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あさかぜさんは見た

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11/25

Mon

2024

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07/31

Fri

2009

ブックオフなどの大型店舗でもない限り、個人経営の古本屋は買取の本を選ぶ。

「うちじゃ必要ないんですいません」

と断られた本の中には、今売れている大衆作家の小説や国語に出てくる文学もあったりする。
自分がやろうとしている職業というのは、やっぱりまともな仕事じゃないのかもしれないと感じてしまった。
自分が書いた本だって、そう言われてつき返されるかもしれない。

万人に受け入れられる人間なんていないのだから、当然本というのは必要な一部の人だけに受け入れられて、あとはいらないに決まっている。
だから、必ずしも落胆する必要なんてないに決まっているのだけれど、やはり色々心の中に曇ったものが出てくる。

ある程度自分の中で柱はあるものの、改めて「作家とは何か」ということを考えてしまう。
「この世の中に確かに存在している、しかしまだあいまいな、形にすらなっていないものを、形にするのが仕事」
と、安部公房の言葉を借りて定義付けてみる。

書きたいものが山ほどある。
一生かかっても足りないくらいある。
それを書くには取材が必要で、取材にはお金が必要で、お金を手に入れるには作家としての地位がなければいけない。
成果がすぐに出ないからといってやめられないし、諦めきれない。
北海道のことだって書いてないことはたくさんあるのに。

今や携帯小説なの、エンターテイメント小説なの、この作品がどう将来に役に立ってくるのだろうというものばかりで、自分は小説なのに人間が描かれてないのが一番読んでいて無駄だなと思う。

自分はもっと読み手に考えて欲しいなとか、違った風を吹き込みたいなとか、こういう問題点があるのではないか、などなど、ぶち当たっていきたいけれど、少しでも考えさせるのはなかなか受け入れられない。
…その前に自分の腕がまだまだなのかもしれないけれど。

読み手に媚びるような小説は書きたくはない。
それだけで読者を馬鹿にしていると思うし、小説家はサービス業じゃない。
…のはずなのだが、現代ではしっかりエンターテイメントがなければいけないし、小説家も立派なサービス業と成り果てている。
むしろ大手の出版社も、そういう作品を望んでいるしね。
挙句の果てには中高生に妊娠、レイプ、暴力、薬、堕胎、これらをエンターテイメントにして金を取る始末。

確かに彼らが置かれている事情や環境は今の大人が思っているよりも、もっと影がある。
興味しだいでそれらが「日常」になる可能性が充分にある環境があるのだ。
でもその携帯小説も一過性。
「セカチュー」なるものがあったけれど、一年たてばもう過去の産物。
流れが早すぎる。
当然古本屋もその手の小説は扱わないし、いっせいに書店で姿を見かけなくなる。

古本屋にいつも置いてもらえる本ってどんな本なのだろう。
価値のある本を残したい。
価値が残っていく作品を残したい。

もやもやしてたまらない。
とりあえず、本があまっているのでブックオフに電話して引き取ってもらおう。
残しておきたい本は、限られている。
古本屋でもいい本。
ちゃんと買って残しておきたい本。
後者の本を残せる作家でありたい。

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07/29

Wed

2009

最近デモンストレーションで飲み屋の店員を登場させた短編をその飲み屋に持っていって見せている。
ずっと詩文調で作ってきたので、俗に言うキザったらしい表現が多用されている。
もともと文字に入り込んでいるのも詩が最初だから、なんとかして言葉を使って収めようとする。

ちょっと見せたら「くせえなあ」とか「イライラする」とちらりと言われた。
それが評価なんだろうなあとしみじみ感じる。
読んでいる人間にすっと受け入れられるような、普通に生きている、普通に感じている人たちになじむような表現をするには、自分が詩文調の表現から少々脱却しなければいけない。
そして、もっと自分が泥にまみれたような生活をしていかなきゃいけないのだとつくづく感じた。

独善的な世界を展開して、そこに溺れる。
芸術家特有の罠だろうけれど、それが吉と出たりもするので、何が正しいとも言えない部分がある。
特殊で優れた部分と、誰よりも泥臭く生きている匂いが作家には必要で、作家特有の匂いが読者をひきつけてくる。

