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あさかぜさんは見た

リクエスト何かあれば「comment」に書いてください。「note」「Paboo」で小説作品読めます。

04/17

Sat

2010

ついったーでのつぶやき

いろいろな人のつぶやきを見ながら、いろいろなことを考えるようになって、とても刺激を受けているけれど、自分の腕のなさや見識のなさは自分でも呆れるくらいで、つくづく低いレベルであれこれやっていた自分をとても恥ずかしいと思いながらも、「ま、やるしかないし。今更恥ずかしいも何もないし」という気持ちで押し切りながら、ここ三ヶ月ほど勉強させてもらっている。
自分がどれだけいろんなものに関心がなかったかも余計にわかって、逆に食いつくようにして色々な人の思考を追っている。
ずっとやりたかったのは、こういう人間のダイナミックな感情の流れを把握することにあった。
携帯を変えてちょっと便利になってツイッターをやり始めた程度でこれだけ意識が変わるとは思ってもいなかった。
時折はっとするような優れた言い回しなどを見ていると、悔しいと思う。
自分の非力さを逆に呪う。

「言葉で世界が変わるか」

野心のある作家ならばどこかにこの言葉は頭に浮かぶ。
そしてその野心ゆえに精神がボロボロになったり最悪の場合は死んでしまうこともある。
はたから見たら「ただの自殺」にしか過ぎないくだらない事情の中には「ゼロから有を生み出す精神活動」がある。
その中身は当然誰も知らない。
常に当事者ではない限り、作った作品や発した言葉を通じて何を感じ何を考えたのかを受け取るしか方法はない。
そしてちょっとしたことで影響を受けて精神が変化することもある。
人は自分で思っているほど自分のことは理解していないし、どのような精神活動をしているか、はっきりと追っているものはほぼいない。
だからこそ「芸術家の自殺」を簡略化して理解しようとする。
精神的な把握をする人間はだいたい芸術関係に携わっている人が多い。
音楽家や俳優や作家、陶芸家、絵師、先鋭的な建築家などなど。
こういう人たちは「余計なノイズ」を嫌う。
「余計なノイズ」とは「人」。
人から影響を受けるのは当たり前なのだが、諸刃の剣でもある。
よい影響だけ受けるわけではないし醜い感情も受けていかなきゃいけない。
当然自分の中からくるものもある。

正直、心の底の泥をすくっていく作業はハンパなく時間がかかる。
たった5秒の出来事でもあるのに、浄化するのに2時間以上とか。
当然自分から湧き出たよくない感情ではあるけれど、なぜにこうまでやっかいなのかわからない。

思ったことをつぶやけるのは便利だ。
手軽だし残せる。
とりあえずつぶやいてはいるものの、将来自分の言葉を否定するときも来るかもしれない。
それもまた楽しみではある。

人と人とが繋がり進歩していくのはとても楽しい。
新しいことやり始めないとという気持ちにさせてくれる。

人は自分の考えを肯定してくれるものだけ集めると、だんだんと排他的になる。
気をつけて自分と相反するものも観察していかないと、どこかで狂ってしまう。
よい意味でのブレインミックス。

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04/09

Fri

2010

痩せてきた2 歩くことは大事

何せずっと引きこもりで1日10時間以上もパソコンの前に張り付いて色々読んだり書いたりしている生活を続けていると当然のごとく歩く歩数がひどい時で食卓とバスルームぐらいの往復程度にしかなってない時がある。

「歩くと足の血流が良くなり血を上に押し上げる力が強くなります」

との言葉を発見し、思い出したらなるべく歩こうと今ここに書いて覚えておこうというわけです。

痩せ具合のほうは残念ながら横ばい状態。
やっぱりイラつくことがあって酒飲んだりしてしまいます。
マイナス3キロを維持している。
ビリー隊長とも仲良く無理せず付き合っている。
ビリーズブートキャンプは4巻あり、一番きついのが1巻めなのだけれど、それを1日おき、もしくは2日3日やって1日休むという具合でやっている。
ちょっとずつは長続きできるようにしているけれど、体つきもほんのちょっとだけ変わってきたっぽい。

