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あさかぜさんは見た

日記

12/03

Thu

2009

ゴーン、ゴーン、鐘が鳴る。



あなたは、苦しみを知っている人です。
あなたは、誰かに優しくできる人です。
その苦しみから、その悲しみから、誰かの痛みがわかる人です。
私はあなたの苦しみを完全には救ってあげることができないかもしれない。
でも、あなたのことは心配しています。
あなたのことを、心配しています。

心が麻痺して言葉が通じない時があるでしょう。
心が凍り付いてすべての言葉を疑う時があるでしょう。
そして自分の存在に疑いを持ったり、自分の心を殺したくなる時もあるでしょう。
生きていくことは辛いことです。
どんな人生にも、必ず挫折と苦しみが待っています。
遅かれ早かれ、それが来ます。
あなたは他の人よりどうやら早くそれが訪れたようです。
そして、年を取って、その苦しみから解放されたとき、あなたはきっと人の苦しみをわかってあげられる人になるでしょう。

あなたの優しさは、あなたの苦しみは、見知らぬ誰かを救います。
あなたの悲しみは、魂さえも死んでしまいそうなあの汚れた声は、人を救う力になります。

私のように誰かを食いつぶすわけでもなく、立派に生活しているではありませんか。
あなたは自分の優しさをもっと信じるべきです。
あなたはその傷の痛みを隠さないで生きるべきです。
その力があるから、あなたは優しくしてくれた人を裏切らない。
よくしてくれた人に対して、絶対に恩返ししようと思うのです。
それは、あなたの素晴らしさです。

思いを無視し、ただ自分だけに生きる人間とは違います。
あなたは素晴らしい素質を持っています。
だから、その優しさを疑わず、信じている人間がいることを自分の力にしてみてください。
私はあなたのことを信じています。
あなたが、きっと生まれ変われることを心から信じています。
だって、あなたは本当の悲しみを知っている人間だから。

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12/03

Thu

2009

その人間が語る眉唾な言葉は、結局は信用ならなかった。

最後までそんな生き方をしていくのか、もしくはどこかで本当に孤立して気がつくのかわからないけれど、その程度の感情で、まるで流されているように生きていって、最後にはぼろが出た。

最後のその状態が、すべての真実を語る。

好きの反対は無関心だと言う人がいる。
嫌いになるのはまだ興味があるからだと、多くの人は言っている。

本当に想いがあったのなら、無関心にまではならない。
最後まで、心の中に残った何かを信じている。
だがそれさえも残らないということは、結局は何もなかったということだ。

その人は私に色々なことをやりたいと言った。
やっていきたい、やらせてください。
私に対して言われた言葉のそのほとんどは、嘘になった。
なぜ嘘になったのか。
自分がわからない人だった。
責任感すらも希薄な人だと判断せざるを得ない。
自分のことを理解せず、ゆえに他人も理解できず、いい大人なのに、まるで中学生のような感情で、理屈で、自分のダメさ加減を肯定して、その自分を肯定してくれる環境へと流れていき、その環境で今は元の自分を取り戻している。
そこが、一番落ち着く環境なのだと思う。
人が変わるには、本当の痛みを知らなければいけない。
自分が犯した過ちで、もう逃げられない状況まで追い込まれ、そしてその過ちをとことん理解しなければいけない。
つまり、過ちすらも認めず、そこから逃げ続ける人間に、成長はありえない。

その人は命の短さを時として訴える。
その人の言うとおりなら、もう人生の半分は若くして過ぎ去っている。
もう折り返して、後半に差し掛かっている。
私がとても不思議に思うのは、それならば何故自分の人生を真剣に考えないのか、自分のことを真剣に考えないのか、私にはわからない。
もっと言うならば、なぜ自分の「今」を、もっともっと真剣に考えないのかがわからない。
体が苦しいから、辛いから、精神だけは楽なほうへと行こうとして、今を楽な楽なほうへと向けようとしているのかもしれない。

「その気持ち、私はよくわかるよ。重くはないけど、私も体弱いから」

ある人がそう言った。
自分にはその気持ちがわからないのかもしれない。
もし逃げられる環境があったのなら、楽しい環境があったのなら、自分はそこに浸ってほかのことを忘れ去るかもしれない。
竜宮城へ行った浦島太郎のように。

だが、夢から覚めたら?
突然逃れようのない自分の現実が、逃げ続けてきたその現実が、逃げられない場所まで追ってきたら?
ふたを開けて、自分は本当は老いていたのだと、どうしようもない現実が来た時、どうするのだろう。
きっとそこまで考えていないから、あれだけ眉唾なのかもしれない。
私はその人に正直呆れかえった。
でも何度も呆れかえることをされた後、私は無関心にはならなかった。
その人のことをとても悲しく思った。
哀れみでも同情でもなく自己憐憫でもなく、ただとてつもなく悲しい。

「じゃあ死ぬ前に自分がしてきたことを悟るといい」

たとえその人が本当にどうしようもない人間でも、そこまではどうしても思い切れない。
思い続けることは、本当に無力なことだと痛感する。
気がついて欲しいと、心から願う。
いつか、痛感した時、ようやくその人と語り合える日が来るのだろうか。
もう、一生語り合えるようなことはなく、ただ未熟さを肯定して、逆切れするような人間として、もう二度と会うことはないのだろうか。

今は眉唾な人間でも、将来には今よりも大人になっていることを心から願って止まないのである。

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11/27

Fri

2009

動揺は残るけれど、心の傷は痛むけれど、新しい「目」と、心の落ちる静寂を見つけられそう。

人は人生を歩まなきゃいけない。
人生を歩むとは、自分と向き合うことだ。
反省し、人に対してどんな欠点があるのか悟ることだ。
進むべき道すらも見定めず逃げ続ける。
逃避場所を一時の安らぎ場所ではなく、生活の一部とする。
そんな人間に、未来はない。

