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あさかぜさんは見た

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11/25

Mon

2024

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12/03

Thu

2009

その人間が語る眉唾な言葉は、結局は信用ならなかった。

最後までそんな生き方をしていくのか、もしくはどこかで本当に孤立して気がつくのかわからないけれど、その程度の感情で、まるで流されているように生きていって、最後にはぼろが出た。

最後のその状態が、すべての真実を語る。

好きの反対は無関心だと言う人がいる。
嫌いになるのはまだ興味があるからだと、多くの人は言っている。

本当に想いがあったのなら、無関心にまではならない。
最後まで、心の中に残った何かを信じている。
だがそれさえも残らないということは、結局は何もなかったということだ。

その人は私に色々なことをやりたいと言った。
やっていきたい、やらせてください。
私に対して言われた言葉のそのほとんどは、嘘になった。
なぜ嘘になったのか。
自分がわからない人だった。
責任感すらも希薄な人だと判断せざるを得ない。
自分のことを理解せず、ゆえに他人も理解できず、いい大人なのに、まるで中学生のような感情で、理屈で、自分のダメさ加減を肯定して、その自分を肯定してくれる環境へと流れていき、その環境で今は元の自分を取り戻している。
そこが、一番落ち着く環境なのだと思う。
人が変わるには、本当の痛みを知らなければいけない。
自分が犯した過ちで、もう逃げられない状況まで追い込まれ、そしてその過ちをとことん理解しなければいけない。
つまり、過ちすらも認めず、そこから逃げ続ける人間に、成長はありえない。

その人は命の短さを時として訴える。
その人の言うとおりなら、もう人生の半分は若くして過ぎ去っている。
もう折り返して、後半に差し掛かっている。
私がとても不思議に思うのは、それならば何故自分の人生を真剣に考えないのか、自分のことを真剣に考えないのか、私にはわからない。
もっと言うならば、なぜ自分の「今」を、もっともっと真剣に考えないのかがわからない。
体が苦しいから、辛いから、精神だけは楽なほうへと行こうとして、今を楽な楽なほうへと向けようとしているのかもしれない。

「その気持ち、私はよくわかるよ。重くはないけど、私も体弱いから」

ある人がそう言った。
自分にはその気持ちがわからないのかもしれない。
もし逃げられる環境があったのなら、楽しい環境があったのなら、自分はそこに浸ってほかのことを忘れ去るかもしれない。
竜宮城へ行った浦島太郎のように。

だが、夢から覚めたら?
突然逃れようのない自分の現実が、逃げ続けてきたその現実が、逃げられない場所まで追ってきたら?
ふたを開けて、自分は本当は老いていたのだと、どうしようもない現実が来た時、どうするのだろう。
きっとそこまで考えていないから、あれだけ眉唾なのかもしれない。
私はその人に正直呆れかえった。
でも何度も呆れかえることをされた後、私は無関心にはならなかった。
その人のことをとても悲しく思った。
哀れみでも同情でもなく自己憐憫でもなく、ただとてつもなく悲しい。

「じゃあ死ぬ前に自分がしてきたことを悟るといい」

たとえその人が本当にどうしようもない人間でも、そこまではどうしても思い切れない。
思い続けることは、本当に無力なことだと痛感する。
気がついて欲しいと、心から願う。
いつか、痛感した時、ようやくその人と語り合える日が来るのだろうか。
もう、一生語り合えるようなことはなく、ただ未熟さを肯定して、逆切れするような人間として、もう二度と会うことはないのだろうか。

今は眉唾な人間でも、将来には今よりも大人になっていることを心から願って止まないのである。

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11/27

Fri

2009

動揺は残るけれど、心の傷は痛むけれど、新しい「目」と、心の落ちる静寂を見つけられそう。

人は人生を歩まなきゃいけない。
人生を歩むとは、自分と向き合うことだ。
反省し、人に対してどんな欠点があるのか悟ることだ。
進むべき道すらも見定めず逃げ続ける。
逃避場所を一時の安らぎ場所ではなく、生活の一部とする。
そんな人間に、未来はない。