続けられる気力というのもひとつの技術だけど、続けられるように工夫するのもひとつの技術だということがわかった。
飽き性ですぐにやめてしまう自分にとって一ヶ月続いているというのはなかなかのものです。
ちなみに黒酢を飲みながらがんばっております。
これを飲むと「めちゃくちゃ」が「ちょっと」だるいになる。
疲れづらくなるのは自分で実証済み。
酸っぱいから飲めない人はサプリがいいかも。
今は色々な味の酢があってジュースみたいで面白かったりもする。
マンゴーなのバナナなの。

カロリーをとり過ぎずに血圧などがなるべく激しく上下しないように体調管理するのも大事だけど、改めて歩くことの大事さが、引きこもりだとわかります。
30分でも歩くと寝つきがよいことに気がつきました。
目覚めもよかったりする。
さすがにストレスなどがあったりすると寝付きも寝起きも悪かったりするのですが、最近は好きな音楽をヘッドフォンで聞きながら大の字になり、全身の力を抜いて音楽の世界にトリップし、無心になるという技も身につけました。
携帯が防水のおかげで半身欲も楽しい。
全身の余計な力が抜けると、人生への余分な力みも抜けてほどよい力加減で生きていけそうな気にもなってくる。

最近は食についても色々考える。
何せカロリー取りすぎだと努力が水の泡なので減らないにしろ、絶対に増やしてはならんという意気込みでがんばっているものだから、まんべんなく栄養を取るということにも気をつけている。
栄養が偏るとやっぱり「何か欲しい」感が抜けない。
あいかわらずよく噛まない癖は直らないけれど。

だいたいアイディアっていうのは歩いているときに結構浮かんだりします。
何かの信託のようにふっと降りてくるのですね。

タモリさんが元気なうちに「世にも奇妙な物語」の映画版原案自分で作っちゃいたいなとか、早く名前が売れて有名になってニッカウィスキーにアプローチしてイギリスにまで飛んで小説の取材したいなとか、携帯版朗読小説まとめないととか、ファンタジー小説ちょっとずつ書いていかないととか、ああホラーもあったし、とにかく色々やりたいことがありすぎて逆にやる気なくす(笑)。
この辺の集中力散漫なところも直さないといけないのに。
などと思いながら歩いていると勝手に独り言が多くなり、いかにも不審者そのものであります。

寺山修司は生涯を通して「ひとつの疑問符」であり続けたけれど、自分は「示唆的」なものでありたいな。
言いたいこと言って結論まで導くのなら大学の先生にでもなっちゃって論文書けば済む話が、わざわざ小説を書くのは結論を言いたいわけではなくて、あるひとつの側面を提起するためなのだから。

電子書籍の波が襲ってきている。
大手の出版社は旧体質から抜け出せずに自分たちの利益を守るのに必死。
経営のスリム化、既存の利益の確保、相変わらずの「消費思考」。
その影で人が犠牲になっている。
というより、もういいんだよ、きっと。
会社っていう場所に固執しなくても、悪い体質だと思ったら自分で新しいアイディア出して挑戦していかないと。

ずっと座っているのだから歩かないと。
自分の体を維持するのは大事。
体重の増えすぎは長い時間をかけて体に負担を強いる。
かといって運動のしすぎは逆に体を壊す。
健康であるということは体内のバランスを維持するということだ。
体を維持させるということは、全身の筋肉をまんべんなく使い、摂取するものが隔たることのないよう気を配る。
好きなものばかりを食べない。
嫌いなものはうまく調理する方法を学ぶ。
「利益」と「消費」。
ゆるやかに循環するのはよいかもしれないけれど、体で考えるととっくの昔に壊れてもいいほどの激しさで循環している。

これからはもっと自分の体と対話しながら色んなものを考え直していこうと思った春の1日。
まずは歩き出そう。

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04/07

Wed

2010

「食べる」ということ

http://www.dailymotion.com/video/x5ph7g

このリンク先には鳥、牛、豚がどのようにさばかれているかの映像があります。
見たい人は覚悟して見てください。

「食肉って工業製品なんだね」と言っていた人がいた。
「もうお肉食べられない」と。

実はうちの父親の子供の頃の家の隣に鶏が飼われていて、それをそのままさばいて食べる様子を見ていたそうなので父も父の妹も鶏肉があまり食べられない。
特に父の妹はまったく食べられない。

