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あさかぜさんは見た

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01/09

Sat

2010

ダラダラな生き方

デビュー当時、偶然発見して、それから唯一追っている作家さんがいる。
特にこれといって作家を決めて読むことがないだけに珍しい。

デビュー四年にしてスポーツ新聞の連載、雑誌への掲載など作家として忙しい日々を過ごしているだろうし、血のにじむような努力をしているのだと思う。
元から才能のあった人だと感じただけに、「ああ、この人は伸びるだろうな」と思っていたらメキメキ伸びてきた。
売れてからが地獄だけれど、うまく読者に媚びることもなく自分の路線を突き進むのではないかと多少心配ではあるが、今後の成長も楽しみな作家ではある。

名声への誘惑と作品は切り離せない地獄の葛藤だからね。
人間だから。



「ねえ、あなたは日々どうやってがんばって生きているの?」

と友達に聞かれ、

「何をおっしゃるのやら!私は毎日省エネモード、超低空飛行、めんどくさいめんどくさいとダラダラ過ごしながら、日々をいかに努力せずに生き抜くかという次元で生きている男ですよ!?」
と言ったら友達が笑っていた。



北野武氏が昔の番組で
「人間は努力しなきゃ泳げない。魚は努力しなくても泳げる。だってそれが自然の状態だもの。芸人は努力して泳ぐようだったらいけない。長嶋さんだって、あれバット振らなきゃ眠れないっていうじゃない。あれは努力じゃないだろ?だって振らなきゃ眠れないんだから。芸人の世界が厳しいなんて外から見てもわかる。でも上にのし上がればこれほどいいことないだろ。そんなのは最初からわかりきっていること。それをやっていけないから出て行って、また帰ってきてやりたいだなんて、そんなバカな話はない」
結局「芸をやる人間の覚悟」のことを言っているのだけれど、最もだと思った。
貧乏で食っていけないのは当たり前、才能を磨くための努力をするのは当たり前、でも芸人だったら努力して芸人やってるんだなんて他人に思わせるようなら失格。

芸の世界は自分の自己満足じゃなくて五感や直感を研ぎ澄まし、技術を常に練磨すること。
とはいえ、やっぱり活躍している人を見ると素直に「チクショウ、うらやましい」なんて思ったりする。

ついついよからぬ気持ちを抱いて、先ほど書いた作家さんのことも純粋に応援できなくなってしまう。
ああ、なんて気持ちが弱いのだろうなと、少し落ち込む。
特に読者からの反応が多かったとか書いていると、なぜかむっとする。
「何で自分のは反響がないんだ」と卑屈になってしまう。
自分は自分の書きたいのだけ書くって考えているのに、矛盾している。

ダラダラ生きたくてもどこか焦っている。
書いた瞬間欠点が見つかる。
矛盾ばかりでがっかりすることばかりだ。

しかし今年は妙なことに占いに「人の縁」が強く出ている。
この兆候は、恐ろしいほど強く出ているので、自分の運命が大きく変わるかもしれない暗示だ。
人を動かすのは結局は人。
どんなに一人でがんばっても大きなものは動かせない。
その結果、自分がようやく活躍できる。

誰にも到達できない場所へと軽々と行ってやりたい。
久しぶりに生き生きしている自分がいて嬉しい。

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01/05

Tue

2010

未来が楽しみですね

「私の夢は覚めることはない。私の目は見開いている。夢を見たいなら今すぐ何もかも忘れて楽になって眠ることだ。目をつむり、願い続けることで、望む夢は見れるのだから」



私は正直、直感だけを頼りに生きています。
そして、ろくでもない生き方をしていますし、これからも破天荒な生き方を選択していくでしょう。
ちょうど二十歳を過ぎた頃、高校生の時よりも感性が鈍っており、衝撃を受けました。

「このままではいずれ第六感的な、肌身で感じて体の中に堆積する、言葉では説明できない感覚がいずれ消えてしまう」

そんな危機感を覚えました。

感覚を残せているかどうかは不明ですが、論理に頼らず、少しでも違和感を覚えれば言葉を徹底的に排除して感覚だけを覚えておくようにしています。
そして、「自分の感覚」から再度論理を構築して言葉を吐きます。
言葉を吐いた上で自分に違和感があればまた崩します。
そんな繰り返しです。

「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」

これはウィキペディアから引用したピカソの言葉です。
私自身は「子供が子供らしい絵を描くことはたやすいが、大人が子供らしい絵を描くことは困難だ」という風に覚えていました。
たまに、この言葉を思い出します。

