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あさかぜさんは見た

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03/16

Tue

2010

実は暴飲暴食で90キロまで増えていた。
酒を泥酔するほど飲んで、餓鬼のように食べ物を詰め込む。
そして吐く。
ストレスが溜まると過食ぎみになる。
過食症と言われるほど症状がひどくはないし、慢性的ではないので徐々にこの体重まで増えてきて「将来糖尿病で死ぬのではないか」と思うほどだった。

しかしとある精神的なショックから今度は食べることに嫌悪感を催すようになり、あまり食べたくなくなった。
物を口にすると不愉快になって気分が落ち込む。
そんなこんなで友達が送ってくれた豆乳おからクッキーを間食しながら、以前の三分の一くらいの量しか口にしなくなったのだが、10日で3キロ落ちている。
単純計算して低く見積もったとしても、この調子だと6キロは1ヶ月で減りそう。

さすがにこれだけの短期間で体重が落ちると、少々めまいがする。
痩せてきたのはよいことだし、このまま筋肉つけずに痩せるのもどうかと思うので、またビリー隊長にお世話になることにした。
無理せず2日に1度のペースでやっているが、どうせ痩せるなら70キロぐらいまで落としたい。
急激に痩せるとよくないみたいだけれど、物をあまり口にしたくないし、食べると気分も悪くなるのでちょうどいいかなと思っている。

こういう水を大量摂取する生活をしていると「塩」の大切さがわかる。
何か足りないなと思ってトマトケチャップを舐めるとちょっと落ち着くし、中華スープなどを作って飲むと「足りない感」がなくなる。
味噌汁なども塩分があるので大事。

現代では塩分や油、糖分などを多量摂取し、食物繊維が足りない食習慣が蔓延しているけれど、改めてそれらの少ない生活をすると、大切さがわかる。

胃も小さくなってきていて、お腹に入る量も少なくなってきているし、一口の量でもよく味わって食べることにしている。
よく噛むことによって甘みもわかるし、食材本来のうまみもわかる。
ちなみにスーパーで売っている野菜の「おいしさの限界」みたいなのもよくわかる。
食卓に上がる料理のほとんどは下手をすれば「調味料で味をごまかしている」のがわかる。
野菜の味が薄いのでしょうがない。
肉類も「どんどん太らせて出荷する」というのがよくわかる油の不自然な乗りよう。
脂分をあまり摂取していないと小さなハンバーグだけでも胸焼けを起こす。
フライパンの中は油を敷かなくてもミンチから出てきた油でハンバーグが埋まりそうな勢いだ。

現代人の舌は化学調味料になれきっていて、本来の薄味で食材本来のうまみを引き出す味付けはなかなか受けないらしい。
好きなものが好きなだけ食べられる食文化だし、おそらく若い世代にはずいぶんと偏食家も育ってきているように思う。
食材の季節感もまったく感じられなくなった。
命を食し、自然に感謝するという気持ちも薄れゆく世界で、今自分は別にダイエットしようと本気で思い立っているにも関わらず、精神上の理由から結果的にはダイエットをしている。

身近にありふれたものが当たり前だと思うような生活をしているし、人間の感覚は身近にありふれたものを「常識」として脳内を固めていく。
慣らされてしまった挙句、本来の感覚を失っていく。

本来食生活は「足りないものを補う」という目的があるゆえに、日本人は野菜を中心にして栄養バランスを考えてきたはず。
足りないから補うのであって、足りているものをなお補うのは少々違う。

贅肉だって本来あまり必要のないものだろうし、ほどよい脂肪分さえあれば、あとは出っ張ったお腹の脂肪なんていらないはずだ。
どれだけ飽食の中で日々の生活や日々の人々に感謝できているかといったら、一日一回しているかどうかも怪しい。

あらためてしみじみ食べ物を食べると、食べることのありがたみがわかる。
ありがたく思うからありがたく摂取できる。
こういうのは勉学だろうと人の成長だろうと同じことだと思う。