現在現代人は自然界の「食われる」という事情からとことん解放されている。
そして人口が増えて「食う」事情だけがとことん肥大化してきているわけだ。

これを見て初めて肉を食べることを考える大人をとても不思議に思うところがある。
どうしてそんな簡単なことも想像できないで生きてこれたのだろうと。
私は極端なベジタリアンみたいに「動物がかわいそうだから食べないでいましょう」と言うつもりはない。
「食べられるものが選べて、私たちは草も肉も選んで食べられる環境がある。私たちはそれに感謝すべきで、それ以上でもそれ以下でもない」
結局は荒野に生きていたら草食よりもやや肉食に傾きだすかもしれないのだ。
また森林に生きていたら肉よりも木の実などで補えるようになるだろう。
人間の食は環境に左右される。
上記のようなことを言ったら肉反対派は「痛み」のことを言ってたっけ。
草は痛みを感じないから、食べるけど動物は痛みを感じる。
爪を切るのと肉を切るのとでは違うでしょって言ってたような人がいたな。
でも、正直そんなこと「人間の科学が証明している」範囲程度の理屈でしかすぎなく、また「食のスタイルが選べる」からであって、実際のところ「植物が『痛み』を感じるかどうか」は人類はまだ証明していない。
ただ「動物に見られるような神経組織が見られない」という程度でしょ?
植物にとっての痛みもまた人間とは違うかもしれないしね。
昔から人間は食べられそうなものはなんでも挑戦してきたはずだし、その延長線上に「肉の工業化」があったわけで肉食の歴史が莫大な人口増加に対応するために行き着くところまで行き着いたということも言える。

そして最も重要な点は現代人は「自分に都合の悪いものをとことん排除し選択していける環境を整えている」という現実だ。
この「肉の工業化」もそう。
我々は昔なら当然見ていたような「生き物を殺して食べる」という事情をまったく意識しなくても肉が食えるようになった。
スーパーなどのクレームでもおかしなものがあったりする。
貝が砂をかんでいて食べられなかったとか、ゼリーを夏にお供えしていたら突然爆発したとか。
ここまで「自然現象とかけ離れて生きている」現代人というものの存在を不思議に思うことがあるわけです。
そしてその延長線上で「不都合なものをとことん排除していく」という傲慢にも繋がっている。

この肉に関してもひとつのテクニックがあるわけです。
どこが食べられるとか、どういう風にさばいていくのかとか、肉と内臓の処理の仕方、すべてが技術なわけで、「肉食いたいならお前がやれよ」と言われても、どうやればいいのか戸惑う。
刃物ひとつにしても研ぎ方がわからないし、どんな刃物を使って肉を解体すればいいのかもわからない。
文字通り専門職があったのは納得できる話だ。
そしてその専門職の人たちがいるから、はじめて食卓まで肉が届けられるわけだ。
当然口にする肉は飼育されて殺された上で食べれるように加工されている。
そんな当たり前のことを考えなくても生きていける現代って少し異常とも言える。
そして挙句の果てには一度も命を食らっていることを意識せずとも死ねる整備された環境すらもある。

命を食らう、生きるってことは自分たちが思っているよりもシビアな事情がある。
だからこそ感謝しなきゃいけないし、残したら「もったいない」し、無駄にむさぼることがいかに下品であるかということを意識しないといけない。
本来は自然界に生きていれば人間も「食べられる」事情の中に組み込まれるけれど、どうやら今は人類の脅威と言えばウィルスと化学物質ぐらいしかない。

現代文明は「不都合なもの」をとことん意識・物質的に「分類」して構成していっている。
不都合なものを見なくてもいいように区分けしているのだ。
でも現実は見ても見なくても存在している。
この肉のように。

どうせ食べるならおいしく食べたほうがいい。
料理をするという文化があり、その犠牲をより感謝すべきものへと変えてくれる。
毎日に「ありがとう」が必要なのは、我々は命を食らって生きるという動物として当然の宿命から逃れられないからだ。
だからこそ「もったいない」という価値観も出てくる。

現代社会は常に「消費」という観点で動いている。
「もったいない」などという考え方は「貨幣の流通の妨げ」にもなりかねないだろう。
「消費」こそが「資本主義の基本」なのだろうか。
「消費」されたものに思いをはせることは「消費」ゆえに無駄なのだろうか。
私にはよくわからないけれど、「消費」という考えの影で犠牲にしているものがたくさんある。
まだ日本では三万以上もの自殺者が存在しているし、莫大な食料を輸入しているにも関わらず年間可食部分と見られている食料廃棄量(食品ロス)は500~900万トンと推測されている。
http://www.maff.go.jp/j/soushoku/recycle/syoku_loss/pdf/panf.pdf
(農林水産省:食品ロスの削減に向けて2009年3月)
消えていかなくてもいいものに対して「もったいないな」とは思わないのだろうか。

