東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト
http://mitb.bufsiz.jp/
(追記:議事録もございますので、どうぞご参考に
都議会なんて飾りですか? - agehaメモhttp://d.hatena.ne.jp/ageha0/20100316/p1 )
またか、という感じですが、今回の規制はかなり厳しく、というか、かなり劣悪で、
「東京都当局が青少年に悪影響を及ぼすと判断した“不健全な作品”(いわゆる不健全図書)の販売を規制する」
これつまり、作った本人にまったくその意図がなくとも彼らが「不健全だ」と言えば不健全になるという、ひどい条例。
こういうのを「職権乱用」って言わないかな?事実上の検閲にあたり、憲法違反なのに。
軽く見ている人、「彼らの偏見」を甘く見ないほうがいいよ。
この規制、漫画、小説、写真、すべての創作物も対象になる。
そもそも東京都には「本社」を置く会社が多く、こんな規制が入れば根こそぎやられることになる。
つぶれる会社もたくさん出てくるだろう。
さっき思ったのが、これを拡大解釈すれば、東京都にサーバーを置いている会社にも監査が入るということだから、個人のブログも危ういのでは?
まず、ひどく隔たった条例であるのは、「青少年に悪影響を及ぼす」というのなら、
有害図書がないことで「まったく健全な状態になる」ことを立証しなきゃいけない。
つまり、反証が行われない限り、主張の正当性はない。
条例に対して反対することは、いわば「人道的見地に反した行動も認めかねない人間」と見られる危険性があるということだ。
そしりや誤解を避けるためにも条例制定の支持は「健全な青少年が育ってくれることを切に願っている」というメッセージにもなる。
また条例の内容はともかく、その正当性に反する良識などは存在しない。
この気持ちはある意味理性を失わせている。
また大変ステレオタイプなイメージと証拠が列挙されている可能性もあり、過去に存在したおぞましい犯罪事件の犯人の自宅に異様とも思われるようなコレクションがあり、その「オタク趣味」こそ「良識ある人間の理解不可能な趣味」であり「理解不可能であるゆえに、常軌を逸した精神状態を形成していった」ことが推測されるわけであり、ゆえに「忌まわしき凶行に及んだ」とイメージするのは、単純明快で納得しやすい。
だがそれは主観的なイメージとして納得しやすいものである。
確かにオタク趣味を強く持っている人間は独善的であることが多いが、「物」が「精神形成に影響を及ぼした」とは言い切れない。
「青少年に悪影響を及ぼしかねない」というのも極めて推測に近い。
推測で、規制ができるのだとしたら、これは大変なことだ。
日本国民は公共の福祉に反しない限り、自由の権利を保障されている。
そもそも「創作的表現」は、「直接の実行力」が何一つ存在しない。
このようなあいまいで主観的な条例が通るとしたら、将来どんな条例や、法案が通るかわからない。
そもそもこれが通ったら国会で通るのも時間の問題かと思う。
「まったく他者への物理的な行為ではない思想」を規制することになるわけだが、猥褻な表現のある創作物などを強制的に他者に押し付ければ犯罪だけれど、成人が個人で楽しむ分には何が問題あるのか。
カリフォルニア州ではIDを使って厳しく未成年の購入できないものを制限していたけれど、未成年者が購入、観覧できない区分をすれば済む話なのでは…TASPOのようなものじゃダメなのかな?
とにかく、どこから突っ込んでいいのか…違憲だらけ。
d.都民は児童ポルノをみだりに所持しない責務を有するとする児童ポルノ所持の違法化(第18条の6の4。ただし、罰則はなし)
e.児童ポルノを理由とした曖昧な定義に基づく東京都に対する保護者と事業者に対する指導・調査権限の付与(第18条の6の5)事業者だけじゃなくて、保護者も調査権限に入れるって、どう捜査するの?これ、プライバシー侵すことにもなりかねないのでは?
この民主主義の国で専制的な政治が行われようとしている。
専制は国民の自由を憲法で保障したこの国から排除されなければならないのではないのか。
一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるものそもそも「健全な成長」とは、何を意味するのか。
本当に健全な精神を持っていたら、創作物なんかに影響はされず、きちんと自立した精神を持っている。
その精神の成長過程を問題視しているのだとすれば、どれだけ東京の風紀が乱れていると思っているのか。
「創作物」のせいとは必ずしもいえない環境や実態があるのは、歩けばすぐにわかる。
そして渋谷を歩いているような女子高生に生身で聞いていけばわかること。
都庁のあるお足元の新宿なんか巣窟だろう。
それに「分別」というものは、「創作物」によって養われるものではなく、「人とのコミュニケーションの中」で養われるものである。
もし「コミュニケーション環境形成」を無視し「創作物」に強く「精神の形成」への影響を見ているとしたら、これは考えとして隔たりすぎているにもほどがある。
携帯電話だってインターネットを使えないものを使わせたらいいのに。
少なくとも義務教育レベルでは携帯電話は必要なく、また携帯電話がなければ関係が崩れるのなら正常な人間関係を結んでいるとは言いがたい。
ちゃんと人間関係を結べる練習をするのにも学生の携帯電話はいらない。
児童ポルノ、小学生や中学生あたりに関する項目は、そりゃ性的搾取の対象として、健全な育成を促すために有害なものから保護するのはごもっともな話です。
が、しかし、そういう小さな子供を「性的な対象として興奮を覚える」人間は「嗜好」というよりも「未成熟さ」が原因のような気がいたします。
このような人間に対して「規制」がいかなる効果を発揮するのか。
「未成熟」なままであるのならば、問題解決には至らないのでは。
政治家たちや、人権団体の人間たちが心理的に納得し安心するだけの話で、問題の根は深く残り続けるということにもなりかねない。
おそらくこんな規制をしたところで「臭いものに蓋をした」だけの話になるだろう。
この実態と関係性を立証したとも言えないような主観的な条例が、そのまま通るのだとしたら、私は正直東京都民の良識を疑う。
いたるところに出てくる「知事」という言葉。
これは「知事の独断」でも可能、という解釈も含まれるのかね。
もしそうだとしたら児童ポルノよりも危険なのですけれど。
東京都民じゃなくても物凄く気になる条例です。
これ、追記でまったく関係ないことですけれど、
石原慎太郎氏は芥川賞の選考委員から外したほうがいい。
政治的な立場と選考委員としての立場が対立したとき、石原氏は必ず政治的な立場を優先させて選考の意見を述べることは明白だから。
文学賞の選考で、政治的な意図を介入させてはいけない。
しかも芥川賞は純文学に重みを置いているのでしょう。
なおさらです。
その意味では現在の彼は著しく不適格だ。
政治家をお辞めになられてからなら問題はないだろうが、それでも自分が行ってきた政治姿勢を覆すわけにはいかないだろうから、少々難のある選考をすることは間違いない。
高名な文芸評論家に代わっていただいたほうがよろしいのではないかと思う。
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