体のこと考えていますか?
動けなくなってから考え直しても、時間は取り戻せません。

自分のやりたいことちゃんと見定めてますか?
口だけでは何も起こりませんよ。

あなたが「意思」を取り戻し、本当の「思いやり」に気がつくことを、心からお祈りしております。
私にはそれくらいしかできませんから。

あなたの弱いところを突いて何が悪い。
悪いものを悪いと告げて何が悪い。
私に対して怒りをあらわにするということは、誰もあなたに言ってくれないのでしょう。
あなたの友達はその程度。
だから私が言います。
恨まれても嫌われても、あなたに言います。

悪いものは悪いんだって。
そんなもの、あなたの人間性をおとしめているだけだって。

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11/25

Wed

2009

痛みの中にこもる

傲慢を除き、自分が痛みを感じているうちは、なかなか他者の痛みへ気がまわることはない。

「防衛本能」

誰しも自分にとって有利であろうとしたり、何かのストレス痛みから身を守ろうと勝手に心が働き体が動く。
それは時として他者への感覚を著しく麻痺させる。

本当は、痛みがあるからこそ、他人の痛みへ思いをめぐらさなければいけないのに。

自分の痛みの中にこもる。
それは少しでも自分が楽なところにいかないと、自分の痛みを意識してしまうから。
だから、その痛みを忘れよう、そこから逃れようとして、痛みを意識させるものに過剰反応する。
痛みを意識させるものを敵視したり、無視したりする。
それが本当に有益であるかそうでないかも忘れ去り、自らの感覚の中にこもる。

本当は、「他人同士」が一番楽なのかもしれない。

「あなたなあなたで勝手にやってください。私もそうしますから」


そう宣言したほうが楽なのかもしれない。
自分のことしか考えられなくて、他者への痛みをおもんばかることもなく、自分勝手に。

…じゃあちょっと待ってください。
あなたは自分がそうした時、他人からも同じように扱われて平気ですか?
なんとも思わない人ですか?
「他人は他人」で自他共に割り切れる人ですか?

もう少し考えてみてください。
もしその意識が全体に蔓延したらどうでしょう。
「他人は他人」「あんたのことは関係ない」
その思想は、同じ思想の人間を寄せ付けます。
もし、そういう人間に囲まれたら余計にあなたは孤立します。
利益で結びつき、利害が一致しなければ離れます。
そして、あなたが窮地に陥った時、周囲には助けてくれる人はいなくなります。

あなたがしたことは、他人へと影響します。
そしてあなたへといつか返ってきます。
痛みを与えられ、そして痛みの中にこもります。
「やっぱり自分勝手にやったほうが楽だ」
そのような答えにいきつくかもしれません。
みんながそう考える社会は幸福なのでしょうか。
広い範囲で考えなくてもいい。
そんな仲間に囲まれる人生は幸福なのでしょうか。

いや、きっと人はそんなことにさえも気がつかず、考えず、自分だけの幸福を追い求めて、目の前の物を追い、それを手に入れては満足し、満足しきったら、捨てていく。
そういうことを繰り返すのかもしれない。
誰を傷つけているのかを考えず、自分だけの痛みを訴えて、さも相手は傷ついていないかのような無神経さで、人生を過ごしていくのかもしれない。

でも、何故…?
無関心を装うことが、人を傷つけないことの最善の策なのですか?
その無関心が無神経を誘うとしても…?
自分が傷ついていると訴えるのでさえ傷つけられる。
それは自他共にそうなのかもしれない。
いやきっとそうなのだろう。
そうやって人は傷つけ合って痛みの中にこもる。
話し合うことすらもできずに。

本当にそれでいいのか…?