「もったいないな」
「もったいないお化け」って昔いたけど今なら笑われそう。
「食べる」という現実を見つめるということは「生きる」という現実を見つめることでもある。
都合の悪いものがたくさんあってはじめて成り立っている現代社会だということを忘れてはいけない。
自分の都合のよいものだけで社会は構成されている・していけると思っていたら大きな過ちだ。

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04/03

Sat

2010

恋は人を詩人にする

使い古された言葉だ。
だからと言って当事者にとってその言葉は陳腐になるどころかよりいっそう輝きだす。
はたから見たら、どんなに常軌を逸していても、恋に落ちたものを止める術はない。

恋をしている人がいる。
文章を書く人で、ブログも書いている。
去年の末からだから、結構進んでいるだろうと思って見てみたら、まるでジュリエットだった。
月に向かい想い人への言葉が詩のようにすらすらと出てくる。
とても作為に満ちた文章が到達できない次元の文章を自然と書いている。
それを読むと、自分の文章がいかに稚拙で、いかに低次元かを思い知らされる。
人生に一度でも、あれほど燃え盛るような激情で切なく甘い香りに満ちた文章を書いたであろうか、いや、ないだろう。

一秒でさえも時間の重みを感じ、自分の心の艶やかさを歌い、世界は星空を流れる流星のように輝きだし、きらめきに満ち溢れて華となる。
想い人の大きな存在が体中に満ち、触れたひとつひとつを噛み痕のように肌に残し、いつまでも愛しく感じる。
たとえ月の光にかなわなくとも、願いを背負った流星の、尾の先にまで満ち溢れた祈りは、どんなに飾り立てた言葉さえもかなわず、宝石と灰のような絶対的な差であり続けるだろう。
装飾することがいかにくだらなく見えてくるか。

それだけ人に全身全霊をかけられることを、心からうらやましく思う。
同時に、自分がその域にまで達していないことに、作家失格のレッテルを貼られても何一つ反論はできないだろう。

私も昔愛されたことがあった。
わけありの人に。
でもそんなことはどうでもよかった。
猛烈に、愛された。
今も生きていればきっと私のことを考えていると断言できる。
しかし私はその人と同じように、それ以上に愛していただろうか。
愛していたつもりだった。
時間が過ぎ去った今となっては、自信がない。
凄い人だった。当時精神的にも使い物にならなかった自分に献身的に尽くしてくれた。
私の作るものを愛してくれた。
私の作るものを名前を変えても見抜く人だった。
あんなに愛されたことはなかった。

文章を書くのも、その人の願いがこもっているから続けている。
それに信じてくれた人が正しかったことを証明するためにも続けている。
売れないから、食べていけないから。
そんな都合でやめてしまったら、自分も他人も裏切ることになる。
それは人生においてとても悲惨なことだから、もう繰り返したくない。

恋をするその人を、うらやましく思う。
自分を信じきっている。心から、疑いなく、純粋に確信している。
自分は恋をしている。自分がどんな状態にいようと、この気持ちだけは真実。
止められない衝動がありとあらゆる魂の泥をそぎ落として輝かせている。
素敵なことだと思う。

私も恋をするような情熱で人と向き合わないといけない。
それができなければ、作家になる資格すらもない。
ブログを書いているその人が次に私の元に訪れる時きっと別の目で私を見るようになるのかな。
未来には、いつも、輝かしいものが待っている。
そう思って生きていきたい。