高校生の頃、あれだけ感受性豊かだった友人たちが、どうにも閉鎖的で、しかも感覚が鈍っている。
それを感じたとき、とても驚きました。
社会に出てから、それほど変化しない環境に馴染んでから、ほんの十年以内にそれほどまでに変貌してしまう。
社会人は数多くのことを学んでいると錯覚しがちですが、「好奇心」と「創造性」のない環境では、子供よりもむしろ頑固になっている。
だからと言って社会を責めるわけではない。
無論、使われるよりも人を従える立場にまわる人もいる。
しかし、突拍子もない、子供のような感受性を受け入れる組織というのは稀な例であると見ていいでしょう。

私が伝えたいことは、

「一度自分の才能を麻痺させてしまうと、それを取り戻すことは容易なことではない」

ということです。

何を目指したいのか、何をしなければいけないのか、その上で自分の中に何を育てて何を捨ててしまってはいけないのか、それをじっくり考え、悩まなければいけません。

人と関ることは非常に難しい。
思い通りにならないし、欲を押し付けられ、また自分も押し付ける中で、自分を殺していったりしなければならない時もたくさんある。
利害関係が強く前面に出るこの社会での人間関係の中で心から「ありがとう」と言われることは少ない。
己に勝っていかなければ、甘さを見抜かれるし、自分のために動けば人は外見上「利己的な人間」だと安易に判断されるでしょう。
その上での苦しみはたくさんある。

人は無力なものです。
たった一人では非常に無力です。
自分の力を過信しすぎてはいけないし、一欠けらでも蔑んではいけない。
自らを尊重するということは、傲慢にならず、等身大の自分を偽りなく見つけていくということです。
よき人は、そんな人に惹かれていくものです。
そうすればよい人たちが、たくさんの力を与えてくれることでしょう。

人の心に触れるのが怖いのはきっと誰でも一緒です。
傷つけてしまうのではないか、不愉快にさせるのではないかという不安が行動を億劫にさせます。
あらゆる意味で「行動の勇気と覚悟」が問われることになるでしょう。
たとえそれが「相手がこのままではダメになってしまう」と思うからこその親切心を発揮しても理不尽な形で裏切られることも少なくはないでしょう。

人には、「時期」があります。
たとえ30でも40でも、年齢関係なく子供みたいな人間はいます。
一生自分の過ちに気がつかない人もいれば、ある日突然雷に打たれたように悟ったり、痛い目を見て徐々に知っていく人もいます。
そのタイミングは本人にも他人にもわからないし、理解しそうもないことを何度も念押しに言っても理解されないことがほとんどです。
それゆえに理不尽な事態になったり、「当然」と思っていることも軽々と裏切られることになるでしょう。

私はお話を書いていますが、お話の中ではなるべく他人同士が「理解しあう瞬間」や「理解しあえない理由」をあぶりだして書くようにしています。
それは、「お話なればこそ」です。
しかし、ごくごく平凡な例を、ごくごく普通に肯定して現実を書くならば、他人同士は理解しあえないということをとことん書くかもしれない。
環境も年齢も違えば大事なところで分かり合えないし、分かったふりを互いにするだけです。
だからこそ向き合ってぶつかり合わなければいけないし、時には「時期」ではない時は諦めることも必要になるかもしれません。
そして明らかによからぬ意識を持っている人間に対して、うまくかわしていく術も必要になるでしょう。
非難を加えるのではなく、あくまでかわす。
その上で自分がなすべき最低限のことはする。
その先の不徳はあちらの問題になります。
自分は確かに正しいことをしている。
そういう自負心があれば、他人の反応など問題ではないのです。
他者の反応は恐ろしく、つい過敏に察知し、その邪念を心に映し、清らかな心を持っているほうが間違っているのではないかと思わせるような大人は社会には数多くいます。
自分の親のような年齢の人間でさえ、より狡猾に立ち回り、子供よりも姑息な手段で威圧的に人の心を潰しにかかることはよくあることです。
私だって、納得のいかないものを「なぜ!?」「なぜ!?」と攻撃的にやり込めることはあります。
相手が傷ついていると知っていても。
でも、おかしいと思ったり間違っていると感じたことは曲げたくはない。
時にそれは確執を生むとわかっていてもです。