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11/21

Sat

2009

想ってます。
本当に、本当に、想ってます。

私も傷ついています。
本当に、傷ついています。

あなただけではありません。
傷ついているのは。



P.S. 私へ

人の想いを抱けなくなったらもうおしまいです。
あなたの心は荒んでいて、「想う」なんていうのも甚だおかしい状態です。
ご自分の醜さを鏡で映してご覧になってはいかがでしょうか。
本当に相手を心配してしていること?
見切っているのでしょう?放っておけばよいのに。
歩いている場所が違うことぐらいわかるでしょう。
そしてあなたの力なんて必要としていないでしょう。
人の力になりたいなんて思い上がっておいでではないでしょうか。

―自分が無力なことぐらいわかっているのです。それでも、何もしないよりかはずっといいと思うのです。

人の迷惑も考えず、相手はあなたのことをただ煙たく思っているだけでしょう。
批判?説教?ご自分のことをご覧になっては?
ご自分の今の状態は?酷いものです。
ありがたいともなんとも思われないような言葉で相手を傷つけているだけなのでしょう?
それを認めたくないからあなたは相手に言っているだけでしょう。

―嫌われることや、憎まれることは、恐れてはいません。むしろその痛みや苦しみは覚悟の上なのです。
―思うのです。人に対して苦しみを訴えていた時、私は自分の状態をわかって欲しかった。その時、その話をいつも軽視された。その上で次の話をされても、自分にはどうして理解されないのかがわからなかった。今は抜け出て自分が逆の立場になってしまったのではないかという怖さはあります。苦しみは背負う覚悟です。

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11/21

Sat

2009

「どうして、そんな人のためにしようとするの。後のことは他人事でしょう」
「それは、自分の中にはどうしても、辛い時期に、本当に身近な人に助けてもらえなかったという意識がどこかにあって、それで、どうしても、砲っておけなくなって、してしまう。自分が本当に辛かったから、だから、自分だけは人の苦しみを背負って、少しでもなんとかしてあげたい」

それもまた、ある意味自分勝手な考えであることはよくわかります。

「他人事」

多くの人はそう割り切り、他者への干渉を控えます。
プライベートなことだから。

そして個人もプライベートへの干渉を酷く嫌います。

人は他人から何か言われた時「プライベートにまで干渉されている」と思います。
そして言う側も「プライベートにまで干渉している」ということに気がついていない場合があります。

しかし「自分視点」の人は、「他人への接し方」も「プライベートなこと」として一緒にして考えるため、「指摘」が非常に困難になります。

私正直言って「わかってやっている人」はいいと思っているのです。
自分が差し出す犠牲もわかっていて、どんな状態になるかもわかっている。
「覚悟」があって、最後までできるっていうのなら、やればいい。
生きるも死ぬも後はその人しだいなのだから。
でもたいていの人は「わかってやってない」です。

人の苦しみを背負おうとすることは楽なことじゃない。
辛いし、時としてなんの報いもなく、虚しい。
何度も何度も繰り返して「何故こんなことをしているのだ」と思う時もある。

「愛している」が、どうしてこんなにも都合のいい使われ方をするかっていうと、受け取る側が「自分にとって心地のいい『愛している』」だけを選び取っているからだ。
そして伝える側も、都合のいい「愛している」を繰り返す。
その「愛している」は、「あなたの痛みも背負います」ではなく、「私にとって心地よいです」の感じのほうが強い。

このように、一見相手のことを考えているようで、自分のことが中心であることが多い。
でも人生は、自分自身のものだからと、そこから視点が自分よりになるのは当たり前のことだが、しかし私たちは一人で成り立っているわけじゃない。
どんな想いだって、たった一人で成り立つ想いなんて、この世界にひとつもないのに。

「他人がいるから想いがある」

そんな当たり前のことすら、忘れてしまいそうになる。
過去の想いも今抱けるのは、今接している人がいるからでしょう。
誰もいなかったら、過去の思い出なんて必要ないのに。
誰もいなかったら、「生存本能」さえあればいい。
今日を生き延びることだけで、思い出にしがみつく暇もない。

人と接しているのに、自分の思いだけに留まろうとする。
どうして私たちは「壁」を作っていくのだろう。
互いにもろいからこそ、「壁」ができるのだろうけれど、互いにもろいからこそ、弱さを考えあわなきゃいけないんじゃないのか。
それは「押し付け」ではなく、「思いやり」として。
受け取るほうも「押し付け」としてではなく、「思いやり」として。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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