小さなころからの癖からよく味あわないで流し込むように食べる癖がついてしまったけれど、時間がなかったり精神的に落ち着いていなかったりするとそうなってしまう。
だからいまだにお腹が苦しいほどいっぱいにならないと「満腹感」というのがよくわからない体になってしまった。

正常な感覚を取り戻すのは都会生活の中では非常に難しい。
かといって、ギスギスした人間関係があればどこであろうと正常な心を持つことは難しいだろう。

小さな変化や小さなありがたみを見失った生活をしていて、改めて感じることがたくさんあった。
基本的に人間は「ほどよく飢えて」いたほうが、健全な感覚でいられるのかもしれないと思った。

さて、私の体重、どこまで減るやら。
高校の時にまで戻れたらいいなと思っている。

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03/12

Fri

2010

Anti-Rothschild Alliance<反ロスチャイルド同盟>
http://anti-rothschild.net/

ここに書いてあることがフィクションだとしても、ひとつだけすっと納得できるのが「お金を握れば人間を操ることは可能」「人間を操れれば国家を操ることも世界を操ることも可能」ということだ。
だって、お金ないと生活できない社会を完全に構築したわけだから。
事実生活に困って働くところがA社しかなくて、A社に逆らったら仕事を失うとなったら従うしか方法がなくなるからね。

でもある意味日本はこの支配からすっと脱却できるのではないかと楽天的に思っている。
なぜなら、日本は元々農耕を中心とした民族で、不思議とお金を絶対的中心にして動いてきた歴史はヨーロッパと比べてそれほど長くはないから。
問題は今の「お金」に執着するこの現代社会の人間たちが、執着心を捨てられるかということにかかっている。
贅沢の味を経験したら、なかなか難しいよね。
他人を蹴落としてでも自分が贅沢したいと思う。

たとえばお金をほぼ独占している組織があるとして、その支配下から脱却できる術があるとしたら、「隣人の幸福のために努力すること」だ。
世界のお金は共通貨幣に向けて動く可能性がある。
そのほうが「もちつもたれつ、寄られ寄りかかり」という体制が組みやすい。
そうなってくると余計に「金を独占している者」が支配者となりうるわけだけれど、「世界の理屈から反する」ことは効果的だと思う。

土に根ざした生活をし、自給自足を目指し、他人の成長のために努力し、微笑みかけられるような豊かな心を持った民族に戻って欲しいと思う。
本来の日本人の気質は、外見上貧しく見えても心の豊かさだけは失っていなかったのが最大の強みではなかっただろうか。
この従来の日本人気質と現代文明がうまく融合しないかということを考えている。

今や日本は天文学的な借金大国。
国家がなくなっても民は消えはしないが、「国民としてのアイデンティティー」を失った人間は、永遠に流民となるしかない。
まあ、他人種に迫害された屈辱の歴史がないだけに、他人種に差別的な目で見られる、あのじっとりとした嫌な感じはわからないだろう。
気概もない、民族としてのプライドもない、誇りもない、個人主義で成金主義という国家をこれから作っていってしまったらもう大変です。
というか、個人の問題なのだけどね。

欲におぼれれば何者かに付け入られる。
それが巧妙に生活とか未来とか権力とかが関わってくると、いつでも誰かに足元をすくわれることはこれから覚悟して生きていかないといけない。
人一人の力なんて限られている。
だからこそ手を取り合っていかないといけない。
利害関係のない関係。
それが案外少ないということに気がついて、気がついたら周りに誰もおらず寂しく死んでいくような無縁社会にしたつけは必ず自分に返ってくる。
現役のころが楽しければ老後のことなんてどうでもいいという人はしょうがないけれど。

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03/11

Thu

2010

東京都青少年健全育成条例

東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト
http://mitb.bufsiz.jp/

(追記:議事録もございますので、どうぞご参考に
都議会なんて飾りですか? - agehaメモhttp://d.hatena.ne.jp/ageha0/20100316/p1 )


