自分の中高生の頃には考えられなかった、いや、もしかしたら耳に入らないだけだったかもしれない。
ここ数年で、ネットで知り合った何名かの現役女学生(中高生)から「学校で(同級生などに)レイプされた」という告白を受けた。
いじめも最近は悪質化し、相当手が込んでいる。
理科室にある薬品を(実験中に少量盗んで)給食に入れる、階段からいきなり突き落とす、リコーダーなどの持ち物をトイレの水につけて元に戻しておく、学校に来るなという内容での恐喝、細かなものをあげればきりがない。レイプされ、バスケットボールなどを入れる金属のかごに入れられてそのまま階段から突き落とされた、というのが一番新しい告白。
三十路前後か、なる前の若い先生方の生徒へのあからさまな差別もあるそうだ。若輩浅学という問題以前の、高校生が先生になるような感じだろう。わかるような気がする。
被害の総数は数パーセントの数値でしかないかもしれないが、現実に悪質な被害にあいながらも、誰にも話せず泣き寝入りしている子供たちがいることを知った。
親も高圧的でひどい場合がある。特に親に名目がある場合、親が子供にとって暴力にも近い高圧的態度や行動に出ることが多々あり、エスカレートすることもある。その筆頭が「勉強」だ。広い範囲のくくりになるが、暴力を振るわれるきっかけになるのが「親の言うことを子供がきかない」ということ。
勉強をしないことで暴力を振るう。特にそういう「半虐待」を受けている家庭は「対話」がない。一方的で押し付けがましい言葉が投げられ、子供の言い分は大人の圧力で叩き潰される。
当然理不尽さを感じながらも子供は黙り込むか、ストレスを発散させるために突発的な行動に出るしかなくなる。
非行に走り、夜の街に出入りするようになれば、セックスやドラッグは目の前にある。
信じられないかもしれないが、夜の街に出歩くよくない人々と知り合いになれば、簡単に手に入るようになる。
性だけではなく、様々な違法性を持つ薬物や行動などが低年齢化している。出会い系サイトにアクセスする中高生や、下手をすれば小学生も。
出会い系じゃなくても、ネット環境があり、コミュニティー機能があるすべてのサイト、ゲームを含むプログラムには「出会い系」の機能が備わっていると考えていい。
ネットをやっている人なら、当たり前だと思うだろうが、知らない人は本当にとんちんかんなことばかり言う。
規制の動きが早まっている。
本当に規制が大事なのかな?
国会での答弁が浮世離れしすぎていて、生の声を知らないということがすぐわかる。
利用する人がいて、犯罪が起こるから規制するというのは、少し発想として貧困だし、問題を隠蔽したいようにも見える。
道具があっても、それを利用しない、犯罪行為にまで至ろうとしない、そういう気持ちがあったら、規制なんて必要ないのでは?
なぜ事実をありのままに伝えようとしない?
そして、そこまでに至りたくないという気持ちを作るには大人はどうすればいい?
規制規制というのは、高圧的で対話のない大人のやることなのではないのか。
若者は正しく時代を反映する。本田宗一郎もそう本に書いた。
私もそう思っている。
子供は大人の鏡だ。
もし子供を非難するような声があるのなら、それは大人が腐っているからに他ならない。
大人がガキだから、子供はそれ以下になる。
少なくとも社会を構成する大人、すなわち社会が悪いと言われて、そこに対する考察も反省もなく、ただ激しい反論をくわえるのは、馬鹿の極みなのでは?
そう思えないから平気で悪化していくのでは?
我々はどういう社会を作りたいのだろう。
個々人は自由ということはよく聞くことはできるが、この先どういう社会になればいいかということはあまり聞かない。
傲慢の上に成り立った社会や国家は長い歴史の中で崩壊している。
子供の心が平気で劣悪化していく心の貧困化した社会を作って、経済大国を自負して、やがて徐々に内部から国家を滅ぼすつもりだろうか。
他人の子供だから関係ない?
本当に他人事なのだろうか。
育った子供に将来被害にあわされても他人事だろうか。
育った子供たちが徐々に地域を劣悪化させて、犯罪を多発させるようになっても他人事だろうか。
この発想は極端でもなんでもなく、長い目を見れば何世代かを通じて確実になっていること。
誰もが20年40年後の未来に生きて、「生きづらい時代になったね」とぼやき、自分は関っていないと思うのならば、その人間は大罪を背負っている。
我々はどういう未来を創造したいのだろう。
その未来を、子供に聞かせられる大人はこの国家にいかほどいるのだろう。
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