自分が媚びればよいのだろうか。
自分の気持ちは押し殺して相手を認めれば機嫌がよくなって今まで通りのやりとりができるけれど、本当にそれでいいのか。
もう関らないほうがいいのだろうか。
二度と前のように互いの価値観を交換し合って話し合うことはできないのだろうか。
どうしてこうも変わったのか、変わったのは自分か、相手か、両方か。
以前と比べてまるで別人に見える。
同じ人間だとは思えないほどの価値観の変わりよう、視野の変化。
自分のほうが悪いのか。
何かがおかしい。
でもそれをうまく言葉にできない。
伝えても伝わらない。
伝えたら逆に切れられた。
自分は間違ったことは伝えていない。
だから気がついて欲しい。
今のあなたはおかしいのに。
しかし逆に自分の思いばかりを伝えて相手の気持ちを知ろうとしていないのは自分なのではないか。
自分のやり方がいけないから相手は自分をけなすのではないか。
それよりも、もう二度と関らなければいいのではないか。
そのほうがもういいではないか。

去年の後半はそんな思いにかられることがたくさんありました。

私は人間のことを短い期間では捉えないようにしました。
それは私がろくでもない人生を歩んでいるから。
そして自分なりに少しずつ昔よりかはよくなってきているのではないかと思うから。
期限を守らない人間です。
約束を守れない人間です。
それでも、待ってくれている人がいるし、信じてくれている人がいる。
裏切った人もたくさんいるし、利用した人もたくさんいる。
小さなことをつつけば、生きていて申し訳ないような人生を過ごしている。
それでも、少しずつ変わってこれた。
そんな自分への思いがあるから、他人のことも変わるんだと信じたい。
自分への甘さから、他人への思いやりになるとは非難に値することかもしれない。

人の絆もまた、短い期間では量ることができない。
変な話、10年後にわかりあえるかもしれない。そんな可能性だってある。
他人を思い通りにすることはできない。
何も役に立ってない。ただ相手を怒らせて傷つけただけだと無力感に打ちのめされ、相手に与えられた衝撃に何もかも放棄したい悔しさにかられることだってある。
人は強くはない。
でも強くあろうとすることはできる。
傷ついても、汚れても、這ってでも前に進む勇気があれば、必ずほほ笑んでくれる人は出てくる。

苦しもう。
悲しもう。
人を救おうとすることは、本当に辛いことです。
途中で投げ出して裏切ったと言われることだってあるのです。
だから、覚悟しなければいけない。
その中で覚えていてくれる人はいる。
人の絆とは、魂の中にある。
思いをぶつけるだけではどうにもならないのは、まだ自分の身がかわいいと守りに入っているからかもしれない。
どんな綺麗事言っても、泥臭さが感じられないのは、所詮美談を脚色して語っているに過ぎない。
生身で傷つく覚悟がないと、人は救えない。

社会に出れば、ほとんどの人間は汚れます。
処世術という狡猾さと騙しあいの術を学びます。
それは悪い意味ではなく、どうしても自分の身を守るために、手段を学んでいかないといけない。
じゃなければ悪意のある人間にいとも簡単に騙されます。
金を取られたり、地位を奪われたり、手柄を奪われたり、女性の場合は犯されたりもする。

子供のような純粋さを持ち続けることは難しい。
子供のような感受性を持ち続けることは苦しい。

それでも、魂を尊く持ち続けることだけは諦めてほしくない。
一度捨ててしまえば、取り戻すことは非常に困難だからです。

生きている限り、どんなに失意の底に落ちても、未来はある。
だからこそ希望はある。
自分の可能性というものを強く信じて欲しいと願っています。
そして私も自分を信じて、私の出現を待っている人たちのために、世に出たい。

絆は、消えることはないでしょう。
望み続ける限り。
私も今は連絡していなくても待ってくれている人の存在を信じることがで。
そんな存在がたくさんできれば、人生を力強く歩んでいけると思います。

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12/28

Mon

2009

亀が何に脱皮したのか、随分と偉いものになったようです。

陛下も何かとご心労の多いことかとは思いますが、現天皇陛下が何をお考えになられて、どのような不安や心配を抱かれているのかということは個人的にとても興味があります。

園遊会のような大勢いる場所ではなく、個室でじっくりと伺いたいものです。

多くのものを見聞きし、その肌で感じた上での日本への想いというものを知りたい。
どれだけ有名になれば陛下に、しかも個室で面会できるようになるのだろう。

命には限りがあるし、早くそこまでいければなとは思うけれど、なかなか思うとおりにいかないからなぁ…
何かを当然お考えになっているのだろうけれど、それを公言できない立場なだけに、計り知れないご苦労があるのだろう。

知りたいな。知りたいな。

きっと自分の血肉になる言葉があるに違いないのだろうけれど。

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12/20

Sun

2009

俺はね、本当においしい酒を飲みたいだけなんだよ。

「俺が救ったんだ。俺が生きていれたから、あの人を救えたんだ」

そう人生の中でたったひとつ自負できることがあれば、俺はその先の人生をきっと笑って生きていける。
その時に飲む酒は、きっとおいしいに違いない。

生きがいを求めて生きていく。
生きようとする理由を見つけて生きていく。

そうでもしなければ、この世界で廃人となるしかないんだ。


P.S.