体のこと考えていますか?
動けなくなってから考え直しても、時間は取り戻せません。

自分のやりたいことちゃんと見定めてますか?
口だけでは何も起こりませんよ。

あなたが「意思」を取り戻し、本当の「思いやり」に気がつくことを、心からお祈りしております。
私にはそれくらいしかできませんから。

あなたの弱いところを突いて何が悪い。
悪いものを悪いと告げて何が悪い。
私に対して怒りをあらわにするということは、誰もあなたに言ってくれないのでしょう。
あなたの友達はその程度。
だから私が言います。
恨まれても嫌われても、あなたに言います。

悪いものは悪いんだって。
そんなもの、あなたの人間性をおとしめているだけだって。

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11/25

Wed

2009

痛みの中にこもる

傲慢を除き、自分が痛みを感じているうちは、なかなか他者の痛みへ気がまわることはない。

「防衛本能」

誰しも自分にとって有利であろうとしたり、何かのストレス痛みから身を守ろうと勝手に心が働き体が動く。
それは時として他者への感覚を著しく麻痺させる。

本当は、痛みがあるからこそ、他人の痛みへ思いをめぐらさなければいけないのに。

自分の痛みの中にこもる。
それは少しでも自分が楽なところにいかないと、自分の痛みを意識してしまうから。
だから、その痛みを忘れよう、そこから逃れようとして、痛みを意識させるものに過剰反応する。
痛みを意識させるものを敵視したり、無視したりする。
それが本当に有益であるかそうでないかも忘れ去り、自らの感覚の中にこもる。

本当は、「他人同士」が一番楽なのかもしれない。

「あなたなあなたで勝手にやってください。私もそうしますから」


そう宣言したほうが楽なのかもしれない。
自分のことしか考えられなくて、他者への痛みをおもんばかることもなく、自分勝手に。

…じゃあちょっと待ってください。
あなたは自分がそうした時、他人からも同じように扱われて平気ですか?
なんとも思わない人ですか?
「他人は他人」で自他共に割り切れる人ですか?

もう少し考えてみてください。
もしその意識が全体に蔓延したらどうでしょう。
「他人は他人」「あんたのことは関係ない」
その思想は、同じ思想の人間を寄せ付けます。
もし、そういう人間に囲まれたら余計にあなたは孤立します。
利益で結びつき、利害が一致しなければ離れます。
そして、あなたが窮地に陥った時、周囲には助けてくれる人はいなくなります。

あなたがしたことは、他人へと影響します。
そしてあなたへといつか返ってきます。
痛みを与えられ、そして痛みの中にこもります。
「やっぱり自分勝手にやったほうが楽だ」
そのような答えにいきつくかもしれません。
みんながそう考える社会は幸福なのでしょうか。
広い範囲で考えなくてもいい。
そんな仲間に囲まれる人生は幸福なのでしょうか。

いや、きっと人はそんなことにさえも気がつかず、考えず、自分だけの幸福を追い求めて、目の前の物を追い、それを手に入れては満足し、満足しきったら、捨てていく。
そういうことを繰り返すのかもしれない。
誰を傷つけているのかを考えず、自分だけの痛みを訴えて、さも相手は傷ついていないかのような無神経さで、人生を過ごしていくのかもしれない。

でも、何故…?
無関心を装うことが、人を傷つけないことの最善の策なのですか?
その無関心が無神経を誘うとしても…?
自分が傷ついていると訴えるのでさえ傷つけられる。
それは自他共にそうなのかもしれない。
いやきっとそうなのだろう。
そうやって人は傷つけ合って痛みの中にこもる。
話し合うことすらもできずに。

本当にそれでいいのか…?

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11/21

Sat

2009

想ってます。
本当に、本当に、想ってます。

私も傷ついています。
本当に、傷ついています。

あなただけではありません。
傷ついているのは。



P.S. 私へ

人の想いを抱けなくなったらもうおしまいです。
あなたの心は荒んでいて、「想う」なんていうのも甚だおかしい状態です。
ご自分の醜さを鏡で映してご覧になってはいかがでしょうか。
本当に相手を心配してしていること?
見切っているのでしょう?放っておけばよいのに。
歩いている場所が違うことぐらいわかるでしょう。
そしてあなたの力なんて必要としていないでしょう。
人の力になりたいなんて思い上がっておいでではないでしょうか。

―自分が無力なことぐらいわかっているのです。それでも、何もしないよりかはずっといいと思うのです。

人の迷惑も考えず、相手はあなたのことをただ煙たく思っているだけでしょう。
批判?説教?ご自分のことをご覧になっては?
ご自分の今の状態は?酷いものです。
ありがたいともなんとも思われないような言葉で相手を傷つけているだけなのでしょう?
それを認めたくないからあなたは相手に言っているだけでしょう。

―嫌われることや、憎まれることは、恐れてはいません。むしろその痛みや苦しみは覚悟の上なのです。
―思うのです。人に対して苦しみを訴えていた時、私は自分の状態をわかって欲しかった。その時、その話をいつも軽視された。その上で次の話をされても、自分にはどうして理解されないのかがわからなかった。今は抜け出て自分が逆の立場になってしまったのではないかという怖さはあります。苦しみは背負う覚悟です。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。

気が付いたら他人からとても褒められる娘ができまして、人生が大きく変わりました。
この小さな可能性と向き合うため頑張って生きております。

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