またか、という感じですが、今回の規制はかなり厳しく、というか、かなり劣悪で、

「東京都当局が青少年に悪影響を及ぼすと判断した“不健全な作品”(いわゆる不健全図書)の販売を規制する」

これつまり、作った本人にまったくその意図がなくとも彼らが「不健全だ」と言えば不健全になるという、ひどい条例。
こういうのを「職権乱用」って言わないかな?事実上の検閲にあたり、憲法違反なのに。
軽く見ている人、「彼らの偏見」を甘く見ないほうがいいよ。

この規制、漫画、小説、写真、すべての創作物も対象になる。

そもそも東京都には「本社」を置く会社が多く、こんな規制が入れば根こそぎやられることになる。
つぶれる会社もたくさん出てくるだろう。
さっき思ったのが、これを拡大解釈すれば、東京都にサーバーを置いている会社にも監査が入るということだから、個人のブログも危ういのでは?

まず、ひどく隔たった条例であるのは、「青少年に悪影響を及ぼす」というのなら、
有害図書がないことで「まったく健全な状態になる」ことを立証しなきゃいけない。
つまり、反証が行われない限り、主張の正当性はない。

条例に対して反対することは、いわば「人道的見地に反した行動も認めかねない人間」と見られる危険性があるということだ。
そしりや誤解を避けるためにも条例制定の支持は「健全な青少年が育ってくれることを切に願っている」というメッセージにもなる。
また条例の内容はともかく、その正当性に反する良識などは存在しない。
この気持ちはある意味理性を失わせている。
また大変ステレオタイプなイメージと証拠が列挙されている可能性もあり、過去に存在したおぞましい犯罪事件の犯人の自宅に異様とも思われるようなコレクションがあり、その「オタク趣味」こそ「良識ある人間の理解不可能な趣味」であり「理解不可能であるゆえに、常軌を逸した精神状態を形成していった」ことが推測されるわけであり、ゆえに「忌まわしき凶行に及んだ」とイメージするのは、単純明快で納得しやすい。
だがそれは主観的なイメージとして納得しやすいものである。
確かにオタク趣味を強く持っている人間は独善的であることが多いが、「物」が「精神形成に影響を及ぼした」とは言い切れない。
「青少年に悪影響を及ぼしかねない」というのも極めて推測に近い。
推測で、規制ができるのだとしたら、これは大変なことだ。

日本国民は公共の福祉に反しない限り、自由の権利を保障されている。
そもそも「創作的表現」は、「直接の実行力」が何一つ存在しない。
このようなあいまいで主観的な条例が通るとしたら、将来どんな条例や、法案が通るかわからない。
そもそもこれが通ったら国会で通るのも時間の問題かと思う。

「まったく他者への物理的な行為ではない思想」を規制することになるわけだが、猥褻な表現のある創作物などを強制的に他者に押し付ければ犯罪だけれど、成人が個人で楽しむ分には何が問題あるのか。

カリフォルニア州ではIDを使って厳しく未成年の購入できないものを制限していたけれど、未成年者が購入、観覧できない区分をすれば済む話なのでは…TASPOのようなものじゃダメなのかな?

とにかく、どこから突っ込んでいいのか…違憲だらけ。

d.都民は児童ポルノをみだりに所持しない責務を有するとする児童ポルノ所持の違法化(第18条の6の4。ただし、罰則はなし)

e.児童ポルノを理由とした曖昧な定義に基づく東京都に対する保護者と事業者に対する指導・調査権限の付与(第18条の6の5)


事業者だけじゃなくて、保護者も調査権限に入れるって、どう捜査するの?これ、プライバシー侵すことにもなりかねないのでは?