自分らしく生きるとか簡単に言うけれど、それが本当はどれだけ辛いことなのか、自分らしく生きられないことも、自分らしく生きることも、どちらにいったってジレンマに違いない。

自分だけしか愛していない人間が、誰かに愛されるはずがない。
もっと、自分を考え直さないといけない。

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07/28

Tue

2009



面白いものを見つけた。
「俎上の鯉は二度跳ねる」は、ボーイズラブと呼ばれる、美少年同士の恋愛もの。
「1Q84」は、村上春樹の小説。

さて、何が面白いかと言うと、レビューである。

村上春樹といえば、昔から活躍していた小説家で、「春樹節」をだいたい予想して、「ああ、やっぱり春樹だ」というノスタルジックな気分に浸り、あたかも浸かりやすい温度の湯に満たされるような緩いファンタジー感を楽しみ、現代社会のギスギスした人間関係の苦しさから必死の呼吸を試みるための空気転換というのが、彼の作品の主目的なのではないかと思う。
空気転換をしたからと言って、部屋の様相が変わるわけではなく、浸かりやすい湯に浸ったからと言って、明日の運命が変わるわけではない。
村上春樹の小説は、ちょっとした逃避旅行をしながら、異世界から違う気分で何かを見つめなおすのにちょうどいい。
彼の小説たるや、人生を突き詰めていった百戦錬磨の大人が改めてテーマを捉えて考え直すようなものではなく、そこに今まで思いもつかなかった、いや、思いこそしなかった子供に、このようなことも考えなければいけないのですよ、と優しく問題の入り口へと導く入門書のようなものなのである。
逆を言うならば、忘れかけていた初歩的な問題点に立ち戻るためにも、村上春樹のファンタジー世界は重要なのかもしれない。

そのうえで、今更村上春樹小説にケチをつけるなんていうのは、「小説あまり読んだことありません」と豪語するに等しい行為であり、いちいち子供の素行にケチをつけて彼らに何も教えたがらないアダルトチルドレンと同等のレベルと見ていい。
読みなれている人は「ああ、またか」「見逃してやれよ、ハルキなんだから」と、批判している人たちを「どうしようもねえな」という気持ちで眺めているに違いない。

しかし、問題点は春樹の小説ではない。
各々のレビューにある。

「俎上の鯉は二度跳ねる」はボーイズラブという、恐らく通常の男はほとんど手に取りも興味もわきはしない、男同士の恋愛ものである。
小説ではなく、コミックなのだろうが(というか読んだことがない)、かつてこれほど熱意みなぎったレビューを読んだことがなかった。
だいたい読者は主に女性。
読んでいただければわかるのだが、この手の話にまったく興味がない私でも非常に内容が気になった。
特に読みこみ方が玄人の域に達していて、通常の書評のレベルを凌駕しきっている。
作品を何度も読み返してプロットの仕掛けまで読み込み理解し、小説ではないコミックであるにも関らず、下手な小説家よりも貫通力の高い比喩で作品をぶち抜き、そして各キャラクターが背負っているテーマすらも神を信じて疑わない命をも捧げる信奉者のごとく自らの心に宿し我が身のごとく共有し、そして何よりも語っても語りつくせない、こんな私の陳腐な言葉では足りない、この作品の至上の価値は伝えきることができないのだという切なさと、それでも断崖絶壁の向こう側の愛しき存在に必死に気持ちを届けたいのだという熱意の強烈なジレンマが感じられる。
そして作品の内容をも離れ、紙質やコマ割りにもこだわり、私はこの作品に出会うがために生きてきたのだという運命すらもレビューから感じ取れるとはいかなることか。
この作品のすべての存在こそ完璧でなければいけないのだという思い入れよう。
この作品はもはや作品ではなく、私の体の一部の痛みとして、喜びとして、愛情として、悲しみとして、そして糧として存在しているに他ならないのだとでも言わんとばかりのレビュー。
読んでいるだけで感動するではないか。