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04/02

Fri

2010

スーパーにいけば当然のように安く買える。
おでんの中には必ずといっていいほど入っている。
ルパン三世の五右衛門の斬鉄剣で切れないぷるぷるのあやつ。

さて、このこんにゃく。糸山こんにゃくん。ふむ、これだけで芸名になる。深い意味はない。
チャーミングな名前とは裏腹に、こんにゃくのもととなる、こんにゃくいもはシュウ酸カルシウムという物質を多分に含んでいてそのまま食べたりすると口の中や肌がかぶれる。
また粉末が眼に入っても大変危険であり、素手で掴むことは厳禁である。サトイモ以上の惨事になる。
いわゆる、毒物。
とにかくシュウ酸カルシウムという存在がわからなくとも、誰かがそれを食べれば「これは食べられない」と苦しむ姿を見ることになるので、まず食べようとは思わないはずだ。
それなのになぜ、なぜ昔の人はこれを食べようと思ったのか。
そもそもあく抜きになんでわらの灰を混ぜようと思ったのか。
どうしてそれであくが抜けることを見つけられたのか。
混ぜないだろ。普通。灰混ぜたら食べないだろ普通。
しかし炭を食べる原住民がいて、その原住民が住んでいるジャングルの一部のサルは同じように炭を食べる珍しい習性があるとテレビでやっていたのを見たことがある。塩分補給のためらしい。
それはあまりの空腹に耐えかねて食べてみたのだろうか。
それにしても灰は食べようとは思わないだろう。
偶然混ざっちゃったのか、それとも混ぜてみたのかはわからない。
突然の山火事にこんにゃくいもが灰の中に埋まり、周囲は灰だらけ、どうしようお腹すいた、何も食うものない、掘ってみようか、まだ埋まってるかも、と奇跡的に掘り起こされて放置されたものが、「あれ?なにこれ?食えんじゃん」となったのかどうかはわからない。
こんにゃくいもは縄文時代頃に来日しおって、平安のころから食べられたのではという説があるらしい。
考えれば考えるほど「こんにゃくをどうして食べようと思ったのか」は謎である。
最初は「医薬用」として使われていたようだ。
渡ってきた当初どういう使われ方をされたかはわからないが、戦国春秋時代の頃には文献が残っているみたい。

織田信長時代の名医、曲直瀬(まなせ)道三(1505~94)の著書「宜禁本草」には、悪性のできもの、中風などに効能があると記されており…
株式会社若草食品
「辛く寒にして毒あり、つき砕き、灰汁で煮て餅をつくり、五味で調味して食べれば、消渇に主効あり生は人の喉をさし血を出す。よう腫(悪性のできもの)、風毒(中風)に主効あり、腫上を摩しつづければ腸風治る」
こんにゃく雑学
とある。
生は人の喉をさし血を出すって、やっぱり挑戦者たちの亡骸がこんにゃくいもの影にごろごろしているのね。


結構日本の昔懐かしい食べ物の中にはあく抜きの工程を何度もして、がっつりあくを抜かないと食べられないものがある。
山菜のワラビとかトチ餅のトチの実とか。
まさに先人たちの汗と努力と犠牲の結晶なのだ。


納豆だって最初誰がどう見ても「腐ってやがる!遅すぎたんだ!」と思うはず。
とりあえず毒味をしてみた第一号に敬意を表したい。そして「これは食えるんだって!まじで!」と言いふらした人の勇気にも敬意を表したい。
またこの納豆、現在では糸引き納豆のことを納豆と呼んでいるが、それがなかった時代は麹(こうじ)菌を使った塩辛納豆が主流だったらしい。
糸引き納豆はご存知のとおり納豆菌である。
日本では700年ごろに僧が伝えたそうですが、糸引き納豆の起源は不明なそうな。
どうやらこの後に出現したらしいということはわかっているけれど「いつ」なのかは不明。
まあ「食えんじゃん。これ」って気がついた人が徐々に増えていって一般化したのかもしれない。
日本の糸引き納豆は日本にしか見られない伝統的食べ物らしい。
納豆の歴史について(納豆学会)
その当時としては「ゲテモノ」扱いされていた糸引き納豆。
さすがにこれは死者は出ないだろうが「食ってます」というだけでドン引きされたに違いない。

こう考えていくと食文化とはちょっとした「命を懸けた戦い」でもあったことが予想できる。
きのこだって危ないものが多いにも関わらず、食べられるものと食べられないものを分別できるのは、数多くの犠牲があったからに他ならない。
「とりあえず、これ食えんのか?でもおいしそうな色しているし、香りもするし、迷うな。よし、食ってみようじゃないか!」
そんな自問自答を繰り返した無駄に空腹な勇者が何人も散っていったに違いないのだ。

そういう意味では我々の食卓にはほぼ間違いなく食べられるものが並べられる。
変な料理オンチの手で無残な残骸とされない限りは食べてもお腹を壊すことはない。

「こんにゃくいもで散っていったものたちよ…君たちの死は無駄にはしない…おやじ!こんにゃくもうふたつ!」
と、おでん屋でロマンに浸りながら注文するのもよいかもしれない。
結局謎は解明されないままだったという。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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