この民主主義の国で専制的な政治が行われようとしている。
専制は国民の自由を憲法で保障したこの国から排除されなければならないのではないのか。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの


そもそも「健全な成長」とは、何を意味するのか。

本当に健全な精神を持っていたら、創作物なんかに影響はされず、きちんと自立した精神を持っている。
その精神の成長過程を問題視しているのだとすれば、どれだけ東京の風紀が乱れていると思っているのか。
「創作物」のせいとは必ずしもいえない環境や実態があるのは、歩けばすぐにわかる。
そして渋谷を歩いているような女子高生に生身で聞いていけばわかること。
都庁のあるお足元の新宿なんか巣窟だろう。

それに「分別」というものは、「創作物」によって養われるものではなく、「人とのコミュニケーションの中」で養われるものである。
もし「コミュニケーション環境形成」を無視し「創作物」に強く「精神の形成」への影響を見ているとしたら、これは考えとして隔たりすぎているにもほどがある。
携帯電話だってインターネットを使えないものを使わせたらいいのに。
少なくとも義務教育レベルでは携帯電話は必要なく、また携帯電話がなければ関係が崩れるのなら正常な人間関係を結んでいるとは言いがたい。
ちゃんと人間関係を結べる練習をするのにも学生の携帯電話はいらない。

児童ポルノ、小学生や中学生あたりに関する項目は、そりゃ性的搾取の対象として、健全な育成を促すために有害なものから保護するのはごもっともな話です。
が、しかし、そういう小さな子供を「性的な対象として興奮を覚える」人間は「嗜好」というよりも「未成熟さ」が原因のような気がいたします。
このような人間に対して「規制」がいかなる効果を発揮するのか。
「未成熟」なままであるのならば、問題解決には至らないのでは。
政治家たちや、人権団体の人間たちが心理的に納得し安心するだけの話で、問題の根は深く残り続けるということにもなりかねない。
おそらくこんな規制をしたところで「臭いものに蓋をした」だけの話になるだろう。

この実態と関係性を立証したとも言えないような主観的な条例が、そのまま通るのだとしたら、私は正直東京都民の良識を疑う。
いたるところに出てくる「知事」という言葉。
これは「知事の独断」でも可能、という解釈も含まれるのかね。
もしそうだとしたら児童ポルノよりも危険なのですけれど。

東京都民じゃなくても物凄く気になる条例です。

これ、追記でまったく関係ないことですけれど、
石原慎太郎氏は芥川賞の選考委員から外したほうがいい。
政治的な立場と選考委員としての立場が対立したとき、石原氏は必ず政治的な立場を優先させて選考の意見を述べることは明白だから。
文学賞の選考で、政治的な意図を介入させてはいけない。
しかも芥川賞は純文学に重みを置いているのでしょう。
なおさらです。
その意味では現在の彼は著しく不適格だ。
政治家をお辞めになられてからなら問題はないだろうが、それでも自分が行ってきた政治姿勢を覆すわけにはいかないだろうから、少々難のある選考をすることは間違いない。
高名な文芸評論家に代わっていただいたほうがよろしいのではないかと思う。

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03/07

Sun

2010

誰も信じないから、自分ひとりで信じることにした。
自分が自分を信じなければ、もう誰も信じようとはしないから。
それを何度も粉々に砕こうとする。
何度も何度も傷つけていく。

憎んでいるわけではない。
恨みもない。
いや、思い出すだけで瞬時に憎悪がはちきれそうになる。

ただ、殺したいと思う。
殺しのイメージが頭にちらつく。
心が耐え切れるかどうか不安になる時がある。
何かの拍子にやってしまいそうな自分がいる。

それをやれば何人もの人生が変わる。
だけど、あとのことはどうでもいい。
やれば自分の人生は終わる。
自分が退場するのに、残った人間ことなぞ知らない。

嫌っていたはずのものになった人間が、嫌っていたものに成り果てていた。
そしてそれをまた伝えようとしている。
自分もまた嫌ったものに成り下がっていくのだと思うと、生きていこうとする気力がなくなる。

郷愁は、思い出の中にあるからこそ輝くもの。
できることならば、永遠の思い出として、現実には二度と現れないで欲しい。
そして私はなんらかの方法で必ずそうするであろう。