村上春樹ファンに告ぐ。
君たちはこれほどの熱意と語彙を持って、かつて春樹作品を賛美しただろうか。
いや、強烈な春樹ファンでさえ、このレベルに達することはできない。
これはそもそも作品が持っているポテンシャルのせいなのか、それとも春樹のファンすらも春樹を理解しきれていないのか。
それとも村上春樹と心中する気持ちはないのか。
恋は人を詩人にするというが、愛情すらもまた人を詩人にするようだ。

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07/14

Tue

2009

いらないつまらないと言われればそれまでだけれど、好きになってくれた人は、恋をしているにも似ている。
もっと読みたいなと、もっと一緒にいたいなと、恋人と一緒に時間を積み重ねるにも似たり。

努力のない関係はありえなくて、よりよい関係は惚れさせてやろうという意気込みと積み重ねと、惚れてよかったと思える関係に似たり。

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07/13

Mon

2009

自殺というのは、DNAが働いているのではないかと言われている

はとぽっぽ弟が発言したことらしいのですが、通常科学は実例を元に推論をたて、推論を裏付ける証拠を集めていく。

当然親や兄弟が自殺して、特にそれが思春期の場合に起こったら、人生に暗い影を落とすのは当然のことで、生涯忘れない事件としてことあるごとに思い返すことと思う。
その上で、そのような深層心理に落ちた不安要素が、人生の中でなんらかの大きな要因になることは考えられなくもないのだが、しかしそのような心理的要因で起こる自殺と、DNAを直結して考えてみるのは、推論の方法としては間違ってはいないかもしれないが、「自殺遺伝子」があると立証されるまでは単なる推論でしかなく、もし「自殺遺伝子」なるものがあれば、「遺伝子型自殺」は将来遺伝子治療によって完全に治療できることを断言したも同然である。

しかし、DNAから考えてみると、細胞を作る遺伝子があり、脳内の電気信号もこのDNAに多少左右されると考えるならば、自殺しやすい遺伝子や、うつ病になりやすい遺伝子というのがあるのではないかと推論だてるのも当然の話だ。

ということで、調べてみたら、やっぱり同じこと考えてすでにある程度推測している人たちがいた。

http://saito-therapy.org/new_finding/suicdgene.htm

http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno10/4021/21hp/M4021102.htm



まあ、自殺と一口に言っても、死ぬという決断をする行為は二次的なものであって、死にたい何かがあるから自殺するのである。
それは当たり前のこと。
科学の観点から考えれば、自殺遺伝子があっても、自殺まで決行させちゃう環境があるから死んでしまうというのも十二分に言える。

人間は生まれたときに素質は決まっているかもしれないけれど、人生まで決まっていないのは、後天的に獲得するものが、生まれた時に得ていたものよりもはるかに大きいからではないかと思うのですよ。

「なりやすい」という因果はあっても、「しなければいけない」とまではならないのは、やはり環境が大事だからなのでは?と思うわけです。



追記:
ちなみにこのようなDNA情報について昔から懸念されていたのが「保険」の問題ね。
例えば医療機関などでDNA審査ができるようになり、アルコール依存症や、疾患の危険性が高い遺伝子を持つものがいて、その情報が保険屋に流れてしまうと、保険に入れない人間が出てきたり、保険金の支払いに支障をきたしたりなどして、明らかなる差別化が生まれてくると。
この話を聞いたのはもうすでに10年以上昔。
遺伝子解読って相当な時間がかかるのね。
根気のいる作業です。

こっからはもうSFの話しになるけれど、国家がDNA情報を管理し、犯罪を起こしやすい者をナノマシンでマーキングする。
24時間体内に埋め込まれたナノマシンが国に情報を提供し、体内物質情報により、以上に興奮したりなどする時、秘密警察が監視をするとか、考えられなくもない。
結婚の際に遺伝子情報を元に、人間の優劣を決めるとかもあるだろうし。

自分が死ぬまで人類は遺伝子にどれだけ接近することができるのか興味はあるところです。

しかし、不安定要素があるから遺伝子も人間も進歩してきたんじゃないの?遺伝子的に「完全なもの」が何かもわからないのに、優劣を論じるのは、それこそ論外なのでは。
通常生活レベルでは充分に論じられるけれど、それで遺伝子までもくくって論じてしまうのはねぇ…見境がない。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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