汝の痛みを我に与えよ。
我は汝の命を背負うもの也。
汝の心を我に問いかけよ。
我は汝の心の鏡也。

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12/13

Sun

2009

愚かさと向き合うのが人生

いつだって愚かな自分と向き合わなければいけない。
さもなければ、人生の半分は否定していることになる。

環境を変えることは難しい。
過去を変えることは不可能だ。

「もっと気楽に生きればいいのに」

未来に不安を持つことは愚かだ。
なぜならば起こってもいないことで今を損しているからだ。
だが未来に予想できることで後悔することは愚かだ。
どれだけ自らの人生を放棄してきたかがよくわかる。

人は一生愚かなままではない。
愚かだと思えないものが最後まで自らの愚かさで人生を奪っていく。

気楽に生きればいい?
そんな軽い言葉に憤りを覚えることがある。
互いの人生に介入させない他人同士が深い絆をもてるはずがない。
愚かしいことだ。

苦しみに固執する必要はない。
だが、感情を自由に操れるのなら他人に苦しめられることもない。
操れないから、固執してしまう。苦しむ。

ありのままの自分を否定してはいけない。
しかしそれは自らを無視することと同意ではない。
つまりは、すべて認めたうえで、何をするべきか何をされているのかを見つめていかなければいけない。

自分が勘違いをしているのかは、自分で気がつかなければいけない。
過ちを悟るのは自分。
正しいものを見つけるのも自分。
他人は時として「錯覚」をしている人間に対して無力だ。
過ちは、すべての結果を見て初めて理解する。
いつも人は愚かしい。

前に進もうとする人は今の自分を突き破ろうとする人。
今に留まろうとする人は常に現状維持に努めて進歩はしない人。
前者には努力が必要で、後者には言い訳が必要になる。
どちらも努力だし、変わろうとしないこともある意味よいかもしれないが、自分の悪いこともそのまま残していることに気がつかなければいけない。
それは人生での環境を常に「自分にとって都合のいい状態」にしないといけない。
新しい環境を得ることができないし新しい考え方もできない。
自分にとって都合のよい状態と都合のいい言い訳を常に用意していなければいけない。

人間性を否定するわけではない。
少なくとも人は「一人では生きてはいない」。
一人では生きていけるかもしれないが、現代社会では正確には一人で生きていけないし、もっと言えば「一人で生きれない社会システム」になっている。
衣食住を考えてみればいい。

人一人の力は非常に大きい。
今はどんなに迷惑をかけている人間であったとしても。
もし「自分なんていないほうがいい」と思っている人間が、周囲の存在に気がついて、その人たちを大事に思い、たった一人の人でもいい、真剣に思えたのなら、それは大きな大きな力になる。

人は生きるために消費を繰り返している。
だからこそ人は人生の中で創造しなきゃいけない。
消費するだけなのなら、人類はこの地球上には存在しなくていいだろう。
他の動物とは違うのは、創造ができるからだ。
他の動物には真似できないものを創造できる。

それが、人の力だと信じている。

現状に常に流され、意思のない人間が育ってきている。
私はこんな時代の流れに危惧しているし、「尊重」の言葉を掲げつつ「傲慢」を押し付ける人たちに非常に傷つけられもしている。

人は理由付けをする。
ネガティブなものでもポジティブなものでも「自らの心情を立証するための証拠」を待っているし、それをかき集めようとする。
不思議なことだと思う。
結果一つとってもたとえば「だからそうなるでしょ」と捉えるのと「何がいけなかったのか、またやり直して見つめなおすしかない」と捉えるのとでは違う。
心は、「心を形作るための現象や証拠を集めている」
時代や歴史も、これが作り上げる。
もちろん人生も。

一人では抜け出られない時だってたくさんあると思う。
だからこその他人だし、信じれる他人の存在は大きい。
甘えたら、誰かをその分助ければいい。
そういう気持ちが少しでも芽生えるのなら、人生はまだ捨てたものではないと思う。

生きて欲しいと、思っている。
よりよく、創造していって欲しいと願っている。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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