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02/11

Thu

2010

軽度から重度まで、同じ「うつ病」なので、たとえばmixiなどで「うつ病」に関するニュースがあり、その関連記事が出てくると反応も様々である。

「甘え」と書いている人や、「理解してあげて欲しい」とか。
正直、他人の主観がぶつかり合っては解決すらもしないし、そして本人の神経の問題なので他人が理解することは難しい。

その中で薬のことをどうにも悪く言っている人がいた。
私もネット上の日記や実際の知り合いなどから「薬の過剰摂取」と、「医者の怠慢とも言える処方」の情報が入り込んだりする。

薬を急にやめて克服した人も中にはいる。稀と言えば稀だ。
自分の体験から「薬じゃなくて愛情が大事」と言う人もいる。
実際「愛情」は大事で、これがないと回復は難しい。

現在医者が「インフォームドコンセント」が不十分なことによって訴訟を起こされるケースがあるが…つまり説明不足のまま、患者の理解が得られないまま手術したり投薬したりして事故が起きたりすることによって訴訟が起きる、というケースが起きているが、精神科医もこの例外ではなくなるだろう。

投薬を急に中止したことによって自殺したり、加害者になったり、また投薬のパターン、薬の種類を変えたがためにそうなるケースもあり、明らかに医者の知識不足により、このケースが起きたと立証されれば判例が積み重ねられていくことは間違いないだろう。

これから精神医療は科学の進歩によって生理学と密接に関ってくる。
その場合、投薬も従来の「カウンセリング」とは別のケース、つまり脳波、いやもっと神経回路に直接根ざしたパターンなどからされる場合も出てくるだろう。
私が関った身近な人は脳波にまったく異常が見当たらず、何度か調べていたし、ペーパーテストもオールグリーンだった。あちらが不思議がっていたくらいだ。
書類上ではまったく異常が見当たらない人間が、明らかに接している人間からすればおかしくなる時があった。記憶も飛んでいた。
入院し、投薬をして、ほんの数年で治ったという幸運なケースだ。
当然良くも悪くも教科書どおりにいかないこともある。
だが、薬で間違えて事故を起こした場合、精神科医も投薬における臨床実験のパターンや実際の投薬例を熟知しておかないと確実に訴えられる時代になる。

他人の日記を見ていて思うことがある。
うつには軽度も重度もひっくるめて「うつ病」となる。
体が弱く風邪を引きやすい人間に対して「外で走って体を鍛えればそんなちょっとした風邪も治る」と言うのと、
風邪を引いてだいぶ進行して肺炎を起こしている人に言うのとでは、同じ言葉でも後者には罪がある。
うつ病、というキーワードだけで過剰反応し、ケースバイケースも考えずすべてを一緒にするのはバカにもほどがある。
やめてほしいと思う。
水は生きていくには必須だが、人間は水の中では生きてはいけない。
同じ水でもこれだけ違う。
何を思うのも書くのも勝手だが、特に非難は差し控えて欲しいと願わずにはいられない。
どうせ、言ったからって何もしないのだろうし、最低限学ぼうともしないのだから。
そういう行為は下劣すぎる。
少なくとも、どうなっているのかということを少しでも調べて欲しいと思う。

この日本には随分と精神病に対する偏見が根強く残っている。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」なのだろうか。

ひとつ教えておくが、この発言を残したとされる快川紹喜は、火の中で死んでいったことを覚えておいて欲しい。
精神論は自分にのみ応用すべきで他者を強制的に道連れにするべきではない。
焼け死ぬだけだ。

もし、身近な人にうつ病の人がいて、力になれるのなら、その人の話には耳を傾けないといけない。
特に「主観に満ち溢れて偏っていた」としても、その人の感じていることは「真実」であるから、それを否定してはいけない。

助ける人も、無理はしないように。
お互い、体も心も大事にしなくてはいけない。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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