明らかに「知ること」が欠けていた。
互いにアプローチの仕方が違いすぎて、ぶつかりあうだけでギクシャクして、互いにショックを受けていた。
どうすればいいのかわからなくなっていた。

未熟すぎて、話にならない。
今はそんな未熟な自分のそばに置いておくのが、とても危険に感じている。
どうしたら楽になれるのか、その人間を突き放すことばかり考えている。

体そのものが拒否反応を示すほどの状態が、はっきりと現実を物語っている。
ひどいことをしたと思っている。
でもその反面、苦しんで、よく考えて欲しいとも思っている。

人には生きている限り未来がある。
自分のことをよく考え、相手のことをよく考え、苦しみ悩みもがかなければならない必要が、人生にはある。
一度でもそれをやっておかなければ、万が一の時に、人を不幸にする。
生きている限り未来があるからこそ、苦しんで欲しい。
今のままで終わって欲しくない。

その人とは、この先深い接点がでるのかどうかはわからない。
力になれるものなら、力になってあげたい。
いつだって自分はそうやって生きてきた。

幸の多い人生を心から望んで止まない。
「生きていって」欲しいと思う。

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10/27

Tue

2009

「愛」を語ったエゴ

友達からきついことを言われ、はっとした。

「愛情だと語って実は自分の負担を減らすためにしているだけのエゴ」

占いの本に書いてあったらしい。

正直堪えた。
自分は「偽善」を押し付けていたのではないか、と。

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10/26

Mon

2009

アメリカに二ヶ月近く住んでいたことがある。
語学留学という形でホームステイしていた。
片言の英語で一生懸命生きていく。
それでも楽しかった。

ホームレスみたいな人も多かったりして、治安が悪そうなところは見た目でわかった。
ガラの悪そうなのがうろうろしているし、どことなく不安になる。
食文化にはさすがに高カロリーのものばかりで参ったけれど、日本にいるときと気分が違った。

なぜ、日本にいるとこれほどイラつくのだろうと感じたほどだった。

わりと田舎でのんびりしているところにいた。
カリフォルニア州のサンフランシスコに近い場所にいたのだが、LAやサンフランシスコみたいな都会でもない限り、だいたいのんびりしている。
州知事のいるサクラメントでさえ、日本の「都市」から想像できる人口密集のイメージとは程遠い。

留学期間最後が近づいて、少しはめを外した。
学校を無断欠席して、ラスベガスのあるネバダ州の北にある、リノという街にでかけた。
カジノというものを体験してみたくて行ったのだが、まず街を出ようにも列車が来ない。
それまでバスが待っても20分以上来ないことを何度か経験しているので、気持ちも「まあいいか。じたばたしても来ないものはしょうがない」というゆったりとした気持ちになっていた。
景色だって開けている。
空をぼんやり眺めていた。
払っても次の駅で待っている乗換えのバスに間に合わなければ、電車に乗っても無駄だろうとも思わなかった。
「行ってみなきゃわからないさ。とりあえず景色でも見ながら待つか」とぼんやりしているところに列車が遅れてくる。
乗り込んで、ゆられながら時計を一度見て、あとは景色を眺めていた。

バスの待っている駅に着くと、もうとっくにバスの出る時刻は過ぎているにもかかわらず、バスがきちんと待っていた。
バスも電車が遅れてくるのがわかっているので、しっかり待っていたというわけだ。
妙なところでうまくまとまっている。

ゆるくまとまる。
そんな余裕のあるのんびり生活が、自分のペースに合っていた。
本当にあの地では自由を感じていた。

アメリカにはところどころにストリートパフォーマーがいる。
路上で楽器を演奏するなり、芸を披露するなり、チップを目的に一日中いたりする。
モーテルに泊まる金額が安くて20ドルちょっと。
一日の食費が10ドルもあれば、おなかいっぱいになれる。
つまり、一日30ドルちょっとあれば、ぎりぎり生きていけそうな空気がある。
特に「チップ」や「楽しみ」に関しては文化がもともとあるので、「パフォーマー」たちを軽蔑するような空気はまったくない。

そこにいると「なんでもやってみればいいじゃん」という、楽な気持ちになれたし、自分もまた「やらなきゃしょうがないだろ」という気持ちになっていた。
日本語が通じず、片言の英語しかしゃべれない。
やっていかなきゃ生きていけない。
コミュニケーションも取れない。
不安に思ってしり込みする時間があったら、何か手を打たなきゃいけない。
でも切羽詰っているわけではなくて、「なんでもできそうだ」という自由な気持ちでいられた。

バスに乗って長い時間フリーウェイ(無料高速道路)を走る。
ネバダ州は乾燥した大地が多く、荒野が広がっていたりする。
白い岩肌に、乾燥した低木と、まばらに見える植物。
そんな山を越えていくと、今度は赤茶けた色の土が広がる。
空気も乾燥しているせいか、太陽が嫌に青みがかって見える。
雲の形も、煙を漂わせたような、日本では見られない形ばかりだ。
移動距離も長く、移動コストも安い。
どこまでもいけそうな雰囲気があって、どこに終着点があるのかもわからない。

カジノで稼ごうとは思わなかった。
素人だし、日本でパチンコもスロットも競馬もやったことのないような男がカジノに行くのだから、勝手がわからないに決まっている。
ただ、雰囲気を味わいたかった。

クレジットカードの限度額まで現金が引き出せる。
一日で見事に十万すって、帰りの時には1ドルとちょっとぐらいしかなかった。
ひどいものだった。
もう何も残ってない。
気持ちも荷物を全部おろしてしまったように軽々としていた。
帰る切符を先に買っておかなければ、帰れなかったレベル。

帰りのバスの中で同じような景色を見る。
荒野や岩肌を見ながら、妙にすっきりした気持ちでゆられる。
その時、カントリーミュージックのようなものがラジオから流れ出し、からっぽの心の中に妙に心地よく響いた。
何も持たず、何も背負わず、もう体ひとつで、長い道をひたすらゆくロードムービーのような、妙に透き通った気持ちになれた。

「自由」

何かを押し付けることでもない。
何かにせかされるわけでもない。
ただ、ありのままでいていいのだと、ありのままでいることが本当の自分なのだと、それが一番気持ちのいいことなんだと。

失っても、何も失った気がしない。

「また、やり直せばいいよ」

こうじゃなきゃいけないとか、ああしなきゃいけないとか、色々あるかもしれないけど、大丈夫、なんとかなるよ。

ふと、アメリカにいた頃の気持ちを昨日思い出した。
「自由な気持ち」を、思い返していた。

大丈夫。
なんとかなる。
自由な気持ちで、ちゃんと色んなものを優しく包んであげれば、全部うまくいくよ。

ふと、苦しくて辛くてふさがっていた気持ちが、妙に軽くなっていた。
もし辛くなったら、せめて気持ちだけでも、あの場所に戻ればいい。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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